[ドラクエ2]死のオルゴールはなぜ実装される予定だったか?
死のオルゴール(しのオルゴール)が、ドラクエ2ではどこに置かれていたか。ドラクエ3ではどこに置かれていたか。そしてそれは何のために置かれていたのかという話をします。
※注:「ドラゴンクエスト」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、情報のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますというニュアンスです。小説版、外伝等は参照しておりません。
※ご注意:当ブログの内容を紹介する際は、URLを示し、出典を明らかにして下さい。どこかの誰かが言っていた風説としての紹介・言い回しを変えての自説としての流布をお断りいたします。
●死のオルゴールとは何か
FC版ドラクエ2に、「死のオルゴール」というアイテムが企画されていたようです。
このアイテムはボツになりました。製品版には実装されていません。データ上には断片的に残ってはいますが、通常のプレイでこのアイテムが登場することはありません。
次回作ドラクエ3にも、死のオルゴールを実装するというプランがあったのですが、これもなくなりました。
そのことについて、堀井雄二さんはこうおっしゃっています。
“死のオルゴール”ってゆーのは、あったんだけど、途中メモリーの関係で無くしちゃったアイテムなんだよね。ところが、その残骸として、アイテム名だけがバグとして残ってるワケ。名前までけずろうとすると余計にバグが出るおそれがあったから、あえて残しておいたんだ。
(略)
ちなみに“死のオルゴール”は戦闘中に使うと、その場にいる全員が死んじゃうってゆー、すごいアイテムになるハズだったんだけどね。
JICC出版局『ドラゴンクエスト3 マスターズクラブ』
上記の引用はドラクエ3に関する話ですが、死のオルゴールというアイテムの効果に関しては、たぶんドラクエ2においても同様だったと見ていいと思います。つまり、ドラクエ2における死のオルゴールは、
「敵にも味方にも、おかまいなく一律ザラキ(即死呪文)をかける」
という効果だっただろうと推定できます。
……といったことをふまえて、今回の記事のお題を設定します。「死のオルゴール」というアイテムは、なぜ、いったいどんな理由で、実装されるはずだったのか?
●死のオルゴールは戦術的に有効か?(有効ではない)
まず手始めに、
「敵にも味方にも、一律ザラキ(即死呪文)をかける」
という効果は、ドラクエ2の戦術において有効でしょうか。
MPの消費なしで無限にザラキが撃てるというのは明確なメリットです。雑魚狩り、レベリングにおいて、圧倒的な戦力になりそうな予感がします。
ただし、「味方にも」ザラキをかけるという点が恐ろしい。
敵パーティを即座に全滅、あるいは半減させることができるのは強力ですが、同時に味方も数名死んでしまう可能性が高いのです。
味方が死んだら、ザオリク(蘇生呪文)で生き返らせねばなりません。FC版ドラクエ2のザオリクの消費MPは15。いっぽう、FC版ドラクエ2のザラキの消費MPは4です。すなおにザラキを撃ったほうがあきらかに安全です。
ところで、FC版ドラクエ2には「みみせん」という謎のボツアイテムもあります。
これを装備すると、死のオルゴールのメロディーが聞こえないので、死ななくなる……と考えたらどうなるでしょう。でもそれは……。
例えば、みみせんの効果が「ザラキに対する完全耐性を付与する」そして「効果を発揮しても消費されない」と仮定してみましょう。パーティ3名、全員にみみせんを装備したが最後、ドラクエ2は「死のオルゴール無双ゲー」になりはてます。
とりあえずムーンブルクの王女に死のオルゴールを奏でさせ、残った敵をローレシアの王子とサマルトリアの王子が打撃で倒すという戦術が多くの場合で最適解になり、ゲームバランスは崩壊するでしょう。
