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「グレタ・トゥーンベリ、イスラエル刑務所での恐怖の日々」翻訳

どうもこんばんは、烏丸百九です。

本日は、スウェーデンのメディア「Aftonbladet」に掲載された、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんの、イスラエル刑務所での体験を綴ったインタビューを翻訳して掲載しようと思います。
トゥーンベリさんがイスラエルに捕まった経緯については、下記の記事などをお読みください。

本文中にもありますが、トゥーンベリさんは自身の被害がパレスチナ以上にフォーカスされることを望んでいません。イスラエルに利用されることを避けるためでもありますが、本文の内容は、日本のような親イスラエル国家に住む人間は絶対に知っておくべきだと感じたので、自分なりに和訳させていただきました。
長い内容ですが、是非最後までお読みください。(誤訳等ありましたら遠慮無く御指摘ください)

※本文中、イスラエルによる過酷な拷問や虐待、セクシャルハラスメントの描写があります。閲覧にはご注意ください。※
※この記事はAftonbladetのインタビュー内容の翻訳で、主張・見解はインタビュイーに帰属します。※

「旗が顔に触れるたびに彼らは私を蹴った」

―グレタ・トゥーンベリ、イスラエルの刑務所で過ごした恐怖の5日間を語る―
リサ・ローストルンド記者(Aftonbladet / 2025年10月15日)


殴打、蹴り、そして檻の中でガスをかけると脅される――。
グレタ・トゥーンベリと他のフリーダム・フロティラ船団のメンバー数名が、イスラエルで拘束された5日間の詳細を今語る。
そして、スウェーデン外務省職員が、彼らを支援せず置き去りにしたことも。

Aftonbladet紙の調査によれば、外務省は暴行の事実を公の報告では過小評価していた


玄関の床には、彼女の赤いスーツケースが置かれている。
黒いマジックで大きく書かれた文字は「売女グレタ(Whore Greta)」。
そのまわりにはイスラエル国旗と、勃起した男性器の落書き。

このスーツケースは、イスラエル軍が船から押収し、こうした状態で返却してきたものだ。
彼女は苦笑する。

「まるで5歳児みたいなセンス。」

私たちは、彼女が仲間と共同生活しているコレクティブハウスを訪れた。
秋の陽光が差し込み、重い話をしているのに雰囲気は不思議と明るい。
壁一面には世界中のデモのポスター。
彼女はコーヒーを淹れる。

「ここに帰ってきて最初の夜は、久しぶりに一晩中眠れた。でも2日目の夜は30分だけ。爆撃された船の夢で目が覚めた。」

話の途中で何度か言葉を止める。

「脳が、いつもみたいに働かない。」

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グレタさんはイスラエル警察に押収された後、返却されたバッグを確認している。
写真: マグナス・ウェンマン

スーツケースを開けながら、彼女は言う。
「報道の見出しを、“拷問されたグレタ”みたいにはしたくない。それは私が帰国した夜、セルゲル広場の記者会見でも最初に言ったこと。これは私やフロティラの仲間の話ではなく、ガザに生きる人々の話だから。」

「今も裁判もなく拘束され、拷問されているパレスチナ人が何千人もいる。子どもも何百人も。」

彼女は「被害者」として描かれることを望まない。
しかし、彼女が語るのは自分への扱いを通してパレスチナ人の現実を伝えるためだ。

「これは国際的な連帯の話。政府がしないことを人々が力を合わせて行った。それだけのこと。」

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写真: マグナス・ウェンマン

こちらが質問を向ける。

――でも、あなた自身への扱いも国際的に注目されていますね?
「そうだね。でももしイスラエルが、世界中の注目の中で白人のスウェーデン人にこれだけのことをできるなら、誰にも知られずにパレスチナ人に何をしているかは想像もつかないでしょ。

彼女と同年代のパレスチナ青年が、ヨルダン川西岸で拘束中に死亡したというニュースが入ったばかりだ。

「私たちが経験したのは、パレスチナ人が日常的に味わっていることの、ほんの小さな断片にすぎない。
収監された部屋の壁には、銃弾の跡と血痕、そして以前に収監されていたパレスチナの囚人たちの刻んだメッセージが残っていた。」


【10の質問:グレタ・トゥーンベリに聞く】

Q1. 外務省が「ガザ渡航は控えるように」と警告していたのに、なぜ出航したのですか?

