それは一週間前のことだった。
先生、アズサの二人と向かったブラックマーケットにて、私は大変な騒動に巻き込まれた。私の持つ刀……「彼岸白雪」をめぐって、マーケット中を巻き込んだ熾烈な戦いが勃発したのだ。
不良に傭兵、ヘルメット団、便利屋68にカイテンジャー。
様々な組織と敵対したり協力したりして、紆余曲折の末、私は探し続けていた「サムライ」の少女に出会うことができた。しかし──、
「私は、必ずそれを手に入れる。近いうちにまた会いましょう」
彼女はそう言って、名乗ることもなく消えてしまった。
同時に、裏社会の組織を扇動して刀を狙っていた黒幕の名が、民間軍事企業「カイザーPMC」だったという事実も判明する。
どうしてカイザーは、私の刀をつけ狙うのか。
やっと出会えたサムライはなぜ、カイザーの指示を受けて動いているのか。
そもそも、この「彼岸白雪」の正体とは何なのか。
降り積もった疑問は解消されることなく、あれから時間だけが経過していた──。
◆
「ふわぁ……」
寝ぼけまなこを擦りながら、シャーレ居住区の廊下をとぼとぼと歩く。
小鳥の囀りが聞こえる、のどかな朝だ。新しい抱き枕を買ったりしたせいか、ついたっぷりと眠ってしまった。こういう時は、やはりカフェインの力を借りるのが手っ取り早い。
綺麗なガラス張りの廊下を抜けて、すっかり見慣れたオフィスへと向かう。扉を開けようと手を伸ばしたところで、中から誰かが話す声が聞こえてきた。
「────ええ。もう少しで正体が分かりそうですが、はっきりとした事はまだ。リオとも協力して、引き続き調査を続けます」
「ありがとう、ヒマリ。何かが分かったら連絡して」
「はい。それでは」
どうやら、先生と何者かが通話していたらしい。
いつまでも立ち尽くしているわけにはいかないので、意を決してオフィスの扉を押し開く。
「おはようございます」
私の声に、清潔感のあるオフィスの奥側から「おはよう」と返答する声があった。
連邦捜査部シャーレの主、先生だ。一体どんな時間から仕事を始めていたのか、先生は既にPCを開き、机上に様々な資料を広げている。
と、先生の側に椅子が複数個並べられているのが目に留まった。一脚の背もたれには、薄いタオルケットが掛けられている。明らかに、椅子をベッドにして寝た痕跡だ。
「先生、またオフィスで寝たんですか? 家に帰るのが難しくても、せめて私みたいに居住区で寝るとかして下さい」
「ごめんごめん、気をつけるよ。そう言うチハヤの方は、新しいウェーブキャットくんの抱き枕でよく眠れたみたいだね」
「ええ、まあ……あの可愛いお顔と、S字を描くもふもふの体躯はとても抱き心地が良くて……って、なんで先生がそんな事まで知ってるんですか!」
つい先日買ったばかりのモモフレグッズ──常に身体をくねくねとウェーブさせている猫らしき怪生物、「ウェーブキャットくん」の等身大抱き枕──の事を言い当てられて、私は思わず声を張り上げた。
「アズサに教えてもらったから。昨日はモモフレンズのお店に行ってきたんだってね?」
「な、なんだ、アズサに教えてもらっていたんですか。私はてっきり、ついに先生が多忙のあまりトチ狂って覗きを始めたのかと……」
「いや、チハヤは私のことなんだと思ってるの?」
苦笑する先生をよそに、私はオフィスの傍に置かれたコーヒーメーカーに近づいた。
円錐型のフィルターを手早く折り、ドリッパーにセット。計量スプーンで掬ったコーヒー粉を入れて、水を入れれば準備完了だ。こやつはドリップ式のコーヒーメーカーなので、あとは電源をONにして、ボタンを押せば抽出が始まる。もはや半ば朝のルーティーンと化した手順だ。
抽出を待っている間、暇をもてあまして先生に問いかける。
「そういえば、さっき誰かと通話されていたのを聞いてしまったんですが、お相手はもしかして……」
「うん。チハヤの刀について調べてもらっている、ミレニアムのヒマリだよ。さっき、もう少しで正体が掴めそうだって連絡があったんだ」
明星ヒマリ。ミレニアムサイエンススクールに所属する生徒で、秀才が集うミレニアムにおいてもなお、卓越した知能を有するという凄腕のハッカーだ。
