「俺ね、泥棒したわけじゃないし、人を殺したわけじゃない。善良な市民だったんだよ」。男性は納得できずにいた。北海道旭川市の高齢者施設に入所する菱谷良一さん(103)。戦時中に通った師範学校の教員や学生ら二十数人が一斉検挙された「生活図画事件」の当事者だ。
問題となったのは1枚の絵。日常風景を描いただけで「共産主義を啓蒙(けいもう)した」といわれなき罪を着せられた。治安維持法に2度目の改正がされ、暴走に歯止めがかからなくなった1941年の出来事だ。「最後の生き証人」からのメッセージを届けたい。
「語れる人がいる、と知って」
「マスコミが取材で何かを得たいのならできる範囲で協力するよ」。夏まっただ中の8月。毎日新聞の依頼を快諾してくれた。「(治安維持法は)本当はこうだった、と私の口から教えてあげたい。真実に触れてほしいんだ」。個室のベッドに腰掛け言った。
インタビューはオンライン形式で実施した。この取材に欠かせなかった人がいる。菱谷さんのもとを毎週末のように訪ねる支援者の平山沙織さん(55)。面会時間を利用した取材は20分ほどのため、事前に記者の質問を菱谷さんに預けてくれた。「語れる人がまだこの世にいる、と知ってほしい」と力を込める。
法の暴走を伝える「生の声」を聞く機会はもうほとんどない。政府に謝罪などを求めてきた人権団体「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(国賠同盟)」は、同法違反容疑で逮捕された存命者を他に把握していない。菱谷さんはいわば「最後の生き証人」だ。
「どうして逮捕されたのかわからなかった」「自分はアカ(共産主義者)だなんて意識は全くなかった」。逮捕は青天のへきれきだった。捕まった学生たちは、読書をしたり、レコード鑑賞をしたりする、身の回りの風景を絵にしただけだ。
それなのに、なぜ――。…
2024年5月、国会請願行動に参加した菱谷良一さん(左)と平山沙織さん=平山さん提供