……今よりもずっと昔のこと。
……
「はぁ……」
よく晴れた日の昼下がり。
外の陽気にも関わらず、私は事務室での書類作業に追われていた。
半日かけて、ようやく六割が片付いたといったところか。一人で学校運営の全部を担っているので当然だが、このタスク量には思わずため息が漏れてしまう。
明日にはまた学校を離れる予定なので、今日は徹夜作業になるかもしれない。
「んん……ちょっと、休憩……」
凝り固まった体を伸ばして、私は事務室の窓から学校を見下ろした。
────天姫ヶ峰高等学校。
それが私、
昔はそこそこの生徒数を抱えていたそうだが、急激な気候変動による周囲の雪原化が始まったあたりから、生徒数は次第に減り始めた。
都市部に繋がる道路がガケ崩れで塞がってしまったことも重なって、今や生徒はほとんど残っていない。
「──────お姉ちゃん、いる?」
そんなことを考えていると、事務室の引き扉が音を立てて開いた。
私と同じ白髪に青の瞳の、よく見慣れた顔。
「コフユ、だから事務室に入るときはノックを……まあいいわ。どうしたの、何かあった?」
「寮のストーブが故障しちゃったみたい。うんともすんとも動かないから、ちょっと見てほしくて」
「わかった、ちょっと見てみるわ。新しいのを買う余裕はないし、修理できればいいんだけど……」
事務室の棚から工具箱を取り出して、コフユと一緒に外に出る。
この学校では、何かが壊れたり止まったりは日常茶飯事だ。設備の老朽化がひどく、修理修繕で一日が終わることだってある。そのせいか、すっかり工事仕事が得意になってしまった。
「でも、今日でよかったわ。明日から長期のバイトで、一週間は学校を空けるところだったもの」
「また長期のバイト? お姉ちゃん、また危険なバイトじゃないよね……」
「大丈夫よ、ただの警備員みたいなものだし。それに、
正直に言うと、「ただの警備員」なんて話はうそだ。
次のバイトはブラックマーケットでの傭兵仕事。金払いはいいが、その分リスクは高い。
だが、多少の危険なら難なく跳ね除けるだけの自信はあるし──今は深刻な資金不足で、手段を選んでいる余裕はない。
それも全て、この学校を守るという夢のため……
「──────────────」
思わず、私は無言で学校を見上げた。
白銀の園に聳え立つ大きな校舎は、陽光を浴びて輝いている。薄く積もった新雪が、陽の光を反射しているのだ。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないわ。ただ、相変わらず綺麗な校舎だなって思っただけ」
隣を歩く妹に訊かれて、私は素直に答えた。
この校舎を見るたび、夢を追いかける原動力のようなものが湧く気がして、私はよくこの校舎を見つめている。
「お姉ちゃん……ほんと、この学校のことが大好きなんだね。同じこと、もう100回は聞いてるよ」
「べ、別に綺麗なものを綺麗と言ってもいいでしょう。減るものでもないんだし」
妹にいじられて、私は赤面した顔を隠そうとそっぽを向いた。
「……でも、ここにはもう小さい子しか残ってないよ。お姉ちゃんは、他の人たちみたいに転校するつもりはないの?」
しばらく無言を挟んだあと、コフユがぽつりと呟いた。
普段のコフユは言わないような内容に、思わず視線を戻す。彼女はじっと雪混じりの土を見やったまま、私の方を向いてくれなかった。
歩みを止めて、小さな頭にぽんと手を置く。
「変な心配は無用よ。私は一度も、ここを離れたいだなんて思ったことはないわ。私の夢は、この学校を守ることなんだから」
「学校を守るのが、夢?」
「ええ。確かに今は生徒が減って、寂しい感じが否めないけど……夢を信じて努力すれば、かつての天姫ヶ峰を取り戻すことだって出来るはずよ。だって、信じれば夢は叶うって言うでしょう?」
そのまま小さな頭を撫でると、コフユは安心したような笑みを浮かべた。
きっと、コフユは心配なのだと思う。
それも当然だろう。つい先日、高等部の生徒がまた一人転校したことで、今やコフユは初等部ながらこの学校で二番目の年長になってしまった。このまま私までいなくなってしまうのではないか、と考えるのは自然なことだ。