なんでも「特異現象捜査部」という部活動に所属しているらしく、神秘やオカルトといった話に詳しいらしい。
ブラックマーケットでの戦いのあと、「彼岸白雪」の不可思議な発光現象を知った先生が調査を依頼した相手が、他ならぬ彼女だったのだ。
「ヒマリなら大丈夫。必ずチハヤの刀がどんな秘密を持っているのか、解き明かしてくれるよ。……いや、チハヤにしてみればちょっと複雑な気持ちなのかな」
黙り込んでしまった私を見て、先生が申し訳なさそうに眉を顰める。思わず、私は慌てて首を横に振った。
「いえいえ。そもそも、調べてほしいと言ったのは私ですから。今更迷ったりなんてしませんよ」
「でも、チハヤの耳は元気がないみたいだよ」
はっとして頭を抑える。私の頭の上でピコピコ揺れている獣耳は、私の心中を示すようにへなりと前に倒れてしまっていた。
い、一体いつから、私の癖を見抜いていたのか……。
かなり気になったが、大事な話を脱線させるわけにはいかない。気を取り直して、先生に答える。
「……先生は鋭いですね。確かに、ちょっとだけ怖さはあります。私の大切な「彼岸白雪」が、本当は刀ではない何かなのかもしれないと思うと、何も知りたくないと考えてしまいます」
私は今も腰に下げた刀を見やって、「でも」と弱気な言葉を打ち切った。
「この子の正体を知らなければ、今より前には進めないと思うんです。だから、この決断は変えません」
私の刀を狙っているという「カイザーPMC」にはあれ以来動きはなく、こちらからあのサムライにアプローチできそうな情報もない。
だが、「彼岸白雪」の正体が判明すれば、おのずとカイザーが刀を狙う理由も明らかになるだろう。そうすれば、カイザーの動きを予想することもできるし、余計な危険を招くリスクだって削減できる。
場合によっては、あの少女のことだって分かるかもしれない。
「そっか。なら、チハヤの決意を無下にはしないよ」
先生は、私の意思をちゃんと理解してくれたらしい。
ありがとうございます、とお礼を述べて、私はこぽこぽと音を立てるコーヒーメーカーに視線を戻した。
「そういえば、今日は誰がシャーレの当番なんですか?」
「今日はセリナだったかな。トリニティの救護騎士団の子でね、とても心優しい子なんだよ。かくいう私も、よく健康面ではお世話になっていてね」
「へー……そうですか」
また知らない子だな、と私は内心で呟いた。
よほど人気なのか、シャーレの当番になる生徒は毎日異なっている。ある日は特殊部隊の所属だという生徒だったり、C&Cの胸が大きなメイドだったり、当然のように水着を着て徘徊している変態だったり。
学年も学校も、性格も何もかも違う生徒たち。そこに共通しているのは、どの生徒も先生のことを信頼していて、力になりたいと考えているところだ。
「なら……その、私も…………」
思わず口にしかけた言葉を、はっとして止める。
多忙な先生のお手伝いをしたいというのは、ここに来て以来何度も考えたことだ。シャーレに滞在している私がシャーレの当番になれば、規定時間を超えても手伝えるし、先生へのご恩も多少は返すことができる。
だが、仮にも勾留扱いの生徒を業務に携わらせるのは、規則的に問題があるらしい。どうしようもない事実を思い出して、私は肩を落とした。
否、「恩を返せる」とか、「私なら丁度いい」などという考えは、都合の良い言い訳なのかもしれない。
私の心の奥底にあるのは、一番近くで先生の力になれる生徒たちに対する、自分勝手で醜い
「チハヤ?」
「は、はいっ!? どうしました!?」
「いや、もう抽出終わってるみたいだけど……」
先生の声に現実に引き戻されて、私は慌てて目の前を見やった。気がつけば、数分かかるはずの抽出はとっくに終わり、コーヒーメーカーは役目を終えたとばかりに沈黙している。
電源を切って、慌ただしくカップにコーヒーを注ぐ。先生の分はそのままで、私の分は角砂糖を2つ入れれば完成だ。湯気の立つマグカップを、先生の机にことんと置く。
「ど、どうぞ。午前中はこれだけにしておいて下さいね。先生はただでさえカフェイン取り過ぎなんですから」
「ありがとう。いやあ、チハヤもずいぶんここに馴染んだね。なんだか同棲してるみたい」
「ゲホッ! ゴホッ!」
