INSTANT KARMA

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太宰治への手紙

太宰さん。手紙を書きます。

いつか申し上げた、ぼくの五百枚の手記はできました。別便でお送りします。

が、しかし、ぼくは自信をもって、この小説をお送りすることはできませんでした。

そのかわり、俺の異常な期待をもって、この手記をお送りすることはお許し下さい。

なぜなら―自信のない理由から先に言います。

ぼくは近頃北条民雄の「癩院受胎」と島木健作の「癩」 を読みました。そして、はっきり、ぼくが負けたと感じたのです。

ドストエフスキーの例の言葉――。

 「いちばん苦しむものは、いちばん苦しむ価値があるものだ」

十三、四の頃でしたか、神秘家だったぼくは、夕暮どき、うちのテニスコートの上の坂をのぼりながら、西の空にすがたを現わしかけた三日月にむかい、山中鹿之助のように祈ったものです。

「神様!われに七雕八苦を与えたまえ」

そのすぐあとで、たちまち、こわくなり、前言を取消すようにお祈りしたのを覚えています。

ぼくの簡単な修身めいた昔からの信念「いちばん苦しむものが、いちばん勝てるのだ」が打砕かれました。

図々しい話ですが、今まで、ぼくは多少、生活経験の豊富さを誇り、苦労もすこしはしてきたと、感情のばかげて幼稚なのは、自分の資質の故だぐらいにごまかしてきたのですが、二小説の読後、自惚れはみごとに崩れました。

太宰さんは、勿論、お読みになりましたろう。

あなたの「ダス・ゲマイネ」を読んで、ぼくはやはり泣き笑いしました。しかし、負けたとはおもわなかった。うまいとはおもった。心は美しいとおもった。苦しんだひとだとはおもった。しかし、救いがどこかにあるのです。たとえ、あなたが自殺したとしても、それがあなたには逃げ路である気がしました。

しかし、前記の二小説には、救いがない、逃げ路がない。なんというすさまじい小読かと、ぼくは打倒されました。

ぼくは作家の資質のことをいっているのではありません。北条氏はらい病人でも、小説書きとしては、じつにおだやかな感受性の人ですし、島木氏は、現在、立派なプロレタリア作家です。

ぼくはこの作品の内容についても絶望なぞはかんじません。

北条氏の小説では、らい病人の兄がらい病人の妹にむかって、不義の子を、「生め、生め」と力強く励ましている、 美しいテーマがありますし、島木氏の小説では、業病におかされた、かつての輝けるオルグが、マルキシズムから離れられない態度を、客観的な嘘のない描写で語っている、厳粛なモチーフがあります。

ぼくにとっては、二人が、それらの生の部分を信じてはいず、心休めにとってつけたのだというような、例のシェストフまがいの意地悪い見方はできません。いかにも二人は人間を信じ、愛して、書いているのでしょう。 島木氏なんかの、その後書かれた、「黎明」や「終章」なんか読めば、この作家が、いかに、虚無とか絶望とかに縁のとおいものかも分ります。

しかし、この小説にはあかりなんぞ、さしてはいません。あるものは、否定の否定でしょうか、虚無よりの創造でしょうか。理由なぞはよくわかりませんが、一口にいってみれば、「瘋院受胎」ではとにかく、これを書いている当人が癩病なんだ、周囲が癩病なんだ、原稿紙にもペンにもレプラ菌がくっついているんだという事実がちらついて、北条氏のために、おのれのために、たまりませんでした。

「癪」ではオルグ岡田がコンミュニズムを信じたって、 「ひとのみち」を信じたって、若し、小説に書かれなければ、彼にとっても他人にとっても同じじゃないかと、ことに、かったいぼうのまま牢に入って、科学的実践をつとめようとしている痛々しさが、我慢できませんでした。