そんな心配を吹き飛ばせるよう、私はコフユに笑いかけた。
「だからね、コフユ。私は何があったってここを離れるつもりはないし……あなたたちの居場所を、このまま消えさせたりなんてしない」
そうは言っても、現実は過酷だ。
学校運営にはお金がかかる。私達のような貧乏学校では、教材を揃えるのが精一杯で、他のところを切り詰めるしかなかい。
その結果、使用頻度の低い設備は放置され、節電や節水を小さな子供達に強いざるを得ない時だってある。
でも──、
「うん……ありがとう、お姉ちゃん!」
妹の屈託のない笑顔を見ていると、頑張ろうと思える。
その結果どれだけ私が傷つこうと、苦しもうと、最後までこの夢を追い続けたいと思えるのだ。
◆
それから数日後。
ふと、鈍い痛みに目を覚ました。
「────────────…………ぅ」
どうやら私は仰向けに倒れているらしい。
崩れ落ちた廃墟の天井から、薄青色の月光が降り注いでいる。
「……っ……ぐ……なに、が……?」
痛みのせいで脳が冴えてきたのか、私はどうしてこんな状況に陥っているのかを思い出した。
ブラックマーケットでの傭兵バイトに参加していた私は、いきなり強力な兵士たちに襲われて……、
「いや、なかなか手こずらせてくれましたね。ザババの双杖、聞きしに勝る戦闘能力でした」
この大人に、敗北したのだ。
「あな、た……」
カイザーPMCの兵士をごまんと引き連れて、奴は私の前に姿を現した。
私は必死に抵抗したが、あり得ない規模の兵力と最新の兵器を前にしては勝ち目がなく、撤退する雇い主にも置いていかれ……結果、今に至る。
「……なにが狙いなの。こんな場末の小さな抗争に加わる規模の兵力じゃない……あなたたちは、いったい……」
「流石、状況を見る目もあるようだ。ご推察の通り、あなたを雇っている組織なぞどうでもいい。我々の目的は
私のことを知っている?
怪訝な目で睨む私をよそに、その大人は続けた。
「失礼、申し遅れました。私の名は「プリンス」。カイザーPMCに所属する一社員です。以後、お見知り置きを」
「理解できない……カイザーが、どうして私を?」
私の問いかけに、プリンスと名乗った人物は視線を落とした。
その視線の先にあったのは、長い棒状の刃物。私が先程まで振るっていた武器──天姫ヶ峰高等学校に何百年も前から伝わる、謎に包まれた「剣」である。
「天姫ヶ峰に伝わる
「ええ。それは遥かなる太古から現存する、恐るべき力を秘めた古代兵器。我々としては、喉から手が出るほど欲しい逸品なんですよ」
この剣が古代兵器──そんな眉唾な話は聞いたことすらないが、カイザーPMCといえば有名な民間軍事会社だ。
常に軍事力の拡大を追い求める彼らがそう判断したのであれば、その言葉には一定の信憑性がある。
私は思わず、大切な剣を胸元に引き寄せてプリンスを睨んだ。
「そう警戒しないでください。その兵器だけでなく、あなた自身の強さも我々は評価しています。その遺物を自在に操るには、相応の鍛え上げられた強さが必須……そこで、あなたを我が社で雇いたい」
それは、思ってもみなかった提案だった。
「私を……雇う、ですって? 本気?」
「ええ。あなたにとっても、そちらの方がいいでしょう。バイトなど比較にもならない量の報酬を差し上げますし……我々の「探し物」を手に入れていただければ、さらに莫大な報酬を差し上げます。あなたの絶大な力を、我々のために使ってはくれませんか」
私は言葉を飲み込んで、その提案について考えた。
カイザーといえば、今もキヴォトス中に進出を続けている多角化企業だ。その事業規模は、もはやこのキヴォトスで随一と言ってもいいかもしれない。
そんな企業から直接スカウトを受けるなんて、千載一遇の好機と言うほかない。だが……、
「断る。あなたの提案に乗ることは、できないわ」
私はプリンスの瞳を見据えて、はっきりと否定した。
「……何故ですか? あなたは学校運営のため、少しでも多くの資金を欲している状況のはず。ならば、この話に乗らない手はない筈ですが」