「まず、私たちが拘束されたのは“国際水域”であって、ガザへの入域ではありません。
しかも、同じ政府がウクライナで人道支援を行うスウェーデン人を公に称賛している。
結局これは“白人のためならOK”という人種差別の問題です。
私たちは政府が無視している国際法と人道原則を代わりに実行しようとしただけです。」

Q2. イスラエルは「あなたたちの船には人道支援物資など積まれていなかった」と主張していますが?

「完全な嘘。私は自分で全ての箱をチェックした。
食料、医薬品、粉ミルク――すべて載せていた。
トルコからの支援船も合流し、荷物を積み替えた。
ところが逮捕後、他の船の仲間が“イスラエル軍が甲板で『ここに武器がある』と嘘の映像を撮っていた”と聞いた。
つまりイスラエルはインフルエンサーを雇って虚偽動画を拡散していたようです。」

Q3. なぜ10月7日(ハマス襲撃2周年)に記者会見を開いたのですか?

「それはイスラエル側がその日に私たちを強制送還したから。帰国直後に開いただけ。意図はない。」

Q4. イスラエルは“船団の指導者にハマス関係者がいる”と主張しています。

「まったくの虚偽。
彼らは“ハマス”という言葉を使えば、どんな暴力も正当化できると思っている。
私たちは国際水域で平和的に航行していた。
食料と医薬品を運ぶ行為を“テロ”と呼ぶなら、それこそイスラエルの行為こそテロリズムの定義に当たる。」

Q5. “イスラエルが代わりに支援物資を届ける”という提案を断ったのはなぜ?

「2008年から同じ申し出をずっと断り続けてきました。
理由は簡単。イスラエルは援助を封鎖している張本人だから。
入っても民間人には届かないし、配給を待つ人々は射殺されている。
ガザの飢餓は援助不足ではなく、イスラエルが意図的に経済を破壊して自給を奪っていることが原因です。
だから、ただの物資搬入ではなく、政治的に“不法な封鎖に抗う行為”なんです。」

Q6. 「これはPR目的の“セルフィー船”では?」という批判もあります。善よりも害を及ぼすのでは?

「まず、命を懸けてセルフィーを撮る人はいません。
私は自分の白い肌とスウェーデンのパスポートという特権を利用して、ガザの現状を伝える責任があると思っています。
公共の注目を集めることも戦略の一部です。
これは2008年からの方針で、メディアの光だけが国際社会の無関心を破る手段だからです。
それを“象徴的行動”と呼ぶなら、まさにそう。
世界に“私たちはガザを忘れていない”と伝えるための行動なんです。」

Q7. 資金源は? 誰があなたを支援しているのですか?

「誰もいません(笑)誰かいれば良いのに。
学生ローン(CSN)で暮らしています。
本や映画で得た報酬はすべて寄付しました。
船団の費用はクラウドファンディングとボランティアの労働で賄われています。」

Q8. あなたは反ユダヤ主義者ですか?

「全ての人が平等であるべきだと言うことは、反ユダヤ主義ではありません。」

Q9. これは気候運動と関係がありますか?

「もちろんあります。
戦争ほど気候に悪いものはない。
私が活動を始めた原点は“正義・平等・自由・持続可能性”で、それは今も同じ。
あなたがひどく利己的で何もしなかったり、人が爆撃で死んでいく世界で、どうやって“持続可能性”を語れるでしょうか?」

Q10. ハマスを称賛する人物が、フリーダム・フロティラ運動に関わっているとの報道がありますが?