それを避けるために、みみせんの効果を「味方へのザラキの成功確率を下げる」くらいに格下げしてみましょうか。
これなら、敵に対してのザラキは効きやすく、味方へのザラキは幾分効きにくいという塩梅になるのでいいでしょう。
さて問題は、みみせん装備において、どのくらいザラキを効きにくくするかだ。
前述の通り、ザラキの消費MPは4、ザオリクの消費MPは15。
ザラキを使うより、死のオルゴールを使い、死んだ仲間をザオリクで生き返らせるほうがMP的にお得だ、というバランスになってもいいだろうか。全然よくない。
そうなると、味方ザラキの成功率を下げるといっても、ほんのちょびっと程度にするしかない。
また、「死のオルゴールでサマルトリアの王子が死んだとき」のコストは計り知れません。
FC版ドラクエ2において、ザオリクを使えるのはサマルトリアの王子のみです。死のオルゴールでサマルトリアが死んだら、サマルトリアを蘇生させることができないので、その後は2人パーティでの攻略を強いられます。FC版ドラクエ2においてパーティが3名でなくなるのはほぼ全滅に近い意味ですから、即時撤退の一手のみになります。
じゃあ、みみせんを、「ザラキへの完全耐性を付与する」しかし「一回効果を発揮したら消費される」アイテムだと考えるのはどうでしょう。
つまり、死のオルゴールの即死効果を防いだらみみせんは消滅する、と考えるわけですね。
この場合の死のオルゴールは、強い敵に追い込まれて、パーティがほとんど壊滅状態になったとき、イチかバチかで使ったら、ピンチを脱出することができるという程度のアイテムになります。これならまあバランスは取れる。
ただし、そのイチかバチかに対応するために、限られたインベントリ(持ち運べるアイテム数)のうち、みみせん3個以上+死のオルゴール1個を埋めるのかという話が出てきます。
ドラクエ2のインベントリ数は、1人あたり8個×3名で24個。この中に、武器・鎧・盾が人数分だけ入ります。「まよけのすず」も三人分ほしい。緊急避難のためにキメラの翼は絶対必要。ダンジョン到達までのマップ移動のために聖水を1個か2個。毒消し草も必要だし、世界樹の葉は常に1枚持っておきたい。ここにイベントアイテムが加わります。邪神の像とかルビスの守りですね。銀の鍵、金の鍵、牢屋の鍵も捨てるわけにはいきません。買えるものなら力の盾も三枚買いたい。薬草も持てるだけ持たないと。
ここに、死のオルゴール+みみせん3個以上、を持ちますか? 私は絶対持ちたくないです。
そして、みみせんは店売りのアイテムです。消滅したら補充に金がかかる。ドラクエ2はお金が貯まらないゲームです。
以上のようにおおざっぱに考えても、「死のオルゴール」は、戦闘環境に大きな変革をもたらすアイテムとは考えづらい。
これを使ってゲームを攻略して下さい、ということが意図されていなかったことはほとんど明白だと思います。
というわけで、「死のオルゴール」は、フレーバー程度のアイテム。あったらなんかいい感じになるが、なくてもゲームは成立するよねというくらいの位置づけだったと考えられるのです。
まとめると、
・死のオルゴールは、敵味方を区別なく即死させるアイテムだった。
・死のオルゴールは、削除しても問題ないアイテムだった。
そこでこういう仮定をおきます。
・死のオルゴールは、攻略外の何らかの意図に基づいて企画されたアイテムだった。
その意図とは何か、というのが今回のテーマです。
●せいなるおりきと死のオルゴール
FC版ドラクエ2における「死のオルゴール」が、どこに置かれていたのかは判明しています。
80年代のゲーム雑誌に、堀井さんの制作指示書の一部が掲載されたものがありました。その中に、「ザハンの町の宝箱のうち、死のオルゴールが入っていたものをからっぽに変更する」という指示があったのです。
(あとで国会図書館にいって原文にあたってきます)
※追記20251023:国会図書館に行って、原文に当たってきました。
