殴殺勇者シア編 ですぅは忘れないですぅ
闇の中から真紅と共に滲み出る者。
金属の腕がシアの腰を抱き、強く引き寄せる。抵抗などまるでなく、それが至極当然であるかのように胸元へ収まるシア。
触れられることすら拒否していた彼女の安心しきった表情と言ったら……
だが、その表情に見惚れている余裕など微塵もない。白髪眼帯の男が完全に出現した瞬間に降り注いだプレッシャー。それが、生きとし生けるもの全てに息を呑ませ、唖然呆然とさせたが故に。
「シア、無事でよかった……」
「はいっ、はいです! ハジメさん!」
放たれるプレッシャーは、生命を否定するような凶悪さ。なのに、胸元のシアにかける言葉は蕩けるように甘く、心からの安堵が滲むものだった。シアのウサミミが、甘えるようにハジメの首筋に絡みつく。柔らかな頬を、これでもかと愛しい人の胸元にこすりつける。
今なお、放逐せんと歪み狂い続ける空間と、脱出を許さぬ超重力場に包まれているにもかかわらず、漂うのはなんとも甘い空気。
とはいえ、
「チッ。鬱陶しい空間だな」
なので、
「――〝限界突破〟」
真紅の魔力が爆ぜた。大気どころか空間そのものが消し飛びそうな衝撃波が、ハジメとシアを中心に球状に爆発する。まるで紅い月を思わせるそれに、歪む空間と重力場は一瞬で消し飛んだ。
真紅の衝撃波が呆けていた全ての者達を吹き飛ばす。爆風に煽られる布のように翻弄される。比較的近い距離にいたアロガン、グルウェル、ルイスが、それぞれ仲間や主君を守るため素晴らしい反応で障壁を張るが、その障壁ごと吹き飛んでいく。
〝限界突破〟を使ったのは、ほんの一瞬。されど、その場の誰もが感じた。誰もが理解した。
あれは人じゃない。その枠を超えた、何か恐ろしいものだと。
――なんという……新たな異界の子。まさか自力で界を渡り、我が力を退けるとは
我に返ったような星樹の声が再び降ってきた。
天を見上げるハジメの目が、スッと細められる。
――やはり異界の子は危険です。この星のために消えなさい
精霊獣が、天啓を受けたかのように跳ねた。数万の自然が形を成した獣達が、母の願いを受けて殺意を滾らせる。天人族もまた同じ。感じた畏怖を振り払い、新たな異界人という害虫を駆除すべく気勢を上げる。
「……なるほどなるほどなるほど。この状況、その言葉、想像するによほど切羽詰まった事情があるようだ。誰かを救いたいのか。何かを守りたいのか。お前達にはお前達の、のっぴきならない事情があるんだろう」
ハジメは詳しい事情を知らない。こちらに転移して、しかし、世界間の隔たりが強すぎて、シアの座標からかなり位置がずれたのだ。なので、この世界に来た後、再度座標を調整して改めて転移してきた。
とはいえ、敵対する超常の存在達と人々、シアに向ける彼等の眼差し、シアが置かれていた状況、天から降ってくる言葉、それらから考えればある程度のことは推測できる。
かのエヒトルジュエのような、愉快犯的な元凶がいるわけでないことも、十分に理解できた。
だが、しかし、
「死ね」
再び噴き上がる真紅。燦然と輝く宝物庫。
刹那、まるで意趣返しのように――空が埋め尽くされた。
それは真紅と漆黒の十字架――クロスヴェルト千機。
それは特殊複合金属製の死神――グリムリーパー千機。
一撃で鋼鉄すら粉砕する牙を詰め込んだ葬送の十字架が、一斉に砲口を転回。
兵器を満載したグリフォンが、背中を割ってガトリング二門を、顎門を開いてスパーク放つアンチマテリアルライフルを、翼の下からペンシルミサイル群を展開。
物量戦こそ本領の神殺しに、よもやよもや物量で押し切ろうとは笑止千万。
一瞬で虚空に出現した真紅のオーラを纏う凶悪な〝何か〟。正体は分からずとも、精霊獣達も天人達も、本能で理解した。
――今、死が目の前にある、と。
「――皆殺しだ」
慈悲はない。世界の命運とシアの命。天秤にかけるものを、彼等は間違えたのだ。
故に下った魔王の勅命。
その瞬間、地獄の釜は開いた。空に轟音と閃光が乱れ飛ぶ。真紅の火線が、ただ一撃で獣共を穿ち、爆散させ、消滅させる。
「くそっ、なんだっ、なんだこれは!?」