「よく私のことを調べているのね。でも……この剣は、何百年も前から天姫ヶ峰の生徒会長にだけ継承されてきた歴史ある武器よ」
その力のほどは、周囲で気絶して倒れている兵士たちや、切断されて鉄屑と化した戦車やドローンを見れば一目瞭然だ。
だが、だからこそ──その扱いには慎重にならなくてはならない。
「これと同じく、天姫ヶ峰の生徒会長には一つの
言い伝えによると、この秘剣を発掘したのは今よりもずっと昔の生徒会長らしい。
彼女は生徒会長を退いたとき、二つの言葉を後世に残した。
『この剣は、天姫ヶ峰の生徒会長にのみ継承すること』
『ただし、決して学校を守る目的以外には使わないこと』
彼女はきっと聡明で、故に理解していたのだろう。無秩序で強大な力は、それだけで争いを生みかねないと。
だからこそ、彼女はこの剣を手にする生徒会長にだけ、その使い途を言葉として残したのだ。
「先達が何百年にも渡って守り続けてきた誓いを、私が台無しにすることはできない」
もはや天姫ヶ峰の生徒会は存在せず、生徒会長という役職すら消え失せたが、私はこの剣を継承した生徒だ。
カイザーの尖兵に身を落とし、連中の私利私欲のためにこの剣を振るうだなんてことは許されない。
「だから諦めて。あなた達の目的のために、この力を使わせることはないわ」
傷ついた体に鞭打って、私は剣を杖代わりに立ち上がった。
会話の猶予を与えてくれたおかげで、多少は傷の痛みがマシになった。今なら敵を倒せずとも、逃げおおせることは出来るかもしれない。
そんなことを企む私に、プリンスは端的に告げた。
「成る程、素晴らしい信念だと思いますが……本当に、あなたの学校は
その言葉に、私は思わず動きを止めた。
「────────なん、ですって?」
全身の血流が沸騰するかと思うほどの怒りが、私の神経をわななかせた。
向けていた視線に、殺意というべき憤怒が入り混じるのがわかる。
私のそんな瞳に射抜かれながら、プリンスは欠片も動じずに言葉を続ける。まるでオペラを唄いあげるかのように、芝居がかったジェスチャーを加えて。
「あなたの天姫ヶ峰高等学校は今や限界。高等部の生徒はあなた一人、その厳しい立地や設備の古さから、新たな転入生も望めない。まさに廃校寸前の状況です」
「それは……そう、だけれど……!」
「我々の試算によれば、天姫ヶ峰高等学校はあと一年半ほどで破産を迎え、学校としての機能を喪失する。それくらい、賢いあなたなら理解していたのでは?」
なんて調査力だろう。私の学校の現状どころか、未来まで言い当てるだなんて。
悔しいけれど、奴の言葉は的を得ている。
今の天姫ヶ峰には人もお金も足りていない。私一人での自転車操業は、遠くない未来に限界を迎えるのは見えていた。でも……、
「それは私の頑張りが足りないからで……もっと、もっと私が努力すれば、きっと道は開けるはずよ! アルバイトだってまだ増やせるし、まだ新入生が入る可能性だって……!」
「見るに耐えませんね、雪峰ミフユ。あなたが夢を追って努力するのは結構ですが……その結果として生じる不都合から、あなたは目を逸らしていませんか?」
「…………………え?」
その言葉に、なぜか冷たい汗が噴き出した。
この大人は何を言っているんだ。私が学校を守るという夢を追い求めて、それでどんな「不都合」が生じるというのか。
守るべき学校のことを考える。
確かに生活は苦しいし、さむいし、ひもじいし……でも、それでも、私の夢は間違ってなんて────、
「節約を強いられる日々。不足がつきまとう備品や教材。老朽化が進む校舎。吹雪が吹き荒れる劣悪な立地。……そんな地獄に、あなたは無自覚のうちに幼い生徒たちを縛り付けているのでは?」
その瞬間、私の頭は真っ白になった。
そんなことは考えたこともなかった。学校を守ることは、きっと正しいことだと思っていたから。
だから、自分がどれだけ苦しんでもいいと思っていた。
でも、私が夢を追う中で、守るべき彼女達にも多くの苦労をかけていることは本当で……、
────それは、本当に正しいことなのか?