立ったまま口をつけようとしていたコーヒーを盛大にこぼして、私は目を剥いて先生を睨んだ。
「ばばば、バカなんじゃないですか!? 変な事をいきなり言わないでください! とっととそれ飲んで、不用意に口を開かないように!」
「じ、冗談だよ……」
私が怒涛の勢いでまくし立てると、先生は苦笑して弁明した。
まったく、冗談ではない。かくいう私も、そういった事を考えかけていた矢先に言うんだから本当に困る。動揺を誤魔化すように、今日の予定を端的に伝える。
「ええと、今日はキリノとご飯の約束があるので、鍛錬をこなした後に出かけてきます」
「昨日、連続食い逃げ犯の逮捕に協力したお礼だっけ。分かった、くれぐれも気をつけて。カイザーが動いている気配は今のところ確認できないけれど、簡単に諦めるような連中じゃないからね」
「分かってます。シャーレの近くからは離れませんし、15時には帰ってきますから」
私は念を押す先生に答えてから、湯気を立てるコーヒーに口をつけた。
◆
「それで、先生ったらいきなり私の足を舐めただけに留まらず、当然のように私の頭皮の匂いを嗅ぎ始めて……」
「ははは……まあ、先生ってたまに変なスイッチが入る時がありますよね……カンナ局長に対してとか……」
時計の針が13時を過ぎたころ。
落ち着いたBGMが流れるファミレスの片隅で、私はぐちぐちと文句を口にしていた。
目の前に座るのは、ヴァルキューレ警察学校所属の女生徒、中務キリノだ。今日は非番の日だからか、いつものキッチリした制服ではなく、ラフながらも女の子らしくまとまった格好だ。
キリノとはシャーレに来て最初に出会った間柄で、以降、暇を持て余してはパトロールを手伝ったり、凶悪犯の逮捕を手伝ったりして、何かと親交を深めている。
「たぶん忙し過ぎて倫理観がおかしくなるんでしょ。負荷をかけ過ぎたPCみたいにバグるんだよ。まったく、私を見習えばいいのにねー」
「フブキはサボり過ぎなんですよ! むしろフブキが先生を少しは見習って下さい!」
「いいじゃん、この前の大型連休はちゃんと働いたんだしさあ……」
キリノの横でだら〜っとしていた少女が、ファミレス内にも関わらず持ち込んだドーナツを齧った。
彼女は合歓垣フブキ。キリノと同じくヴァルキューレ警察学校の一年生だが、職務に対する態度はキリノと真反対だ。
実際、彼女は非番ではなくパトロール中のはずなので、今は制服を着ている。なぜ勤務中なのにここにいるのかという突っ込みは、既に無意味と悟っているつもりだ。
「でもさあ、色々と大変だったあの一件のあと……先生、全裸で野原を走り回ってたらしいよ。やっぱり過労がピークに達するとバグるんだよ、先生は」
「全裸で!?」
「走り回る!?」
いきなり飛び出した爆弾発言に、私はテーブルから身を乗り出してフブキにくってかかった。
いや、別に先生の裸体に興味があるとか断じてそういうわけではないが、気になるものは気になる。それは向かいに座るキリノも同じらしい。
聞き手がものすごい勢いで食いついたせいか、フブキは若干引いたような顔で続ける。
「べ、別に嘘とかじゃないよ? 確かに見たって生徒もいるし。それに、確かネット上に動画があったと思うけど……もしかして、見たい?」
「動画!? ち、ち、ちょっと待って下さい! そ、それは流石にそのっ、先生のプライバシー的なアレコレの問題があるのでは!?」
「そ、そうですよ! せ、せんっ、先生の全裸を収めた動画なんてそんな、肖像権を侵害していますっ! ヴァルキューレ警察学校の生徒として見逃せません!」
「あ、そう。じゃあ見なくていいか」
フブキがすごすごとしまい込もうとしたスマートフォンを、私とキリノの腕が同時に掴んだ。それはもう、全力の居合抜きを連想させるほどの速度だった。
私とキリノは目線も合わせず、しかし示し合わせたように異口同音に言った。
「「見ないとは言ってません」」
「なんだ、なら最初からそう言いなよ……。ほんと、生真面目なタイプはムッツリが多いんだから困るね」
聞き捨てならない事をフブキが述べているが、ここで口論になっても話が進まない。ぐっと言葉を呑み込んで、私はフブキの操作するスマートフォンの画面を注視した。