(クリックで大きく表示・アスキー『ファミコン通信』1987年7月10日号/第2巻第14号通巻27号 P.49/記事全体ではP.48から51)
11月22日
・耳せん を なくしたため
道具屋の 売り物から 耳せん を はずす。・ザハンの町(町I)宝箱のひとつ を からっぽに。
(死のオルゴールが 入っていた物)
(出典は上記画像と同一・抜粋)
ザハンの宝箱のうち、からっぽのものはひとつしかありません。それは、神殿の宝物庫の右側に安置されていた宝箱です。
ザハンの町には巨大な神殿があり、その奥は左右に分かれています。
左右のどんづまりに、厳重に鍵がかけられた部屋があって、左側には「聖なる織り機」(せいなるおりき)が安置されています。
そして右側はからっぽです。
このからっぽの宝箱に、死のオルゴールが入っていたのですね。
この置き方から見て、
「聖なる織り機と、死のオルゴールは、対(つい)になるアイテムだった」
と見るのは、そう難しくないと思うのです。
このふたつが一対のアイテムだとしたら、それは何を意図してのことだろう。
●ザハンの町とは何か
ドラクエ2の「ザハンの町」は、世界の果ての孤島にぽつんと存在する小さな町……というより村落です。
ザハンにたどり着いた私たちプレイヤーは、まず、「ここには女性しかいない」という事実に驚くことになります。
なぜ女性しかいないのか。
それはこの町が漁業で生計を立てている町であり、男性は全員、船で魚を捕りに出かけているからです。
そしてこの町には、小さな村落には不似合いな巨大神殿があります。何を祀っているのかは不明です。
ザハンの神殿はこんな形をしています。
『ドラゴンクエスト2』ザハンの町・マップより抜粋 筆者手描きによる再現
「女しかいない町」という情報を握った上で、あらためてこのマップを見ていたら、気付くことがありました。
この神殿は子宮と卵巣を模した形をしている。
ザハンの神殿は女性性における神髄の部分をかたちにしたものだ。
女性性における神髄をあがめているのだから、ここで祀られているのはきっと女神です。
ザハンは男手が総出で漁に出て、島に男子が一人もいなくなるような極端な習俗になっている。
この町は、男性だけが労働を担い、女性だけが祭祀を担う文化を持っている可能性があります。なぜならこの土地の文化は女神信仰で、女性に聖性を見いだすものだから。
これは、王族男子が世俗を担当し、女王が祭祀を担当していたとされる邪馬台国を下敷きにした発想かもしれません。
つまりザハンはドラクエ2における日本。だから場所的に海の果ての島であり、そこには(黄金の国ジパングになぞらえて)金の鍵があるのだろうと考えます。ザハンはたぶんジャパンのもじり。
そしてドラクエ2は、世界の全てをおのれの中から生み出した究極のグレートマザー・精霊ルビスと出逢う物語だ。
精霊ルビスが作った世界で精霊ルビスと出逢う物語において、女性信仰の神殿が置かれているのだから……。
おそらくザハンの神殿に祀られているのは精霊ルビスである。
ドラクエ2のザハン以外のほとんど全ての町には、神父がいて、カミ(神)が信仰されています。
でも、ドラクエ2の世界を作ったのはカミではなく精霊ルビスであることを、私たちは知っています。
おそらくこの世界の本来の信仰は精霊ルビス信仰だった。しかし、いつしか精霊信仰が忘れられ、とってかわるように一神教的なカミ信仰が台頭した。
古代のギリシャやケルト、北欧、スラヴなどが、もとはアニミズム(精霊信仰)的な宗教を信仰していたものの、キリスト教の台頭によってそれを失っていった……というのと同じことが起こったのだと考える。
でも、世界の果ての小さな島のザハンには、カミ信仰は伝播せず(あるいは定着せず)、もとの精霊ルビス信仰がそのまま保存された(ますます日本ぽい)。