言い切れない。
未来ある彼女たちを、天姫ヶ峰という廃校寸前の学校に在籍させることが本当に正しいのか、すぐに断言できない。
「そ──────そん、な…………」
「大切なものを守ると意気込んだ結果、あなたは大切なものを傷つけているのでは?」
何もかもがわからなくなって、私は怖れるように足を後退させた。
────じゃあ、私がやってきたことは。
────自分の「夢」だと思っていたのは、ただの醜いエゴでしかなかったの?
考えたくない。考えたくない。考えたくない。
考えたくないのに、思考はもう止まらない。
矛盾する。自分の原動力になっていたモノが、今は自分の心を引き裂いて爪を立てる。
「ち……違う、私はそんなつもりじゃ……! 私はただ、守りたくてっ……わ、私しか、いないから……それで……! じゃ、じゃあ……私の夢は、いったい……」
「あなたは選択を誤った。本当に生徒達のことを思うのならば、天姫ヶ峰にこだわる理由などひとつもない。あなたが夢だと思っているのは、自分勝手な嗜好の押し付けでしかないんですよ」
その言葉は、あらゆる銃弾よりも鋭く私を抉った。
気が付いた時には、私は武器すらも取り落として、力なく膝をついていた。
「うそ……そんなの、うそよ……」
そんなの、耐えられない。
夢を叶える、みんなを守るなんて言っておきながら──大切なものを傷つけていたという現実に耐えれるほど、私は強くなかった。
「でも……大丈夫ですよ、雪峰ミフユ。まだ、道は残されています」
絶望の淵へと救いの糸を垂らすように、その大人は私に語りかけた。
「取引をしましょう。我々に協力する間、学校の運営費用はこちらが負担いたします。生徒たちには何一つ不自由を強いさせないと約束しましょう」
「と……り、ひき……?」
「我々のもとで働けば、必ず生徒全員を転校させるだけの資金は集められます。あなたがこれ以上、いたずらに幼子たちを傷つけることもない。さあ……新たな夢に向かって、我々と共に歩もうじゃありませんか」
私は、虚ろな瞳のままでこくりと頷いた。
私が夢を追いかけるつもりで、大切なものを傷つけていた愚か者で……だからもう、自分で手段を選ぶなんてことはできない。
私はただ、私を導いてくれる大人の言うことを聞けばいい。
それならきっと、「最悪」だけは免れることができるはずだから。
「よろしい。これで契約成立、これからよろしくお願いしますね?」
うなだれる私の手を取りながら────プリンスは、心底から面白そうに笑顔を浮かべた。
◆
どこまでも澄み渡る青空の下。
動きを止めた箱舟の上で、私は仰向けに倒れていた。
「う゛……………………く……」
痛い。全身がものすごく痛い。
放り出した手足はぴくりとも動かず、心肺は限界を超えた反動に悲鳴をあげている。
切り傷、擦り傷、打撲、骨折……怪我をしている部位が多すぎて、どこがどれだけ傷ついているのか考えたくもない。
「チハヤ!」
遠くから名前を呼ばれて、私はのろのろと首を捻った。
こちらに駆け寄ってくる大きな人影を見た途端──安堵のあまり、そのまま意識が落ちそうになった。
「せ……ん……せ、い……」
前にもこんなことがあったなと思いながら、先生の名前を口にする。
あの時と違うことがあるとすれば、倒れているのが私一人ではなく、二人だということだろう。
先程まで戦っていた相手──ミフユは完全に意識を失って、私のすぐそばに倒れ伏していた。
この勝負は、私の勝利に終わったのだ。
「……チハヤ、よく頑張ったね」
抱かれるように身体を起こされ、先生の大きな肩に頭を預ける。
いつの間に用意していたのか、先生は既に救急用具を取り出していた。傷口が止血されるさまを眺めつつ、朦朧とした意識のまま問いかける。
「せん、せい……わたし、は……立派なサムライに……なれたで、しょうか……?」
「勿論……チハヤが勇敢に戦ったところは、ずっと見ていたよ。君は間違いなく、誇り高いサムライだった」
我ながら単純なものだ。先生のその言葉だけで、私の全てが世界に認められたような気がして、なけなしの元気が湧いてきた。
朦朧とした意識に喝を入れる。