シアを害虫呼ばわりしていた天人が、一瞬で間合いを詰めてきた鈍色の怪物から必死に逃げる。だが、重力制御というふざけた方法で疑似飛行するグリフォンに、風を操る程度の飛行では、それこそ音速の黒竜レベルにでもならない限り勝てるわけもない。
「や、やめっ――ぐぺっ」
なんとも間抜けな声を漏らして、その頭部が紙くずのように食い千切られた。
「ぐ、軍団長ぉ――」
部下の天人が悲鳴じみた声を上げるが、その瞬間に、軍団長とやらの頭を咥えたグリフォンは、そのまま電磁加速式対物ライフルを発射。吐血でもしたみたいに口元から血肉を吹き飛ばし、そのまま叫んだ天人をライフル弾で木っ端微塵に。
ドラゴン型や大鷲型、獅子に羽が生えたような精霊獣達が、津波となってハジメに迫るが、クロスヴェルトの弾幕を前に、まるで泥壁を叩いて崩すが如く消し飛んでいく。
千対万と言えど、毎分1500発の電磁加速されたバースト・ブレットだ。当たった瞬間、半径十メートル以内は消し飛ぶような衝撃波付きなのだ。もはや、弾幕というより空の絨毯爆撃である。
必然、精霊獣達の霊石と、天人達の血肉が、豪雨となって地に降り注いでいくという悪夢の戦場――否、蹂躙場ができあがる。
『なんということを……許しません!』
蹂躙される味方の光景に、凄惨すぎる戦場に、火輪の神霊ソアレが焦燥と憤怒を迸らせた。一際高く空に上がると、頭上に一瞬で太陽の如き光を作り出す。それはまさに、シアに放ったあの太陽の閃光だ。
『陽の光に焼かれて消えなさい!』
「てめぇがな」
ニィッと笑えば出現する巨大なアーティファクト――〝バルス・ヒュベリオン〟。チャージは一瞬。天より落ちてきた断罪の光を、魔王の牙が真っ向から迎え撃つ。
降り注ぐ閃光と、噴き上がる閃光が空中で激突。凄まじい熱波と衝撃が放射状に広がる。
世界が陽の光に染め上げられ、夜の帳が落ち始めた黄昏の世界が昼のように照らし出される。
神話のような光景に、もはやアロガン達はただただ小さくなって己等の身を守ることしかできない。
拮抗する神の断罪と、魔王の殺意。
『っ、馬鹿な。人の身で、これほどのっ』
ソアレの出力が上がった。神の意地というべきか。光の柱が更に肥大し、極大の閃光となってハジメ達を呑み込まんと迫る。
なので、二機目の〝バルス・ヒュベリオン〟を召喚。
『なっ』
驚く暇もない。三機目召喚。まだ耐える? OK、四機目召喚。
『あり、得ないッッッ!?』
天を衝く閃光が、太陽の光が、太陽の化身ともいうべき神を呑み込んでいく。
『異界の怪物……滅んでもらうぞ』
大地が隆起する。火輪の危機に大地が奮い立つ。
「土くれ如きが、誰に向かって口を利いてんだ?」
右手に握るは超大型電磁加速式対物狙撃砲――〝シュラーゲンA・A〟。ロマンの88mm炸裂砲弾が、一撃でオロスの頭部から股下までを貫通する。
まさに、土くれを軽く叩き潰すが如く。大地を集めただけのゴーレム如きでは、ロマンを受け止めることなどできるはずもない。せめて、全身金属鎧のロマンゴーレムになってから出直してこいと言わんばかり。
直ぐに再生を始めるが、完全に巨体を取り戻す前に、大地のどこから再生しようがロマン砲に撃ち抜かれ爆砕してしまう。そのうち、再生速度が目に見えて落ちていく。
焦ったのはウダルだ。宙に浮き上がり、天へと祈りを捧げる。
『母よ! ルトリアよ! 火輪と大地をお呼びください! このままでは!』
陽光に焼かれ続ける太陽の化身。鋼鉄に打ち砕かれ続ける大地の化身。このままでは消滅を免れない。たとえ死はなくとも、今後数百年は顕界できないだろう。そして、復活したとき、同じ人格かも分からない。
星樹は全ての神霊の元であるが故に、精霊獣を転移させたのと同じく、逆に召喚することもできる。ウダルは、二柱の緊急避難を願って母へ呼び掛ける。
だが……
『な、何故、応えてくださらない、母よ……』
思えば、おかしかった。何故、精霊獣達どころか神霊達まで危機に陥っているこのときに、ルトリアは何もしなかったのか。
嫌な予感がウダルの胸中を満たす中、しかし、母は応えた。少し距離はあったが、数十分もあれば到達するだろう距離に、魔王国程度覆い尽くすに訳ない〝地を駆ける精霊獣〟の第二波が出現したのだ。母ルトリアは、ウダルの願いとは異なるが、確かに応えた。
