追悼 ウェイン・ショーター
一度しかない、永遠に続く人生へのミッション

2005年12月発行intoxicate vol.59〈日本とジャズ〉特集の一部として掲載したものです。


 

菊地成孔「僕の履歴からおわかりのとおり、僕はあなたの大ファンです。今日、お会いできることをとても光栄に思います」

ウェイン・ショーター「私もこの場にいられることを光栄に思っているよ」

菊地「25年前、音楽を聴き始めた頃から、あなたに聞きたいことがいっぱいあるんですが、しかし同時に聞きたくない、聞くのが怖い、という気持ちも持っています。それはとても不思謙な気分で、あなたの音楽の魅力がマジック、秘密に彩られているからです。今こうしてお会いしているのがとても嬉しいのと同時に、夢を見ているような気分です」

ウェイン「私のアルバム(『Beyond The Sound Barrier』)と一緒。〈バリアを越えて〉話そうよ」

菊地「(笑)じゃあ、質問に入らせていただきます。あなたの伝記はまだこの国では訳されていません。これはとても残念なことであると同時に、一日も早い、日本語の訳を待っているファンも多いと思います。僕もまだ読んでいません。ジャズメンの生前の評伝ということではクインシー・トループによるマイルス・デイヴィスの物が有名ですが、なぜあなたが今、伝記の出版をされたか、そしてミッシェル・マーサー氏とは如何なる人物なのかを教えてください」

ウェイン「ニューヨーク・タイムズや、オプラ・ウィンフリーが出している女性誌『O』に書いたりしている若いフリーランスの女性ライター(ミッシェル・マーサー)から〈あなたの伝記本が書きたい〉と言われたんだ。それでOKした、ということであって、本を書きたがっていたのは彼女の方だったんだよ。ちょっと変わった子でね。カンザス出身なんだけど『オズの魔法使い』のドロシーみたいな――映画、見たことはあるかい?――鼻がツンとしてて、小さな妖精みたいな顔してるんだ」

菊地「なるほど(笑)。一日も早く、日本の読者たちの元に届くことを祈っております」

ウェイン「たぶん彼女かペンギン・ブックスが、日本で出す話を進めているはずだよ」

菊地「現役の音楽家として、あなたの偉大な作品に触れれば、先ず第一に作曲家としてあなたに魅了されると思います。あなたは10年前、ここにいらっしゃる村井氏のインタヴューに答え〈作曲の勉強をしたことがないように作曲する〉という素暗らしい言葉を残していらっしゃいますが、実にそうありたいと私も思います。世界中の作曲家があなたの作曲の秘密を知りたいような、知らないでいたいような気持ちに引き裂かれていると思うのですが、あなたが作曲する上で何か他の人と違う独自の方法があると、ご自身で思いますか?」

ウェイン「マイルス・デイヴィスの言葉で好きな言葉があってね。彼からたずねられたんだ。〈鳴っている音以上の音楽が聴こえてこない音楽ばかりでウンザリさせられることはないか?〉そう言われるまで、僕もそういう音楽を作っていたんだと思う。でもマイルスの音楽は違っていた。そこから聴こえてくるのはすべての創造物、人間性の本質。つまり喜びであり、笑いであり、シリアスになりすぎないように、でも深い思考もあり、軽い笑いもあるような、人生のすべての要素。そういった音楽は、一つのタイプの音楽だけを好み、バリアを越えることができない、みずからの牢屋の中に閉じ込められた人間にとっては、聴くことにチャレンジを要する音楽なんだ。ひとつ例を挙げるね。ブラジルに素晴らしい作曲家がいて、あるコンテストの審査員を務めていた。参加者の中に、一日八時間から十時間、週に五日も練習をするような若いピアニストがいた。自分の演奏の番を終え、そのピアニストは自分が優勝したと確信した。ところが審査員だった作曲家が彼に一票を投じなかった。コンテスト終了後、そのピアニストは作曲家に〈なぜ僕を選んでくれなかったんですか?〉と理由をたずねた。すると作曲家は〈君の演奏は素晴らしい。練習もものすごくしている。でも君の音楽を聴く時、聴こえてくるのは『ぼくのじんせいはとてもつまらない、ぼくのじんせいはとてもつまらない』という音だけなんだ〉」