まだ私は、伝えるべきことをミフユに伝えていない。なら、先生に甘えている場合ではないはずだ。
「チハヤ、傷は君の方が深い。まだ動かない方が……」
「いえ……私はもう大丈夫、です。そこで倒れているミフユさんにも、応急処置を……」
その言葉を言い終わるよりも早く、私は驚愕に目を見開いた。
立っていた。
確実にヘイローが消えたはずのミフユが、遺物を手にしてそこに立っていた。
「な………………っ!?」
あり得ない、と反射的に思った。
箱舟すら叩き斬った渾身の一撃を、急所たる鳩尾に直撃させたのだ。いくら傷は私の方が深いといっても、数時間は意識が戻らないはず。
だが──彼女は立ち上がって、フラフラと私に近づいてくるではないか。
「れ……ない……負けられない……わたし、は……!!」
否、ミフユはまだ確固たる意識を取り戻したわけではない。
あの身体を動かしているのは、尋常ならざる執念だ。絶対に負けられない、私を倒すという強固な決意が、意識すら覚束ないミフユの身体を突き動かしているのだ。
「負けない……私は、負けない……それが、わたしにできる……ただひとつの……贖い……だから……!!」
うわごとのように言葉を呟きながら、ミフユが遺物を大きく振り上げた。
彼女がもはや光刃すら放てぬ満身創痍だろうと、今の私に防ぐ術などない。
私は思わず目を瞑り────次の瞬間、生暖かい血雫が頬を打った。
「……………………………………っ?」
予期した衝撃が訪れず、私は恐る恐る瞳を開けた。
視界を、砂塵に汚れた真っ白なシャツが覆っている。私が呆然としている合間に、それはじわじわと赤く染まっていった。
「な、なるほど……これは、痛いね」
「せ……先生っ……!?」
先生が私を庇って凶刃を受けたということに、私はようやく気がついた。
ミフユに背を向けた先生の肩に、深く遺物の刃が食い込んでいる。溢れた鮮血がシャツを赤々と染めていく様子を見て、私は震える声で先生を呼んだ。
「大丈夫、心配無用……これくらい、チハヤの傷に比べれば……軽いものだよ」
そこで、ミフユは朦朧としていた意識を覚醒させたらしい。
眼前の光景──私を庇って刃を受け止める先生の姿を認識して、彼女は混乱に陥ったようだった。
「なっ……なんでっ……八重垣チハヤじゃなく、あ……あなたが……どうして!?」
私ではない人間が血を流している現状に動揺するミフユ。
だが、先生に庇われた満身創痍の私を見て、彼女は目的を思い出したようだった。
どんな犠牲を払っても、私を倒して遺物を奪う──ミフユの瞳に、絶対零度の冷たさが戻る。
「シャーレの先生……そこを、どきなさい……! 私は目的を果たす! だから、げほっ……無関係の部外者が、邪魔をしないで……!!」
「いいや……もう決着はついた。これ以上、生徒同士で無為に傷つけあうのは看過できない」
先生は刃が食い込むのにも構わず、ミフユの遺物を片手で握りしめた。彼女がもう、この兵器を振るわずに済むように。
先生の言葉通り、一刻も早くミフユを止めなくては。
そう考えたとき、私は無意識にその名前を呼んでいた。
「──────ミフユさんっ!!」
私の叫びに、まだ混乱した面持ちのミフユは動きを止めた。
「先生の言う通りです。こんなことは、もうやめましょう。……カイザーの言うことを聞いていては、守れるものも守れません。あなたの帰りを待っているコフユは、もう無茶はやめてほしいと言っていました」
足を引きずってでも、ミフユに向かって歩く。
さっきまで握りしめていた白雪は、敢えて先生の足元に置いたままにした。
そんな私を睨みつけて、ミフユは叫ぶように言った。
「前にも言ったでしょう……あなたに何がわかる!? 私のことも、天姫ヶ峰のことも、何も知らないくせに! いまさら私に、手段を選ぶ余地なんて……!!」
「私は知っています! あなたの学校の現状も、あなたが学校を守ろうと奔走していたことも! そして……学校を守ることを諦めて、生徒達を他学区に転校させるための資金を集めていることも!」
端的に告げた言葉に面食らったのか、ミフユは思わず言葉を飲みこんだ。
「な……どうしてあなたが、それを……」
