小田原市「生活保護なめんな」ジャンパー事件から8年…公務員らを追い詰めた“過酷な労働環境” 根本にある“圧力”の正体とは
配信
批判の嵐と一部の擁護
事件が全国に知れ渡ると、小田原市には批判の電話やメールが殺到しました。その多くは、職員の行為を「人権侵害」「公務員としてあるまじき行為」と断じるものでした。 当初の対応の遅れが批判を助長しましたが、加藤憲一市長(当時)は最終的に記者会見を開き、「生活保護行政に対する信頼を著しく損なうもので、誠に申し訳なく、心からおわびを申し上げます」と謝罪しました。 市は直ちにジャンパーの使用を禁止し、すべて回収。そして、ジャンパーの作成・着用に関わった職員らに対する聞き取り調査を開始。 最終的に、市は管理監督責任を含め、生活福祉課の課長や職員ら15人に対し、地方公務員法の信用失墜行為などを理由に、訓告や厳重注意などの処分を下しました。しかし、懲戒処分には至らなかったため、「処分が甘すぎる」との批判も根強く残りました。 この事件に対する社会の反応は、一枚岩ではありませんでした。生活保護受給者を支援するNPO法人や弁護士、研究者などからは、厳しい批判の声が上がりました。 「これは、支援ではなく脅迫だ」 「職員の行為は、萎縮効果によって本来保護を受けるべき人を申請から遠ざけてしまう」「制度の根幹を揺るがす重大な問題だ」 また、多くのメディアも論説などで、公務員の倫理観の欠如と、貧困に対する社会の冷たい視線を問題視しました。 しかし、その一方で、インターネット上などを中心に、職員たちに同情的な意見や、その行為を擁護する声も少なからず見受けられました。 「不正受給があるのは事実。よく言った」 「現場は大変なんだろう」 「税金で暮らしているくせに、という気持ちは分かる」 これらの意見は、後述する生活保護バッシングの風潮を色濃く反映したものであり、事件が単なる職員個人の問題ではなく、社会全体の意識の問題であることを示唆していました。 社会の反応の二極化は、生活保護制度に対する国民の複雑な感情、すなわち「不正は許せない」という正義感と、「困窮者は救われるべきだ」という惻隠(そくいん)の情が、いかにねじれた形で共存しているかを露呈しました。
- 86
- 77
- 50
関連記事
- “年金”で生活できず「生活保護」に頼った高齢者たちの“後悔”…日本の“老後生活”は「情報戦サバイバル」に?
- 「おにぎり食べたい」書き残し餓死…行政が“生活保護バッシング”に加担し惨劇相次いだ「ヤミの北九州方式」問題から学ぶべき教訓
- 3人の子を抱え飢えた「シングルマザー」が“生活保護”を申請せず「餓死」を選んだ理由…「報道」が伝えなかった“国ぐるみ”の「適正化政策」の“弊害”とは?
- 「北新地ビル放火殺人事件」容疑者はなぜ“生活保護”受けられなかったのか? “最後の砦”を阻んだ行政の「形式的」判断
- “生活保護行政”に守られるはずが「追い詰められる」若者…法令の根拠なき「謎ルール」がまかり通ってきた“背景”とは