久々に、やまねこと日帰り旅行に行って来ました!

これはやまねこ家の住む地区の公民館が主催する「公民館館外研修」というもので
年に1回催されます。今回は定員30人*費用は昼食&施設見学料込でひとり2,500円。
(今回は人気が無かったのか、20人ちょっとしか集まらなかったみたい…)
同じ地区とはいえ広いので、ほとんど知らない人たちでした(やまねこは数人知ってましたが)
旅行会社の主催するようなハデなところにはどこにも行きませんが
県内でもなかなか行く機会のないところへ行けるのが魅力です。
去年は話題の「八ッ場ダム建設予定地の視察」があったので、人気があり満員だったそうです。
今回の場所は全部ニョーボは初めて!
小さいけれど、バスに乗ると「旅行だな~」って思います。

高速道路があるので、移動は楽ちん。
まずは、太田市の大光院。ここは上毛かるたでいうところの
『太田金山子育て呑龍』で有名な場所です。


慶長18年(1613年)、徳川家康が先祖の新田義重を祀るために呑龍を招聘して創建。
境内裏には、新田義重や呑龍の墓がある。
呑龍は当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、
これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から子育て呑龍と慕われた。
(Wikipediaより)
丁度院内では「菊展」が催されていました。
今年の猛暑で菊の時期がずれ、参加者が大分減ってしまったそうです。
そういえば、「七五三」の時期ですね。お参りの子供は見かけなかったけれど
「祝七五三無事成長」の立て看がまぶしかったです。
呑龍上人の墓所は院の隅にひっそりとありました。

横の説明。
呑龍上人御廟
承認予眼光落地の後は遺骸を荼毘に附することなく須らく東面し堂の西霊廟の傍に葬れ。
予永く国を鎮め寺を守り、予が搭前に祈念するものあれば、必らず心願成就せしむべしと遺言す。
時に後水尾天皇、元和九年八月九日、世寿六十有八才なり
東面…ということは、「日光」の方角。
家康の方を向いているということなのでしょうね。
さて、次は大光院からもほど近い、さざえ堂(祥寿山曹源寺しょうじゅさんそうげんじ)

文治3年(1187)新田義重公が京都からの養姫である祥寿姫の菩提を弔うために建立された
六角堂が起源である。過去2回の火事により本堂は焼失し(1852)、
仏殿であった「さざえ堂」のみ現存、これを本堂としている。
寛政5年4月(1792)に関東の大工の祖といわれた町田兵部栄清により建てられたお堂は。
間口・奥行きともに16.3m、高さ16.8m。外見からは2階建てに見えるが内は3階建て。
堂内は回廊式といって同じところを2度通らずに元のところに戻れる構造をとっている。
(さざえ堂 曹源寺HPより)
さざえ堂の御砂踏参道の踏み石は「お砂踏み」が出来るようになっていて

御砂踏参道を踏めば、西国坂東秩父百観音霊場を巡礼したのと同じ功徳があるとか?
さざえ堂の中は薄暗くて、写真がよく撮れませんでした。
ずっと床が斜めになっていて、気をつけないと滑ります。
霊場の認定証なるものも飾ってありました。
ここがてっぺん。

「無事かえる」(笑)
降りてきたら、出口のところでとてもハッピーな感じの布袋様を発見。

庭のだるま石。
旅行のお楽しみと言えば、やはり「お昼ごはん」

「桐生織物観光センター」というところで頂きました。
正直旅費の金額からして、期待していなかったのですが、なかなかどうして充分な量です。
緑がかった”桑うどん”。桑の味は…よく分からなかったけど美味しいうどんでした。
こういうドライブインは、どこも哀しい程さびれています。
父親と伯母におみやげを、と羊羹を買ったら桐生市ではなく水上でした(笑)
さて、本日最後の観光…じゃなかった、”研修”は。
県外になりまして、足利市の「足利学校」へ。

足利は一昨年、やまねこがひとりで訪れたことがありますが、この足利学校に入るのは初めて。
(当時は改修工事を盛んにやっていた為、入るのをやめたそうです)
紅葉はまだまだでしたが、
見事な秋晴れ!
入ってすぐの孔子像と記念写真を撮るニョーボ。

日本最古の学校、と言われていますが創建については様々な説があるようです。
平安初期に小野篁が創建したという説。
鎌倉初期に足利義兼が創建した説。
室町中期に上杉憲実が創建した説。
明治5年(1872年)に廃校。
以来孔子廟などわずかな建物を残すのみであったのを、1990年に方丈や庭園が復元され公開されたとか。
「復元」なので、とてもキレイです。


屋内に、小中学生の写生画が飾ってありました。

ニョーボはこれが気に入った!
あまりにも良い陽気なので、


思わずひなたぼっこ。
時間がまだあったので、少し足を伸ばして近くの鑁阿寺(ばんなじ)まで行きました。
足利の街並み。
石畳は「ちょっとワザとらしい?」感もありますが、観光地としては風情があっていいものです。
つい、”猫”を見つけると立ち止まってしまう。

