古代兵器をめぐって勃発したあの戦いから、はや一週間が過ぎた夜。
「ふわぁ……」
先生は今日も今日とて、シャーレのオフィスでPCとの果てなき睨めっこを続けていた。
既に時刻は21時を回っている。
真面目な生徒は門限を守り、寮や家に帰宅を済ませている頃合いだ。そのおかげか、外の喧騒もいくぶんか落ち着いたように思える。
その静寂を紛らわすように、先生はおもむろにTVのリモコンを取った。
『……カイザーPMCの不正自治区占拠事件、および違法兵器所持発覚から一週間が経過しました。連邦捜査部S.C.H.A.L.Eの活躍によって幕を閉じたこの事件ですが、先日、主犯である「プリンス」なる人物がヴァルキューレ警察によって逮捕され……』
偶然にも、夜のニュース番組が当の事件についての報道を行っているところだった。
絶大な力を有する「遺物」たちが絡んだこの事件は、表向きはただの事件のように伝えられている。
PMCのような輩がまた現れないよう、「ザババの双杖」「アトラ・ハシースの箱舟」といった遺物に関する事柄には厳しい情報規制が行われたのだ。
『主犯である「プリンス」なる人物は事件への関与を認めつつも、これはカイザーグループの総意ではなく、あくまで個人的な目論見であると述べており……』
どうせ嫌ほど知っている事柄なので、先生はため息と共にテレビを消した。
それよりもアニメとかが見たい。が、残念なことにこんな半端な時間に放映しているアニメは存在しない。
ぐるりと視線をオフィスに向けてみるが、こんな時間まで話し相手の生徒が残っているはずもなく。
「先生。さっきまで賑やかだったぶん、今のオフィスは少し寂しく感じちゃいますね」
そんな先生の心情を理解したかのように、卓上に置いた「シッテムの箱」からアロナが声を上げた。
「そうだね、アロナがいてくれて助かっているよ」
「……私もいますよ、先生」
「ごめんごめん、プラナもだね」
ややむくれ顔のプラナに謝りながら、先生はついさっきまでのことを思い返す。
アロナの言葉通り、ここではつい先程までチハヤの送別会が開かれていたのだ。
今回の戦いで協力してくれた生徒や、チハヤが親交を深めた生徒たちを集めて、実に盛大に行われたのだが──それも終わり、いまやオフィスに残っているのは先生だけだ。
「チハヤがここにいたのは1カ月ちょっとだけど、ずいぶんと短く感じたよ。今日でチハヤがここを去るのは理解しているけど、まだ実感が湧かないな」
「そうですね。八重垣チハヤはここで自由に生活し、ここに馴染んでいましたから。そのせいで、「拘留」という本来の刑罰が達成されていないようにも思えましたが」
「ははは……いや、まあ、おっしゃる通り」
戦いの後、重傷を負ったチハヤは雪峰ミフユ、先生と一緒に病院へ逆戻りすることになったが、つい先日に退院している。
三人の中ではダントツでチハヤの傷が深かったのだが、それでも一週間たたずに退院を済ませるあたり、流石の回復力と言わざるをえまい。
「でも、私は先生のやり方が正しかったと思いますよ。ここに滞在する中で、チハヤさんは大きく変わったように思えます。もう、チハヤさんがいたずらに問題を起こしたりはしないと思います!」
「まあ、彼女を更生させるという根本の目的は……確かに、達成されたと考えるべきかもしれませんね」
アロナとプラナが話し込む中、先生はちらりとオフィスの時計を見た。
送別会も終わったので、あとはチハヤを駅まで送り届けるだけ。当のチハヤは、「準備をしてくる」と言って自室に向かったのだが、一向に戻ってない。
「……チハヤ、ずいぶん準備に時間がかかってるね。先に荷物はあらかた向こうに送ったから、大して用意するものもないと思ってたけど」
「うーん。先生と離れるのがさみしくて、部屋で泣いているんじゃないでしょうか。先生、今こそ出番ですよ!」
「そんなわけがないでしょう。……あ、先生。当の八重垣チハヤからモモトークを受信しました」
プラナがシッテムの箱を操作して、チハヤのモモトーク画面を表示させる。
そこには簡潔に一言、
『先生、ここでお待ちしています』
という文面とともに、彼女が今いるであろう場所の位置情報が添付されていた。