ぼくの恐怖はこんな風に動物的なものです。しかし、 ぼくの敗北感は――。


昨夜、ここまで書きました。続けます。

ぼくの敗北感は、ぼくの苦労が、ぼくの困窮が、はっきりと、二人の作家に劣っているとかんじたところによります。癩病よりも、もっと、ひどい呵責を考えてみました。ちょっと、考えあたりません。実のところ、ぼくもらい病になりたかった。

ぼくは、「俺みたいに苦しんだやつがいるかい」といった自信を腹にひそめて、世のなかにでたかったのです。

ぼくは惨めなつらをして、あなたに手紙を書いています。

いまの文壇なんかに尊敬できるひとはいない。白眼んでいたのに、ぼくなんかより、苦しんできた男がいる。 北条民雄

どうです! 太宰さんはどんな風にお考えになりますか。

ほんとのことをいえば、ぼくなんかのでる幕じゃないと、思案もしてみました。今でも八分はそう信じています。

けれども、ぼくの虫の良さが、まぐれ当りを猛烈にめがけて、手紙を書いているのです。くどい――煩さいでしょう。しかし、手紙も書かずにはいられないところもあるのです。

だいたい、ぼくは小説をのぞいたら、学問でも、実務でも、なにひとつ、面白くない、やる気がしない、生き甲斐がないのです。

子供のときから、そうでした。スポーツも、政治運動も、恋愛も、会社生活も、他人の真似事みたいにやってきました。それも、これも、小説にしよう、とたのしみにしてのことです。いつどんなことでも、小説的色彩をなしに、ものをみたり、行なったことはありません。ところで、書いてみようとおもうと、おのれの亡霊が、今更、過去を書いたって、なんにしようと、叫ぶのです。

逆説的にいうなら、小説に復讐しないでは死にきれたものではないとの考えが、身に染みているのです。

今更、こんなことを書いたってなんにしよう。

太宰さん、ぼくのようなイヤな奴のために、しばしば 御迷惑をかけて、済みません。ぼくは自分が疲れてくると、意地悪くなったり、おもねったりする。ごめんなさい。

太宰さん、ほんとに御迷惑をかけて、すみません。許してください。太宰さん、おそらくは、ぼくの最後の思痴をきいて下さい。フフ・・・・・・あなたが、菲才ぼくごときものを愛してくれ、度々文通をして頂けるというだけで嬉しかった。

ぼくが酬ゆることはできないでしょうが、どこかにいらっしゃる神様が、蜘蛛にかかった虫を助けた大泥棒のカンダカをおめぐみになったように、あ うに、あなたもおめぐみくださるでしょう。気障です。おかしいです。が、糞を喰らえだ。


一昨晩、ここまで書きました。

今晩、新青年の十月号をねそべって読んでいましたら、木々高太郎氏の「文学少女」に次の一節がありました。感動しました。

 

 ――そして、突然、ミヤは医師(せんせい)を呼んだ。

「先生、私の見えるところに来て下さい。お願いが一つあるのです。・・・・・・それは、私はもう一度生れて、文学をいたします。そしたら、やっぱり先生が見出して下さいますわね」

そしてミヤはポロポロと涙を流した。

「先生、文学に悩んだものは、そのひとを見出してくれた人に、生涯の一番の感謝を捧げるものだということを、ミヤは経験しました。・・・・・・ミヤが心のうちで、先生に接吻をしているのを許して下さい」

ミヤは細い手をあげた。

それは、先生を身近く招くためではなくて、近づこうとする先生を、近づかぬように制するためであった。

 

ドストエフスキーがペリンスキーを忘れたという話は余りおもいだしたくはありません。ぼくはドストエフスキーでもなければ、太宰さんもベリンスキーではありますまい。感傷的な言い草ですが、ぼくは前記の文学少女で沢山です。