明らかに違法なタイプの動画サイトに入り、検索ウインドウに「先生」と打ち込んで……、
「あ、削除されてる。うわ、アップロード日の翌日を待たずして消されてるじゃん。これは、今から見るには遅過ぎたね」
「「ええ!?」」
そこに表示されていたのは、「肖像権侵害の申し立てにより削除された」との簡素な一文だった。
どっと身体から力が抜けて、私とキリノはへなへなと座席に逆戻りする。
「えー、なに、そんなに見たかったの?」
「いや別に見たかったとか期待してたわけではなく、本当に先生の裸が映っていては問題ですから、まずは事実確認のためにですね……」
私が両手をワタワタさせて、やけに愉快そうに口端を吊り上げたフブキに反論していると、私たちの机にぬっと影が落ちた。
見ると、大きなライオット・シールドを背負った女の子がそこに立っている。薄桃色の髪の毛に、気だるげな瞳。身にまとう制服は、トリニティ総合学園のものだ。
「嘆かわしい」
謎の少女は、私たちを見下ろしながらそう言った。
「青春の葛藤に衝き動かされ、あるかも分からない虚像を追い求め……目前で瞬く宝石たちを見落とすだなんて……」
「は、はい?」
悲しげな瞳は、先生談義をしていた私たちではなく、テーブルの上に置かれたスイーツの数々に向けられている。
「何はともあれ、私から言える事は一つだけ。汝、隣のスイーツを愛したまへ……それでは、アデュー」
硬直してしまった私たちをよそに、少女はマイペースにそれだけを告げて去っていった。
後に残されたのは、呆然とする私たちと、テーブルに置かれたプリンやケーキといったスイーツたち。たっぷり三秒ほど沈黙してから、私は目の前の二人に問いかけた。
「あれは誰なんですか?」
「えっ、チハヤさんの知り合いじゃないんですか!?」
互いに顔を見合わせて、私たちは改めて少女の方を見やる。
しかし、既に少女は会計を済ませ、店の外へと出ていくところだった。懐から取り出した牛乳パックに、悠然とストローを刺しながら……。
「まあ、よく分かんないけど、とりあえず食べよっか?」
「そ、そうですね。話に熱中し過ぎてすっかり忘れていました」
そうだった。話に熱中して忘れていたが、テーブルには手をつけていないスイーツの数々が放置されている。今日はスイーツ類が30%OFFのスイーツデーなのだ。
普段は精神的鍛錬の観点から我慢しているぶん、今日はたくさん食べて幸福度を溜めておかないといけない。
私は早速、一番近いところにあったチョコレートケーキに目をつけ、柔らかなスポンジを口に放り込んだ。
◆
それからしばらくして。ヴァルキューレの二人と別れて、私はシャーレへの帰路を急いでいた。
というのも、14時を過ぎた頃から空模様が悪くなりはじめ、天気予報を裏切って雨が降り始めたからだ。傘なんて持ってきていないので、濡れるのを覚悟で雨中を走る。
(ここは近道しましょう。シャーレに向かうには、こっちの裏路地を通ってまっすぐに……)
地面を蹴る足に力を込めて、大通り沿いの歩道から90度転換して路地に飛び込む。
だが数歩と進まぬうちに、私は何か柔らかい物体に足を取られてつまずいた。路地は暗く、足元の物体に気づかなかったのだ。疾走の勢いを抑えきれずにバランスを崩し、ずっこけて地面に叩きつけられる。
「いたた……な、なんでこんな大きなゴミが路地に……」
私は悪態をつきながら、私の歩みを阻んだ物体を見た。
放置されたゴミ袋だろうか。狭い路地の真ん中に、黒く大きなボロ切れが鎮座している。いや、D.U.指定のゴミ袋と比較するとサイズが大きい。となると一体なんなのだ、と考えたところで、私は驚愕に目を見開いた。
そのボロ切れから、小さな「腕」が飛び出している。
「ひいいぃっ!?」
私は思わず悲鳴をあげて、腰の刀に手をかけた。
「ひ、ひっ、ひ……ひ、人……!?」
たとえロケットランチャーの銃口を向けられても怯まない自信があるが、人の死体となれば話は別だ。私は湧き上がる恐怖と嫌悪感を堪えて、一歩ずつ慎重に歩み寄った。
「ほ、本当に……死んで……いるん、ですか……」
震える手をボロ切れに伸ばし、ぐっと掴む。
この布の奥に人の死体があるならば、すぐに先生に連絡しなければならない。だが何より、まずは確認しなければ始まらない。
