解答乱麻

深く考え、議論する道徳へ 教育評論家・石井昌浩

 教科化されたにしても無難できれいな言葉を述べ合う授業のレベルにとどまる限り、道徳教育はこれまで陥りがちだった形骸化から脱却できないだろう。

 多様な価値観と向き合わなければならない現代社会だからこそ、柔軟な発想を持ち、多面的で多角的にものごとの本質を捉えることが肝心なのだ。主な教材として教科書を使いながら、バランスのとれた多彩な教材を幅広く求める姿勢が求められる。「深く考え、議論する道徳」を通して得られる答えは必ずしも一つではなく、いくつかある選択肢の一つにすぎない。

 どのような場面でも、異なった考えや意見を認め、多様性を承認することなしには、いじめに関するまっとうな議論は成り立たないと思う。大切なのは議論の結論より複眼的な論じ方ではないのか。

 道徳教育に関わる歴史的経緯などもあり「道徳の時間」が他の教科に比べて軽んじられてきたことは否定できない。

 それにしても従来の「道徳の時間」では、いじめに正面から立ち向かう気迫を欠いていた。いじめの現実は他者に頼り解決できるほど柔なものではない。

 「疾風に勁草(けいそう)を知る」の教えの通り、人はいつの世もその行動の真価が試される。強い風が吹いてはじめて、どの草が強靱(きょうじん)であるかが分かるのだ。

【プロフィル】石井昌浩(いしい・まさひろ) 都立教育研究所次長、国立市教育長など歴任。著書に『学校が泣いている』『丸投げされる学校』。

会員限定記事

会員サービス詳細