北条民雄に打たれた印象は消えませぬが、自分も癪病でなければといった、さし迫った気持はうすらいできました。志賀直哉だって葛西善蔵に劣らない作家でしょう。それに、ぼくの腕はまだ細くなぞありませぬ。喧嘩をしたら、杉山平助林房雄なぞは、いっぺんにガンとのせる位の自信はあります。なにしろ、六尺二十三貫の肉体で、縮病になりたいなぞおもうのは、少々グロテスクですね。ぼくの苦労も、否、ぼくの怠惰も、一人前に存在価値がありましょうか。問題はそれだけの気がします。むりに細い腕になって太宰さんを招く必要はありますまい。

ところが、いま、ぼくは心細くって、あなたにとんでもない無理が言いたいのです。心は細い腕をだして、あなたにすがりたい。じつに御迷惑な話です。

というのも、あなたがぼくの別稿、「独楽」を〈いいもの〉とみとめてくれたときの場合です。

もし、〈いいもの〉と、あなたが感じられないときは、どうぞ、一言もお書きにならないで、あなたのお筆ではなしに―――これはどうだってかまいませんが、送りかえして下さい。あるいは送りかえされるのが面倒なときは、ただ、ダメと書いた葉書を下さい。ああ、この、「ダメ」という二字があなたの墨の字で、躍るように書かれたままぼくの机の上にのっているところが、いま、ありありと見えます。勿論、これはあなたが、「ダメ」と書かれないように牽制して言っているわけじゃアありません。 この文句も――。嗚呼、この疑心暗鬼屋奴、黙れッ!

もし、いいものでしたら、この手紙が、この原稿が着いた日から、五日目までには、是非、御返事下さい。十月二十日までには、是非ぼくに、その可否がわかるように―――。どうもぼくのやることは、大衆小説めいています。つい、この前、兼二浦出張の汽車中、読んだ片岡鉄兵の「夏空」という通俗ものの冒頭に、「もし、ぼくの原稿をお読みになり、五日以内に、お金を送って頂けなければ、ぼくと女の二人を殺すことになります」

と、一文学青年が、一文芸雑誌の編載部に書いた手紙がのっていました。ぼくのいまの立場もそっくり、そうなのです。

以下―――ぼくは、ぼくの苦しい立場をならべて、人道主義的に同情を強要するものではありません。或いはそうかもしれない。しかし、ぼくは自分より、あなたを信じている。あなたが、ぼくの要求をかなえてくれたとすれば、それは、あなたがぼくを、認めてくれた―――否、 或いはかわいそうがってくれたのかも知れない。否、そんなことはどうだって、よいことだ。

太宰さん。ぼくがこの前、差上げた手紙に、ある女の子と婚約したと書いていたのを覚えていられますか。当時の日記を抜いてみます。

 

――外は足首が埋るほどの雪だった。いつものようにべつに寒いともおもわず、表てに出た。うしろに残した風景が、ただ眼の底に残っていた。

俺は坂道を滑らないように用心して降りながら、プップップッと吹きだした。「ばかだなァ、あの女は」俺には彼女の子供っぽい紅い唇が、とても嬉しそうにほころ
びているのがみえた。

大体、俺はなぜ、あんなことをいいだしたのだろう。 あの瞬間はおっそろしく真面目な気持であったのがおかしい。多分、母娘二人が真面目だったからだろう。許せ、俺はあなた達を軽蔑しているのではない。かかる風景を、喜劇としかみえぬ、俺を、俺の強いられた喜劇を、奇妙に笑ってみたいのだ。なぜ? 今となったら、もう、自分の確固たる意志を伴わぬ行為が責任をもってきたのが、奇妙なのである。

俺は笑った。いい気持になったり、限りなく苦々しい気持に駆られたりして――。すべては芝居染みていたのだ。俺にあんなことを言わしたのはなにか? 今宵、持って行ったメンデルスゾーン・ヴァイオリン・コンチェルトのレコードの甘さの故か。俺は大真面目になってくちずさんだ。

あのとき、きいたクライスラーのこの上ない甘い旋律が、わたしに夢をみさせたのだ。俺は笑った。俺は求婚したのだ。そして承諾された。笑うぞ!