「イスラエルの言う“ハマス関係”は、ただの口実。
私自身、そうした発言を見たことはありませんが、たとえあったとしても支持しません。
ただし、“イスラエル支持”を表明する人々が大量虐殺を容認している現状を考えれば、
“どちらが本当のテロリズムか”を考えるべきです。」

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グレタの家の本棚には、パレスチナの旗が差し込まれている。
写真: マグナス・ウェンマン

9月初旬、チュニス沖で彼女のボートが爆破された事件についても語り合った。記者会見の取材に呼ばれていなかったら、彼女はその時乗船していたはずのボートだった。米国の諜報員がCBSに証言したところによると、この攻撃はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の命令によるものだった。

彼女は、船の上に撒かれた化学物質について語り、ドローンのことを考えずに星空を眺めることはもう二度とできないだろうと語った。

グレタ・トゥーンベリは、42隻の船からなる船団に乗船した500人の乗組員にスポットライトを当てたいと考えている。教師、医師、研究者、学生、国会議員、中小企業経営者など、様々な顔ぶれだ。最年少は18歳、最年長は78歳だ。

「彼らは皆、異なる人生の物語を持った人々だった」

彼女は、特に感銘を受けた、知り合ったユダヤ人の参加者について語ります。

「中には、イスラエルを強く支持する家庭で育った人もいたんだ。彼らは全てを捨て、命を危険にさらして立ち上がり、ガザで起こっていることが自分たちの名の下に起こらないようにした。しかし、そのせいで家族と連絡が取れなくなってしまったケースも少なくないよ。」

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グレタは髪を撫でている。彼女は私たちが日常の風景を撮影することに同意してくれた。ガザの状況改善につながるのであれば、自分自身に焦点を当てることも受け入れるという。
写真: マグナス・ウェンマン

インタビューを中断し、録音を切る。グレタ・トゥーンベリは何か食べたいと思い、冷蔵庫から豆を取り出し温める。キッチンカウンターには、最近ゴミ捨て場から運ばれてきたビーツなどの野菜が置いてある。スーパーの容器から捨てられた食品を、ここで救出したのだ。

録音を再びオンにすると、彼女は音を伸ばしてテストする。「マザーファッカーーーー」と言いながら、私の携帯電話のサウンドモニターが天井に届く音を確認した。

あの夜、船はイスラエル軍によって拿捕された。
顔全体を覆うマスクと大型の自動小銃を持った兵士たちが次々と船に乗り込んできた。
この様子は船団側の配信チャンネルで生中継され、世界中の視聴者が見守っていた。

多くの証言者は「銃口を顔に向けられた」と語っている。
彼らは下層デッキに連れて行かれ、円座になって座らされ、微動だにできないまま船は陸地へと向かった。

「とても暑かった。私たちはただ黙って座っていた。
兵士たちは見張りを交代しながら、上で荷物を引き裂き、物を投げ回していた。」

食料、医薬品、粉ミルク――ガザに届けるはずだった支援物資がどうなったのか、彼女は知らない。

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「誰も“セルフィーのために”参加したわけじゃない。全員が何かを犠牲にしていた」とグレタは言う。
写真: マグナス・ウェンマン

およそ20時間後、船はテルアビブ南方40キロにあるイスラエル最大の港湾都市アシュドッドへ到着した。
一人の軍人が彼女を指さして言った。

「お前からだ、来い!」

グレタは「Free Palestine」と書かれたTシャツの着用を禁じられ、着替えるよう命じられた。
彼女は代わりに「Decolonize(脱植民地化)」と書かれたオレンジ色のシャツを着て、「それからお気に入りのカエル帽をかぶった」と笑う。