アロナがすぐさま位置情報をスキャンし、マルチ・ウインドウで近隣の立体マップデータを表示する。
「ふむふむ。どうやら、チハヤさんがいるのはシャーレ近くの公園みたいですね。歩いて三分で着く距離です」
「わざわざ呼び出したということは、なにか考えていることがあるのでしょう。……我々は席を外しておいた方がいいかもしれませんね。先生、どうかお気をつけて」
「ありがとう。それじゃ、行ってくる」
普段のチハヤなら、素直にオフィスへと戻ってきそうなものだが──きっと何か、考えていることがあるのだろう。
そんなチハヤがお呼びとあらば、向かう以外の選択肢はない。
二人のOSに礼を述べて、先生は席を立った。
◆
吹き抜けるそよ風が、私の頬を優しく撫でる。
春先の空気はいい具合に暖かくて、病み上がりの身体を労ってくれるかのようだ。
公園に植えられた桜はちょうど満開を迎え、周囲にはピンクの花弁が舞っていた。その大きな幹と豊かな葉を見上げながら、ゆったりと思考に耽る。
(前に入院したときは、まだ花が咲く前でしたね。これから新しい生活が始まるにあたって、ちょうどいいじゃありませんか)
百鬼夜行名物の天を衝くような一本桜には及ばずとも、D.U.に咲く桜も美しい。
昼間は花見にくる人間もちらほら見られたが、夜ともなると流石に人はいないようだ。だからこそ、こうして安心して先生を待つことができるのだが……、
「う〜……」
ただ「待つ」と行為は、こんなに神経を使うものだっただろうか?
普段ならお月見&お花見でもしながら気長に待つけれど、今回はなぜか緊張してソワソワしてしまう。
さっきのメッセージは余計なことを考えるあまり、ぶっきらぼうな文面になってしまった気がする。いやそもそも、夜の公園にこっそり呼び出すなんて行為、変に勘ぐられても仕方ないのではないか。
それこそ例えば、好きな人へのこくは……
「心頭滅却! 心頭滅却!!」
だめだ、こういう時は身体を動かすに限る。
久しぶりに彼岸白雪を抜き放ち、いつも通りに素振りを始める。
もう先生が来るまでは何も考えないでおこう。
そんなことを決心して刀を振るい、どれほど経った頃か──、
「……!」
公園の砂を踏む足音がして、私は振り返った。
優しい月明かりに照らされて、背の高い人影が立っている。
白のロングコートに、連邦生徒会の紋章が記された青のネクタイ。
一見すると怪しい雰囲気があるけれど、よく見ると誰よりも優しい瞳をしている人。
このキヴォトスにたった一人の、私の主。
「──────先生」
私は刀を鞘に収めて、先生に笑いかけた。
「ご足労をおかけしてすみません。最後に、素敵な景色の場所でお話をしたかったんです。もっともただの公園で、ロマンチックでもなんでもありませんが」
「いや、私もチハヤの好きな景色が見れて嬉しいよ」
はにかんで、先生は大きな桜の木を見上げる。
「ここら辺はあまり立ち寄らないから、この公園に桜の木が植えられてるとは知らなかった。私もまだまだ新参者だね」
そんなことを話しながら、ひとまず近くのベンチに腰掛ける。
普段は騒がしいD.U.だが、この公園は目立たない位置にあるお陰か、都市部とは思えない静寂さを保っている。聞こえてくるのは風に揺られる木々の葉擦れと、私の心臓の音くらいだ。
「で、話したいことっていうのは……?」
しばらくの沈黙を経てから、先生が問いかける。
むずかしい。伝えることなんて決まりきっているのに、いざ言葉にするとなると、喉につっかえてなかなか出てこない。
でも、言わないと。
こんな機会が、次はいつ訪れるのか分からないのだから。
「先生にはこの一ヶ月、大変お世話になりました。本当に、ありがとうございました」
一度深呼吸をして、私はゆっくりと切り出した。
この感謝の念を全て表現するにはとても足りない、月並みな言葉になってしまったけれど──最後にこうして、先生への感謝を伝えたかったのだ。
シャーレに滞在した時間の中で、数え切れないくらいの恩を頂いてしまったから。
「いいよ、改まってお礼なんて。生徒の世話を焼くのが私の仕事だからね」
「いいえ、これだけは出立前に言わせていただきたかったんです。先生にはそれはもう、本当に、筆舌に尽くし難いほどの恩義を感じているんですから!」