菊地「(笑)」

ウェイン「つまり最初に言った、鳴っている音以上の音楽が聴こえてこない音楽さ」

村井康司「菊地さんもいろんな音楽を演奏されますが、今、ショーターさんがおっしゃったような人生の色々な面を音楽で表わそう、という気持ちはあるんですか?」

菊地「そうですね。今、一番面白いなと思ったのは〈シリアスになりすぎないように〉というお言葉で、色んなことをそういう想いでやってらっしゃる感じがよく分かります。最近のショーターさんの音楽の、ジョイフルでハッピーな感じの基本的なところはそこなんでしょうね。僕もトゥー・マッチ・シリアスは苦手ですね。シリアスぶるだけなら良いですけど(笑)」

ウェイン「君のCDはまだ聴いていないんだ、ごめん」

菊地「いえいえ(笑)。具体的な作曲法というか、メロディができて、コードができるとか……一時期、コンピュータで作曲されていたそうですが、最近ではバンドとしての作曲クレジットも多くなっています。作曲法の変遷について教えてください」

ウェイン「今はカルテットとオーケストラのための作曲をしているよ。たくさん書いている。というのも、9月にはセントルイス・オーケストラとの共演が控えているんだ。指揮者はデイヴィッド・ロバートソン。他にも、オペラ歌手のルネ・フレミングのために作曲をしている。彼女から送られた歌詞に私が曲を書く、というかたちだ。彼女が出るはずだったヴェルディの『オテロ』が例のロンドンの爆破事件で中止になってしまったんだ。1月27~28日にはディズニー・オーディトリアムで交響楽団と共演がある。そんなわけで最近はオーケストラとの仕事が多いね。ホテルの部屋には“春の祭典”がある。グスタフ・マーラーの交響曲第一番と第二番、ドビュッシーなども。常にそういうものを周りにおいてあるんだ。譜面はペンで書くよ。修正液も欠かせないね(笑)。今、持ってきているCDはベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、ラヴェルのピアノ協奏曲、ルネ・フレミング、パヴァロッティなどだ。ベートーヴェンについて書かれた本を読むと、彼が決して楽に作曲をしていたわけではなく、葛藤に葛藤を重ね、〈これではだめだ!〉と苦しんだ末にようやく曲を書いていたことがわかる。作曲というのはもがき、あがき、苦悩するものだ。〈これは真実ではない〉と思えるからだ。ジョン・コルトレーンがいろんなことを喋っているインタヴューCDというのを持っていてね。その中でインタヴューアがコルトレーンにたずねるんだ。〈セロニアス・モンクの音楽を演奏していて、どこか遠くに飛んでいってしまう時というのは、どういう気分なんですか?〉と。するとコルトレーンは言うんだ。〈それが真実であるときはおのずとわかるものさ〉。アメリカのインタヴューアというのは、常にこちらの正当性を疑うようなことばかり聞いてくる。つまりここでインタヴューアが本当に言いたいことは〈お前は本物か?〉ということなんだ。そこでコルトレーンは言うわけだよ。〈それが真実である時は、俺にはわかる〉とね。これが俺達(菊地さんと自分)のミッションなんだ! 僕らにはやらなきゃならない仕事があるのさ!」

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菊地「圧倒的と言ってよいお言葉です。さて今、クラシックの作曲家の名前が挙がりましたし、クラシックの楽曲をとりあげることも多いのですが、あなたの曲はいわゆる〈バークリー・メソッド〉で書き表せない作風が多いと思っています。ご自身の楽曲を、クラシックの作曲家のようにスコアとして出版したいというお気持ちはありますか?」

