深淵卿第三章 お父様は…人間?
大量の蠢く土砂を従えた袴姿の男――藤原大晴。
超特大企業グループの総帥にして、伝説の陰陽師の血を引く現正当後継者。
そして、陽晴の父親。
どれもこれも素敵に厄介な肩書きである。そんな男が冷徹を纏って立ち塞がれば、それはそれは、浩介も服部も揃って天を仰ぎたくなるというもの。
加えて、
「――息壌 必禁四方 胎蛇現成」
片手の刀印を口元に、囁くように呪言を響かせれば、ドッと地響きにも似た轟音が。
「うげっ、退路を!?」
「いや、服部さん。この場合、進路っすよ」
トンネルを抜けた先の道路は、数十メートル程度の洞門がある。落石防止などの目的で屋根代わりに作られる片側が吹き抜けのトンネルだ。その入り口が、左側の山肌から雪崩落ちて来た土砂によって塞がれた。おまけに土くれがうねり、とぐろを巻く大蛇のようになる。
この場から逃がす気はないということか。
と思った刹那、
「遠藤様っ」
突然、焦燥に満ちた表情で陽晴が叫んだ。
どうしたのか、などとは問わない。浩介のみならず、服部もまた行動は迅速果断だった。
ドアのロックを解除。シートベルトを外し、服部が運転席から転がるようにして飛び出る。同時に、浩介もまた陽晴を抱えながらドアを蹴破って飛び出した。
間一髪。轟音と共に車底の爆裂。と見紛うような土石流がアスファルトを粉砕しながら噴き出した。
地面をゴロゴロと転がりながら対角線上に逃れた浩介と服部が片膝立ちに見上げると、そこには巨大な土くれの腕がそびえ、車体を握り込んでいるのが見えた。
中に陽晴がいないからだろう。容赦なく握られ、車体がアルミ缶みたいに容易く握り潰される。
「あぁっ、公用車ですよ!? 血税をなんだと思ってるんですか!」
「そこ!?」
「あぁ~、始末書が……地獄の書類マーチが始まる……許せないっ」
「落ち着いてくれ、服部さん!」
自棄胃薬(一気に一ケース)している服部に浩介がツッコミを入れている間も、陽晴の視線は大晴へと一心に注がれていた。
「お父様……」
記憶はなく、想い出は夢の中で見たものたった一つ。
それでも見間違えるはずがない。己の寄る辺だ。家族だ。故に、突発的再会に呆然としてしまっていた陽晴だったが、今の攻撃で我に返った。
「お父様! わたくしです! 陽晴です!」
必死に呼び掛ける。記憶を奪われようと、魂が父を覚えていた。夢の中で会えたのは、きっとそうだからに違いない。
ならば、きっと、お父様も自分を……
「どうかお止めください! 正気を取り戻して――」
しかし、返ってきたのは非情の真言だった。
「――オン・ハンドマダラ・アボキャジャヤニ・ソロソロ・ソワカ」
「んんっ!?」
「陽晴ちゃん!?って首あっつぅ!?」
陽晴が、突然電撃でも浴びたように仰け反り、その身を硬直させた。金縛りのような術だったのだろう。浩介も一瞬だけ動きを阻害されそうになるが、刹那、首筋がカッと発火したように熱くなる。
昨夜、断続的に襲ってきた胸の痛みと、首筋の熱。その後、痛みがなくなる現象。それらを考慮すれば、今もまたなんらかの術をレジストしたに違いない。
ただし、熱さが今までの比ではない。それだけ術が強力なのか。まるで、焼きごてを押し付けられたような痛みだ。むしろ、レジストの副作用で意識が飛びそう。
「捕えよ」
短く、抑揚のない、否、感情のない声音。土くれの腕が、スクラップにした車を側道の森の中へ投げ捨て、雪崩を打つようにして陽晴と浩介に降り注ぐ。
「触れている相手の術も解けるのは、ありがたいけどね!」
「遠藤様、涙が――きゃっ」
「舌、噛むぞ! じっとしてろ!」
レジストの痛みで涙目になりつつ、浩介は横っ飛び回避した。浩介に抱きかかえられているためか同じく術が解けている陽晴も涙目になる。急激な動きで舌を嚙んじゃったらしい。
が、直後には声を張り上げることになった。パァンッと乾いた音が響いたのだ。
「服部様!?」
銃声だった。少し離れた場所から、小型のオートマチック拳銃をウィーバースタンスで大晴に向けている。