ここに来る前、私を捕まえたイチカという少女が言っていたことは正しかったな、なんてことを思う。
先生が正しい方向に導いてくれなければ、私は今ごろ夢を捨てて無気力に引きこもっているか、それよりもひどいことに──最悪、どこかで命を落としていたかもしれない。
私が熱を込めて力説すると、先生は困ったように頭を掻いた。
「……その傷、残りそう?」
先生は、私の右頬に貼られた湿布型の絆創膏を見て言った。
戦いの中で負った傷は深く、今も身体のあちこちにうっすらと傷跡が残っている。右頬に刻まれた傷もそのひとつだ。
どうやら先生は、私が戦いの中でたくさん傷ついたことを気にしているらしい。
とはいえ、大概の傷跡はほとんど消えているし、残ったものも時間の経過とともに目立たなくなるだろう。それに、そもそも──、
「んまあ、別に顔に傷がちょっと残るくらい構いませんよ。たいして可愛い顔立ちでもないですし」
「そんなことはない、チハヤは可愛いよ! チハヤはね、もっと自分自身にも目を向けたほうがいい!」
「あ、う、うぇ……そ、そうなんですか。ごめんなさい」
語気強めに否定されて、私は思わず赤面しながら謝った。
まさかそんなに否定されるとは予想外で、次に言おうとしていた言葉がなんだったか忘れてしまった。
とはいえ、ここで沈黙してしまうと変な雰囲気になりかねないし──私は咄嗟に、頭に浮かんだ人の話をすることにした。
「そ、そうだ。ミフユさんが、色々落ち着いたらシャーレを訪ねると言っていましたよ。ご迷惑をおかけしたので、改めて先生に謝りたいって言っていました」
ミフユは私より先に退院し、一足早く天姫ヶ峰に戻っている。
今は妹のコフユと一緒に、転校してくる私のための用意を整えてくれているようだ。
「わかった、いつでも歓迎すると伝えておいて」
「それと……あの「遺物」を預けておいて本当にいいのか、聞いておいてほしいと言われているんですが……」
ミフユが最後まで心配していたのは、彼女が持っている武器──「ザババの双杖」の片割れを、先生が受け取らなかったことについてだった。
戦いのあと。彼女は私と先生を傷つけたことを深く悔い、自分からかの遺物を手放し、信頼できる先生に預けようとした。
だが、先生は首を縦に振らなかったのだ。
「それを言うなら、私も同じです。この刀は……本当は、凄まじい力を秘めた兵器です。ならば信頼できる大人が保管しておくべきではないかと、今でも考えてしまいます」
二本が揃えばこの世界すら掌握してしまうような、恐るべき古代兵器。
そんなものを私たちのような子供が持っていて、本当にいいのだろうか。使い方を誤ってしまって、大きな災いを引き起こさないだろうか。
そんな心配をする私の頭を、先生はそっと撫でた。
「あれは天姫ヶ峰に代々伝わる宝物だと聞いたよ。ならシャーレじゃなく、天姫ヶ峰にあるべきだ。それに……なんでもかんでも大人が引き受けるというのも、君たちの大切な成長の機会を奪いかねない」
大きな掌の暖かさに思わず目を細めた私に、先生は続ける。
「そもそも、そういう心配をしている時点で……君たちは、十分にその兵器との付き合い方を理解している。私も安心して任せられるよ」
「そうですか……それなら私も、この刀を最後まで振るい続けようと思います」
こくりと頷いて、私は改めて刀を見やった。
彼岸白雪。白い彼岸花から名付けられたその刀は、今や私の唯一無二のパートナーだ。
この刀に報いるためにも、決して道を踏み外すことはしない、と改めて誓う。
「天姫ヶ峰に着いてから、ミフユと何をするかは決めてるの?」
「そうですね……とりあえず、百鬼夜行の支援を元に教育と生活に必要な設備をしっかり揃えて……生活基盤が落ち着いたら、次は新しく生徒が入ってくるように学校を盛り上げようかと。流石に高等部が二人では寂しいので」
私は膝の上で指を組み替えながら、入院生活の中でミフユと話し合ったことを喋った。
彼女の「学校を守る」という夢を叶えるためにも、するべき事は山積みだ。
百鬼夜行連合への参加が決まり、ひとまず道は開けたものの……未だ、天姫ヶ峰高等学校には課題が山ほど残っている。向こうに行ってからは、しばらく学校の復旧と生徒誘致にかかりきりになるだろう。
