「私は同性婚には反対の立場です」
「同性婚に賛同する立場ではありません」
はあ。
聞き飽きた。
聞き飽きた。
わかった。わかったから、もう言わないでくれ。
もう聞きたくない。
「同性婚には反対です。」
反対?へえ。そうなんだ。そっか。
反対。
憲法に基づいて?
あぁ、あの、あれね、24条ね。
わかってる、あれでしょ、24条に書いてある、「両性の同意」が、同性どうしじゃ成立しないってやつね。
うん。
うん、いや、わかってる。
もう聞き飽きた。聞き飽きた。
中学二年生、の時、自分ってもしかしたら“そう”なのかな、って思って、インターネットで調べた。
そうしたら『24条に基づいて、同性婚は認められない』って出てきたから、その条項を確認するために、中学受験の時に使った「日本国憲法」の資料集をわざわざ引っ張り出してきて読んだことがある。
『同性どうしじゃ結婚できない』
それが日本の決まりだもんね。
それを、中学二年生の時にはもうすでに、突きつけられてしまった。
それからも、ずっと。
いやというほど何度も、何度も。何度も。
『同性どうしじゃ結婚できない』って、いろんな場面で、繰り返し聞かされてきたから。
言われなくても、もう、わかってる。
日本では、同性どうしは結婚できない。
日本国憲法第24条。
【婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない】
へえ。
男女の結婚だと、両性の合意のみに基づいて、婚姻は成立する、と。
へえ。
誰も否定できないんだ。
血の繋がった親でさえ、誰も。
誰も、男と女の、その二人の結婚を、拒めないんだ。
すごいなあ。
二人がそれでよければ誰も止められないんだもんな。
いいな。
それが、同性どうしになった途端、
こんなにたくさんの人から、
こんなにたくさんの、赤の他人から、
否定され、反対され、権利を剥奪され続けているのだから。
日本って恐ろしい国だな。
「同性婚に賛同する立場ではありません。」
この発言が許されてしまうんだから、怖いなあと、常々、
思い続けている。
日本で生まれて、日本で育った。
日本語が母語で、きっと将来もずっと、日本で暮らしていく。
その、日本という国で、自分がおそらく結婚できないということを、
私は、中学二年生の時に、知った。
高校に入る頃には、自分が俗に言う「同性愛者」であるということを、半ば確信していた。
私は、自分が「同性愛者」であると確信してしまったあの日から、ずっと。
ずっと、ずっと、ずっと、怖い。
初めて友だちにカミングアウトしたのは、高校一年生の時。
苦しくて、苦しくて、もう、自分の限界が近いのをわかっていた。
誰かに、この痛みを共有しないと、きっと自分が死んでしまう。
長い間、ずっと黙っていて、一人で隠し続けてきたけど、孤独と不安が心を蝕んで、もうどうしようもなかった。
この子ならきっと大丈夫だ、きっとわかってくれる。
高校に上がってから出会った友だちを、学校帰りにそっと、マックに誘った。
文化祭が終わったばかりで、秋の真っ只中。二人で月見パイを食べた。
話を切り出すのに、
とても、とても、勇気が必要だった。
月見パイを食べ終わって、ずっと、包装紙を折り畳んだり、開いたりして。
やがて、痺れを切らした友だちが、私に話を、促してくれた。
それでようやく、私は口を開くことができた。
自分が同性愛者であるかもしれないと意識し始めてから、二年半。
これは、私が、たった一人の友だちにそのことを伝えるための勇気を出すのに、要した時間だ。
それ程に、自分が同性愛者であることを誰かに認めるのは、自分にとっては酷く、怖いことだった。
この子なら大丈夫と、そう思ったからカミングアウトしたのに、喋っている間中ずっと、膝の震えが止まらなかった。
そんな自分に、少しだけ驚いた。
彼女はとても、とても、親身に、私の話を聞いてくれた。
それが、とても嬉しくて、安心して、ただ、ひたすらに、ありがたかった。
それでも、期待通りとはいかず、私の心の苦しさが、晴れることはなかった。
恐怖は私の中でぐるぐると髑髏を巻いて居座り続けていて、彼女へのカミングアウトがうまくいったからと言って、他の子にカミングアウトすることはできないでいた。
だって、わかってしまうのだ。
同性どうしじゃ結婚もできない日本で。
誰が、誰が、誰が、私たちの存在を、認めてくれる?
