「────申し訳ありませんでした」
開口一番、雪峰ミフユはそう言って頭を下げた。
彼女が立っているのは、綺麗に整えられた執務室である。広々とした部屋には来客用のソファや古めかしいインテリアが配置され、埃一つ残っていない。持ち主の神経質さが伝わるような、過剰なまでに洗練された空間だった。
「……こちらにも準備というものがある。勝手に行動されてはこちらの
ミフユが頭を下げた人物──カイザーPMCに所属する「プリンス」は、不機嫌さを隠そうともせずに、低い声色でそう述べた。
彼が言っているのは、先日の一件についてのことだ。
雪峰ミフユはカイザーPMCの命令を無視し、独断で八重垣チハヤと接触、「遺物」の奪還を企てた。しかし結果は失敗に終わり、ミフユは「遺物」を奪取することなく帰還した……。
「雪峰ミフユ。これは一体どういうことだい?」
「私なら、一人で八重垣チハヤを倒せると……思って……実際に、邪魔が入らなければ、私は……!」
「そう慢心して失敗し、手ぶらで帰ってきたと? 処罰調整の先延ばしに際し、連邦生徒会の目に留まりたくないこんな時だというのに。全く、ジェネラルに何と申し開きすればいいか……」
デスクの上にわざとらしく溜息を漏らし、プリンスはじろりとミフユを睨みつけた。
「
「……っ」
「改めて言っておくが、君は私の駒だ。私の言う事だけに従う人形だ。戦えと命じた時に戦う、私はそれだけを君に求めている。にも関わらず、君は浅はかにも独断行動を行い、状況の悪化を招いた」
淡々と告げられるプリンスの言葉は、現実の有り様をミフユに刻み込む。
今一度、自分がどんな立場にあり、どうやって行動するべきなのかを教え込むために。
「もう一度思い出したまえ。君が大切にしている
「そ……それはっ」
「いいかい、私にはいつでも援助を打ち切る準備がある。君に選択肢は無いんだよ、雪峰ミフユ」
ミフユは、床をじっと見つめながら沈黙した。
反論なんてできるはずがない。この場に立つ二人の力関係は明白だ。プリンスはミフユの雇用主であり、上位者であり、なによりも大人だ。プリンスの言葉通り、ミフユには服従するしか選択肢がない。ふるふると震える肩には、怯えの色すら見てとれた。
「ミフユ、君はまだ子供だ。何の力も持たない、一人では何も変えられない未熟な存在だ。だからこそ、こうして私のような大人に庇護され、粛々と従うべきなんだ。事実、これまでもそうしてきただろう?」
「その通りです……本当に、申し訳ありませんでしたっ……」
「良い、下がりたまえ。グループの上位者として厳しい事は言ったが、私は君に期待している。次こそは、名誉挽回を果たしてくれると信じているよ」
「……はい」
恭しく退室するミフユを見つめながら、出来の悪い子供への躾が済んだことを確認し、プリンスは目を細めた。
この駒は実に強力だ。
これから先、決して手放すわけにはいかない切り札になる。なればこそ、権力ある大人がこうやって手綱を握ってやらねばならない。それこそ、ミフユという駒を使い潰した果てに、壊れて機能不全に陥るまで、長く長く……。
「む」
卓上のPCが、配下の諜報部から連絡があった旨を通知した。
連邦捜査部シャーレに動きあり。端的に収取した情報が記された文面を流し見て、プリンスは一人ほくそ笑む。
カイザーを警戒し、「遺物」を有する八重垣チハヤに雲隠れされれば厄介だと考えていたが、自分から立ち向かってくるのであれば好都合だ。ただ待っていれば、目的のモノが手に入るのだから。
「正面きってのぶつかり合いとは、シャーレも大胆な策に出る。ならば先生、綺麗事ばかりの君に教えてあげよう。子供の効果的な「使い方」というやつを、ね──」
◆
「チハヤおねえちゃああ゛あああああああん!!!」
お世話になった病院を退院し、私がシャーレに戻るや否や、多くの人に出迎えられたのだが──誰よりも早く、涙と鼻水を盛大に流しながら飛びついてきた人影があった。