だが桟橋に降り立った瞬間、警官の一団が待ち受けていた。

「彼らは私を引き倒し、地面に押さえつけ、イスラエル国旗を体の上に投げつけた。」

そこからすべてが一気に暴力へと変わった。
複数の証言者によると、彼女はフェンスで囲まれた舗装地へ引きずられた。
この場面は6時間以上続いたと彼女は語る。

「ディストピアのようだった。50人ほどがひざまずかされ、手錠をかけられ、額を地面につけて並ばされていた。」

彼女は立ち上がって、リビングのストライプのラグの上で当時の姿勢を再現してみせた。

「私は他の人たちと反対側に連れて行かれ、体の周りにはずっと旗を巻き付けられたままだった。
その上から彼らは殴り、蹴り続けた。」

彼女は苦笑して続ける。

「それから、私のカエル帽を奪って地面に投げつけ、踏みつけ、蹴りつけて――まるで癇癪を起こしたみたいだった。」

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押収されたスーツケースを後で返されたとき、「Whore Greta(売女グレタ)」という落書きと、男性器とイスラエル国旗の絵が描かれていたという。

「彼らは私を乱暴に引きずって角に押し込み、“特別な女には特別な場所だ”と言った。
そして“リラ・ホーラ(小さな売女)”“ホーラ・グレタ”と、覚えたてのスウェーデン語でずっと罵ってきた。」

アスファルトに顔をつけた状態で、誰かが少しでも顔を上げると殴打された。
グレタのいる角には一枚の旗が掲げられた。

「旗が風でひらめいて私の体に触れると、彼らは“旗に触るな!”と叫んで横腹を蹴った。
やがて手を結束バンドで縛られ、見張りたちが私の周りに並び、その姿をバックに自撮りをしていた。」

「彼らは私の荷物を開け、パレスチナ関連だと見なしたものを一つずつ取り出しては、目を見ながらナイフでゆっくりと切り裂いた。
その間、十人ほどが一緒にセルフィーを撮っていた。」

突然、極右の国家治安相、イタマル・ベン=グヴィルが現れた。

「“お前たちはテロリストだ。ユダヤ人の赤ん坊を殺したいんだろ!”と叫んだ。
反論した人は別の場所に引きずられ、地面に叩きつけられて殴られた。
私は目線を上げることもできず、少しでも顔を動かせば足蹴にされた。」

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グレタ・トゥーンベリさんと彼女の友人たちは、自分たちが描写する多くの状況が不条理だと感じて笑っている。 写真: マグナス・ウェンマン

彼女は一瞬沈黙し、微笑んだ。

「トイレに行きたいと頼むと、列の中を通らなければならなかった。
すると誰かが“グレタ、私たちはあなたと一緒だ”と声をかけた。
その人はすぐに連れ出され、殴られた。」

彼女が歩みを進めると、他の拘束者たちが「Slay!」と声を上げた。
これは本来“殺す!”の意味だが、ネットスラングでは「最高!」という賞賛を表す。

「それは私の口癖だから、彼らは皮肉でそう言った。
でも“Slay”と叫んだ人はみんな蹴られた。
それでも次々に声が広がり、最後には全員が“Slay!”と叫んでいた。
そうなったら、彼らも全員を殴るわけにはいかなかった。」

彼女は小さく笑って言葉を切った。

その後、建物の中へ連れて行かれ、身体検査を受けた。

「警備員たちは共感や人間性をまったく持っていなかった。
私のそばで写真を撮り続けていた。
同時にあまりのショックで記憶が途切れている。
体は痛かったけれど、心を落ち着かせようと必死だった。」

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アフトンブラーデットの記者が、グレタ・トゥーンベリさんの住む共同住宅で彼女と話す。 写真: マグナス・ウェンマン

突然、掃除用具の保管庫のような狭い部屋に引きずり込まれ、ひざまずかされた。
そこに再びベン=グヴィルが、メディア班を連れて入ってきた。

「彼は叫んだ。“私は個人的にお前をテロリストとして扱わせる。
牢獄で腐れ。お前はハマスだ。ユダヤ人の赤ん坊を殺したいんだろ。”