余談ですが、ドラクエ2ではカミに祈ると人が生き返ります。ではカミは存在するのでしょうか? ドラクエ2の世界を作り、人の命を生み出したのは精霊ルビスです。ですから、「カミに祈ると人が生き返る」という現象を発生させているのは精霊ルビスだと思います。人々は祈りをカミに届けたと思い込んでいるが、そのお手紙は精霊ルビスに届いてる、という想定です。この世界に精霊ルビスは実在するが、カミは架空のものである、とするのが据わりがいいのかなって思っています。
さてそのように、ザハンには人類社会の元々の信仰が残っていて、その信仰とは精霊ルビス信仰であるとする。
女性神への信仰だから、神殿は子宮を模している。
そして左右の卵巣にあたる部分に、聖なる織り機と、死のオルゴールが置いてある。
そういう建て付けとなりました。
それでこう思うのです。
聖なる織り機と死のオルゴール、この二つのものは、精霊ルビスの二つの本質を象徴するものである。
●聖なる織り機とあまつゆの糸
ようするに、この二つの宝物は、「精霊ルビスとは何者か」を示すシンボルだというお話です。
ルビスとは、女性であり、世界と命を生んだものであり、母である。その本質は聖なる織り機と死のオルゴールに象徴される。
このうち、聖なる織り機のほうは理解しやすそうです。
織り機というのは機織りの機械のことでしょう。布を作る道具ということですね。
古来、おおむね世界的に、機織りは女性の仕事とされてきました。鶴の恩返しで機織りをした鶴も女性でした。
機織り機が女性を象徴するものだというのは違和感がない。
ですが、それだけではない。
聖なる織り機は、みずのはごろも(水の羽衣)を作るための二つのマテリアルのうちの一つです。
聖なる織り機は、あまつゆの糸(天露かな? 雨露かな?)と合わせると、水の羽衣を生成します。
機織り機と糸を組み合わせるのですから、道具と材料、という組み合わせです。
この、あまつゆの糸というアイテムが実に興味深いと私は思っていて、まずはそれを話します。
前述の通りあまつゆの糸は水の羽衣の材料。
そして「ドラゴンの角」と呼ばれる塔にいつのまにか落ちている謎のマテリアル。
あまつゆの糸がドラゴンの角にあるという表現。これは、ザハンの神殿に聖なる織り機があるのと同じ意味があるんじゃないかと考えられそうなんです。
ムーンブルク城とペルポイの町のちょうど中間くらいにあるあの塔は、どうして「ドラゴンの角」という名前なのでしょう。ドラゴンはいませんよね?
ドラゴンはさておき、「角(ツノ)」のほうに着目してみましょう。
ツノというのは世界のいろんな地域で、歴史的に、男性性の象徴として扱われてきました。
なぜって、シカやイッカク、カブトムシなどはオスにだけ角がありますし、メスに角がある動物でも、たいていは、オスのほうが角が大きい。
というか、よりはっきり言えば、角は男性器をイメージさせるもの、という諒解が世界中にあったとしてよいでしょう。屹立するツノは陰茎のメタファーで、男性性の記号であるとする文化が各地に存在した。
例えば、二十世紀半ばくらいに欧米で発生したウィッカ(魔女宗)という新宗教があります。これはキリスト教以前の多神教に戻ろうといった古代宗教復興運動のひとつです。
どうも二十世紀半ばくらいのころ、「キリスト教オワコン説」みたいなものがあったようで、
「そもそも我々は、キリスト教以前には多神教やアニミズムに基づく豊かな宗教的世界を持っていたはずじゃないか。それを今からでも取り戻そう」
という動きがあったらしいです。それでさまざまな、非キリスト教的な新宗教・復興的宗教が発生しました。ウィッカもそのひとつです。
(精霊信仰→一神教→精霊ルビスの再発見、という、ドラクエ2における宗教変遷説と重なり合います)
このウィッカという宗教は、女神を信仰するのですが、儀式において、「ツノのある男性神に扮した男性」と「女神に扮した女性」が性交するんだそうで。
ツノのある男性神は、ケルトのケルノノス(シカの角)であったり、ギリシャのパーン(ヤギの角)だったりするようです。
(このへんはあまり詳しくないので伝聞です)
この例などは、「ツノがあるのとペニスがあるのは同じ意味」というのを端的に示していると言えるでしょう。