私は深く深呼吸をして、意を決してボロ切れをひっぺがし、そして。
「お……か」
その奥に倒れていた幼い少女と、ばっちり目が合った。
細い腕が小さく動く。瞳が力なく瞬きをしたので、どうやら死んではいないらしい。呆然として言葉を失った私に、少女はゆっくりと口を動かして言った。
「お、なか……減った…………」
◆
「ばくばくばく、ぐっ、はぐっ!」
その出会いから20分後。
私はさっきまでいたファミレスに逆戻りして、ありったけの料理を胃袋に放り込むその少女を見守っていた。
倒れるほど飢えている状態で多くを食べると胃がびっくりして悪影響が出るらしいが、まったくそんな雰囲気はない。少女が手を動かすたびに、凄まじい勢いで料理が消えていく。少し不安になって財布の中身を見直していると、やっと食事を止めた少女がこちらを見た。
「ご飯をくれてありがとう、お姉ちゃん。お腹が空きすぎて死んじゃうかと思ったよ!」
「い、いえ。お腹が減っていたなら何よりです。それで、あんな場所で倒れていたあなたは一体……」
「わたしはねー、
さっきとは打って変わって、元気いっぱいに名乗りを上げた少女の名は、どうやらコフユというらしい。
息継ぎするように5杯目くらいのオレンジジュースを飲み干すと、満面の笑みでこちらを見てきた。その笑顔は年相応のあどけなさが残っている。
身長や所作から判断するに、小学校の三、四年生といった年頃だろうか。
「私は八重垣チハヤという者です。ええと、質問ばかりで申し訳ないですが、コフユはどうしてあんな所に一人で倒れていたんですか?」
「わたしねー、お姉ちゃんを探してここまで来たの。でもね、途中でお金がなくなっちゃって、お腹が減って動けなくなっちゃったんだ」
(なるほど、人探しですか。まるで少し前の私ですね。でも、まだこんなに幼いのに……)
目の前のコフユが悲しげに眉を顰めるのを見て、私の胸がずきりと痛んだ。彼女はたった一人だというのに、姉を探しにここまでやって来たのだ。私がこれくらいの歳だった時は、怖くて学区の外に出るなんて考えたこともなかったのに。
行為こそ無謀かもしれないが、その勇気は報われるべきだと思う。
「お姉ちゃんはね、もともと全然家に帰らない人なの。それでも、一週間に一度は連絡をくれたのに……ここ最近は、もう三週間も連絡がなくて……それで……」
コフユが話しているうちに泣き出しそうな顔をしたので、私は思わずコフユのことをぎゅっと抱きしめた。
小さな身体を、不安を吹き飛ばせるくらいに強く抱きしめる。咄嗟に身体が動いてしまったので、言葉がすぐに出てこない。それでも、自分がやるべきことくらいはわかる。
「コフユ。もう大丈夫です、私に任せてください」
「チハヤお姉ちゃんが……?」
「あなたのことを助けてくれる人に、心当たりがあります。まずはその人に協力を頼んでみましょう。私も、全面的にコフユのお姉さん探しを手伝いますから」
今の私は狙われている身だ。色々な厄介ごとを抱え込んでいる以上、下手に他人のごたごたに首を突っ込むべきではないのかもしれない。
でも、目の前で一人泣きそうな子供を放っていくようなことは──少なくとも、先生ならそんな事はしない。
私はそう判断して、この少女をシャーレへ連れていこう、と決心したのだった。
◆
「その「先生」っていう人が、お姉ちゃんを探してくれるの?」
「はい。最初は怪しく見えるかもしれませんが、心根はとっても優しくて、生徒想いな人なんですよ。だから、コフユのこともきっと助けてくれます」
ついさっきも通ったシャーレへの帰路を、今度は二人で歩いていく。
流石に小さな身体をこれ以上濡らすわけにはいかないので、コンビニで購入したビニール傘に二人で入る。
コフユはもともと身体が丈夫なのか、それとも寒さに強い体質なのか、あまり応えている様子はない。が、シャーレについたら一度診てもらった方がいいだろう。なにせ雨の中でぶっ倒れていたのだ。
「へー。チハヤお姉ちゃんはその先生のこと、とっても好きなんだね」
「すっ……い、いや、別にそんなことはないですけど。先生なんて目は怖いしたまに臭いし靴下はオフィスに脱ぎっぱなしだし、好きになれる要素が一切ありませんから」