私はできるだけ冷静に座って、国連憲章を引用しながら、“イスラエルは国際法の例外ではありません”と言い返した。
これは撮影されていると思ったけれど、今もその映像は公開されていない。」

彼女の友人が口を挟む。

「あなたの答え方が完璧すぎたんだ。」

ベン=グヴィルは後日、メディアで自らの行動を誇示した。

「私はフロティラの活動家をテロ支持者として扱うことを誇りに思う。
彼らがケツィオット刑務所の環境を体験すれば、二度とイスラエルに戻りたいとは思わないだろう。」

掃除用具室での「尋問」が終わったあとも、拷問のような扱いは続いた。
グレタは、次々と現れる職員から署名を求められた。
そこには「イスラエルに不法侵入した」との文言が書かれていたが、彼女は拒否した。

「拒んだら再び結束バンドで手を縛られ、目隠しをされたまま、小さな車の中の金属の檻のような部屋に押し込まれた。
その夜はそこに閉じ込められたまま寒さで震え続けた。」

「Tシャツ1枚だけ。ひどく寒かった。」

翌朝、刑務所へ移送された。
到着すると再び服を脱ぐよう命じられた。

「屈辱的な扱いを受け、すべて撮影された。
何もかもが乱暴だった。人々の薬は目の前でゴミ箱に投げ捨てられた。
心臓病薬、がん治療薬、インスリン――全部だ。」

刑務所の壁には大きなポスターが貼られていた。
爆撃で破壊されたガザの街と、逃げ惑う人々の写真。
その横にはアラビア語で「新しいガザ」と書かれ、巨大なイスラエル国旗が描かれていた。


【参考:国際法の専門家による見解】

ストックホルム大学国際法名誉教授サイド・マフムーディ氏は、イスラエル当局が国際水域でフロティラ船を拿捕し、乗員を拘束・強制的にイスラエルへ連行した行為は明確な国際法違反だと述べている。

国際法では、海上封鎖(ブロッケード)は「国家間の戦争」に限って合法であり、イスラエルはパレスチナを国家として認めていないため、本件はその前提を欠いている。

したがって、Global Sumud Flotillaの船舶は自国の法的管轄下にあり、イスラエルがこれを拿捕する権限はない――と結論づけられている。


刑務所では、グレタはさまざまな部屋を転々とさせられた。
ある時は約15平方メートルの小部屋に13人が詰め込まれた。

「何日いたのか覚えていない。時計もなく、昼夜の感覚もなかった。
水は茶色く濁っていて、トイレの蛇口から出るそれを飲むしかなかった。
多くの人が体調を崩した。
乾きすぎて泣くことすら“もったいない”と感じるほどだった。」

「40度近い暑さ。ずっと“水をください”と頼んだ。最後は叫んだ。
でも看守たちは笑いながらペットボトルを掲げ、そのまま目の前のゴミ箱に投げ捨てた。」

ある日、60人ほどが屋外の小さな鉄柵の中に押し込められ、直射日光の下で立たされた。
座る場所もなかった。

「人が次々に倒れた。私たちは檻を叩いて“医者を呼んで!”と叫んだ。
すると看守がやってきて“ガスを噴射してやるぞ”と言った。
実際にガスボンベを掲げ、ボタンに指をかけて脅してきた。」

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複数の法学者・人権専門家がAftonbladet紙に証言した。 「グレタ・トゥーンベリと船団の参加者は、スウェーデン法および国際法の両方に照らして、明らかに重罪級の虐待を受けた」

夜になると、看守たちは数時間おきに鉄格子を揺すり、懐中電灯を照らしては全員を立たせた。
安眠を許さない「拷問的管理」が続いた。

「私は虫だらけの独房に入れられた。
何時間いたのか分からない。時間の感覚が消えた。
怖くて歌を歌っていたけれど、その歌を歌うこと自体が体力的に辛くて、途中で息が切れた。」