雪峰コフユ。私の憧れの人である雪峰ミフユの妹。どうやら彼女は母校に帰ることなく、私が退院するのを待っていたらしい。
「遅くなってごめんなさい、コフユ。私はもう大丈夫です」
「でもっ! わ、わだしのおねえちゃんが、たくさん……ひどいことしてっ……!! わたし、謝らなくちゃって……!!」
「謝らなくても大丈夫ですよ。もう傷なんて治りましたし……それに、私は全然怒ってませんから」
自分の姉が私を斬り刻んださまを、コフユは目撃してしまったのだ。
姉の凶行に心を痛めるその心中は、果たしていかほどか。せめて彼女の心が痛まないように、優しい声色で語りかける。
「ミフユさんは、少し迷子になってしまっているだけです。私と先生で、ミフユさんを止めてみせますから、安心してください」
コフユが涙を拭い、落ち着くまで様子を見守ってから、私はシャーレに集まった生徒たちをぐるりと見渡した。
私のことを心配して集まってくれた友人たち。
ヴァルキューレ警察学校から、フブキとキリノ。ミレニアム・サイエンススクールからゲーム開発部の四人と、C&Cの筆頭ネル。それに、トリニティからはアズサ。
シャーレに滞在したこの一ヶ月がなければ、知り合うことすらなかったであろう人々。
「……みなさん、ご心配をおかけしました。私のために集まってくれて、ありがとうございます」
「チハヤ、心配したんだよ!? ぜんぜん連絡しても返事してくれないんだもん!」
一番に声を上げたのは、ゲーム開発部のモモイだった。
彼女は桃色の瞳を見開き、頬をぷっくり膨らませて、全身で怒りを表現しながら両手を上げている。隣では同じくゲーム開発部のアリスが、こくこくと頷いて同意を示していた。
私が入院している間、二人には多くの心労をかけてしまったようだ。
「ご、ごめんなさい。色々あって、ちょっとナーバスになってまして……」
「ふふ。チハヤさんでも……ナーバスになること、あるんですね。私も自分が作ったゲームが酷評された時、何をする気も起きなくて……」
私が改めて頭を下げると、フォローするように部長のユズ、そしてモモイの妹であるミドリが割って入った。
「あのね、お姉ちゃんと違って、普通の人はどんな時も能天気じゃないの。お姉ちゃんは、なんでそうデリカシーがないのかな」
「な、なにを言うか妹よ! 私はね、ただチハヤが心配だから言ってるのであって……」
と、いつものように口喧嘩している姉妹の背後にもう一人、同じくらいのシルエットが見えた。私が視線を向けていることに気付いたのか、その人物──C&Cを束ねる頭目にして、かつて戦った相手──美甘ネルは、ぶっきらぼうに手を挙げた。
「ん……元気になってよかったな」
「ゲーム開発部の皆だけでなく、ネルも来てくれたんですね」
「ば、バカ。危なっかしいこいつらのお守りみたいなもんだ、あたしは」
アリスの艶やかな髪の毛をわしゃわしゃと撫でながら、ネルはやや頬を赤らめて言った。
私がミレニアムの友人たちとの会話に区切りがついた頃合いを見計らって、同じく外部から──ヴァルキューレ警察学校からやって来たキリノとフブキが、私に声をかけてきた。
「ミフユさん、退院おめでとうございます!」
「うちらはコレ、お見舞いがわりに持ってきた。ま、ただのドーナツ詰め合わせだけど、味は保証できると思うよ。にしても、まさかあんなに強いチハヤが負けるだなんてね〜」
箱詰めにされたドーナツのセットを受け取り、見舞いに来てくれた友人に感謝を述べる。
そういえば、私はこの二人と食事をしたあとに襲撃を受けたのだと思い至る。全く同じことを考えていたのか、キリノが暗い顔で口を開いた。
「チハヤさんは、私達と別れてすぐに襲撃されたと聞きました。近くにいながら警察官としての役目を果たせず、申し訳ありません」
「いえ。私が不覚を取ったというだけで、お二人に罪なんてありません。どうか気にしないでください。それに、次はきっと負けません!」