ボードレール「笑の本質について」笑いほど人間行為のなかで不健康なものがあろうか。

ショオ「人と超人」みたいに女性達が網を張って、俺遠をとらえるのか? あるドイツ人の短編に小便が出っまって、仕方がなしに、求婚するに至った男の話がある。

下らない、思いつきだ。下劣だ。そんなんじゃないぞ。俺はどうして? 止めろ! 俺はだまることに苦心しているんじゃないか。生活のなかで、忘却だけが真実だと心得て―――しがない、サラリーマンで満足するのに汲々としていたはずだ。今夜の行為も、その諦観への叛逆が心の底にあったからか? 煩さい! 俺が軽蔑したのは凡百の小説で、小説作家ではなかったはずだ。今も俺は、俺の饒舌を醜い故に愛さねばならぬ。愛とは?

俺は堂々と語ろう。彼女のお母さんは、素人下宿の後家さんで、彼女は銀行の事務員である――。

 

ぼくは昔、コンスタンの「アドルフ」を読んで、恋愛の美しさよりも、その苦々しさを説いた書に、青春の明るさをゆめみていた頃とて、いささか不満で、最後まで読みとおせなかったことがありました。それだのに、いま彼女に、もう半年もたてば赤ちゃんが生れる、という現実に面して、ぼくは黙するよりほか術は知りませぬ。

昔から、恋愛小説がなかったら、果たして、何人のひとが恋愛をしたであろうか、などのややこしい言い廻しは知りませぬ。あるのは生活手段だけじゃアありませんか。

彼女が孕んだとき激怒した母も、兄も姉も「流しなさい」というようなことを暗にすすめた。しかし、ぼくは、折角、できたもんだから・・・・・・と頑張ってきたし、今でも
思っている。嬉しいんですよ・・・・・・・太宰さん、エへ、、、。 ぼくは彼女をいまこそ、腹の底から、たべちゃいたいほど愛しています。彼女の無智も、不器量も、鼻には来ません。

東京のぼくの肉親達は、彼女の家の貧しさから、ぼくを、だまされたと心配しています。

会社のひと達は、結婚式もしないのに、子供ができたと、手を叩いて、話の種にふれまわるでしょう。

しかし、それがなんでしょう。結婚式をする金も、赤ん坊にそなえる金もないという事実にくらべて―――。

太宰さん、図々しい話ですが、 が、ぼくはそこで、ぼくの小説に、ぼくの資質にのぞみをかけているのです。

いまいる、下宿の後家さんのお母さんは、やはり、生理的なやきもちがあるのでしょう。不愉快なことが多いし―いや、いいひとなんですが、ぼくが我儘なんでしょう。

とにかく、なんとかして―――。

笑わないで下さい。汚れた花嫁と皆はいうかも知れない。しかし、ぼくからは、やりとりされたんじゃない。ほんとの花嫁の彼女の、いま、一つの希望は、幼時からあこがれていた、はなやかな、裾模様をきて結婚式をあげたいというんです。

じゃアなければ、結婚式というものは形式的なもんじゃないかと、泣きそうになって、ぼくに主張する彼女は愧死するかも知れません。げんに、つわりというやつがひどくって、あれは精神的に苦悩のひどいひとほどひどいそうです―入院させるのに、六十円借金したり、質に入れたり苦心しました。

しかし、ぼくのこの希望はぜいたくなものです。ぼくより苦しんでいるひとが、何万人といるのに呑気たらしいものです。しかし、ぼくの小説がもし〈いいもの〉だとしたら、この暗い世の中に、手前勝手ですが、ちょっと明るい結婚式だとおもうんです。御免なさい。じつに、虫の良い考えです。御免なさい。


昭和十一年十月

田中英光 拝