小田原市「生活保護なめんな」ジャンパー事件から8年…公務員らを追い詰めた“過酷な労働環境” 根本にある“圧力”の正体とは
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社会に蔓延する「自己責任論」と生活保護バッシング
もう一つ、この事件が起きた背景として、2012年頃から激化した「生活保護バッシング」の存在を無視することはできません。 きっかけは、あるお笑い芸人の母親が生活保護を受給していたことが週刊誌で報じられたことでした(※受給に問題はなく適法だった)。この報道を機に、「働ける能力のある親族がいるのに、生活保護を受けるのはおかしい」「不正受給の温床だ」といった論調がメディアやインターネット上で吹き荒れました。 このバッシングは、「貧困は個人の努力不足や怠慢が原因である」とする自己責任論を加速させ、生活保護受給者全体に対する偏見と差別を助長しました。 テレビ番組では、あたかも多くの受給者が不正を行っているかのような印象を与える特集が組まれ、政治家も生活保護基準の引き下げや、受給要件の厳格化を声高に叫びました。 このような社会全体の「貧困叩き」の風潮は、行政の現場にも大きな影響を与えました。「不正受給の摘発」が、行政の重要な成果であるかのように見なされるようになり、ケースワーカーには「厳格な対応」が求められるようになりました。 小田原市の職員たちがジャンパーに「不正受給はクズだ」「我々は正義だ」と記した背景には、こうした社会の圧力も無関係ではないでしょう。彼らの行動は、社会に蔓延する不寛容な空気を吸い込み、それを誤った形で体現してしまった結果と捉えることができます。
事件の教訓を未来へ
小田原市の「生活保護なめんな」ジャンパー事件から8年余りが経ちました。小田原市は再発防止策として、職員研修の強化や、人権意識に関するマニュアルの作成などに取り組んだといいます。 この事件をきっかけに、全国の自治体でも、生活保護行政のあり方について見直しが進められた側面もあります。 しかし、社会に根付いた貧困への偏見や自己責任論が、簡単に払拭されたわけではありません。今なお、生活保護の利用をためらい、誰にも相談できずに孤立している人々が大勢います。また、少なからぬ自治体で、要保護者への配慮の欠如を感じさせる対応を見聞きします。 この事件の教訓を風化させてはなりません。私たちは、一部の職員の逸脱行為として問題を矮小化するのではなく、その背景にある社会の歪みに目を向ける必要があります。 ケースワーカーが誇りと専門性を持って働ける環境を整備すること。生活保護制度への正しい理解を広め、偏見や誤解を解いていくこと。そして何よりも、誰もが困難を抱えた時に、尊厳を失うことなく「助けて」と言える社会、温かく手を差し伸べられる社会を築いていくこと。 「HOGO NAMENNA」のジャンパーは、私たち一人ひとりの心の中に潜む、社会的弱者への不寛容さを映し出す鏡だったのかもしれません。 その鏡に映った自らの姿と向き合い、より公正で包摂的な社会を目指す努力を続けることこそが、私たちが学ぶべき最も重要な教訓と言えるのかもしれません。 どのような状況に陥っても、個人の尊厳が守られ、ためらうことなく支援を求められる包摂的なセーフティーネットを、社会全体で再構築していく必要があります。 ■三木ひとみ 行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所) 官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。 著書に「わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)」(ペンコム)がある。
三木 ひとみ(行政書士)
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