「お、威勢がいいね〜。しょげてたら慰めてあげるくらいはしようかと思ってたけど、どうやら必要なさそうかな」
からかうような顔のフブキが、ちらりと先生の方を見やる。
あの病室で私が晒した醜態を、とてもではないが先生以外の人に漏らすわけにはいかない。私がどう誤魔化したものかと汗を流していると、助け舟を出すように名前を呼ばれた。
これ幸いと振り返ると、眼前に、見上げるほどの巨大な猫が肉薄しているではないか。
「うひあああ!?」
情けない声を上げながら抜刀しかけたが、どうにも瞳に生気がない。
目を凝らせばそれはぬいぐるみで、さらによく見ると、私の大好きな「ウェーブキャットくん」の顔だとわかった。驚きのあまり硬直していると、ぬいぐるみの陰からトリニティの友人──アズサが顔を出す。
「チハヤ、元気そうでよかった。私はこれをお見舞いに持ってきたんだ。ウェーブキャットくん、好きだったから」
「あ、ありがとうございます、アズサ! こんなに大きなぬいぐるみだなんて……! こ、こんなものをいただけるなんて……私、昔は友達もいなくて、あまりプレゼントとか貰ったことがなく……」
私は思わず、受け取った特大サイズのぬいぐるみを抱きしめた。
綿の弾力が心地よく、肌触りも文句なしだ。S字の曲線を描く独特な体躯は、私の身体をちょうど包み込むようにフィットしてくれる。
「……本当に嬉しいです。ありがとうございます、アズサ」
「うん、その嬉しい気持ちは私もわかる。それを選ぶのに力を貸してくれた友人がいるから、次に会った時は紹介しよう。きっと仲良くなれると思う」
煌めくような笑顔を浮かべるアズサに、私はこくりと頷く。
そんな様子をすぐそばで見ていたコフユは、感心したように私に言った。
「チハヤお姉ちゃん、お友達が多いんだね。それも、いろんな学校に」
◆
「……こほん。みんな、少し聞いてくれるかな?」
しばらくの時が流れた後、私と友人との会話が落ち着いたころを見計らって、先生が声を上げた。
「ここに集まってくれた皆に、協力してほしいことがあるんだ。実は、チハヤに危険が迫っている状況は変わってない」
そう切り出した先生は、端的に私が置かれている状況を説明してみせた。
民間軍事企業であるカイザーPMCが、私の刀を狙っていること。その正体は、太古の時代に造られた一対の古代兵器だということ。そして、もう片方の古代兵器の持ち主は、カイザーPMCについていること。その正体は他でもない、ここにいるコフユの姉であること。
その騒動に巻き込まれた結果、私が重傷を負う結果になったこと。
「カイザーPMCの暴走をこのまま放っておくわけにはいかない。どうか、私とチハヤに力を貸してほしい」
先生はそう言って、集まった生徒たちに向かって頭を下げた。それは私がするべきことだというのに、当然のように頭を下げたのだ。
同じような事を思ったらしきコフユと一緒に、私も頭を下げる。
「たった今、先生の説明してくれた通りです。みなさん、これが勝手なお願いだということは重々承知ですが、お願いします! どうか、私に助太刀していただけないでしょうかっ……!」
「本当は、わたしがおねえちゃんを止められればいいんだけど……わたしに、戦える力はありません……! だから……どうか、わたしのおねえちゃんを止めるために、みなさんの力を貸してください……!」
沈黙がシャーレのオフィスを包み込む。
これがどれだけ無茶な頼みかなど、誰が聞いても明らかだろう。相手はカイザーPMC、プロの民間軍事会社なのだ。いくら先生がいるとはいっても、それが危険であることに変わりはない。それに、いくら協力してくれたところで、見合う報酬を用意できるわけでもない。断られても仕方がないような、ひどい持ちかけだ。
(断られても仕方がない……私とミフユさんの因縁に、ただ巻き込んでしまうだけなのかもしれない……でも、私は……!)