ある時、政府関係者との“面談”に呼び出された。
外交官や政治家も同席していた。

「“私たちはハマスに、お前を人質交換の対象にする提案をした”と言われた。
私が“どういう意味?”と聞くと、“冗談だよ”と笑った。
他の者は“これは虐殺じゃない。
もし我々が本当に虐殺をしたいなら、もっと徹底的にできるさ”と口にした。」

拘束から数日後、ようやく港の仮設檻の中で弁護士と5分だけ会うことができた。
それが唯一の法的支援だった。

金曜日になってようやく、スウェーデン大使館の職員3人が面会に訪れた。
彼らは屋外の檻の前で、拘束者たちと数分だけ話した。

「私たちは、殴打・水不足・拷問のことをすべて説明し、体の傷も見せた。
連絡先も全部渡して“この情報をメディアに出してほしい”とお願いした。」

だが、返ってきたのは冷淡な言葉だった。

「“私たちの仕事は、あなたたちの話を聞くことです。”
それだけ。」

「“私たちはここにいます、あなたたちには領事支援の権利があります”――
そう言うだけで何も行動しなかった。」

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グレタ・トゥーンベリ氏と船団の他の数名の参加者は、スウェーデン領土に着陸した数時間後にセルゲル広場で記者会見を開いた。 写真: ジョエル・リンデ/ステラ

「水をください」と繰り返し訴えたが、大使館職員は「記録しておきます」と言うのみ。
同行していたヴィンセントが「次に来るときは水を持ってきてください」と言った。

それから2日後、再び彼らが現れた。
だが、持っていたのは半分飲みかけの水のボトル1本だけ。

「一番体調の悪いヴィンセントにその水を譲った。
私たちはまた看守に“水をください”と頼んだが、
彼らはボトルを持って歩き回るだけで、何も答えなかった。」

「そこで私たちは決めた。大使館職員の目の前で“水をもらうまで独房に戻らない”と抗議する、と。
でも彼ら(スウェーデン大使館職員)は“それでは帰ります”と言い出した。」

「“このまま行ったら私たちは殴られますよ”と警告したのに、
彼らは振り返りもせず去って行った。」

同じ頃、世界中で抗議デモが起きていた。
ローマでは10月5日に数万人が集まり、「グレタとフロティラの仲間を解放せよ」と叫んだ。
報道によれば、数百万人規模のデモが各国で起きたという。

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写真:アレッサンドラ・タランティーノ/AP

その後の出来事を、他の参加者も証言している。
看守が投げ捨てた空のボトルを、怒り狂った活動家が蹴り飛ばした。
水の残りが床にこぼれ、拘束者たちは這いつくばって少しでも飲もうとした。

「その場面を大使館員たちは見ていた。それでも何もせず立ち去った。」

拘束5日目、ようやく解放が告げられた。
同日、スウェーデンの首相ウルフ・クリステルソンは

「外務省の警告に反してガザへ向かったのは“非常に愚かな行動”だ」と発言した。

Aftonbladetが入手した外務省の電子メールによると、家族への報告では暴行の事実が意図的に軽く記載されていた

例えば、アシュドッド港での長時間の暴行について、外務省の文書には次のように書かれていた。

「彼女は“少々厳しい扱い”を受け、“長時間硬い床の上に座らされた”と述べている。」

その翌日、複数のメディアが「グレタが拷問を受けた」と報じた。
父親スヴァンテ・トゥーンベリも外務省宛のメールで激しく抗議している。

「彼女が伝えた内容と、私に送られてきた報告がまったく一致しない。
それを知ったとき、私は完全な裏切りと挑発を感じた。
まるで文化戦争の駒にされたようだった。
しかも同じ日に、イスラエルの大臣が彼らを“拷問した”と誇らしげに語っている。
これがどうして外交の名に値するのか。」