同性愛は、同性愛者は、社会的に認められていないという、動かし難い事実が。拭い去れない思い込みが。
『日本では、同性婚は認められていない』
という具体性を伴って、私の目の前に
ずっと、ずっと、鎮座している。
初めて友だちにカミングアウトしてから、一年半ほど過ぎた、高校二年生の、冬。
私の心はまた、限界を迎えていて。
同じ部活の、一番の親友に、カミングアウトする決意を、した。
これ以上、親友の前で、自分を偽り続けることが、私には難しかった。
学校帰り。私はいつもとは違う道を、親友と二人、
歩く。
とっても寒い日だった。
部活の練習が終わった後で、外は暗くて。二人でシュークリームを買って、公園のベンチに、身を寄せ合って座っていた。
前回とは訳が違った。
この子なら大丈夫だ、という予感はないまま、ただ。
これ以上、親友の前で嘘を吐き続けたくなくて、私は口を開いた。
その時も、体の震えが止まらなくて。
その震えが、寒さのせいだけではないのを、私は知っていた。
怖かった。
たかが、自分の性的指向を親友に伝えるという、たったそれだけの行為が、ただ、ひたすらに。
怖くて、私は震えていた。
私の震えに気がついたのか、親友は席を立って。
私を連れ立って、近くにあったサイゼリヤに入った。
二人でミラノ風ドリアを食べた。
先ほどよりも暖かいはずの室内で、私の握るスプーンはまだ小刻みに、震えていて。
言葉を選んで、私は親友に、三年前にはもう既に、自分が同性愛者だとわかっていたと伝えた。
中学一年生の頃からずっと、彼女は私にとって唯一無二の存在だった。
距離も近く、お互いの一番の理解者だと思っていた。
だから、もしかしたらバレているかもしれないと、期待混じりに怯えていた。
けれど彼女は驚いたようだった。
彼女は私の話を真剣に、丁寧に、聞いてくれた。
「もういっそのこと、性別なんてない世界に生まれたかった」
そう言った私に、彼女は、
「ならもう一度、死ぬしかないね」
そう言って、少しだけ、笑った。
その日は解散して、その次の日の、夕方。
彼女からLINEが来た。
「昨日の聞いて」
「お前とどう接すればわからなくなった」
「嫌いになったとかじゃない」
私がそのLINEを見たのは、学校から塾に向かう途中だった。
乗り換えをするために、エスカレーターを下っていた。
LINEの青い画面に浮かぶその文字を見て、瞬間、胸をナイフで突かれたような。
そんな衝撃が、走った。
あの時、あのナイフで、死んでしまえていたら
もしかしたら、今頃。
性別なんてない世界に、生まれていたかもしれない。
次の日は、逆に私が意識してしまって。
親友と、まともに目を合わすことも、会話することもなく、部活を終えた。
練習時間が終わり、人の少なくなった音楽室で、私は堪えきれずに、たくさんの涙を流した。
友だちが駆け寄って、どうしたのかと、私の手を取る。
答えられるはずもなく、私は。
「トランペット、調子悪い?」
と聞く友だちの言葉に、頷くことしかできなかった。
トランペットなんて、どうだってよかった。
心の傷が痛くて、仕方なくて。
でも、言えるはずがなかった。
カミングアウトがうまくいかなくて、泣いてるだなんて。
知られてはいけなかった。
同性愛者であることを、これ以上。誰かに。
知られてはいけなかった。
親友の言葉は、私を酷く傷つけたけれど、
私は親友が悪いのではないと、よく、わかっていた。
自分が何年も、何年もぐるぐると頭の中で考え続けても、それでも受け入れることが難しい、「同性愛者」という言葉を。