同時に、そこに神霊達を召喚しない、否、できない答えもあった。
「何故だって? そりゃあお前、生き残るのに必死だからだろうよ」
天より、禍星が落ちてきた。赤熱化し、白煙を上げる巨大な岩塊――隕石。
それが、悪魔的に嗤うハジメの頭上を通り、その向こうから迫る新たな精霊獣の大群へ……直撃した。
激震が星を襲った。大地が捲れ上がり、海のように波打ち、土砂が天を衝く。衝撃波と爆風が、二キロ以上離れたこの場所にまで届く。
――メテオインパクト
天より墜ちる禍の星が、偶然であるわけがない。これもまた、魔王がもたらす破滅の一つ。
『まさかっ』
そのまさかだ。星樹ルトリアは、神霊達を援護できなかったのではない。精霊獣を送り出すので精一杯だったのだ。
また放逐の力を使われるのは鬱陶しいと、ハジメが既にメテオインパクトを遙か北にある絶海の孤島へ放っていたために。
星樹の位置など、羅針盤で既に把握済み。メテオインパクトも、こちらの世界に転移した直後に、こんなこともあろうかと放出済みだったのである。
今、星樹はまさに存亡の危機を前に死に物狂いで対応中なのだ。
『貴様っ、己が何をしているか分かっているのか!? ルトリアは、この星の意思そのもの! この星の全ての命の母なのだぞ! 生きとし生けるものが――』
多くの命に多大な影響が出るだろう星樹の消滅。その重大さを叫ぶウダルに、しかし、当のハジメは、
「うるせぇよ」
一言で切って捨てた。『なっ』と言葉に詰まるウダルに、そして、血風吹き荒れる戦場の全ての者に、ハジメは言う。
「人の女をかっさらって、挙げ句、殺そうとして、何が命は大切だ」
殺意が、憤怒が、真紅の暴風となって世界を染める。
「この星の全ての命より、シア一人の命の方が重い。当たり前のことだろう?」
誰も、何も答えられない。物理的暴虐と、あまりに狂気的で、しかし、揺るぎない鋼鉄の意志に晒された故に。
「二度と手を出させない。人も、神モドキも、諸共に滅べ」
それが魔王の決定。化け物の宣言。
虎どころか悪魔の尾を踏み、竜どころか化け物の逆鱗に触れた世界の命運は、あまりにあっさりと決まった――
「ハ、ハジメさぁ~~んっ、ちょっと落ち着いてくださぁい! 気持ちは嬉しいんですけど! ものすっごく嬉しいんですけどぉ!」
迎えに来てくれた安堵感と包み込まれる幸福感でトリップしていたシアが、世界の破滅を前に我に返り、ウサミミでハジメの凶相をもふもふした。
「おいこらシア。今シリアスな場面だから、ちょっと自重してくれ。もふもふパラダイスでトリップしちまうだろ」
「いえ、自重してくれというのは私のセリフなんですが」
とにかくスト~プ! と訴えるウサギ嫁に、ハジメは訝しむ表情になる。
「けどな、シア。お前を誘拐して殺そうとした連中だぞ」
「誘拐したのは人の方で、殺そうとしたのは神の方なので、別々なんですが」
「なら喧嘩両滅殺でいいじゃねぇか。シアに手を出したんだ。死んで詫びる以外に何がある」
「あ、愛されすぎて辛い……いや、まぁ、私も大概イライラしてはいたんですけど……」
とはいえ、自分一人のために世界一つ滅んでのほほんと笑っていられるほど、シアの神経は図太くない。香織やティオ、雫達だって同じだろう。ハジメやユエくらいなのだ。絶滅を躊躇いなく実行する人種は。まさに最凶夫婦……
「ふん? 皆殺しは逆に気に病む、か……」
自分のために何十万という命が散って、シアが諸手を挙げて喜ぶわけもない。と、頭に昇っていた冷たい血がようやく下がってくる。
幾分、憤怒の感情を冷まして、ハジメは戦場を見渡した。既に空の精霊獣は数えるほどで、天人も全滅寸前。精霊獣は自然の化身なので、どこかに霊石さえあればそれを核に復活する存在だが、今のところそれもない。
取り敢えず、ヒュベリオンと、片手間で連射していたシュラーゲンA・Aを止めてみれば、赤い火の玉みたいなスライムが地に落ち、クレーターの中で琥珀色のスライムがべっちょりしている。
と、その時、ハジメは羅針盤で追っていた気配が健在であることに気が付く。
(ほぅ、神モドキは凌いだか。念の為、三発ほど波状的にメテオしてやったんだが……)