Aftonbladetが確認した外務省のメールには、「グレタたちが“報道機関への公開を希望している”」との記載はどこにもなかった。

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写真: マグナス・ウェンマン

また、同紙は他の参加者3名とその家族にも取材を行い、全員が「外務省は我々の証言を意図的に弱めた」と証言している。

「チリの領事が私たちを助けようとして、看守の制止を押し切って声をかけてくれた。
それと比べてスウェーデン職員は何もしなかった」と
参加者マリタ・ロドリゲスは語った。

別の参加者ヴィンセント・ストームも言う。

「他国の大使は直接中に入り、クッキーを食べながら自国民と話していた。
スウェーデン大使館だけが何も行動しなかった。
本当に失望した。」

Aftonbladetが入手したメールでは、外務省が「ヴィンセントは大使館が持参した水を飲めた」と報告していた。
しかし実際は、先述のとおり半分飲みかけの小瓶が一本だけだった。

「彼らは現実を“美化”した。」とヴィンセントのパートナー、レベッカ・カールソンは語る。

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レベッカ・カールソンは、パートナーのヴィンセント・ストームがイスラエルで投獄されていた間の外務省の行動を強く批判している。 写真: アンドレアス・バーデル

フロティラ参加者とその家族は、共通してこう訴えている。

「外務省は私たちの権利を守らず、拘束中の扱いを軽視・隠蔽した。」

「私たちはスウェーデン外務省を職務怠慢で監察官(JO)に告発する」とレベッカは語った。

スウェーデン大使館も、外務大臣マリア・マルメル・ステネルガードもインタビューを拒否した。
彼女は我々(Aftonbladet)へのメールで次のように述べた。

「グローバル・スムード・フロティラのスウェーデン人参加者は、自ら大きな危険を冒した。
結果として、ガザの市民に支援物資は届かなかった。」

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マリア・マルメル・ステネルガード外相。 写真: ロッテ・ファーンヴァル

複数の国際法専門家はこの見解に強く反論している。
弁護士リヌス・ガーデルは言う。

「政府の対応は驚くべき怠慢だ。
国際法違反を黙認する行為に等しい。」

サイド・マフムーディ教授も同意した。

「理解に苦しむ。
イスラエルの行為は明確に国際法違反であり、スウェーデン政府がそれを認めないのは不可解だ。」

インタビューの最後に、グレタ・トゥーンベリは静かに言った。

「私たちの誰も“被害者”として描かれるべきではない。
私たちは何に身を投じているのか、十分承知していた。
バルセロナを出航した初日から、“テロリストとして扱う”という脅しは受けていた。
それでも私は、恐怖や敗北感は一度も感じなかった。」

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月曜日にハマスの人質20人が解放されたことを祝うイスラエル人達の画像。 写真: ニクラス・ハマーストロム / ニクラス・ハマーストロム

数日後、電話で彼女と再び話した。
その夜は比較的眠れたという。
同時にニュースでは、ハマスに拘束されていたイスラエル人の人質20人が解放され、対してイスラエルも約2,000人のパレスチナ人囚人を釈放したと報じられていた。

「人質が家族と再会する映像を見て、私も心から喜んだ。
でも報道の仕方があまりに一方的だ。
“イスラエルの人質20人”――その多くは元軍人。
でも“パレスチナの人質2000人”――その多くは裁判なしで拘束されていた。
数の扱い方、言葉の選び方、そのすべてに人種差別の構造が透けて見える。」

――和平合意についてはどう思いますか?