剥き出しのまま、私は親友に投げつけてしまった。
きっと、誰だって、同じような反応をする。
悪いのは親友じゃない。
でも、私でもなかった。あのまま嘘を重ね続けていたら、きっといつか、限界がきていた。
あの時の私は、ただ、ただ、この社会が憎かった。
誰のことも責めさせてくれない社会が。
この状況を、彼女の拒絶を、「仕方ない」と思わせてくる社会が、どうしようもなく、ただ。
許せなかった。
親友の反応は普通だ。
拒まれたって仕方ない。
驚くのも仕方ない。
だって、日本では。
同性どうしじゃ、結婚できない。
結婚できるのは、男と女だけ。異性愛者だけ。
同性愛者は、社会から認められてない。
そんなの、バカみたいだ。
バカみたいだ。
バカみたいなのに、それが、ずっと、『日本では同性婚ができない』という事実として、ずっと。
ずっと。視界の隅でチラチラと蠢いて、私の視野を狭め続けている。
同性どうしの結婚が認められていないというのは、ただ、結婚できないというだけじゃない、それ以上の弊害を、当事者にもたらすものだと、思う。
「同性婚には反対の立場です」
だの、
「同性婚に賛同する立場ではございません」
だの。
言いたい放題。
聞きたくもないのに、耳に飛び込んでは、私の心まで簡単に貫く。
やめてくれと、私が叫んだところで、聞いてはくれないことを、私はもう知ってしまっている。
同性どうしの婚姻を認めることは、0をプラスに引き上げるものではなく、マイナスを0にするものでしかない。
それなのに、どうして。
どうして、これほどに、反対の声が上がるのか、私には理解ができない。
24条に「両性の」って書いてあるから?同性どうしじゃ子供を望めないから?養子縁組やパートナーシップで代用できるから?結婚のハードルが下がって偽装結婚しやすくなるから?帰化する外国人が増えるから?社会が変わって“しまう”から?
なんだそれ。なんだそれ。なんだそれ。
同性どうしの婚姻に反対するなら、せめて、せめて。
男女の婚姻に、婚姻という制度そのものに反対してないと、筋が通らないと思う。
今はもう、高校も卒業して、あの時よりかはいくらか強くなって、ここにいる。
ほんの少しだけ日本から出てみて、今は、十数年前からすでに同性どうしの婚姻を認めている土地にいる。
ここで生まれ育っていたら、もしかしたら。
私が心の中で、ぐるぐると育て続けた恐怖も、ここまで大きくならなかったんじゃないかと思う。
生まれた時から、もし、同性どうしの婚姻が認められている環境にいられたら、
どんなに、
どんなに、
どんなに。良かっただろう。
これ以上、日本のこの状況を、長引かせてはいけないと、そう強く思う。
でも自分にできることなんて何もなくて、本当に何もなくて、
一人。駄文を綴る。
綴っても、色々なことを考えて、右上にある青い【ポスト】のボタンを押せないまま。
下書きにしまって、お蔵入り。
ばか。
ばか。
ばか。
自分を、こんな臆病者にしたのは、誰。
許せない。
ずっと。ずっと。ずっと。
誰に怒っているのかもわからないまま、ずっと、憤りを抱えている。
早く「婚姻の平等」を、達成してほしい。
「同性婚に賛同する立場ではありません」
なんて。
もう、聞きたくない。
でも聞こえてくるから、今日も。
自分が同性愛者であることを必死に隠して、ノンケのフリして、笑ってる。
同性愛を認めてくれない日本社会が私の中に産み落とした恐怖は、環境が変わってもまだ、私の心を蝕んで、離してはくれない。