「さっきと言ってることが違うじゃん」
コフユが半信半疑の瞳でこちらを見てきたので、私は慌てて話題を変えることにした。
「ご、ごほん。お姉さんを探す話に戻りますが、コフユのお姉さんはどんな人なんですか?」
「とっても優しくてね、とっても強いんだよ! 私たちの家は雪山の奥にあるから、お姉ちゃんが定期的に食料とか教科書とかを届けてくれるんだ」
「なるほど……。確かにそれは立派ですね。コフユがお姉さんを大好きなのも頷けます」
「私だけじゃなくて、私の学校のみんなが大好きなの。お姉ちゃんがいないと、私たちの学校は貧乏で潰れちゃうし」
「たった一人で学校運営の要にまで担っているんですか? それは……」
どうやら話を聞くに、コフユの家は金銭的に恵まれていないらしい。いや、この口ぶりでは学区そのものが経済的に危うい立場にあるのだろう。そういう例は、何千という学校がひしめくこのキヴォトスでは珍しくもない。
そんな状況を、コフユの姉は一人で支えているらしい。
とても責任感が強く、同時に他人想いの生徒なのだろう。私は結構自分勝手なところがあるので、純粋にその精神性を尊敬したい。
「あ、そうだ──」
私がそんなことを考えていると、コフユは私の腰に下げた刀を指差した。
「お姉ちゃんも、
「え──────?」
その言葉に、私は衝撃のあまり立ち止まってしまった。傘の下から外れたコフユが慌てて立ち止まり、不思議そうにこちらを見やる。
これと同じ武器を持っている、と彼女は言った。
私はその人物に、一人しか心当たりがない。いや、キヴォトスの全域を見回したところで、該当する人物はただ一人だ。
「待ってください。そ、それは、つまり」
コフユの顔に、あの少女の顔が被って見えた。
透き通るような白い髪、白い肌。冷たい氷を連想させる薄青の瞳。どうして気付かなかったのだろう。コフユの容姿は、あの少女に瓜二つではないか。
だとすれば、コフユが探している姉というのは、つまり……。
「────────!」
その事実がもたらした衝撃を受け止める暇もなく、私は背中に突き刺さるような視線を感じ取った。
凄まじいほどの敵意だ。自分の存在を隠すつもりもない、強烈な視線。私はぐっと唾を飲み込んで、強張る顔に無理やり笑顔を貼り付けた。
「コフユ、ごめんなさい。急用ができてしまいました。この傘は持っていっていいので、ここからは一人で行けますか?」
「ええー?」
「このまま道をまっすぐ行って、三つ目の十字路を左です。大通りなので迷う事はないと思いますが、念のためこれも」
現在地周辺のマップを表示したスマートフォンを手渡す。シャーレまでナビゲートするように設定してあるので、これがあれば迷うことはないだろう。距離の方も、あと15分も歩けば着く距離だ。
「……それと、先生に会ったら伝えてください。廃工場で待っていますと」
「わかった。先にシャーレで待ってるからね!」
大きな傘を手に、一人で歩いていくコフユを見送ってから、私は大通りを外れて路地へと入った。
降りしきる雨の中を裂いて、無言で歩き続ける。路地を何度か曲がって、D.U.の中心から離れるようにして歩き続ける。
「──────ここなら、いいでしょう」
5分ほど歩いて見えてきたのは、放棄された空き地の奥に佇む巨大な影。D.U.の片隅にひっそりと佇む、大きな廃工場跡だ。
迷うことなく空き地を横断し、工場の中へと踏み入る。
かつては精密機械がひしめき、多くの従業員が動き回っていたであろう工場棟の中は、今やがらんどうの空間と化していた。朽ちた壁には蔦や草木が生い茂り、錆びた天井にはところどころ穴が空いている。放置されてから年月が経って、人工物を自然が上回りつつあるのだ。
「出てきてください。もう、私一人しかいませんよ」
そんな場所で立ち止まった私は、背後をつける人物にそう呼びかけた。
同時に「彼岸白雪」を抜刀し、柄を強く握りしめる。
数秒の沈黙があって、工場の入り口から一人の少女が姿を見せた。その腰には、まるで私に見せつけるかのように、もう一振りの刀が揺れている。
「────……また会ったわね。八重垣チハヤ」
薄氷の瞳が細められ、私のことを強く睨んだ。