「コフユさんに学校を案内してもらい、色々と調べさせていただきました。かつて、あなたが私を調べたように」
私の言葉があまりに衝撃だったのか、ミフユは力が抜けたように遺物から手を離した。
赤く染まった兵器が、乾いた音を立てて地面に転がる。
「事務室に残されていた痕跡から……私はあなたが天姫ヶ峰高等学校の存続を諦め、幼い生徒たちを他学区に移そうとしていると考えました。カイザーの兵士になったのも、その資金を集めるため……違いますか?」
「そう、その通りよ。天姫ヶ峰はもう限界で、あの子達を助けるには別の学校に転校させるしかない。それをあなた一人が理解したところで、何も変わらないでしょう……!?」
「いいえ、変えられるんです────その証明をするために、私は今日ここに来たんですから!」
私の言葉にあわせて、先生が手にしたスーツケースを開いた。
怪我をしているというのに、どうやら自分の手当ては後回しにするつもりらしい。慌てる私を片手で制止しつつ、先生は一枚の紙を取り出した。
それを見て、ミフユは怪訝な表情を浮かべる。
「あなたたち……一体、なにを……?」
「ミフユちゃん。これはね、チハヤの転入届だ。チハヤは本人の意思で、今日をもって百鬼夜行連合学院を抜け────天姫ヶ峰高等学校へと
先生の突然な言葉に、ミフユは瞳を見開いた。
「なっ……!? なんで……あなた、本気……!?」
ミフユの驚きも当然のことだろう。
いきなり、百鬼夜行から天姫ヶ峰高等学校へ……すなわちミフユの学校に私が転校するなどと聞かされては、耳を疑うのも無理もない。
「百鬼夜行側の生徒会……陰陽部の署名は既にもらってあるから、あとは転入する側の認可だね。天姫ヶ峰の学校運営を担う君の署名さえあれば、チハヤの転入は成立することになる」
「そ、それは理解している、けどっ……! まだその理由を聞いてない! どうして、あなたが私の学校に転校するだなんて話になるの!?」
「そんなの、ミフユさんの学校を守るために決まってるじゃないですか」
私は先生のスーツケースから、分厚い紙の束を取り出した。
百鬼夜行連合学院の連合規定を記した書類だ。百ページをゆうに越えるそれの中から、あらかじめ付箋を貼っておいた箇所を開く。
「百鬼夜行連合への参加には、確固たる「学校運営基盤」が必要です。学校運営基盤とは、一般に「生徒会」と呼ばれる組織のこと。生徒会がないからこそ、天姫ヶ峰は連合への参加を認められなかったんです」
生徒会がない学校なんて、その学校は治安も自治もないと判断されて然るべきだろう。天姫ヶ峰宛てに百鬼夜行から送られた通達状にも、学校運営基盤の脆弱さが指摘されていた。
逆に言えば、そこさえどうにかすれば百鬼夜行の連合に参加し、さまざまな支援を受けられる。
私はミフユの瞳に視線を向けて、はっきりと言った。
「それなら、
「な…………!?」
私の言葉に、ミフユはさっきよりも更に困惑したようだった。
ミフユの立場で考えてみれば、私の言葉はあまりに馬鹿げている。さっきまで戦っていた相手が、今日から自分の学校に転校し、生徒会を作りたいなどと言い出せば、頭がフリーズするのも無理はなかろう。
ミフユはなんとか停止寸前の頭を動かして、私に向かって問いかけた。
「で、でも……無茶よ……二人きりの生徒会なんて、そんな……そんなの、認められるはずが……」
「いいえ、認められるんです。このキヴォトス全土に効力を持つ連邦生徒会憲章によれば……各学校の生徒会は「会長」「副会長」に類する二名が存在すれば確立して良いという決まりになっています。当然、執務能力が認められる程度の年齢は必要になりますが」
「殆どあり得ないような規定だけど、きちんと前例もあるんだ。まさにここ……アビドス高等学校なんかも、昔はごく少人数での生徒会運営を行っていた実績がある」
この解決策を導き出すには、連邦生徒会の規則に詳しい先生の力が不可欠だっただろう。
私が天姫ヶ峰から帰還したあの日、先生は解決法を探す私に徹夜で付き合ってくれたうえ、私の転校手続きを今日に間に合わせてくれた。
本当に、なんとお礼を言っていいものか……。