そんな話をふまえてドラクエ2に戻ると、
「ツノ」と呼ばれる「塔」がある。
これはもう、あからさまに男根的象徴と言えるのではありますまいか。
そう思った上で、
「あまつゆの糸と聖なる織り機を合わせると、水の羽衣ができる」
という話を再検討すると、
「男根的象徴の塔から出てきたあまつゆの糸と、女神の卵巣から出てきた聖なる織り機を合わせると、生み出される成果物がある」
「陰茎から来たもの」と「卵巣から来たもの」とを組み合わせて、ひとつの成果物を生成するという形になっていて、これはまぎれもなく性交・出産のメタファー(たとえ話)だ。
つまりはあまつゆの糸は精液であり、聖なる織り機は卵子であり、それを組み合わせることは性交だ。水の羽衣はそこから生まれ出た子供である。
あまつゆの糸と聖なる織り機は、そういう見立てのためのものだと考えることができる。
そこで聖なる織り機に話を戻します。聖なる織り機は女神の卵巣にあたる部屋に保管されていた宝物であり、卵子であり、これから生まれる命の核になるものです。
聖なる織り機が隠喩するものは単にルビスの女性性だけではない。聖なる織り機は、精霊ルビスが「母である」こと、「産む者である」という側面のシンボルだといえる。
そして、それと対になるものとして「死のオルゴール」があるのです。となれば死のオルゴールは、「精霊ルビスのもう一つの側面」のシンボルということになります。
●命を与え、奪う母神
それはたぶん「死をもたらす者」という側面です。
古来から、人間たちが女性の中に見いだしたものは、誕生とか豊穣とかいったポジティブな側面だけではありませんでした。
その一方で、さまざまな文化において、人々は女性や子宮に「死」の側面をも見いだしたのでした。日本なんてまさにそうです。
それはなんでか、というと、たぶん直接的な理由は、「そこから血が流れるから」。
おそらく女性のおなかには死の塊みたいなものが内包されており、流血はそこから起こるのだ……といった連想が発生していたのだろうと思います。
また、子宮からは赤ん坊が出てきますが、その赤ん坊は子宮以前にはどこにいたのか、という謎を、古代の人々は古代的頭脳で解こうとしたはずです。
その中で、転生という概念がある文化においては、おそらく「死んだ人間が再び子宮に宿るのだろう」と考えたはずです。
そう考えた場合、子宮というのは、死と直接繋がっていることになる。
例えば日本神話のイザナミは日本列島の全てを生み出した女神ですが、のちに冥界の住人となり、夫に「私はこれから一日に千人の命を奪うぞ」と脅しをかけます。これなんかはもう、母なる神であり、同時に死の神であるという表現です。鬼子母神もそうでしょう。ヒンドゥ-の女神デーヴィに殺戮神カーリーの側面があるというのもそういう構造で見ることができそうです。さまざまな文化において、人々は母なる女神に対し、死の属性を見いだしてきたのです。
それでドラクエ2に話を戻すと、精霊ルビスを祀る神殿はルビスの子宮を模しており、その中には、豊穣・誕生のシンボルとして聖なる織り機が置かれている。
その一方で同じ場所に、死のオルゴールが置かれる予定だった。
ならばそれは、「誕生と死亡は一対のものであり、片方だけにすることはできない」という表現ではありませんか。
精霊ルビスの腹部の中に、誕生と死亡の両方が含まれているのなら、
「精霊ルビスには死を司る側面もある」
死のオルゴールは、精霊ルビスの殺しの側面のシンボルである。
精霊ルビスは生命・豊穣・生誕を司る地母神だ。しかし、生と死は不可分だ。生むというのはのちに殺すということだ。殺した者をまた生むためだ。死のオルゴールはその象徴だ。
だから死のオルゴールを奏でるとみんな死ぬ。その死は精霊ルビスの子宮に回収されるという死だ。精霊ルビスから生まれた命を精霊ルビスに返済するという死だ。
……ということの表現として、死のオルゴールが置かれる予定だったというのが、この記事のひとまずの結論です。