「ゴム弾です。多少の怪我くらいは勘弁してください……て、あらまぁ。これだからファンタジーは嫌なんですよねぇ」
衝撃で昏倒させようとしたのだろう。だが、弾丸は大晴の鳩尾をぶっ叩く前に、彼の周りで渦巻く土砂の手によって受け止められてしまっていた。
どこぞのバグウサギではないのだ。弾速の遅いゴム弾とはいえ、視認して受け止めたとは考え難い。つまり、土くれによる自動防御が可能なのだろう。
完全制御ではない。やはり、あの大量の土砂はある程度の自律行動が可能な存在――妖魔にほかならず、厄介極まりない。
おまけに、
「お、おお? 増えてる?」
土砂の表面がもごもごと。まるでモグラが土を外へ出しているみたいに土が内から外へ溢れ出しているように見える。
よくよく観察すれば、進路上と周囲の土砂も増量しているように感じる。
服部が冷や汗を流し、表情を引き攣らせた。
「遠藤さん、いったいなんの妖怪です!?」
「いや、俺も妖怪マニアってわけじゃないんで!」
なんて言ってる間にも土砂が蛇のようにうねった。浩介と陽晴へ、そして服部へ。
「疾ッ」
陽晴を片腕に抱いたまま回避し、同時に鋼糸を放って大晴の拘束を試みる。が、やはりゾワッと膨れあがった土砂が防いでしまう。
「いけっ」
「応とも!」
分身体を召喚。鋼糸に対する防御行動で偏った土砂を迂回するようにして接近する。更に、
「――〝黒渦〟ッ!!」
異世界のファンタジーを発動。分身体の周囲に数倍の重力場が発生し、迎撃に出た残りの土砂を地に叩き付ける。
「大人しくしててくれ!」
土くれの防御を突破。分身体が大晴へ手を伸ばす。組み付き、土くれの入る余地のない状態で締め落とすべく。
だがしかし、最強の陰陽少女の父は、やはり伊達ではなかったらしい。
「――オン・シュリマリママリ・マリシュシュリ・ソワカ」
「なっ!?」
ひらりと袖から舞う符が一枚。それが白光を放ち、どこか神聖な炎に変わって分身体を正面から呑み込む。
焼かれた、という感じはしなかった。むしろ、魔力で編まれた肉体を優しく解して自然に還すような、そんな白い炎だった。
まさかの一撃である。分身体が一発で還されるとは……
隙あらばゴム弾を撃ち込もうとしていた服部に、進路を塞いでいた土くれの大蛇を差し向けつつ、大晴は、思わず瞠目してしまって手を緩めた浩介に反撃を繰り出した。
素早く結ばれる両手での印。
「――縛切一身 万精駆逐 生霊不動 急々如律令」
途端、陽晴と浩介の周囲に撒き散らされていた土の五か所が弾け、中から白く輝く符が姿を見せた。と思った次の瞬間には、その五点が互いに輝く線で結ばれ刹那のうちに五芒星を形作る。
「な、なんだとぉ!?」
「あぅっ」
まるで全方位からプレスされているような圧迫感が浩介達を襲った。
「ひ、陽晴ちゃん! 君の父ちゃん、半端ないな!」
「そ、そんなこと言ってる場合ではぁ!」
確かに、伏見稲荷で襲撃してきた数十人の術者や三桁単位の式神の群れより、大晴と妖魔一体の方がよほど厄介だった。
分家筋と本家の当主では、ここまで違うのか。
そんなことを、ダメ押しとばかりに全方位から高波の如く押し寄せた土砂を見ながら思う。
「っ、遠藤さん!」
土くれの大蛇から、おっさんとは思えないアクロバティックな動きで辛うじて逃げていた服部が焦燥に満ちた表情で叫ぶ。
直後、土くれの高波が浩介と陽晴を呑み込んだ。
殺してはいないはずだ。土御門には陽晴という傀儡のお姫様が必要なのだから。
とはいえ、これで王手。後は気絶した陽晴を拉致し、浩介に止めを刺せばよい――
「いい加減に本気を出してくださいよぉ!」
おっさんに激しい運動はきっつい! と文句を垂れる服部の愚痴が響いた。
浩介の無事を微塵も疑わぬ服部のそれに、
「失敬な。最初から本気っすよ。全力でないだけで」
あっさりと言葉が返される。
無感情無表情だった大晴が、ここに来て遂に表情を崩した。目を見開きながら反射的に声のする方へ、己の背後へと振り返る。