このお店ではオジサンが黙々と石に絵を描いていました。
尾道の「猫石」を思い出します。
さて、鑁阿寺。

源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まり。
3代目義氏が堂塔伽藍(がらん) を建立し足利一門の氏寺とする。
とても静かで良いお寺で
やまねこは「四国霊場のお寺の雰囲気がある」と言っていました。
街角に、
さりげなく?立つ孔子像
帰りのバスでは、後ろのオバチャンがずっと足利学校で買った「論語」を読んでいました(笑)
夕方4時半、集合場所でもあった公民館に無事到着。
ハデさは無くても、楽しい1日でした。

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これはやまねこ家の住む地区の公民館が主催する「公民館館外研修」というもので
年に1回催されます。今回は定員30人*費用は昼食&施設見学料込でひとり2,500円。
(今回は人気が無かったのか、20人ちょっとしか集まらなかったみたい…)
同じ地区とはいえ広いので、ほとんど知らない人たちでした(やまねこは数人知ってましたが)
旅行会社の主催するようなハデなところにはどこにも行きませんが
県内でもなかなか行く機会のないところへ行けるのが魅力です。
去年は話題の「八ッ場ダム建設予定地の視察」があったので、人気があり満員だったそうです。
今回の場所は全部ニョーボは初めて!
小さいけれど、バスに乗ると「旅行だな~」って思います。
高速道路があるので、移動は楽ちん。
まずは、太田市の大光院。ここは上毛かるたでいうところの
『太田金山子育て呑龍』で有名な場所です。
慶長18年(1613年)、徳川家康が先祖の新田義重を祀るために呑龍を招聘して創建。
境内裏には、新田義重や呑龍の墓がある。
呑龍は当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、
これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から子育て呑龍と慕われた。
(Wikipediaより)
今年の猛暑で菊の時期がずれ、参加者が大分減ってしまったそうです。
そういえば、「七五三」の時期ですね。お参りの子供は見かけなかったけれど
呑龍上人の墓所は院の隅にひっそりとありました。
横の説明。
呑龍上人御廟
承認予眼光落地の後は遺骸を荼毘に附することなく須らく東面し堂の西霊廟の傍に葬れ。
予永く国を鎮め寺を守り、予が搭前に祈念するものあれば、必らず心願成就せしむべしと遺言す。
時に後水尾天皇、元和九年八月九日、世寿六十有八才なり
東面…ということは、「日光」の方角。
さて、次は大光院からもほど近い、さざえ堂(祥寿山曹源寺しょうじゅさんそうげんじ)
文治3年(1187)新田義重公が京都からの養姫である祥寿姫の菩提を弔うために建立された
六角堂が起源である。過去2回の火事により本堂は焼失し(1852)、
仏殿であった「さざえ堂」のみ現存、これを本堂としている。
寛政5年4月(1792)に関東の大工の祖といわれた町田兵部栄清により建てられたお堂は。
間口・奥行きともに16.3m、高さ16.8m。外見からは2階建てに見えるが内は3階建て。
堂内は回廊式といって同じところを2度通らずに元のところに戻れる構造をとっている。
(さざえ堂 曹源寺HPより)
さざえ堂の御砂踏参道の踏み石は「お砂踏み」が出来るようになっていて
御砂踏参道を踏めば、西国坂東秩父百観音霊場を巡礼したのと同じ功徳があるとか?
さざえ堂の中は薄暗くて、写真がよく撮れませんでした。
ここがてっぺん。
降りてきたら、出口のところでとてもハッピーな感じの布袋様を発見。
旅行のお楽しみと言えば、やはり「お昼ごはん」
「桐生織物観光センター」というところで頂きました。
正直旅費の金額からして、期待していなかったのですが、なかなかどうして充分な量です。
緑がかった”桑うどん”。桑の味は…よく分からなかったけど美味しいうどんでした。
こういうドライブインは、どこも哀しい程さびれています。
父親と伯母におみやげを、と羊羹を買ったら桐生市ではなく水上でした(笑)
さて、本日最後の観光…じゃなかった、”研修”は。
県外になりまして、足利市の「足利学校」へ。
足利は一昨年、やまねこがひとりで訪れたことがありますが、この足利学校に入るのは初めて。
(当時は改修工事を盛んにやっていた為、入るのをやめたそうです)
紅葉はまだまだでしたが、
入ってすぐの孔子像と記念写真を撮るニョーボ。
日本最古の学校、と言われていますが創建については様々な説があるようです。
平安初期に小野篁が創建したという説。
鎌倉初期に足利義兼が創建した説。
室町中期に上杉憲実が創建した説。
明治5年(1872年)に廃校。
以来孔子廟などわずかな建物を残すのみであったのを、1990年に方丈や庭園が復元され公開されたとか。
「復元」なので、とてもキレイです。
屋内に、小中学生の写生画が飾ってありました。
あまりにも良い陽気なので、
思わずひなたぼっこ。
時間がまだあったので、少し足を伸ばして近くの鑁阿寺(ばんなじ)まで行きました。
石畳は「ちょっとワザとらしい?」感もありますが、観光地としては風情があっていいものです。
つい、”猫”を見つけると立ち止まってしまう。
さて、鑁阿寺。
源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まり。
3代目義氏が堂塔伽藍(がらん) を建立し足利一門の氏寺とする。
やまねこは「四国霊場のお寺の雰囲気がある」と言っていました。
街角に、
帰りのバスでは、後ろのオバチャンがずっと足利学校で買った「論語」を読んでいました(笑)
夕方4時半、集合場所でもあった公民館に無事到着。
ハデさは無くても、楽しい1日でした。
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