どうやら、星樹はメテオインパクトの三連発を辛うじて凌いだらしい。反撃どころか、声すら降ってこないあたり、余裕がないのは間違いないのだろうが……
(あらかじめ放出しておいたメテオは撃ち切った。もう一度、放出するのは可能だが……)
大陸間弾道弾並のメテオの運用は、それなりに魔力を消費する。シアも割と疲弊状態。敵の残存戦力は不明。帰還分の魔力としてはギリギリ。シアとハジメの魔力が全快状態なら話は別だが、自然魔力のないこの世界では自力回復にも時間がかかる。
結論。
「しょうがねぇ。お前等命拾いしたな。シアの海より深い優しさに、むせび泣きながら感謝しろ」
一度、地球に帰還してシアの安全を確保して、場合によっては……シアが知らぬ間に改めてキルゼムオールするか……また、召喚なんて話になったら困るしな……
というハジメの内心など分かるわけもなく、暴虐の余波とメテオインパクトの衝撃でほぼ崩壊状態となった魔王国の民は、いつその暴虐が自分達に向くかと戦々恐々としつつ揃って思った。
「「「「ゆ、勇者シア様! 万歳! 万歳! 万歳!」」」」
魔王を止めるのは、いつだって勇者である。ある意味、その勇者が魔王を呼び込んだのだが、そこは目の前の脅威が一先ず去ったことで脇に置いておく。
「我等天人を甘く見るなっ。遙か高き我等の地が、貴様等害虫を必ずや駆除し尽くす! この世は、神々と我等天人だけの世界こそ理想の――」
遂に最後となった天人が、満身創痍で宙を漂いながら叫んだ。血走った目には、ハジメへの畏怖ではなく、現実を否定するような狂気がある。
ドパンッ。
落ちていく天人だったものには目もくれず、ハジメは、シアへ視線を向ける。
救済の手助けをしていた世界が、旦那の手によって崩壊するという悲劇とも喜劇ともつかない事態を回避できたことにほっとしつつも、そうやって自分の言葉をしっかり受け止めてくれたハジメに、シアは、改めて感極まった様子で、
「ハジメさぁんっ~~~~」
「んむ」
むちゅ~~と吸い付いた。首に手を回し、足も回してしがみつくようにしながら、もう離れませ~~んっと体現するように熱い口づけをする。それを、ハジメもまた優しい表情で受け止めた。シアを離すまいと、強く強く抱き締め返す。
狂気と惨劇の嵐が去った戦場の上空で、誰を気にすることもなく重なり合う二人。
空気が変わり、同時に一部から「うぼぁ」と奇怪な呻き声が漏れ出した。エリックだった。この世の終わりみたいな顔で、四つん這いになっている。
ルイスも引き攣り顔で、グレッグはめちゃくちゃ沈んだ様子で、フィルは思いっきり顔を逸らして、他の騎士達も死んで腐った魚みたいな目をしている。バルテッド勢の心が瀕死だった。一人、ダリアだけは瞳をキラキラと輝かせているが。
と、そこに、
「少し良いかな?」
空に上がり、ハジメ達に声をかける人物が一人。アロガンだ。
「んん~、ハジメしゃぁん~、会いたかったですよぉ」
「ああ、悪い。少し遅れたな」
ごほんっと咳払いしてみる。私、一応魔王だよ。ここにいるよ。
「少しじゃないですぅ! ほとんど丸一日じゃないですかぁ! 何してたんですかぁ」
「あ? 丸一日? ……時間軸がずれてんのか? 転移座標がずれたのもそのせいか?」
アロガン、うおっほんっと盛大に咳払いしてみる。直ぐ傍で。
しかし二人は、お互いしか見えていないみたいに、会話しながらも唇を合わせ続けている。直ぐ目の前で。
「時間が? あの、ユエさん達は?」
「こっちに来るのに、ユエ達の魔力を全部使った。何があるか分からない場所に、枯渇状態のあいつらを連れてくるわけにはいかなかったからな」
「そんなに遠い世界だったんですね……」
「少しっ、良いだろうか!?」
辛抱ならん! 生まれてこの方ここまで無視されたことは一度もない! 傷つく! という感じでアロガンが声を張り上げた。
ハジメとシアが、ようやく「あ?」「はい?」と気が付く。その間も、シアはハジメにベッタリとしがみついているが。
ハジメの路傍の石を見るような目に一瞬怯んだアロガンだったが、ハジメの力を見た後だ。思惑や感情を抑え込み会話を試みるべく、ハジメをしっかりと観察する。