ウェイン「ああ、そうしたいね。もうずいぶんあるんだよ、家には。深夜1時くらいに起きて、その日の夕方6時までスコアを書いていた、ということもよくあるよ。まだ誰も聴いたことのないような曲もたくさんある。17~18歳の時から書き続けている曲もある。クラシックとも、なんとも呼びようがない音楽なんだ。私がしたいこと。それは冒険する精神を絶やさないこと。すべてを知っている人間なんてどこにもいない。だから永遠に冒険は続く。そのことを音楽で表したいんだよ。私のアルバムに“Adventures Aboard the Golden Mean”という曲がある。辞書でひいたgolden mean(黄金分割、黄金比、人が物事を美しいと感じる比率)の定義がとても気に入ってね。自分の音楽には、どんな経験にも、どんなレベルにもしばられないものであってほしいんだ。つまり、golden meanは旅なんだ。golden meanという宇宙船に乗って出かける旅。何者にも捕らえられることなく、銀河系から銀河系まで飛んでいく。すべての生き物に自由であれ、と気づかるために。ジャズという言葉も“自由であれ”ということさ。頭で考え、構造でとらえてしまうのではなくてね。このアルバムを捧げた人々の名前がここに(アルバムに)書かれている。彼らはみな、バリアに挑み、バリアを越えようとした人々だ。ヴィヴィアン・トーマスというワシントンにあるジョンズ・ホプキンス大学で配管工として働いていた男。彼は心臓の弁を開いて、青色児病(先天性心疾患によるチアノーゼを呈して生まれた子どものこと)を治療する方法をみつけた。のちに医大に進みドククーになった。もう一人はヘンリエッタ・ブラッドべリーという主婦だ。彼女は台所のシンクで何かをしている時に、偶然、水面化から魚雷を発射できる空気圧式の装置を発明した。二人ともアフロ・アメリカンだ。大学で勉強したわけではなく、自分で学んだんだ。世界中の交通信号灯、ガスマスクを発明したのもギャレット・モーガンというアフロ・アメリカンの男だ。あと、スティーヴン・ホーキンス博士、DNA権威、ライナス・ポーリング博士、スーパーマンのクリストファー・リーヴ。彼は幹細胞の唱道者だった。バリアを越える……音楽もそういうことなんだ。君も、僕も! マディソン街(アメリカ広告業界の中心地)のマーケティング・マシンから飛び出すことは、チャレンジなんだよ!」

菊地「よくわかりました」

村井「今のバンドはアコースティックでフリーな部分が多いバンドだと思いますが、そういう時の楽譜というのは、コード進行とメロディが書いてある楽譜なのですか?」

ウェイン「ノー」

村井「ではどういう楽譜なんですか?」

ウェイン「自分達でもそれを探しているんだ。たとえば“Zero Gravity”という曲があるが、これを演奏する時は毎回が違うんだ。“Zero Gravity 1”、“Zero Gravity 2”、“Zero Gravity 100万”というぐあいだから、よぼよぼのおじいちゃんになっても“Zero Gravity 何千万”と言っているよ、きっと!著作権の管理は大変だろうね。ワシントンのライブラリー・オブ・コングレスと今度、話をしたいと思っているんだ。そういった新しい音楽の作曲方法に関する著作権はどうなっているのか……」

菊地「バンドのメンバーが変わっても“Zero Gravity”ですか?」

ウェイン「ああ。それにしても!著作権というのは個人をコントロールする手段なんだよ、よくよく考えてみると! 著作権の逆があってもいいはずだ。個々がどんどん増えていって“Zero Gravity 3”、“Zero Gravity 4”……と増えていけば、weはwe、us、theyのすべてになり、youはyou、more you、more you……になっていき、やがては一つの光の流れになる! どこまでやれるかやってみる、という感じだね」

村井「今、曲が毎回変わっていくとおっしゃったのは、あなたがいらっしゃった頃のマイルス・デイヴィス・グループでもそうだったんじゃないかと思うのですが、そうでしたか?」

ウェイン「それに近いものはあったね。もちろん“Green Dolphin’s Street”、“Fore”、“Round Midnight”のようなDNAに組み込まれているというか、つい自制してしまうというか、誰も手を出そうとしない曲もあったが。マイルスと演奏しているときというのは、100%自分になれる。ただしフォーマットはあるので、そのフォーマットの中でどれだけ違うことができるかというのが大きなチャレンジであり、エキサイティングな部分だった。でも嘘ではダメだ。嘘はつけない。嘘でないときにこそ、自分でも予想外の、それまでと違うことができるんだ」