堀井さんは、女だけの町を設定し、子宮の神殿を置き、そこに聖なる織り機と死のオルゴールを置こうとした。それは、「精霊ルビスとは何者か」を示そうとしたからだった。
●文字によらない謎解き
と、ここまで書いてきて重要なことを思い出したのですが、精霊ルビスがはじめて登場したのがこのドラクエ2です。
そしてドラクエ2の精霊ルビスは、「私は大地の精霊」と言い、「勇者ロトと(何らかの)約束をした」とも言いますが、
「私がこの大地のすべてを作りました」
とは一言も言っていません。
それを言うのはドラクエ3です。
それは言い換えると、「ドラクエ2の段階では、文字情報だけでは、精霊ルビスがこの世界を作ったとはわからない」ということです。
でも、文字として表現してはいないが、「この精霊ルビスという人が、この世界の全部を作ったのです」という設定はすでにあったのでしょう。
その設定を、文字ではない表現で作中にちりばめた。
当記事にあるような手順を踏んで、情報を拾い、民俗学的もしくは神話学的なアプローチをすれば、「精霊ルビスは神話的な地母神だ。ということはたぶんこの世界を生み出した者だ」という真相にたどり着けるようにしておいたのです。
太陽、星、月、水、命の紋章をすべて集めると、精霊ルビスが現れます。
日がのぼり、星がめぐり、月に引かれて水が満ち干し、命が住まう。この5つは世界を構成するマテリアルです。
世界のマテリアルをすべて集めると現れる精霊ルビスとは何者か。それは世界を生み出した母なる神だ。
そのようにして、ドラクエ2の大部分が、「精霊ルビスとは何者か」を問う謎解きになっている。
●ドラクエ3の死のオルゴール
ドラクエ3にも精霊ルビスが登場します。
そして、ボツにはなったものの、ドラクエ3にも死のオルゴールは登場する予定でした。
ドラクエ3の死のオルゴールは、どんな意味で置かれるものだったのか。たぶんドラクエ2と同じだと思います。
ドラクエ2で、(容量が足りなくなって)死のオルゴールを置くことができなくなったので、同じ趣向でドラクエ3にこれを置こうというプランだっただろうと思います。
ドラクエ3の死のオルゴールが、どこに置かれる予定だったのか、私、たぶん分かる気がする。
それはおそらく、地球のへその最奥部。
地球のへそというダンジョンの最奥部には、宝箱がふたつ並んで置かれています。片方にはブルーオーブが入っていて、もう片方には薬草が入っています。
この、薬草が入っている宝箱に、本来なら死のオルゴールが入っていたはずだ、そうにちがいないと私は思っています。薬草は、オルゴールを抜いたんで、代わりになんか適当に入れといて下さいで入れたものでしょう。
なんでそう思うか。
地球のへそが、ランシール神殿から行ける地下迷宮だからです。ランシールには巨大な神殿があり、何が祀られているかはさだかではありません。結論を先に述べますが、ドラクエ3の上の世界を作ったのも精霊ルビスであり、ランシール神殿はルビスを祀る神殿だと思います。
地球のへそというダンジョンは、たぶん、精霊ルビスの胎内を見立てたものだと思います。
地球のへそは、なぜ地球のへそという名なのか。
へそは、へその緒を通じて、母親の子宮とつながっていた場所です。そして、女性の身体のへその内側、そのちょっと下のほうには子宮があるのです。
精霊ルビスは大地の神格。地球は精霊ルビスの身体だと見立てられます。
へそから入って精霊ルビスのおなかの中にずうっと潜っていくと、そこには火の鳥を「孵化」させる宝玉と、死のオルゴールがある。精霊ルビスのハラの底には生の宝物と死の宝物がある。
そこから推論を重ねていくと、「この神殿はルビスを祀るものだ、上の世界もルビスが作ったものだ」というところにたどり着くことができる。
※追記20251023:「地球のへそには大地の鎧があり、このことも大地の精霊との関わりの傍証となる」というご意見をコメント欄でお寄せいただきました。確かに!