そこには悠然と佇む浩介がいた。何が起きたのか分からないと言いたげに目を白黒とさせている陽晴も、しっかりと片腕に抱き締められている。
――深淵流空遁術 深淵なる以下略
何かと重宝している、本体と位置を入れ替える空間転移用の小石型使い捨てアーティファクト。
先程、分身体を特攻させたときに、それを大晴の後ろへ投擲しておいたのだ。
大晴が周囲に侍らせる土砂の大半を身辺から離し、攻撃に使う瞬間を狙って。
大晴の術と妖魔一体の攻防に驚愕はしつつも、そこは場数が違う。いくつも同時並行で策を用意していたのは当然。
大晴が反射的に袖から符を引き抜こうとするが、ここはもう浩介の間合いだ。どれだけ優れた術師で、妖魔が厄介な存在であろうと、
「今度こそ、大人しくしてもらいますよ!」
「――ッ!?」
止めることなど不可能。
するりと間合いを詰めると、ロマンの〝再臨と拒絶の以下略〟をはめた手を大晴の額に添えた。
〝羅刹の魔手ッ〟とは叫ばない。まだ〝浩介〟だから恥ずかしいもの。
発動した魔力衝撃波が最適の威力を以て大晴に脳震盪を引き起こす。
ビクンッと痙攣し、一拍。ぐらりと後ろへよろける大晴。
「お父様!」
陽晴が思わず手を伸ばす。
「大丈夫だ、陽晴ちゃん」
気絶させただけだよ、と大晴を支えるべく背中に手を回しながら微笑を浮かべる浩介――だったが、直後、浩介の手は大晴を素通りした。
「え?」
「あ……」
ばらばらっと。大晴が崩壊したために。ぜんっぜん大丈夫じゃなかった。
それはもう、見事な崩壊っぷりである。浩介の支えようとした腕を支点に体がぽっきりと砕け、泣き別れした上半身と下半身が地面に倒れるやガラス細工でも叩きつけたみたいにドシャッと四散してしまった。原形も何もあったもんじゃあない。
これには流石に、浩介も陽晴も目が点になった。
一拍おいて。
「い、いやぁあああああっ、おとうぉさまぁああああっ」
「うそでしょぉっ、おとうさまぁああああっ!?」
お父様が脆すぎた件。浩介と陽晴の表情が、まるでムンクの『叫び』みたいになる。
と、その視界に、ひらりと舞う人形の白い紙が一枚。
なんだこれ? と注目するも、確かめる前に警告が飛んだ。
「遠藤さん! 後ろ後ろぉ!」
「!?」
大晴が砕け散ったのと同時に土くれの大蛇も砕け散り、一息吐いていた服部が某コントの如く指を差した。
振り返るワンアクションを惜しんで、ぞわりっと背筋を撫でた危機感に従い全力で前方へダッシュする浩介。
直後、一瞬前まで立っていた場所に再び白い炎が噴き上げた。
着地と同時に振り返れば、そこには周囲から渦巻くようにして集束する土くれから上半身だけを出している大晴がいた。
片手で刀印を作り、頭部に先程とは異なる人形の紙を取り込みつつ、ズズズッと下半身を土くれで構成しながらせり上がってくる。
「お父様っ」
「本当に!?」
浩介の確認に、陽晴は「うっ」と詰まった。父が生きていた安堵と同時に、「君のお父様、俺より人間か疑わしいけど大丈夫!?」という言外の指摘に、「確かに、こんなお父様はなんか嫌ですぅ!」と陽晴の冷静な部分が同意する。
と、そこへ、連続した発砲音が。
下半身構成中だった大晴の両足が弾けて崩れ落ちる。刀印を作らせないためか、両手も弾き飛ばされていた。
「遠藤さん、行きますよっ。上手くない状況だ! 急ぎませんと!」
「? ああっ、了解っす!」
「え? お二人とも!?」
再び動き始めた土くれには目もくれず、服部は一目散に右側道から山中へと駆け込んでいく。
その後に、戸惑う陽晴を抱いた浩介も続いた。分身体を一体、時間稼ぎに残していく。
背後からゴゴゴッと大量の土砂が蠢く音が響いてくる中、早々に服部に追いつき並走する。
「直線だと二キロってところです。逃げ切れればいいんですがっと!」
小型のライトで地面を照らしているとはいえ、日の暮れた道なき道を相当な速度で駆けていく服部には脱帽である。
的確に足場を選び、先程まで息の詰まるような死線の中にあって全力の回避行動をとっていたというのに、未だ息を乱してもいない。