ぎゅっと唇を噛んで、どんな返答があってもいいように、私はその時を待った。永遠のように長く感じられる静寂を挟み、そして……、
「────つまり、ラスボス戦に挑むためのパーティーメンバーを募集したいということですね! アリス、もちろん参加します!」
元気いっぱいの声が、一番にシャーレのオフィスにこだました。
「あ、アリス……?」
「任せてください! アリスは勇者として、困っている仲間を見捨てることはありません!」
彼女の意思を理解するのに苦労したが、どうやらアリスは今回の戦いをゲームになぞらえて捉えているらしい。とはいえやる気は十分のようで、蒼色の瞳は爛々と輝き、両手を強く握りしめている。
思わず、ゲーム開発部の他の面々に視線を向けたが、各々の顔つきも同じだった。
「……チハヤちゃんを傷つけられた以上、黙っているわけにはいかないよ。ね、お姉ちゃん」
「当たり前だよ! チハヤには、次回作の「ゴーストオブキヴォトス」の制作に色々と協力してもらったし……それを抜きにしても、ここで黙っているなんてできるわけない!」
「そういうことです。ゲーム開発部は、全面的にチハヤさんに協力します……!」
まさかここまで熱烈に協力を申し出てもらえるとは思いもよらず、呆然としてしまった私の肩を、小さな手がばしんと叩いた。振り返ると、他の面々が一様に瞳を煌めかせ、やる気に満ちた顔で私を見つめている。
「ごちゃごちゃ考える必要はねーよ。いいじゃねえか、要は自分を負かした相手にリベンジするってんだろ。前の一件の借りもあるし、あたしも連れて行け。盛大に暴れてやる」
「正義を信じる警察官として、目の前の悪事を、友人に迫る危険を見過ごすことはできません。本官たちも、全面的にサポートします!」
「うーん、私はいつもならパスと言うところだけど……この一ヶ月、チハヤには色々とサボ……楽させてもらったからね。シャーレからいなくなっちゃう前に、少しくらいは恩を返しておこうかな。完全に生活安全局の管轄外だし、ちょっとした言い訳は必要になりそうだけど」
「私も協力する。友人の頼みを断る理由はない。軍事会社が相手となると、火力はあればあるだけ望ましいと思う。正義実現委員会のクルセイダーを借りてこよう」
どうやら、私が心の内で色々と考えていたことは、ネルの言葉通りに余計な心配だったらしい。
私は思わず目尻に溢れかけた熱をぬぐって、勢いよく頭を下げた。
「みなさん、力を貸してくれて、本当にありがとうございます……!」
「ありがとうございますっ!」
「私からもお礼を言わせてほしい。みんな、本当にありがとう。……作戦の決行は明後日として、改めて明日、生徒を集めて作戦会議を行いたいと思う。そこで、今日は各々の学校に戻って、準備を整えておいてくれるかな?」
はーい、と素直な返事がシャーレに響き渡る。
先生の一声で、どうやら皆の行動指針は決まったようだ。とはいえ、私はここに滞在している身なので、引き上げるべき場所もない。帰宅準備を進める友人たちを眺めながら、私はどうしたものかと考えていると、先生が話しかけてきた。
「チハヤ。退院して早々に悪いんだけど、一つだけお願いごとがあって。コフユちゃんを、学校まで送り届けてくれないかな?」
「コフユを?」
それは思いもよらない申し出だった。隣のコフユに視線を移すと、彼女はこくりと頷いて、先生の言葉に同意を示す。
「本当は、わたしも一緒に残りたかったんだけど……学校に小さな子たちを置いてきちゃったから、そろそろ帰らないといけないの。それに、戦えないわたしがいても、足手まといになるだけと思うから」
いつもの元気溌剌な姿からは想像できない真剣な面持ちで、コフユは言った。