そして、一瞬の間の後、にっこりと笑って手を差し出した。
「シア共々、救援に感謝するよ。誤解もあるだろうから、まずは話を――」
させてくれ、と言いかけて、しかし、アロガンは言葉を止めた。否、止められた。
ガッと、握り締められた手首の痛みで。誰が握った? ハジメ? 否、シアだ。
「おい」
いつの間にかハジメから降りていたシアが、俯き気味で、ハジメですら聞いたことのないドスの利いた声を出した。
「っ、な、何を――」
「お前、今、ハジメさんと自分を比べたでしょう? 勝てるところを探したでしょう? それで、男の魅力としては勝ってると、そう思ったでしょう?」
ひゅっと息を呑んだのはアロガン。王故に、内心を隠すことなど慣れているにもかかわらず、完璧に見抜かれた。
べきょっと生々しい音が鳴った。同時に、アロガンから「ッッ!?」と声にならない悲鳴も。シアの手が、アロガンの手首を握り潰したのだ。
咄嗟に引こうとしたアロガンだったが、シアの手はビクともしない。その表情は、綺麗な長い髪に隠れて判然としない。
「言いたいことはいろいろあります。反省の欠片もない馬鹿が、とか。見た目も言動も全部余すとこなく気持ち悪いんですよ、とか。勝手に王妃扱いするとかミンチにしてやろうか、とか……けど、まぁ、その辺は置いておいて」
ドォッと魔力が噴き上がった。顔を上げたシアの瞳が、淡青白色に輝いている。同時に、憤怒に煮え滾っていた。
アロガンの本能がけたたましく警鐘を鳴らす。霊法を使って離脱しようとする。が、時既に遅し。
握り締められた拳が、引き絞られた矢のように後方へ。
「私の旦那様に、てめぇが勝ってるところなんて欠片もあるわけないだろうが! この勘違いナルシスト野郎ぉおおおおっ――――――ですぅ」
轟音。アロガンの顔面にシアの右ストレートが突き刺さった。うっかり「ですぅ」を忘れてしまうほどの怒りがこもった拳に、アロガンは一撃で顎と頬骨を粉砕されて気絶。
だが、ただ白目を剥くだけでは、鬱憤をため続けた挙句、最愛の人を下に見られたシアの気は収まらない! 砕けた手首は、まだ離されていないのだ!
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!」
ラッシュ! ラッシュ! ラッシュ! シアの右拳が霞む速度で連打される! 弾き飛ばされては砕けた手首ごと引き戻され、再び殴打の暴風を受けるアロガンは、完全にサンドバック状態。
「お、おい、シア?」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラッ――ですぅ――オラオラオラオラオラオラオラオラオラッ」
「無理に〝ですぅ〟付けなくていいぞ?」
何やらイケメンをボロぞうきんにし始めたシアのあまりの荒ぶる姿に、ハジメですらちょっと引いてしまう。後、忘れるくらいなら「ですぅ」はなくていいと言ってみるが、そこはシアのこだわりなのか、ちょくちょく「ですぅ」を挟む。
「へ、陛下ぁーーーーっ」
「おやめくださいぃいいいっ、勇者様ぁあああっ」
アロガンの腹心達があわあわしながら絶叫。国民も、自国の王を「勘違いナルシスト野郎がっ」と罵られながらボッコボコにされる姿に呆然。
そうして、もうウッサウサなんて可愛らしく言えないレベルで殴打され、痛みによる気絶と覚醒を繰り返したアロガンの「も、もうやめ――」という懇願を最後に、
「いっぺん、三途の川渡ってこいやっ!! ――ですぅ!」
シアは、ジャイアントスイングでアロガンを解放した。
砲弾のように飛んで城壁に叩き付けられそうになったアロガンを、腹心達が死に物狂いでキャッチ。が、勢いは止まらず、仲良く城壁を粉砕しながら城の中へ消えていった。
ふぅふぅっと憤り冷めやらないシアは、そこでぐりんっと首を回した。
「どこに行こうというのです?」
「!!?」
瞳孔の収縮した目が捉えるのは、そっと離脱を図っていたグルウェル。漁夫の利を狙い、しかし、ハジメの蹂躙劇を見て神側も危ういと感じ、蝙蝠よろしく、どさくさに紛れて撤退し状況を見極める時間稼ぎをしようと考えたのだが……
「待つのだ、シア。私は――」
「言い訳無用。その翼と鱗、オイテケ――ですぅ」