服部の実力を垣間見て、地味に「この人、こえぇな」と思う浩介。ハジメが「新しい担当者。悪くない人だが油断はすんなよ」と注意してきたことに納得の気持ちだ。
「大丈夫です。空から一気に行きましょう。三人分となるとしっかり詠唱しときたいんで、陽晴ちゃんに説明おなっしゃす」
すっと息を吸って集中し出す浩介。小さな聞き取れないほどの声で詠唱し始める。
「あ、あの、服部様?」
「はいはい。お父様を見捨てたわけじゃないんで安心してください」
遠くから激しい戦闘音が響いてくる中、戸惑う陽晴に服部が言う。
「お父上が偽物なのは、さっき見た通りです。最初から人間でないなら話は別ですが」
「に、人間だと思うのですが……」
大晴が人間でないなら、陽晴も人間でないことになるが、お腹は空くし、怪我をすれば血だって出る以上、人間だ。つまり、
「遠隔操作なんでしょう。遠藤さんの分身みたいな」
「お父様……やっぱり人間じゃない?」
「俺を人間じゃない前提で語るのやめない?」
あ、詠唱が途切れそうっと慌てて集中に戻る浩介を尻目に、服部が続ける。
「そもそも、大晴氏が出張ってくるのがおかしいんですよ。だって、生贄として必要なんでしょう?」
「あ……」
強力な、最も陽晴に近しい実力を有する術者ではある。強力な妖魔もいる。
だがしかし、彼が一人で迎撃に出てくるのは、ジャスティス青年から聞き出した土御門の目的からすると、あまりにおかしい。リスクが高すぎるのだ。
そのまま奪還されてしまえば、〝姫〟も〝本家の当主〟も手に入らないのだから。
「藤原さんを動揺させ、あわよくばゲットしちゃおうって目論見もあったと思いますけどねぇ。それ以上に――」
「時間稼ぎ、でございますね。ああ、そんな……」
父親との再会で鈍っていた陽晴の感覚と思考が正常な働きを取り戻す。
聡明な頭脳は、連鎖的に今の状況を理解した。
「既に、結界破壊の儀式が……お父様達を生贄にする儀式が始まっているっ」
「でしょうねぇ」
本来なら、〝天星大結界〟の五つの秘された要を破壊し、その上で、もっとも藤原の術と血を捧げるに相応しい場所――晴明神社にて儀式を行うはずだった。
だがしかし、土御門にとってイレギュラーが多すぎた。
陽晴を取り逃がしてしまったことがケチの付き始めだ。
五点の要を発見し、時間をかけて術による攻撃を行い結界を揺るがすことはできたのに、気が付けば元に戻っていた。
これは、彼等のあずかり知らぬことだが、異界の晴明神社で陽晴が結界の補修をしたからである。彼等はまた同じだけの準備と時間と労力をかけて要の一つ一つに術をかけなければならなくなった。
次に、異界から出てきた陽晴を確保できなかったこと。
まさか選りすぐりの術師と百体に及ぶ式神を以てしても蹴散らされるとは、陽晴の記憶喪失状態も考えれば、思いもしなかったに違いない。
あげく、その強力な陽晴の式神である浩介(と土御門は思っている)は、いくら呪詛をかけても弾いてしまううえに、捕虜の口封じすらままならない始末。
「連中、相当焦っているんでしょうねぇ」
藤原一族を生贄にする儀式を土御門本家で行ったとしても、天星大結界の完全破壊は成就しないだろう。
だが、逆に言えば、後は五点の要を破壊するだけで良い。そうでなくても、強力な妖魔であれば弱った結界を抜けて現世に出てくることは可能に違いない。
「次善策で妥協したってところでしょう」
「わたくしが向かってきていることを察知して、計画が完全に頓挫するリスクを負うくらいならいっそ、というわけでございますね。急がないとっ」
焦燥に幼い美貌を歪ませる陽晴。と、その時、うなじにチリチリと痺れるような感覚が奔った。何かが迫ってきている。直感がそう告げてくる。
「遠藤様、来ますっ」
「分かってる! 分身体もやられたからな!」
新たな土くれと肉体を自爆させるという強引な方法で分身体を屠り、大晴が迫っているらしい。結界破壊の儀式も同時並行していることを思えば、大晴の技量は流石〝安倍直系の現当主〟と戦慄を感じざるを得ない。