「加えて、私の方から陰陽部にかけ合っておいた。生徒会が発足すれば天姫ヶ峰の連合加盟を断る理由はありません、という言質も貰ってある。あとは君が決めるだけだよ、ミフユちゃん」
先生の言葉に、しかしミフユは信じられないと首を振った。
その瞳には、深い絶望と懐疑の色が陰を落としている。
「うそよ……嘘に決まってる! あなただって、どうせ無責任なことばかり言って……結局、すぐに学校を捨てるんでしょう!?」
「ミフユ、さん……」
「現実はいつだってそう! つまらない田舎の学校のことなんて、誰も助けてくれなかった! 私がどんなに助けを求めても、みんな最後は学校を見捨てて去っていったじゃない!!」
ミフユは取り落とした遺物を拾い直し、私と先生に突きつけた。
低い駆動音が空気を揺らす。それはまるで、ミフユの心の慟哭を示しているかのようだった。
「だから……私は、私は……そんな子供じみた妄言には……もう……!!」
私は無言で、一歩を踏み出した。
すぐにでも斬られるという危険性を承知の上で、ミフユに近づく。
一歩ずつ、ゆっくりと、彼女の懐に踏み入って、
「────────────っ」
コフユにしてあげたように、その華奢な身体を抱きしめた。
冷たい雪の結晶のような、美しくも儚いその容姿に反して、ミフユの身体は仄かに暖かかった。すぐに跳ね除けられるかと思ったけれど、彼女は案外おとなしかった。
沈黙が落ちる。
その静寂は、果たしてどれほどの長さだったのか。長い沈黙の後、腕の中でミフユが呟いた。
「……どう……して?」
ミフユの身体が、小刻みに震える。
冷たい氷がじわりと溶け出すように、その目尻に薄く涙が滲み始める。
「どうして、あなたはそこまでするの……? 私は、あなたの友達でもなんでもない……ただ、あなたを傷つけただけの、敵でしかないのに……!」
私は彼女の顔を至近距離で見つめながら、その問いかけに返答した。
「あなたは、私に似ていると思ったんです」
「私が……あなた、に……?」
「はい。ミフユさんは大切な夢のために頑張って、頑張って、頑張り続けた果てに……自分ではない誰かに唆されて、その心を折ってしまった。夢を捨てるという理不尽を、現実はこういうものだと飲み込もうとした」
私は、ミフユにあの廃工場で言われたことを思い出した。
こうして剣と言葉を交わした今なら、彼女の真意が理解できる。
あれは、彼女自身が経験したからこその言葉だ。
誤った夢に向かって走り続けることの痛みを知っていなければ、紡ぐことすらできない言葉なのだ。
「あなたは……病室の窓に映っていた私と、同じ目をしています。だから、あなたにも伝えたかった。私が諦めないように、ミフユさんが夢を諦めるのも、まだ早いんじゃないかって……」
でも、私はまだ信じていたい。
だって、私たちの青春はまだ終わっていない。
それならきっと、夢に向かって走り続ける権利は、まだ有している筈だから。
「あなたは……諦めないと、何度も言っていたけれど」
ミフユは涙に潤む瞳のまま、私を見つめた。
「それは、自分の夢だけじゃなく……私の夢も、諦めたくなかったから……なの?」
こくりと頷くと、ミフユは張り詰めていた糸が切れたように、私に体重を預けて頭を埋めた。
向こうから距離を縮められて、思わず私はわたわたと両手を彷徨わせる。
そんな様子の私をよそに、ミフユは私の胸に顔を埋めたまま、
「……ありがとう、チハヤ……………」
震える声で、そう言ったのだった。
「おっと。勝手に話をまとめてもらっては困るね」
次の瞬間。
側頭部を貫いた衝撃が、私の身体を容赦なく地面に叩きつけた。
遠方からの狙撃銃による一撃。視界がグラグラして、振り絞っていた最後の力がフッと抜けていく。
気が付いた時には、私は硬い地面に薙ぎ倒されていた。
「「チハヤ!!」」
二人が私を呼ぶ声が随分と遠く聞こえた。
だめだ。立ち上がるどころか、言葉を発することすらできない。意識を繋ぎ止めるのが精一杯だ。
揺れる視界と薄れる意識の中で、不快な声を私は聞いた。
「これで全て計算通り。遺物の所持者を互いに潰し合わせ、双方が疲労したところで両取りを測る。これ以上ないスマートな段取りだ」