思わず、本当にいいのかと聞き返しそうになったが、口をつぐむ。コフユの両手が硬く握りしめられ、ふるふると震えている様が見えたからだ。その内心を察し、私は断固たる覚悟でコフユに告げた。
「わかりました。必ず、あなたを学校まで送り届けます」
「……ありがとう、チハヤお姉ちゃん。それじゃあ案内するね。私たちの母校、
◆
「さむ………………!!」
びゅうおおおおおおおお、と、まるで叫ぶように風が鳴いている。
辺り一面は白、白、白。周囲全てが冷たい氷と雪に覆われた辺境の地を、私はゆっくりと進んでいた。
目指すは彼女の母校、
大雪原の奥の秘境にあるとは聞いていたが、大した距離ではあるまいと思って、軽率にシャーレを出発した過去の私が恨めしい。
「まさか──ここまで、この辺りの気候が──過酷だなんて……!」
吹雪は容赦なく私の身体に吹き付けて、体温を奪っていく。
思わず、確かめるように腰の刀を握りしめた。こんなところで白鞘の「彼岸白雪」を落としたら、絶対に見つけられない自信がある。
「チハヤお姉ちゃん、あともう少しだから頑張ってー!」
吹雪の中ではぐれないように手を繋ぎ、私を先導して歩く少女──コフユは、自信満々の表情で言った。
道標などない百鬼夜行の大雪原を、しかしコユキは迷うそぶりも見せずに歩いてゆく。制服の上にコートとマフラーを羽織った私と違って、彼女はごく普通な制服のまま、寒さが堪える様子すらない。
「本当に……この先に、あなたの学校が……天姫ヶ峰高等学校が、あるんですか……?」
「うん! 学校の周りは高い壁みたいな山で囲まれてるから、そこまで行けば吹雪は──あ、見えてきた!」
コフユが唐突に声を上げる。
行手を見れば、吹き荒ぶ吹雪の奥に、そそりたつ断崖のような岩山がかすかに見えた。相当に高い山なのか、山頂どころか稜線すら確認できない。
こんな天候で登山を始めるつもりなのか、と焦ったが、コフユの指差す先には山肌にぽっかりと空いた洞窟があった。コフユの導きに従って、恐る恐る洞窟へと足を踏み入れる。
「この洞窟を抜けたら学校に着くよ。暗いから足元に気をつけてね。たまにコウモリが飛んでくる事もあるけど、コウモリはバイキンまみれだから触らないようにね」
「こ、こんな洞窟を通らないと学校に行けないんですか? 本当に? そんな場所に学校があるなんて」
「昔は、東の方に車も通れる道があったんだけどねー。数年前のがけ崩れで埋まったせいで、いまは使えなくなっちゃって……。土砂を取り除く工事ができればいいんだけど、そんなお金もないし」
真っ暗な洞窟を、コフユは懐中電灯で照らしながら進んでいく。
くねくねと折れ曲がる天然のトンネルを進み、そそり立つ鍾乳洞の合間を縫って、時には匍匐前進で狭い穴ぐらを潜り抜けてようやく、待ち侘びた目的地が現れた。
「改めてようこそ、チハヤお姉ちゃん。ここがわたしたちの学校、天姫ヶ峰高等学校だよ!」
洞窟を抜けた先に広がっていたのは、まさに秘境の別世界。
雪と氷に覆われた白色の大地に、大きな校舎が建っていた。
「ここが……コフユと、ミフユさんの母校……」
まるで、異世界の箱庭に来たかのような光景だ。
校舎から伸びた一本の大通りに沿って、数棟の建物が村落のように立ち並び、針葉樹の森がそれらを囲んでいる。そんな地形を、巨大な岩山が更に大きく取り囲んでいるのだ。
岩山の端から反対側まで、ざっと500メートルほどだろうか。吹き付ける吹雪を岩壁がシャットダウンしているおかげか、雪は静かに降り積もるだけだ。岩山の外見だけでは、こんな場所があるとはとても思えなかった。
「……あ、コフユ! おかえり!」
「コフユが帰ってきたの? じゃあミフユお姉ちゃんも?」
と、現実離れしたその光景に心奪われていた私は、聞き覚えのない声によって現実に引き戻された。
