「グエー」、臨終のユーモアがネット揺さぶる◆死の間際に投稿予約?がん研究機関に「香典」続々
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がんで闘病していた男性が「X(旧ツイッター)」に遺した最期の投稿が、共感の輪を広げています。死の間際のユーモアのこもったメッセージがインターネットユーザーの心を揺さぶり、がん対策の研究機関に「香典」と称して寄付をするムーブメントにつながりました。寄付金は少なくとも数百万円を超えるとみられます。どんな男性だったのでしょうか。父親の話などから経緯をまとめました。(時事ドットコム取材班キャップ 渡辺恒平) なかやまさんの投稿 ◇珍しいがん、闘病むなしく 注目を集めたのは「なかやま」と名乗る人物の投稿だ。投稿の内容などによると、2023年10月ごろに「年に20例ほどしか観測されないような」珍しいがんが判明し、手術を受けたものの再発。ステージ4と診断され、抗がん剤治療を受けていた。 予兆があったのだろうか、25年10月10日、「多分そろそろ死ぬ」とつづった。続く投稿は13日。友人を名乗る人物により「10月12日の夜、なかやまは静かに息を引き取りました」と記された。 ◇死後の投稿に反響、閲覧3億1000万回 ところが翌14日、なかやまさんのXに「グエー死んだンゴ」という書き込みが現れた。この文面はネットの掲示板「2ちゃんねる」でかつてはやったスラングの一種。投稿時刻は午後8時ちょうどで、なかやまさん自身が予約機能を使って、自分の死後に投稿されるように仕込んだものとみられている。 死を目前にしてもなお、ユーモアを忘れなかった振る舞いは、ネット上で大きな反響を呼んだ。「グエー死んだンゴ」という投稿は10月22日時点で3億1000万回閲覧された。ネットのしきたりに従って、多くのネットユーザーがやはりスラングである「成仏してクレメンス」と書き込み、なかやまさんの冥福を祈った。 ◇一度決めたらこつこつと アカウントの持ち主は、北海道津別町出身の22歳だった中山奏琉(かなる)さん。「頑固な、まじめにこつこつ取り組む子でした」。電話で取材に応じた父親の和彦さん(48)によると、一度決めたことを地道に続けていた奏琉さんは、一心に打ち込んだソフトテニスで中学校時代に北海道大会で優勝したこともあったという。 目指した北海道大学にも、浪人を経て20歳で合格。理系の学部に進んだ。理由を聞いたことはなかったが、最近、見舞いに来た高校の先生から「父親が農業だから、農業機械などを作りたい」と話していたと聞いた。和彦さんは「素直にうれしかったですね」 ◇親につらい顔見せず 大学生になった奏琉さんに異変が訪れたのは2023年。背中の痛みに続いて、コブができてきたという。診断の結果、23年10月に「類上皮肉腫」というがんが判明した。国立がん研究センターによると、全国でも年間20数例程度のまれながんで、抗がん剤の効果も限定的だという。 手術で握りこぶし大の大きさのがんを切除した奏琉さん。いったんは日常生活を送れるまで回復した。しかし、24年11月の検査で、再発と転移が判明。抗がん剤治療が始まった。奏琉さんはこの時期、「一日中吐き気と戦っています」とネットにつづっていたが、和彦さんは「僕らにはつらそうな顔は見せず、頑張って食事も食べていた」と語った。 ◇急変から一時回復も… 2025年8月には容体が急変し、救急車で病院に運ばれた。「非常に危ない状態で、医師からはあと1週間でしょうと言われた」と打ち明けた和彦さん。それでも手術を経て、一時はベッドの上で起き上がって会話ができるまでになった。 だが、10月10日ごろから症状がさらに悪化。奏琉さんがXに「そろそろ死ぬかも」と書いたころだ。その後は痛み止めで眠るような状態が続いた。12日夜に一度目を開けた後、静かに息を引き取った。「本当に頑張ったなと思う」と和彦さん。高校時代から親元を離れていたが、最後に一緒にいられて良い思い出が作れたと振り返った。
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