その大人は、悠然と私達の前に姿を現した。
背後に多くの兵士を引き連れて、その力を示すかのように。
「プリンス、おまえ……!」
「口の利き方に気をつけたまえ、雪峰ミフユ」
さっ、とプリンスが片手を上げた瞬間、数十人の兵士が一斉に引き金を引いた。
幾重にもマズルフラッシュが輝き、ありったけの鉛玉がミフユに襲いかかる。
この程度の攻撃、普段のミフユであれば遺物の一薙ぎで消し去っていただろうが──、
「──────ぁ、が……!!」
今の彼女は、もう立っているのが精一杯だ。
あっという間に蜂の巣にされた彼女は、私と同じように地面を転がって沈黙した。
「み……ミフユ、さ……ん……!!」
ミフユに向かって手を伸ばすが、まともに体が動かない。
それはミフユも同様で、もはや立ち上がる力もなく、私と同じように倒れ伏すのみだ。
「……先生、君は本当に愚かしいな。そこの子供の我儘を聞き入れ、馬鹿げた一騎打ちをさせてやる必要などなかった。手段を選ばすにシャーレの権力を用いれば、雪峰ミフユだろうと制圧できだたろうに」
倒れた私達をゴミのように見下しながら、プリンスと呼ばれる大人は先生に語りかけた。
「その結果がこれだ。我々は労することなく、こうして二振りの遺物を手に入れる」
奴の言う通り、状況は最悪だった。
ミフユは完全に戦闘不能で、私も立ち上がることすらできない。あとに残されたのは、銃器の一つすら持たない先生だけ。
歯軋りする私に、その大人は視線を向けた。ジロジロと私の身体を見つめたあと、その大人は口端をにやりと歪ませて、
「しかし……聞いていれば、随分と面白い話を聞かせてくれるじゃないか。夢はきっと叶う? 諦めればそこで終わりィ? はははははははははははははは!! あまり笑わせないでくれよ、社会の何たるかも知らないガキどもが!!」
嘲笑と共に、私の言葉を否定した。
「子供が抱く幼稚な夢なぞ、所詮は夢でしかない! 現実は
「う゛……ぐうううぅっ……!!!」
視界に火花が散るような怒りのまま、私は歯を食いしばった。
あいつを斬り倒してやりたいのに、どう頑張っても手足が動いてくれない。サムライとしてあまりに不甲斐なく、私の瞳に涙が滲む。
許せない。私は絶対に、この汚い大人たちを許すわけにはいかない。
そんな激情に駆られた私の前で、先生がゆらりと立ち上がった。
「───────もう、お前は喋らなくていい」
それは、聞いたことのないような声だった。
私たちのような生徒には決して放たない、心の底からの怒りに満ちた激昂の言葉。
それは私の怒りすら凌駕するほどの、殺意じみた刺々しさを孕んで空気を震わせた。
「二人とも疲れただろうから、そこでゆっくり休んでいて。ここからは描く価値もない、つまらない大人の戦いだ」
「ぁ……せ、先生……何を……?」
大きな背中が、私とミフユを庇うように兵士達の前に立ち塞がる。
無茶だ。先生は銃火器の一つすら持っていない。それに肩からの出血だって止まっておらず、白かったシャツは血まみれだ。
それにも関わらず──自身を私たちの盾とすることに、少しの躊躇も見られなかった。
「チハヤが信念を示したように、私も私の責任を果たすだけさ。子供の道を拓き、残った面倒ごとを片付けるのも……大人の役目のひとつだからね」
「先生、君は今の状況を本当に理解しているのか? ──まるで、我々を単身でどうにかできるとでも思っているような口振りだが?」
先生はプリンスの言葉には答えず、ゆっくりと懐に手を入れた。
「現実を語る君たちに、一つ教えてあげるとしよう。それがどんなに幼稚で、果てのない夢だったとしても」
顕れる。
先生が決してミフユには使わなかった切り札。
その煌めきを以て全てを覆す、大人にしか許されない反則が。
「────それでも、奇跡は起きるということを」
取り出された「大人のカード」は、世界を眩く照らしあげて──。
奇跡のように、この争いに幕を閉じた。
次話で最終回になります。
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