見れば、洞窟から出てきた私たちを見つけて、二人の小さな影がこちらに駆け寄ってくる。コフユよりもさらに幼い二人組だ。
「ヒサネ、ヒョウカ、ただいま。ごめんね、ミフユお姉ちゃんは連れて来られなかったんだ。かわりに、別のお姉ちゃんが来てくれたよ」
「えー? お姉ちゃんだれー?」
「こんにちは。私は百鬼夜行連合学院に所属する、八重垣チハヤといいます。ええと、私はコフユのお友達で……」
ここの生徒と思われる二人組は、私が自己紹介するや否や顔つきを厳しくした。
何か気に触ることを言ってしまったのだろうか、と私が狼狽していると、片方の女の子が私に言った。
「なんだ、百鬼夜行の生徒なんて大嫌い!」
「そうだよねー。お前なんて帰っちゃえ! べー!」
「あ、ふ、二人とも、お客さんにそんなしつれーなことを……!」
コフユが嗜めるように怒ったが、二人は私を睨みつけたあと、踵を返して走り去ってしまった。思わずぽかんとしてしまった私に、コフユは申し訳なさそうな顔で言う。
「……ごめんなさい、チハヤお姉ちゃん。うちの生徒は、百鬼夜行自治区の人間を嫌う子が多いの。昔に、ちょっとしたいざこざがあって」
「いえ、コフユが謝ることではありませんよ。それより、ここの生徒さんは合計で何人ほど?」
「ええと、わたしを合わせて17人。みんな初等部で小さい子ばっかりだから、ミフユお姉ちゃんを除けば、わたしが一番の年長さんなんだよー」
ちらりと大通りの方に視線を向けると、建物の影からコフユよりも小さな影が幾つか、こちらを覗いているのが見えた。
さっきのやり取りで、どうやら私はかなり警戒されてしまったらしい。ここの生徒と話をして、いくつか雪峰ミフユについて聞いてみたかったが、あの警戒ぶりでは難しそうだ。だが、出来ることがなくなったわけではない。
「コフユ、お願いがあります。せっかくですから、私に学校を案内してもらえませんか?」
「え……それは全然構わないけど、あんまり面白くないよ? 貧乏で大したものもないし、名物もないし」
「いいんです。ミフユさんが秘めているものについて、何かわかるかもしれませんから」
◆
……それから、私は大きな校舎を見て回ることになった。
天姫ヶ峰高等学校の校舎は立派な四階建てで、かつては数多くの生徒を抱えていたであろうことが見てとれた。体育館に広々としたグラウンド、部室棟まで完備された、オーソドックスながらも充実した学校だ。
もっとも、今はそのほとんどが使われていないらしい。教室のほとんどには埃が積もり、グラウンドは雪に覆われ、部室棟に至っては扉が凍って開かなかった。
そして、最後に訪れたのは……、
「ここは学校の事務室! といっても、事務員さんもいないし、ほとんどお姉ちゃんの部屋みたいなものかなー。お姉ちゃんがたまに帰ってきた時はいつもここに寝泊まりして、徹夜で書類作業? してるの!」
年季の入った九畳ほどの部屋を見回して、私は思わず息を呑んだ。
古ぼけた事務机の上には、いくつもの紙束が無造作に置かれ、書類を綴じたファイルが床にまで散乱している。壁際のホワイトボードにもびっしりとメモや書類が貼られ、ほとんど隙間がない。
なんというか、ミフユは片付けが苦手なタイプみたいだな、と内心で思う。
「あはは……ごめんね、こんなに汚くて。普段はわたしが整理整頓してあげるんだけど、この部屋だけは重要な書類とかが多いから、勝手に掃除するなって言われてるんだ」
私の考えが顔に出ていたのか、コフユは苦笑いしながらそう付け足した。
「コフユ。少しだけ、ここで一人にさせてもらえませんか? ミフユさんを止めるための手がかりが、ここから見つけられるかもしれません」
「うん、チハヤお姉ちゃんなら構わないよ。それなら、わたしはじゃまになりそうだし、隣の生徒寮で待ってるね。今日は泊まっていくんでしょ?」