「もちろん、パレスチナの人々が平和を祝うのは当然のこと。
でも、私たち他の国々はもっと圧力をかけて、この停戦が“長期的なもの”になるよう確実にしなければならない。
そして何より、“ここで終わり”にしてはいけない。」

パレスチナは自由でなければならない。
国際法で保障された人権を享受できるように。
正義なき平和は、真の平和ではない。
私たちが活動を始めた原点――正義と自由の原則――を忘れてはいけない。」

「占領は続いている。
アパルトヘイト国家は続いている。
西岸での弾圧や攻撃も止まっていない。
そして最終的に、自らの運命を決める権利を持つのはパレスチナ人自身だ。
けれど今、この和平の議論でパレスチナ人の声はほとんど取り上げられていない。
それこそが、世界を覆う構造的人種差別を示している。」

「停戦が発表されたけれど、暴力は終わっていない。
イスラエルの支援を受けた武装勢力によって、いまも人々が殺され続けている。
だからこそ、今こそ私たちは声を上げ続け、イスラエルを戦争犯罪とジェノサイドの責任に問わなければならない。
世界中の人が、もう否定できないほどの証拠を見たのだから。」

「私たちがやったことは、政府が放棄した“人道”を取り戻す行為。
誰かがやらなければならないことを、私たちは選んだだけ。
私が拷問を受けたという事実さえ、パレスチナの現実のほんの一片にすぎない。
もしこの世界に正義が残っているなら、今こそ声を上げるべき時だと思う。」


【時系列:これまでに起きたこと】

2025年5月2日
自由船団「フリーダム・フロティラ」の船「コンシエンス号」が、マルタ沖の国際水域でドローン攻撃を受けた。
船は医療物資を積み、ガザへ向かう直前だった。
CNNによると、事件当時イスラエル空軍のヘラクレス機が上空を低空飛行していたという。
グレタ・トゥーンベリの最初の試みはここで頓挫した。

6月1日
セーリング船「マドリーン号」がシチリアを出航。
しかし1週間後、国際水域でイスラエル海軍に拿捕され、
乗組員12人は強制的にイスラエルへ連行され、後に各国へ強制送還。

8月31日
バルセロナとジェノヴァの港から、「グローバル・スムード・フロティラ」所属の20隻余りの船がガザへ向けて出航。
ジェノヴァでは5万人が見送り、港湾労働者組合の代表は「もし支援物資がガザに届かないなら、ヨーロッパ中の港を止めてやる」と宣言した。

同日、イスラエル治安相イタマル・ベン=グヴィルは声明を出す。「この船団の乗員はテロリストとして扱う」と。

9月8〜9日
チュニジア沖に停泊していた船団の2隻が、連夜火炎爆弾による攻撃を受ける。
米CBSは後日、「攻撃はベンヤミン・ネタニヤフ首相の直接命令だった」と報道。
ドローンは近海の潜水艦から発進したとされる。

9月22日
イタリアで「ガザとフロティラの人々に連帯するゼネスト」が行われ、
主要都市が麻痺状態に。

9月23〜24日
クレタ島南方の海上で、船団が再びドローン攻撃を受ける。
爆発物と化学物質が投下された。

9月24〜25日
イスラエルが攻撃を激化させると各国政府は自国民に退避を指示。
船団はギリシャの領海に避難し、修理を行う。

9月25日
大規模な抗議運動を受け、イタリアは軍艦を派遣して船団を護衛。
その後、スペイン政府も同様の決定を下した。

10月1〜3日
イスラエル軍が次々に船を拿捕。
42隻、乗員460名が拘束され、アシュドッド港へ移送。
その後ケツィオット刑務所へ。
これを受け、世界中で抗議デモが勃発。
イタリア国内だけで200万人以上が参加し、
「ガザ封鎖を終わらせろ」「活動家を解放せよ」と声を上げた。

10月8日
エジプト北方の国際水域で、医師・記者・ボランティアら144名を乗せた別の支援船団「サウザンド・マドリーンズ・トゥ・ガザ」と「フリーダム・フロティラ・コアリション」が拿捕。
全員がイスラエルへ連行され、拘束された。

出典:CBS、Aftonbladet、The Guardian、BBC、Global Sumud Flotilla


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「グレタ・トゥーンベリ、イスラエル刑務所での恐怖の日々」翻訳|烏丸百九@社会派Vtuber
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