村井「ミュージシャンじゃない者には〈嘘をついてはならない〉というのは、ちょっとわかりにくいのですが」

菊地「一種の啓発、ということだと思うんです。やっている間に完全なトランスというか、ゼロの状態になり、ふだんは出ない力が出て〈それはもう検証するまでもなく真実だ〉という事が実惑できる時間は、演奏にかかわらずいろんな局面でありますが、ただ演奏では特に多いですね」

ウェイン「環境の囚われにならない、ということさ。自分自身の影の犠牲になってはならない。それでは自分が客体(object)となり、歴史上初めて、環境が主体(subject)となってしまうじゃないか!」

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菊地「あなたは我々が知るかぎり、アート・ブレイキー、マイルス・デイヴィス、ジョー・ザヴィヌル、そしてウェイン・ショーターという、偉大なバンドリーダーを4人ご存知だと思いますが、バンドを維持し、音楽をクリエイトし、それをリスナーに届けるという活動の上で、この4人のバンドリーダーには、それぞれどういった特徴があるでしょうか?」

ウェイン「4人とも共通して、何が見過ごされ、無視され、片隅に追いやられていたかへの意識を持っていた。つまりアートのいろいろな側面において、社会学的なことも心理的なことも含め、人間がおかれた状況、体験といった人間の現状に満足していなかった。しかもその全盛期にだ。例を挙げよう。ジョー・ザヴィヌルは13歳の時、オーストリアで映画を見て以来〈レナ・ホーンみたいな女をみつけるんだ!〉と心に決めて、アメリカに来たんだよ。私にしたって〈ニュージャージーから抜け出さなくては!〉という思いだった。〈ニューヨークに行くぞ!〉とね。満足しないってことさ。私の学生時代の友人の多くは、そういった〈どこどこへ行きたい!〉という欲求を持っていないみたいなんだ。みんな市の役人になったり、ワシントンで職員になった者もいる……でもワシントンDCはニュージャージーの延長にすぎないよ。というか、DCはアメリカ中の都市をひとつにしたような街だから、そこにいる人間は誰一人として、地元を離れていないんだよ、心は。neigh­borhood mentalityというのかな、みんな〈おらがふるさと〉的意識をそのまま持ちこんできている。ある種、隔離されている街なんだ。ハンフリー・ボガートは憧れだった。ハンフリー・ボガートみたいに言いたいことをはっきり言える勇気が欲しいと。マイルスもファンだったんだ。こう言われたことがあるよ。〈聞いたか、あいつの今の台詞を? ああいう風に吹いてくれ!〉」

菊地「ところで、サックスは最近どのくらい吹いていますか?」

ウェイン「まったく吹いてないな、家では。フロリダのコンドミニアムの27階に住んでいるんでね。法律では朝の10時から夜10時まで練習してもいいことになっているが、眼下ではプールで人が泳いでいるし、海があるし……そんな中でサックスを練習してる奴なんて誰もいないよ。聴こえるのはキューバから聴こえてくるコンガの音色だけだ。毎日、パーティしているよ、あそこじゃ! でもメンタルな練習はしているよ。同時に二つの違うことをするという練習だ」

菊地「これを最後の質問とさせてください。私はこの国の多くの国民と同じく、祖霊崇拝による仏教と神道の混合体の、漫然とした信者であり、熱心な特定宗教は持ちません。なので、話が理解できるかどうかわからないのですが、仏教があなたの音楽にもたらしたものがあるとしたら、それは何でしょうか?」