再びのフルボッコタイム。悲鳴を上げて逃げようとするグルウェルを、取り出した鎖で拘束して殴打殴打殴打ッ。鱗を物理で破壊し、剥ぎ取り、翼をへし折って、頭部を地に沈める。
「私の心はお前のものぉ? そんな腐臭のする生ものなんか誰が欲しがるかっ――ですぅ」
獣人の精鋭部隊が、獣王を助けようと飛び込んでくるが、その彼等をシアは片手間で千切っては投げ千切っては投げ……
「ハジメさんの怒りが恐くて、責任だけ他の人に押しつけて逃げようっていうその根性が気に喰わない! 聞いてるんですかっ、コウモリ野郎!」
「ま、まてゲハッ!? 私は、王としてゴフッ!? それに、りゅうじん――」
「てめぇが竜人を名乗るなぁっ、ですぅ!!」
既に竜化が解けて、美丈夫の姿でマウントからの乱打を食らうグルウェル。少しの間抵抗していたが、それも直ぐになくなり、ビクッビクッと痙攣するだけの生ものになった。
ふぃ~~~~っと実に良い笑顔で汗を拭うシアちゃん。なんだかとってもすっきりしているご様子。
まるで鬼神夫婦……そんな風に思ってしまった魔王国の者達は、先のシアの「未来を想うなら変われ」という言葉に反発を抱いた者達も含めて、とっても大人しくなった。
気を失っているのか、ねっちょりと地面を這う神霊二柱と、それらを介抱しようとぽよよんっしているウダルに追撃しようという声も上がらない。気分は、そう、百獣の王を前にただひたすら草の陰で息を潜める子ウサギの気分……
オロスの残骸である、城壁より高い岩塊の小山の上に着地したハジメの元へ、シアが清々しい笑顔で駆け戻ってきた。
「すみません、ハジメさん。言い寄られたり、魔王とか竜人で獣王とか名乗られたりして、ちょっとイライラしていたもので」
「言い寄られた? ……そうか、ならしょうがないな」
肩を竦めて、鬼神ウサギな嫁の暴行劇にあっさり納得したハジメは、帰還の前に、「誘拐したのは人の方」という言葉を思い出して、暴行の引き継ぎを行うべくシアに犯人を問いただそうとした。
が、その前に、危険な空気を察したのか、それとも最初からそうするつもりだったのか、自首すべくハジメの元へいち早く飛び込む者が……
「お初にお目にかかります。私はバルテッド王国の筆頭霊法師ルイス・レクトールと申す者。シア、殿の召喚をした張本人でございます」
「……へぇ」
瓦礫の山頂で仁王立ちするハジメの前で、なんとも美しい平伏姿、もとい土下座をするルイス。
ハジメから殺気が噴き出るが、一拍遅れたのは南雲家が土下座に関して一家言持ちだからか。菫や愁がいたなら、きっとルイスに「土下座検定準一級を認定します!」と証書を贈ったに違いない、というくらい躊躇いのない美しい土下座だった。
「ご家族を引き離した罪、甘んじて受けるつもりです。お望みとあらば、命を以て贖いましょう。ですがっ、どうかっ、我等にご助力を!」
答えず、冷めた目でルイスを見下ろすハジメ。そこへ、追いついたエリックが一瞬の躊躇いの後、ルイスの隣で平伏した。
「バルテッド王国の王エリック・ルクシード・バルテッドだ。勇者召喚を最終的に許可したのは私だ。全ての咎は私にある。だから、どうか、星樹への怒りを収めてはくれまいか! 全ては、我等人の業故のことなのだ!」
苦しげに語るエリックの後ろに、ダリア達が同じように膝を突いた。エリックが、人が犯した罪と、救済計画のことを端的に説明する。
「シアから、おま――あなたのことは聞いている。利があれば、助力の可能性はあると。何を勝手なと思われることは重々承知だ。だが、我等には縋るしか道がない! 差し出せるものならなんでも差し出しそう! だから、どうか力を貸してもらえないか!?」
一国の王が、平伏したまま必死の懇願を行う。その様は魔王国の民にも見えていて、意識を取り戻して回復措置を受けている最中のアロガンとグルウェルにも見えていた。
全身全霊の切願は、全て、古き良きを思い出し悔い改めた多くの民達の未来を想ってのこと。
私利私欲なき姿は、なんとも心に迫るもので……
ドパンッ♪
「てめぇ、誰の嫁呼び捨てにしてんだ。撃つぞ」
「ハジメさん、もう撃ってます」
