マキマとデンジの映画デートに感化されて朝から晩まで映画を観たらかなり良かった
劇場版「チェンソーマン レゼ篇」を公開初日に観た。原作も全て読んでいるので内容は知っていたが、多くの人と同じく私も原作52話を読み終えた時に相当な喪失感を覚え、「映像化するならせめてここだけは映画にしてくれないかな」と思っていたので、それがかなり最高な形で実現しており、鑑賞中は嬉しすぎて気を抜くと魂が抜けそうだった。
作者の藤本タツキ氏といえば映画好きとして知られており、作中でもたびたび映画が登場する。
「チェンソーマンレゼ篇」でも、マキマとデンジが朝から晩まで映画館を梯子してとにかく映画を観まくるデートをするという描写がある。もともと好きなシーンなのだが、動きと声が付くとさらに楽しそうで、真似してみたくなったのでやってみることにした。
これまで1日に映画館で鑑賞したことがある本数は2本だったが、その時も結構疲労が溜まった記憶があるので不安だ。入場者特典の冊子を開くと、1日に4本観たことがあるという藤本氏が「同じ予告編を観るのが苦痛だった」と語っていて不安を増長させる。でも決意が折られることがないように、チケットは事前に全て取ってしまう。移動やランチ休憩の時間を考慮したちょうど良い上映開始時刻の作品を選び、4つの作品を観ることにした。
朝イチの回で一番興味があったカズオ・イシグロ原作の「遠い山なみの光」、昼過ぎに魚豊原作のアニメ映画「ひゃくえむ。」、ランチとコーヒー休憩を挟み、夕方から3時間超え・妻夫木聡主演の「宝島」、そして眠気が来ていそうなレイトショーのタイミングで90分という理想的な尺かつエンタメ性の高そうな「8番出口」を観る。(「映画大好きポンポさん」という映画の影響で、90分尺の映画をそれだけで評価してしまう)
我ながらかなり良い布陣だと思ったが、振り返ってみてもこの配置はかなり良かった。後述するこの体験の素晴らしさを確実に享受するためには、自分の体力と眠気と集中力の特性を把握した上で予定を組みことが大前提だ。
1日にたくさん映画を観ると得られる3つの良いこと
結論からいうと、日頃1本だけを選んで観る時よりも充実した映画体験を得ることができた。その理由は主に以下の3つ。
1. 「絶対観たかった作品」以外を観るきっかけができる
今回鑑賞した4本への関心度は、わざわざ仕事帰りに時間を作って観に行ったかと聞かれると自分にとっては悩ましいラインだった。
一方でその程度の関心度の作品も、「映画館にずっといる日に何を観るか」という条件下では有力候補に躍り出る。そして、余程の映画好きでない人の中には、その程度の関心度だからという理由で映画鑑賞を度々見送っている人も多いのではないだろうか。「その映画のために時間を割いて映画館に行こう」というハードルを上回らない作品の中にも、自分にとって得るものがある作品はある。そういったものを取りこぼさない機会は、期待以上や予想外の出会いをもたらし、それらは“狙って”は得られない興奮を与えてくれる。
2. 頭を空っぽにして作品に向き合える
1本だけ映画を観る日は、前後で仕事をしていたり、別の場所に出掛けていたり、YouTubeを見ていたり、サブスクで別の映画を観ていたりするが、正直言ってそれらは対映画館での映画鑑賞においてノイズになる可能性が高い。映画を観る日は、それ以外何の予定もないくらいがちょうどいいと思った。無意識にでも脳が他の情報に侵食されていないまっさらな状態で見る映画館の映画は、驚くほどスイスイ頭に入ってくる。鑑賞後の疲労感が驚くほど少なかった。
映画と映画の間の時間には、1本前に観た作品の感想を反芻することができるのも良い。気をつけるのは次の映画の開始時刻を間違えないようにすることだけ。鑑賞後即次の予定のために意識を割かれることで余韻を楽しめないのは鑑賞体験の楽しみを意外なほど奪っているらしい。
3. どれかが微妙でも、トータルの充実感が上回るので楽しい
期待より数倍面白かったと思う作品もあれば、そうでもなかったな、と思うものもあるだろうが、そこまで気にならない。1本だけ観た日はその作品が好きだったかどうかで気分が左右されるが、複数本の鑑賞は単体での鑑賞体験よりも1日のトータルが体験として意味を持つからだ。何気なく選んだ数本が、意外にもテーマや描写、カメラワーク、役者の配役などで通じている部分を見つけたりすると、1本観たときには気がつかなかったような考察ができたりと面白く、「好きだったかどうか」以外の指標でも作品に向き合いやすいと感じた。
結果的に、1本に集中する方が体験の質が高いのではないだろうかという想像は杞憂に終わった。終日休みの日を待つためにお目当ての映画の上映期間を逃さないように気をつけながら、今後もこの娯楽を満喫していこうと思う。



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