「険しい立地は如何ともしがたいですが、問題だった主道のガケ崩れは陰陽部に整備してもらえるみたいですし……近々、百鬼夜行のお祭りがあるんです。折角ですから、何か新入生が見込めるような出し物をしたいですね!」
なんでも、百鬼夜行にはニンジャについて研究している部活があるらしく、陰陽部が主催する興行に出演した経験もあるそうだ。
彼女らに話を持ちかけて、「サムライVSニンジャ 百鬼夜行大決戦」みたいな興行を行えば、天姫ヶ峰に興味を持ってくれる子供が出てくるかも……。
そんなことを考えながら先生を見ると、先生は優しい目つきで私のことを見つめていた。
「な、なんですか、その目は?」
「いや、本当にチハヤは楽しそうに夢を語る女の子だなって。そういうところは変わらないね。やっぱり、チハヤはそうしているのが似合うよ」
「──────っ」
……先生は、ずるい。
そんなことを不意に言われたら、意識してしまう。
自分が先生のことをどれだけ想っているのか。
自分が先生にどんな感情を向けているのか。
それを、改めて自覚してしまうではないか。
「………………………………………………」
これでも私はさっきから、なるべく余計なことを考えないようにしているのだ。
あまり先生のことを考えないことで、これから先生の元を離れるという耐え難い痛みを、なんとか和らげられないかと無意味に苦心しているのだ。
そうでもしないと、今すぐに泣き出してしまいそうだから。
……それなのに。
そんなことを言われたら、溢れ出した想いが喉を埋めて、何も言えなくなってしまう。
私は返答もできず、熱を帯びた顔を俯かせることしかできなかった。
「天姫ヶ峰の今後については、シャーレもできる限りのサポートをするから。チハヤも、困ったときはいつでも連絡してね」
そんな私の内心も知らずに、先生は脳天気に笑っている。
察しの悪さに少しくらいは文句を言いたかったが、それをぐっと堪えて──、
「それは……私も、同じです。どんなに離れても、先生は私のたった一人の主ですから」
いまは、胸の痛みに参っている場合じゃない。
私はぐっと赤いままの顔を上げて、気合を入れんと立ち上がった。
「先生がお困りのときは、遠慮なく私をお呼びください。先生の剣として、どんな困難からも先生を守って見せます!」
これだけは、ここを発つ前に言っておかねばならない。
先生に貰った多くの恩を、これから少しでも返していけるように。
くるんと踵を返して、桜の下を軽やかに歩く。
とんとん、とん──三歩ほど進んだところで振り返って、ベンチに腰掛ける先生を見つめた。
「私、もっともっと強くなります。そしていつか、私が心から胸を張れるようなサムライになって、私の夢を叶えてみせます」
だから、と口にして、震える手を握りしめる。
「その時は……私の……はく……を……聞……」
「うん?」
「い、いえ、なんでも。私がもっと立派になって、もっと勇気が出せるようなサムライになったら、またその時にご報告します」
口の中でゴニョゴニョと漏らした言葉を飲み込んで、私は誤魔化すように笑った。
どうやらまだ、私には勇気が足りないらしい。
こればっかりは、きっとどんな戦いや困難よりも、ずっと勇気を絞り出さねばならない事柄なのだろう。
でも、いつかはきっと──、
「なら、その時を楽しみにしてるね。……さあ、そろそろ百鬼夜行への最終列車が来る時間だ。こんな時間だし、チハヤを駅まで送っていくよ」
腰を上げた先生が、携帯端末で時間を確認する。
長々と話し込んでしまったせいで、どうやらあまり時間は残っていなさそうだ。
でも、別に急ごうとは思わない。
この僅かな時間を。
かけがえのない人と並んで歩く特別な時間を。
最後まで──欲張りに、楽しみたいから。
「いこうか、チハヤ」
「……はい、先生!」
月明かりの下、二人で道を歩いてゆく。
私の夢はいまだに朧げで、始点も終点もあやふやだ。
そんな夢を追い続けるのなら、きっとこれから先も、数多くの困難苦難が立ち塞がることになるだろう。
それでも、私は進み続ける。
ここで得たものを糧にして、この硝煙漂うキヴォトスで、最後まで自分を貫いてみせる。
──さあ。私の青春は、まだ始まったばかりだ。
【キヴォトス剣豪流離譚 第一章 完】