「ありがとうございます、コフユ。でも……夜までかかるかもしれないので、今日はここでお世話になろうと思います」
「えっ? うちの寮なんて空室ばっかりだから、そっちに泊まればいいのに! それにここは暖房がついてないし、夜は冷えるんだよ?」
「そうかもしれませんが……でも、私がすべき事だと思うんです。あなたのお姉さんを、止めるために」
コフユは私の瞳を見て、その意志の強さを悟ってくれたようだった。
彼女は「熱心になりすぎて風邪をひかないように」とだけ忠告して、優しく事務室の扉を閉め、去っていった。
「……さて。ミフユさんには申し訳ありませんが、少しばかりこのお部屋を調べさせてもらいましょう」
この部屋には、きっと雪峰ミフユが何を考えているのか、それを突き止める手がかりがある。
そう直感的に確信した私は、手始めに、事務机の足元に散乱した紙の一枚を拾い上げた。
「これは……百鬼夜行連合学院への加盟申請書……?」
落ちていたのは、この天姫ヶ峰高等学校が「百鬼夜行連合学院」への加盟を求めた申請書だった。
私の所属する百鬼夜行連合学院は、トリニティやゲヘナのように一つの大きな学校ではなく、小さな学校がいくつも寄り集まって形成された学院だ。
私が所属していた学校も、本来はごく小さく、平凡な学校に過ぎない。だが、百鬼夜行の名に連なることで、様々な支援を受けながら運営されている。
(ミフユさんは、百鬼夜行連合学院に加わることで、この学校の運営を続けようとした……? 確かに、この学校は百鬼夜行の大雪原の奥地に建っている……自治区に近いから、加盟が認められれば様々な援助も受けられるはず)
散乱した用紙を片っ端から拾い上げると、同じ申請書が何枚も見つかった。この二年間、ミフユは何度も百鬼夜行連合学院への加盟申請を行なっていたようだ。
だがいずれの用紙にも、陰陽部からの簡潔な返答が記載されていた──「却下」。
百鬼夜行連合の実質的なトップである陰陽部は、この学校が百鬼夜行連合に加わることを認めなかったのだ。
(却下理由は……学校運営体制の脆弱さ……ですか)
いくら数多くの学校を抱える百鬼夜行とはいえ、あらゆる学校を無制限に受け入れているわけではない。
それは結果として、今ある秩序の崩壊を招きかねないからだ。
(なるほど、だからあの子たちは……)
ここの生徒が、百鬼夜行の人間である私に敵愾心を燃やしていたのも理解できた。
天姫ヶ峰高等学校の苦境を憂慮することなく、こうも無碍に加盟申請を却下されては、まだ幼い子供達が反感を覚えるのも自然なことだろう。当然、陰陽部にも彼らなりの考えがあるのだろうが……。
「ん?」
机の上に視線を向けると、申請書ではない小冊子が幾つか散乱しているのが見えた。積み重なった紙の束を崩さないよう、苦心しながらそれらを摘み上げる。
「学校編入用のパンフレット……? 百鬼夜行に加盟してる近場の学校が多いようですが……山海経に……ゲヘナまで……?」
それらは全て、他学校への編入を行う際の案内書だった。
それも高等部ではなく、全てが初等部に相当する子供の編入について記したものばかりだ。
ざっと目を通すと、いくつかに蛍光ペンで知らぬ生徒の名前が書き込まれている。その中には、さっき出会った二人の名前まで書かれていた。
「……………………」
なんとなく、ミフユがしようとしていることが分かってきた気がする。
ホワイトボードに貼られた紙の隙間に、何かを計算したと思しき計算式の跡が残っているのを見つけて、私はそれを確信した。
「ミフユさん、あなたは……」
ぐるりと、暖房すら付いていない小さな事務室を見渡した。
ここに残っているのはきっと、孤独な戦いの痕なのだ。
