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広告とコタツ記事

去年から、Webでニュース記事を読もうとすると、この先に進みたければ広告を見ろ、と言われて足止めされることが増えた。次のようなメッセージが表示される。

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私は、ある芸人がイギリスのオーディション番組に出演して、評判をとったという記事を読んでいた。ほほう、どんな芸だったんだろうと思って、画像ページに進もうとしたらこれが出てきた。

こういうとき私はいつも、「あ、じゃあいいです」と心の中でつぶやいて、ブラウザをそっ閉じする。

足止めされたことで我にかえり、別にそこまでして見たくない、という自分の気持ちを確認して引き返すのだ。

出版社も新聞社も、ネット記事で利益を出すために試行錯誤しているのはわかる。YouTubeでは、最初に20秒くらい強制的に広告を見せるけど(無料の場合)、みんなガマンしているから、ネット記事でも同じ手が使えるはずだと踏んだのだろうか。

でも、動画コンテンツと文字コンテンツは違うので、なかなかそうはいかない。このメッセージが出た時点で引き返す人は、わたし以外にもけっこういるのではないだろうか。


インターネットにアクセスすると、見たくもないものを大量に見せられて、いつの間にか時間が過ぎていく。

コンテンツの配信事業者や、アプリの開発業者たちは、限りある私たちの時間に餓鬼のように群がって、私たちの時間をむしり取り、奪い合う。時間がお金になるからだ。彼らの思うがままに、貴重な時間をすべて差し出している人がなんと多いことか。

しょうもないコンテンツと引き換えに金と時間を取られる構図は、昔からある。でも、その深刻さが近年ケタはずれに増していると思う。

私たちは貴重な時間を安売りせずに、本当に楽しいと思えることや、自分の人生に有益だと確信できることだけに、時間をささげたいものだ。

とはいえ、意味のないコンテンツに意味のない時間をささげてしまうのも、それはそれで人生の一場面ではある。そういう無駄も、人生に多少は必要だし、無駄な時間の中にこそ新しい出会いがあったり、新しい世界が広がったりすることもあるので、ゼロにしようとまでは言わない。

でも、減らせる分は減らすにこしたことはない。体脂肪と同じだ。ネットは人生の体脂肪である。


さきほどの広告メッセージは日刊スポーツだった。スポーツ新聞といえばコタツ記事だ。

だれそれがXでこんなポストをして、ファンが賞賛の声を上げたとか。だれそれがテレビでこんな発言をして、スタジオがわいたとか。自分の足で取材することなく、自宅のコタツの中で書けてしまう記事のことをいう。

どういう事情があるのか知らないし、どのくらい儲かるのかもわからないから、完全否定する気はない。でも、人の情報発信に便乗して、自分のオリジナリティをいっさい発揮することなく、ビューを稼ぐためだけの記事を粗製乱造して、メディア人としてのプライドはないのか、とは思う。

もしかすると彼らは、Xをやらない人や見落とした人のために、面白い記事を切り抜きしてあげているのだろうか。コタツ記事は、ある種のキュレーションメディアなのかもしれない。

でも、キュレーションメディアの原点であるWeblogは、ネット上の気になるコンテンツにリンクを貼るだけでなく、そこに簡単な感想や論評を付すものではなかったか。コタツ記事にはこの、感想や論評の部分が欠落しているのだ。

プチ鹿島さんの記事で引用されている能町みね子さんの文章にも、ほぼ同じことが書かれていた。

《以前から私は冗談で、私自身のこの連載について「最高のコタツ記事を目指す」と言っていました。実際、私はネットを掘り起こして論考を加える手法なので、コタツから出ずにコラムを作れる。今後、私みたいな手法のものをコタツ記事と呼ぼうよ。》

《じゃあスポーツ紙のあれは何かというと、やはり「盗用」あるいは「剽窃」でしょう。犯罪っぽい名前にしないと止まらないよこれは。》

プチ鹿島「スポーツ新聞が量産する「コタツ記事」書き手の正体は…?本当の問題点を考える」
https://bunshun.jp/articles/-/70241?page=3

自分で取材せずに論評だけするのが、本来のコタツ記事であって、論評すらしないのはコタツ記事ですらない。わたしもそう思う。

たとえ、テレビで見た内容をそのまま記事にしたとしても、それに対する言いたい放題の批評がセットになっていて、それが芸になっていれば何も問題はない。

しかし、スポーツ新聞のコタツ記事はそうではない。ただ、ビューを稼ぐための釣り針として、他者の発言や行動をコピペしているだけだ。そういうビジネスだと言われれば、まあそうかもしれないけれど、メディアってそういうことだっけ?とスッキリしない気持ちになる。


スポーツ新聞というのは、昔からスポーツ以外の記事はいい加減で、本人に取材しないで勝手なことを書くのが、ある種のウリでもあった。女優やアイドルの裸を勝手に想像してイラストにするとか、ふつうにあったし。でもそれは、人間らしいグロテスクなクリエイティビティだったと言えなくもない。

ついクリックしたくなる見出し詐欺にも歴史があって、「雪男ついに発見」という見出しの最後に、小さい字で「か?」と書いてあったりするのは、もはやスポーツ新聞の伝統芸で、これもある意味クリエーティブだ。

バカみたいな記事にもクリエイティビティはある。しかし、今のコタツ記事に、スポーツ新聞の歴史と伝統に裏づけられた矜持が宿っているか。

宿っていなくてなにが悪い、と開き直られたら返す言葉もないが、自滅への道を進まないことを祈るのみだ。

新聞には昔から、通信社から配信されたものを流すだけの記事や、プレスリリースされたものを要約するだけの記事がある。記者の足でかせいだわけではない記事が一定量を占めるのは、今にはじまったことではない。

それは紙面のなかで、独自取材したオリジナル記事といい具合に混ざりあって、中和されていた。

しかし、ヤフーなどの総合ポータルサイトでは、各新聞社のそうした全体性は表現されず、個々のコタツ記事だけが悪目立ちしている。

一覧性を表現しにくくなった新聞にとって、コタツ記事で悪くなったイメージを中和させるのはむずかしい。オリジナル記事の価値すら下げかねない事態に、新聞社はどう向き合っているのだろうか。


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広告とコタツ記事|高野光平(こうの・こうへい)
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