背後から地滑りの如き轟々とした騒音と、僅かにリズミカルな足音が聞こえてきた。
人間の足音ではない。どこか聞き覚えのある、しかし、微妙に異なる奇怪な足音。
「準備はできた。このまま振り切るぞって――」
重力魔法による疑似飛行。服部や陽晴を万が一にも落とさないよう、あと魔力の消費を極力抑えられるように慎重に詠唱しつつ構成したそれを、いざ発動しようとした、その時。
何気なく肩越しに振り返った先に見た光景に、浩介の表情は引き攣った。
馬だ。
ただし、通常の馬の三倍はあろうかという巨体、瞳は炯々とした赤色を帯び、口は耳元まで裂け、やたらと長い鬣が柳の枝のように馬体を覆い、足は六本。
それに、どこか血色が悪く、頬はこけ、目の落ち窪んだ幽鬼の如き形相に変貌した大晴が騎乗している。背後に木々を呑み込む高波の如き土石流を従えながら、尋常でない速度で。
ぶっちゃけ。
「こぇええええっ!?」
「こっわぁっ!?」
「ふわぁっ!?」
めちゃくちゃ怖かった。ホラー系というより、パニック系である。おどろおどろしい妖怪譚ではなく、モンスター襲来のB級映画である。
「遠藤さん! 逃げてぇ! 早く私達を連れて超逃げてぇ!」
「が、合点承知ぃ!」
あっという間に追いついてきた大晴と、騎乗する〝馬鬼〟から間一髪のところで空へと逃れる浩介達。
下方を高速で流れていく土砂に冷や汗が噴き出る。
重力の楔から解放され宙に浮いたことに、服部が冷や汗を流しつつも「おぉ」と感動している。
陽晴は大丈夫だろうか。と、浩介が腕の中に視線を落とす。
「うま……夜な夜な風になるお父様……そんな怪物、どこで拾ってきたの……元の場所に戻してきなさい…………憤怒するお母様に、駄々を捏ねるお父様……飛び膝蹴り……うっ、頭がっ」
「陽晴ちゃん!?」
全然大丈夫じゃなさそうだった。なんか記憶の一部を取り戻したっぽい。あまり良い思い出ではないようだが、お母様の顔を思い出したのは良いことだ。きっと。
「だ、大丈夫です。それより、お父様の様子が……」
「うん。なんか消耗してるようだったな。あんな常識外の術を使ってるんだ。負担もヤバいのかもしれない。あるいは……」
「儀式の影響、ですかねぇ」
「急がないと……遠藤様っ」
「分かってる! 飛ばすぞ!」
水平方向へ重力方向を変換。自由落下速度で一気に空を駆け抜ける。
下方に視線を落とせば、進路上の全てを轢殺し呑み込んでいた土くれの高波が消えていた。馬鬼と大晴の姿も忽然と消えている。
流石に空には手を出せないと、諦めたのか……
とにもかくにも、藤原一族を救う時間はあまり残されていないかもしれない。
陽晴に悲劇を見せるなど論外だ。
「大丈夫。絶対に間に合う。間に合わせてみせる」
「はい……はいっ。お願い致します、遠藤様!」
ぎゅっと胸元にしがみついてくる陽晴に、浩介は力強く頷いた。
と、その時、焦燥、あるいは絶望したような服部の声が。
「あ、まずいっ」
「!? どうしたんですかっ、服部さん!」
なんだかんだで常に冷静な男の尋常でない様子に、浩介も陽晴も何事かと視線を向ける。並走するように隣を飛ぶ彼は、体中を探るようにパンパンと叩き、
「……胃薬を、落としてしまったッッ!!」
絶望の表情で、そう叫んだ。如何にも「探しに戻っちゃダメ?」と言ってそうな目だ。
浩介と陽晴は顔を見合わせ、完璧に通じ合った心情のまま頷き合った。
そして、
「大人でしょ? 耐えてどうぞ」
「服部様。申し訳ございませんが、もう少し空気を読んでいただけると大変助かります」
気勢を削がれたせいか、反抗期の子供が父親にするような冷たい視線と声音で、思わずそう返してしまったのだった。
服部は雨の日に捨てられたワンコのような表情になって「ホシガリマセン、カツマデハ」と呟いたのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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