大学の障害学の授業で、「合理的配慮を受けて、例えば成績が向上した友人を見たらどう思う?」と言う問いがあって、これって結構、深い問いだなと思った。
合理的配慮を受けて、学校や職場で快適に過ごせる人が増えたら本当に嬉しい。よかったなと思う。
だけど、その配慮によって、自分の成績順位や会社の評価が相対的に下がって、その結果、不利益が多くなると途端に、合理的配慮に対して不快感を覚えるかもしれない。あるいは、配慮を受けた本人にその感情は向くかもしれない。
合理的配慮にしろあらゆる支援制度は、自分に無関係な部分で行われる分には「良きもの」であり、自分に不利益が出たら「否なもの」になるのかもしれない。
個々の人が自分の不利益を寛容に受け入れることはできるのだろうか?