●糸井重里に『MOTHER』を作らせたドラクエ2
本論としてはここまでですが、それと関係ある、ちょっと面白そうな推定を書いておきます。
糸井重里さんという、作家にしてスーパーコピーライターがいらっしゃいます。ゲーム業界的には、任天堂のRPG『MOTHER』を作った人です。私はすごく尊敬しています。
どこかで読んだ話なのですが(あとで探しておきます)、糸井さんは当時FC版のドラクエ2をプレイして、
「なんて面白いんだ。こんな面白いものを作ってる奴らがいるだなんて、くやしい! どうして俺はこれを作ってないんだ!」
と地団駄ふんでくやしがり、『MOTHER』の企画書を任天堂に持ち込んだのだとか。
糸井さんは、よし俺もRPGを作るぞ、と決めたのですが、しかし、剣と魔法のファンタジーRPGを作る気はサラサラなかった。
なんでかというと、当時出ているRPGをいくつもプレイした結果、
「どれもこれも、父性的・父権的すぎる」
という違和感をおぼえたからだそうです。
糸井さんが言う父性的っていうのは、たぶん、「試練を課せられ、それを突破する」が繰り返される構造を指しているんだと思います。「王様(父権)からクエストを与えられて物語が始まる、それをクリアしたら帰ってきて良い」という、よくある形に代表されるもの。「従来のRPGは、父に突き放され、父に認められる話ばっかりだ」と。
糸井さんはドラクエ2をはじめとする従来のRPGに、それ一辺倒じゃんかという疑問を持ち、そうでないものを作ろうと考えた。
「そうじゃなくて、ふんわりと母性につつまれた感じのものを作りたいよね」
それで作り出されたのが、その名もずばり『MOTHER』。
スタンド・バイ・ミーみたいな現代もので、王様に何してこいと言われるような導入ではなく、父親は出てこず(電話だけできる)、そして『MOTHER』のタイトルロゴの「O」の部分は地球のかたちになっており、「母なる地球」をイメージさせるものとなっている。
……という、そこまでの情報を私は知っていました。
で、あるとき、この記事で書いたような、ザハンの神殿から始まるなんやかやを考えている途中で、ふと思ったのです。
「あ、糸井さんも、たぶんこのことに気付いたな?」
糸井さんは、とんでもなく頭が良いので、ザハンの神殿のかたちが暗示するものや、そこから出てきた聖なる織り機と男根的塔から出てきたあまつゆの糸が隠喩するもの、そうしたことをたぶん一発で理解した。
ドラクエ2が、一見、父権的な価値観で出来ているように見せながら、じつは母性によってより大きく包まれているということをちゃんと発見した。
「これに気付いているプレイヤーはたぶん俺くらいだろう。そしてこのアイデアは使える。これをもっと発展させてメインテーマにすれば、見たことのないようなRPGが作れる」
そう思って、父性的ではない母性的なRPG『MOTHER』を企画した……なんてことは、相当ありそうなことだと私はニラんでいます。つまり、糸井さんが「母性的なRPGを作ろう」と思い立ったきっかけは、ドラクエ2を包んでいる大きな母性を見たことにちがいないという推定です。
FC版『MOTHER』には、マジカントというマップが存在します。このマップは全体がピンク色になっており、なんと女性器のかたちをしています。名前がマジ「カント」だからあからさまですよね。
これなどは、ザハンの神殿を見て思いついたアイデアじゃないかな……。
この話を「糸井重里はドラクエをパクったの?」と読む方が一定数いると想定して先回りしますが、そんな話ではないです。何かの作品を見て、それをきっかけに自作の構想をふくらませるというのはまったく正当だ。『MOTHER』は糸井さんからしか出てこないようなものが全編に詰め込まれてとんでもなくオリジナル。
当時、糸井さんには小さな娘さんがいた。RPGを父性ではなく母性で作ろう、という動機のコアにあるのは、「娘には父権的ではないRPGを与えたい」(父が子を突き放す物語を与えたくない)という感情に違いないし、ご本人がそれに近いことを言っている。そして実際、心正しい女の子に響くような作品に仕上がっている。そういう圧倒的な成果物を前にして、剽窃がどうのという話は何の効力も持ちません。いいですね?
と、そんなところで当記事は以上です。ここまで読んで下さった方、お疲れ様でした。
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地球のへそに「大地の鎧」が在るのも、同じ文脈で理解できますね
投稿: Tino | 2025年10月22日 (水) 21時36分
地球のへそに「大地の鎧」が在るのも、同じ文脈で理解できますね
投稿: Tino | 2025年10月22日 (水) 21時36分