AKY!が、ハジメの正義。エリックは「力を貸してもらえないか!?」と顔を上げた瞬間に額を弾かれ、白目を剥きながら瓦礫の山を転がり落ちていった。「陛下ぁああああっ」というルイス達の絶叫が響く。
何度言っても呼び捨てをやめず、ちっとも会話が進まないために半ば諦めていたシア的には、凄くすっきりな上に嬉しかったので、思わずウサミミがパタパタしてしまう。
そんな軽い雰囲気の中で、エリックが死んだと思ったダリアが口元を押さえながら思わず、
「な、なんてことを」
と呟くが、
「非殺傷設定だから大丈夫」
ハジメさんはそう答えて、あっさり視線を切った。一応、ゴムスタン弾だったのは慈悲なのだろう。
「さて、帰るぞ、シア」
異世界の事情? 世界の危機? 王様の土下座? ……土下座だけは評価しよう、と言わんばかりに切り捨てたハジメに、シアは「ですよね~」と少し遠い目をしてしまう。
けれど……
ダリアが、胸元を握り締めて、縋るようにシアを見ている。その眼差しは、辛うじて目を覚ましたエリック達も同じだった。
絶望が滲む瞳。けれど、決して諦めていない瞳。きっと、ハジメが宣言通りシアを連れ帰ってしまっても、彼等は最後まで足掻くのだろう。未来と、傷つけた星樹達のために本気で変わろうとしている多くの民を知っているから。
その様は、巨大な鋼鉄の壁に全速力で体当たりするのに似ている。壊れるのがどちらかなど、子供でも分かることだ。
だから、シアは苦笑いを浮かべて、ハジメの袖を指先で摘まんでしまうのだ。
「シア?」
「……ハジメさん」
シアの目を見る。それだけで、ハジメには分かってしまう。そう、全部分かってしまう。
それでも、さっさとこんな世界からは離れてしまいたいのが本音のハジメは、苦笑い気味に尋ねてしまう。
「なんでだ?」
「困ったことに、同情してしまったので」
未来を想い足掻く者には、ハッピーエンドが待っていて欲しい。だから、ハジメへの嘆願の際には、口を添えようと約束した。かつて、ユエが自分にそうしてくれたように。
「後悔して、なんとかしようとして出来なくて、でも諦めることなんてもっと出来なくて、自分に出来ることに必死になる気持ち、分かっちゃうので……」
自分の存在が家族を追い詰めて、頑張ったけれど家族はどんどん奪われて、僅かに見えた一筋の光に、全力でぶつかっていった。
「ちゃんと割り切れなくて、面倒なこと言って、ごめんなさいです。結論は、ハジメさんに委ねます。反対はしません」
それが、大切な家族を巻き込むシアのギリギリのライン。
約束は果たされた。〝利〟よりもずっと価値ある言葉が、ハジメに届けられた。
真っ直ぐな眼差しで結論を委ねるシアに、しかし、ハジメは、
「このドあほうウサギ」
「あだ!?」
デコピンを返した。「な、なんです? ここでも空気読まない気ですかぁ!?」といろんな意味で涙目になるシアに、ハジメは呆れたように言う。
「忘れたか? お前のためなら俺は俺の全力を使うことを躊躇わないって、昔、そう言ったろ」
「……忘れるわけないじゃないですか」
だから、こうして委ねたのだ。だって、シアが望めば、ハジメは本当に、いつだって全力で力になってくれるから。だから、自重が必要なのだ。嫁~ズの共通認識である。
ハジメは身内に甘々すぎるのだ。油断したら、シア達の方がダメになりそうなくらい。
内心で、「ハジメさんの方こそ私達を甘やかすの自重して欲しいですぅ」と思いつつ、口元がむにゃむにゃしてしまうのは避けられない。
「で?」
言葉を、望みを、本心を、求めるハジメに、シアは困ったように微笑みながら言った。
「……彼等の、いえ、たくさんの人達の、大切だった存在へ今の心を届けたいという願い、叶えてあげたいです」
その後の結果までは関知できない。この世界の未来を背負うのはシアではないから。
けれど、子を諫め続けて、届かなくて、他の子達を守るため固く心を閉ざしてしまった母の元へ、反省した子を連れて行くくらいのことはしてあげたい。
「了解だ。手を貸そう」
応えはシンプルに。しかし、成功を確約する力強さをもって。
面倒、などとは思うまい。シアのそういうところを、ハジメは愛しく思うのだから。
シアは、もう言葉もなく、ただハジメにぎゅっと抱きついた。