ウェイン「仏教は、アメリカでの教育カリキュラムの中では触れられることのない、多くのことを教えてくれた。小学校の歴史の授業に始まり、高校、大学に至るまで――今でこそ各大学で、アフリカに関する研究はさかんだが――東洋に関する研究はほとんどされていない。でも私は日本、中国、インド、東南アジアの歴史を知れば知るほど、いろいろなことかが見えてきた。たとえば、演繹(えんえき=deductionは一般的、普遥的な命題から個別的な判断を引き出す推理。帰納=inductionはその逆で、個別な事象から普還的な命題を引き出す推理法)的考え方と帰納的考え方もその一つだ。チャーリー・チャン(チャイニーズ・アメリカンの探偵)の映画を知っているか? 彼には息子がいて、チャーリー・チャンが殺人を犯した犯人を見事に探し出すと、息子がたずねるんだ。〈どうやってわかったんだい、父さん?〉するとチャーリーが言うんだ。〈簡単な演繹法だよ。〉そうやっていつもストーリーが終わる、という具合だった。アメリカ人である僕らは〈ああ、そうか〉としか思わなかった。ところが仏教の集まりなどに参加するようになり、演繹的考え、帰納的考え、という話をしていた。まだ8歳の少年だった頃、私は106 South Streetに住んでいた。その当時の私にとってはそれが世界のすべてだった。いまだにその考えのまま、生きている大人は世の中に大勢いる。だからこそ、戦争も起きるんだ。私にとって、仏教は別に宗教とか哲学ということではない。だって考えてみれば、人生そのものが宗教のようなものだ。人が人であること自体が、いわば宗教なのだからね。いろんなことを自分に問いかけさせてくれるんだ。鏡を見て、私は私自身にたずねる。〈お前の本当の名前はなんていうんだ?〉〈ホモサピエンス〉でもない、〈男性〉でもない、〈ウェイン〉でもない。本当の名前は何だ? 俺のミッションは何だ?! NYUである授業を受けたことがある。最後の期末テストで私にAをくれた教授が、ある時、私のところへやってきて、こう言ったんだ。〈おまえ、哲学を専攻したらどうだ?〉とね。自分の中に、その教授の言葉がずっと残っていたのかもしれないね。今、私がとても心待ちにしていること! それは『ダヴィンチ・コード』の公開だ! 日本でも公開されたか? もうひとつ。よく人から哲学や仏教を信仰していることが、音楽と関係しているか?とたずねられるが、それはこういうことだ。私の人生、生活におけるあらゆること。たとえば、妻と買い物に行くことも含めて。すべては進んでいる。動き、成長し、始まる。何かが見えるようになる、考えても見なかったことが解るようになる。それらがすべて一つになって動くと、何も起こっていないみたいに思えるんだ。自分は同じ人間として、同じ場所に立っているみたいに。だから一つだけが飛び出してしまってはよくない。音楽だけが自分を越えて先に行ってしまっても、人間としての善良な性質が成長しても、音楽が成長してないようでは困るし、繊細さを忘れてしまってはならないし……すべてがひとつとなって動く時、まるで動いていないかのような錯覚に陥る。飛行機が進んでいないみたいに感じるのと一緒で。そういうときに僕はわかるんだ。golden meanに自分は乗っていると。永遠に向かって、golden meanの旅に出ていると。生きている理由は永遠の冒険をするためだと思うよ。〈永遠〉ということが解れば、銀行強盗をする人間も殺人を犯す人間もいなくなるよ。一度しかない、永遠に続く人生においてね」

菊地「ありがとうございました」

取材協力:ユニバーサルミュージック
2005年7月25日 ヒルトン東京にて

 


ウェイン・ショーター(Wayne Shorter)
1933年8月25日生まれ、米・ニュージャージー州ニューアーク出身のサックス奏者/作曲家。ニューヨーク大学卒業後、59年にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加し、初リーダー作を発表。60年代はブルーノートから作品を発表しながら、マイルス・デイヴィスの右腕として活躍。70年にウェザー・リポートを結成し、フュージョンブームを牽引。80歳以降も来日公演を開催するなど、圧倒的な人気を博す2023年3月2日にロサンゼルスの病院で死去。89歳没。

菊地成孔(Naruyoshi Kikuchi)
音楽家/文筆家/音楽講師 ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナビゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。5月26日(金)公開、「岸辺露伴ルーヴルへ行く」の音楽を自らの生徒と共に立ち上げた「新音楽制作工房」と共に担当。