力を持たないたった一人の少女が、それでも、死に物狂いで大切なものを守ろうと戦ってきた、二年間の痕跡。
──やはり、彼女に誤った道を進ませてはならない。
まだできることはある。
もっと何か、雪峰ミフユを止めるための手がかりが……そして、全てが終わった後に、私がするべきことが見つかるかもしれない。この部屋に眠るモノを全て読み解く覚悟で、私は再び散乱した書類を拾い上げるのだった。
◆
「もう、行っちゃうんだよね?」
「ええ。ミフユさんを、ここに連れ戻さないといけませんから」
翌朝。
行きも通った洞窟の出口で、私とコフユは話し込んでいた。
昨日とは打って変わって、頭上には雲一つない青空が広がっている。降り注ぐ陽光に照らされて、雪をかぶった岩山はキラキラと眩く輝いていた。
「お姉ちゃんのこと、何かわかった?」
「彼女が考えている事については、おおまかに。そのために、私が何をすべきなのかも」
私が簡潔に答えると、コフユは深々と頭を下げた。
「チハヤお姉ちゃん、わたしのお姉ちゃんをよろしくお願いします。きっと、わたしにはできない事だから……」
膝の上に置かれた両手は、強く握られて小刻みに震えている。それを見て、私は昨日のことを思い出した。
先生が、来たる決戦にむけて生徒たちの協力を募ったあの時、コフユは一番に名乗り出たかったはずだ。自分の姉を、自分の力で連れ戻しに行きたいと思ったはずだ。
でも、コフユはここに帰り、姉を待つ選択をした。
それは自分がいても邪魔になると判断したうえで、私と先生を信じてくれたからなのだろう。だが自らの無力を認めるその選択には、きっと尋常ならざる痛みを伴ったはずで、
「────────────」
私は思わず、その小さな身体を抱きしめた。
滲み出るような悔しさに痛む心を、少しでも和らげられるように。
「私は必ず、ミフユさんをここに連れ戻してみせます。コフユの分まで頑張ります。だからもう少しだけ、待っていてくださいね」
「………………うん。チハヤお姉ちゃん、いってらっしゃい!」
笑顔になったコフユに手を振って、私は彼女と別れた。
晴天の下、覚悟も新たに雪原をゆく。
明日が作戦決行日(ついでにシャーレ滞在最終日)として、今日はまだ一日分の余裕がある。作戦会議に出た後は、少しでも多く刀を振るって、戦いのカンを強引にでも取り戻しておきたい……そんなことを考えていると、懐にしまっていたスマホがぶるりと鳴った。
「着信……先生から……?」
天姫ヶ峰高等学校の周辺は電波すら届かない辺境の地なので、このスマホが鳴ったのは一日ぶりだ。ひさびさに通話のボタンを押すと、聞き慣れた先生の声が聞こえてきた。
「やあ、チハヤ。やっと繋がった。ミフユ達の学校はどうだった?」
「はい。ミフユさんについて色々とわかったので、先生にも報告しますね。そして、私がしようと思っていることについても────」
私は先生に、天姫ヶ峰高等学校が置かれている厳しい状況と、ミフユが何をしようとしているのかについて、分かったこと、推測したこと、私が考えていることを全て伝えた。
「なるほど。チハヤはそうやって、ミフユを止めるだけじゃなく……助けるつもりなんだね」
「急に無茶な話をしてしまってごめんなさい。でも、彼女の力になれるとしたら、きっとこれが一番良いと思います」
「私はチハヤの決断を尊重するよ。そのためにも、明日は直接彼女と話さないとね。それで、私が手伝えそうなことはあるかな?」
「ありがとうございます、先生。この計画を進めるにあたって、連邦生徒会の定める生徒会憲章と、陰陽部が定める連合規定について、少々調べたいことがあるんですが……」
決戦の日は間近に迫っている。先生と打ち合わせを進めながら、私は改めて気を引き締めるのだった。