お前に飛行機の何がわかんねん!
仕事でどこかに行った。
その際に飛行機に乗った。自動車や新幹線ではとても時間のかかる距離だったので、飛行機以外の選択肢はなかった。目的地まで目にも止まらぬ速さで我々を届けてくれる。
私は窓側に座り、隣には仕事仲間の知人が座っていた。シートベルトのランプが点灯している。飛行機は着陸体制に入っている。街の明かりが大きくなり、高度が下がっていることがわかる。窓の外にはもう空港のターミナルが見えた。
その時、「スピード速いな」と知人が言った。
お前に飛行機の何がわかんねん!
と私は住んだこともないのに関西弁で言ってしまった。着陸のスピードが速いか遅いか、パイロットはもちろん、飛行機関係の仕事をしている人にはわかるのかもしれない。あるいは飛行機が好きか方もわかるかもしれない。
ただ私には何もわからない。
窓の外を見ていたけれど、そのスピードが速いか遅いか、私には何もわからなかった。知人も同じはずだ。飛行機が好きとか聞いたことがないし、私の仕事仲間なので、飛行機の仕事をしているはずもない。それなのに、「スピード速いな」と知人は言った。お前に飛行機の何がわかんねん! なのだ。
大阪には何度も行ったことはある。
万博にも行った。しかし、住んでいないし、出身は西の方と言っても九州なので、私の方言は基本的には大分県のもので、関西弁を話すことはほぼない。それなのに私に関西弁で自然と「お前に飛行機の何がわかんねん!」と言わせる力がある知人の発言だった。
飛行機はなんの問題もなく着陸した。
拍手も起きなかった。知人以外も、あの速さで着陸できるなんてね、と言い出して拍手でも始めれば、私の「お前に飛行機の何がわかんねん」が間違っているとわかるのだけれど、そんなことは起きない。夜遅い便だったので、誰もが気だるそうにしていた。私だけが元気に「お前に飛行機の何がわかんねん」と言っていた。
高校の修学旅行で飛行機に乗った。
拍手が起きた。修学旅行中に4回の拍手を体験した。一度は行きの飛行機が離陸した時。周りが拍手し始めて、そんな文化があるのかと驚いた。二度目は着陸した時。拍手が起きた。そんな文化があるのかと驚いた。私は転勤族だったので、この地域ではもしかすると離陸、着陸で拍手をする文化があるのかと思った。
もちろん帰りの飛行機でも拍手は起きた。
離陸時と着陸時に。これが4回の拍手の内訳だ。行きは修学旅行にテンションが上がりきっていて、拍手が起きたのかもと思ったけれど、帰りの飛行機でも拍手が起きたので、やはり文化なのか、と疑った。しかし、大人になってからその地域に行く飛行機に乗ったら、拍手なんて離陸時も着陸時も起きなかったので、修学旅行の時にだけ起きる拍手なのかもしれない。
その時は言わなかった。
「お前に飛行機の何がわかんねん!」と。飛んだ、着陸した、という事実で拍手が起きた。あんなスピードで着陸したから拍手が起きたわけではない。それがたとえ遅くてもだ。なぜなら我々にはそれが速いか、遅いかなんてわからないからだ。
もしかすると技術的にはすごく難しい、めっちゃ遅いスピード離陸をしたかもしれない。そんなことが可能か否かわからないけれど。めっちゃ速いスピードで着陸したかもしれない。そんなことが可能か否かわからないけれど。どちらにしろ、わかることは、そんなことをやっていたとしても私たちにはわからないということだ。
しかし、知人は行った。「スピード速いな」と。
言えることは一つだ。
お前に飛行機の何がわかんねん!



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