ハジメは、そんなシアをひょいと片手で持ち上げると、ドカッと瓦礫の山の山頂に腰掛けた。そして、シアを片膝の上に座らせると、まるで魔王が下界を睥睨するかのように視線を巡らせた。
その先には、シアとのやりとりを見ていた三王と、どうにかぽよよんっと跳ねる程度には回復した二柱の神霊、そしてウダルの姿がある。
「取り敢えず、情報だ。お前等、そこに並べ」
ぽよよんっと、意識高い系キャリアウーマンみたいな感じの火輪の神霊ソアレが反応。
『黙りなさい、異界の怪物! お前の所業は――』
ドパンッ♪ ビシャァ……と、赤い火の玉スライムは飛び散った。危うく消滅する寸前で、どうにかスライム形態になったところでの一撃に、赤スライムはもじょりもじょりするだけで元に戻るのも難しい様子。
『貴様っ、我等神霊に対し――』
ドパンッ♪ 大地の神霊オロスは、大地の染みになった。もじょりもじょりするだけで元に戻るのも難しい様子。
ドパンッ♪ 『なぜ我まで!?』と、ウダルが飛び散った。
その様を見て、三王が少し慌てた様子でやって来る。
ハジメの「そこに座れ」という言葉に、アロガンはボコボコの顔面のまま、最後の矜持なのか「いや、結構」と立ったままでいる意思を示し……
ドパンッ♪ 殺傷設定だから大丈夫! 死ぬよ!
脳髄を撒き散らして倒れるアロガンさん。
「座れ」
「待つのだ。貴様は――」
グルウェルが、あまりにあっさり命を奪ったハジメに正気を疑うような目を向け――ドパンッ。額に風穴を空けて倒れた。
しんっと静まり返る現場。一拍して、何が起きたのか理解した双方の側近達や国民が悲鳴を上げかける。
が、その前に、ペカ~~ッと光が降り注いだ。いつの間にか上空にあった物体――再生魔法照射アーティファクト〝ベル・アガルタ〟の光だ。死にたてホヤホヤくらいなら、黄泉の国から強制的に釣り上げ可能なとんでもアーティファクト。
「ハッ!? 一体何が!?」
「ッッ!? 私は今!?」
脳髄撒き散らして死んだはずの二人が、ひょこっと起き上がる。同時に、べっちょりしていたスライムモドキ二柱も、スライムに戻る。
『貴様! この火輪の化身たる私を――』
ドパンッ、ドベチャァッ、ペカーッ、復活! 『きさま――』、ドパンッ、ドベチャァッ、ペカーッ。『きさ――』、ドパンッ、ドベチャァッ、ペカーッ。『やめ――』、ドパンッ、ドベチャァッ、ペカーッ。『……』
赤スライムさんは、大人しくハジメの前でぽよよんした。
「馬鹿は死んでも治らないというが……仮にも神と王と名乗ってるんだ。まさか、そんなことはないだろう?」
エリックさん達がガタガタしていらっしゃる。
アロガンさん達もガタガタしていらっしゃる。
神霊さんも例外ではなく、魔王国の民はもっとガクガクしていらっしゃる。
心を改め素直になるまで、何度でも死んでやり直していいのよ?
それすなわち、
――魔王流嫌がらせ百八式 いっぺんと言わず、なんべんか死んでみる?
某地獄の少女が真顔で「それ違う」と言いそうな悪魔的嫌がらせ(?)である。
『生と死を自在に操るなど……母ルトリアでも……』
人間じゃない。もっと悪魔的で、神すら及ばない領域の……
「で? あと何回死んだら、素直になってくれるんだ?」
ああ、魔神か。
にっこり笑うハジメに、神も人も種族も関係なく、この世界の全ての存在の心が一つになった瞬間だった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
感想・意見・誤字脱字報告もありがとうございます。
殴殺勇者シア編、次回で終わりです。
ただ、申し訳ないことに……書籍化作業と私事で来週と再来週の更新が危ういです。
もしダメだったらごめんなさい!
追伸
ハジメの見た目ですが、ユエ達がこれない分、本気モードなので腕や髪、瞳の偽装は全部取り払ってます。 謂わば、魔王モードです。
追伸2(ネタ紹介)
・千機の十字架
⇒イメージは、ブリー○の六番隊隊長さんの殲景・千本桜景○。
・キルゼムオール
⇒○魔法峠のぷに○様より
・オイテケ
⇒ドリフター○の島津さん(又は妖怪首おいてけ)より
・死んでみる?
⇒地獄少○の閻魔ちゃんより