殴殺勇者シア編 私は人妻ですぅ!!
淡青白色の波紋の上で、凜と胸を張るウサミミ少女。
さしもの大地の神霊も、これには次手が咄嗟に出ない。戸惑い、驚愕し、「お話って、物理で?」……っと思っているかどうかはともかく、己から見れば羽虫にも等しき小さな少女に弾き返された鉄槌を元に戻すので精一杯。
天人族達も、魔王も、そして魔王国の民一人一人に至るまで、まさに絶句。
その唖然と魅了がもたらした空白の時間に、追いついた黄色のスライム……ではなく、雷雲の神霊ウダルが、シアの前にぽよんっと躍り出た。
『オロスよ、少しの間でよい。矛を収めよ』
ギロリと、遙か六百メートル上から鋭い眼光が降ってきた。巨大ゴーレムの頭部には、小さいが、確かに目と思しき一対の光が見える。
『ウダル……なんという有様か』
反論はない。だって見た目完全にスライムだもの。でも、むぅと唸るくらいは許して欲しい。ウダルは内心を表すようにぺかぺかと明滅しつつ、己が認めた少女との約束のため言葉を紡いだ。
『人の子の話に、耳を傾けてやってはくれまいか?』
『……』
オロスは答えない。ただ、無視ではなかった。思案でもなかった。感じられたのは驚愕と悲嘆と、そして憤怒。
『我等は、時に忘れがちだ。命とは、その数だけ色があるということを。〝人の子〟もまたしかり』
〝人の子〟という単一の生き物ではない。生まれた命の数だけ、意思があり、価値観があり、そして変わり方、変わる速さも異なるのだ。そう語りかける。
だから、とウダルは続けて……
しかし、その前に、
『堕ちたか、雷雲よ』
哀れ哀れ、なんたる悲劇。同胞よ、見るに堪えないその有様、もはや是非もなし。母に徒なすというならば、諸共に滅びよ。
言葉なくとも、大地揺らす殺意の奔流を突き付けられる。
それが鉄槌という形で示された。片腕のみと言えど、相変わらず大質量の隕石落下と遜色なし。衰えた神霊の一柱程度、叩き潰すには十二分。
「どっせい!!」
もちろん、そんな未来はバグウサギが許さないが。
轟音が大気を攪拌すると同時に、再びオロスの鉄槌は弾き返された。
だが、今度は呆ける無様を晒したりはしない。一撃で無理なら、二撃。二撃でダメなら三撃。落ちるまで、滅びるまで、何度でも。
轟ッと風が荒れ狂った。
それは、まさに嵐のような乱打。大地を踏み締めるオロスの両腕が、小さな反抗者と堕ちた同胞を滅するべく連続して繰り出される。
流星のように降ってくる二本の腕の鉄槌は、その矛先が向けられている魔王国の民からすれば、まさに悪夢。
だが、その悪夢を、悪夢だと思えるのも生きていればこそ。
「レベルⅦ!! どんっとこいやぁっ、ですぅ!!」
まるで結界だった。鉄槌の隕石は、その尽くが空中の一点に到達した瞬間に弾き返される。
その度に轟音が響き、衝撃が大気を戦かせ、空気が放射状に吹き飛ばされた。
戦槌一振り。パァンッと空気の壁を叩き割って、音速の一撃で死を殴殺する。速度増す流星群に、戦槌もまた刻一刻と速度を増大させ、真っ向から天災を迎撃する。
『異界の勇者め……忌々しい』
そう言いながらも手は止まらない。同胞を堕とし、母に危険を及ぼすイレギュラーな存在への憤怒が、オロスを使命以上に突き動かす。
『雷雲ほど、大地は軽くない。人の子等を救おうなど……傲慢と知れ』
更に激しさを増す鉄槌の嵐。人の救済を掲げる勇者へ、潰れるまで永遠に打ち続けると言わんばかり。
だから、シアは叫ぶ。轟音に負けじと声を張り上げる。
「私は誰も救いません!!」
そうとも。シアは救わない。この世界の人々を救ったりしない。救われては意味がないから。彼等は、自分で自分を救わなければならないから。
「その通りです!! どうか、我等の言葉をお聞き下さいっ、大地の神霊殿!!」
シアがシュタイフを置いて単身駆けつけたがために、置いてけぼりを食らっていたエリックが追いついた。ルイスの霊法で二人だけ先行してきたらしい。
「我等は愚かですっ。この期に及んで、まだ心を一つにできないほどに」
人間族の若き王の言葉が、轟音の狭間に響く。
超常の存在同士の神話のような戦いに度肝を抜かれていた者達も、その張り裂けそうな声音にようやく我を取り戻した。
魔王国の人々は救援が来たのだと実感して瞳を輝かせ、天人族は神霊に対抗する脅威を排除せんと気勢を上げる。
「しかし、それでもっ、どうかお聞き頂きたい! 改心せんと、古き良き心を取り戻さんとする者達の祈りを! どうか見定めて頂きたい! 悔い改めんとする姿を!」
オロスは答えない。語るべき言葉など、とうの昔に尽きたのだと無言で突きつけるように。
それでも、エリックは叫び続ける。それだけが、自分に、人に、できること、否、すべきことなのだと。
「くだらん。地を這う害虫の言葉など、いと高き方々の耳に届くものか」
応えたのはオロスではなかった。天人だった。我を取り戻した彼等の一部隊が展開。頭上にスパークする雷の塊を創造する。狙いは眼下のエリックとルイス。放たれた轟雷の槍が篠突く雨となって襲いかかる。
「させませんよ。即時実行――〝水壁〟」
ルイスの言葉通り、詠唱省略された水の障壁が二人を包み込んだ。雷の槍は水の防壁を貫けず、流れに沿って明後日の方向へ散っていく。
流石は王国最強の術師というべきか。天人十数人の殺意すら、万全の彼には届かないらしい。
とはいえ、その一撃は、確かに開戦の合図にはなった。天人の軍隊が、二千人の、自分達を優越種と信じて疑わない者達が、結界なき魔王国へと再び襲いかかる。
シアは未だオロスと真っ向からの打ち合い中。
バグウサギが、一対一で相対して負けるという姿は想像し難い。けれど、それは白兵戦最強戦力であるが故であり、まともに魔法を使えない彼女は殲滅力に乏しい。
一瞬、レベルⅩへの昇華が頭を過ぎる。速攻でオロスを下し、手榴弾ならぬ手炸裂スラッグ弾戦法でいけば、二千人くらい相手取れる。
とはいえ、不死に近い神霊が、それも憤怒に身を焦がしている大地の神霊が、果たして短時間で戦意喪失してくれるものか……
レベルⅩの使用限界時間とデメリットを考えると、ためらわずにはいられない。
デメリットなく使えるのは今のレベルⅦまで。これ以降は、多かれ少なかれ体に負担がかかる。
(でも、そうは言ってられませんね)
ウサミミがピコピコ。都から響く阿鼻叫喚。天人族の攻撃のみならず、小型オロスというべきゴーレムの大軍が割れた地面の下から再び溢れ出してきているらしい。
エリック達の方も、一気に数百人単位の部隊に膨れあがった天人達に集中砲火を受けている。
それでも未だに凌ぎ続けているルイスは想像以上の手練れと感嘆せずにはいられないところだが、しかし、それ以上はない。反撃の手を打てず、ただ王を守るのに精一杯。数の暴力を前に、少しずつ精神と霊素を削り取られていく。
グレッグ達が身体強化で駆けてきているが、まだ少し時間がかかる。
(約束ですし)
母なる星樹へ、どんな結果になるにしろ人の想いを届けに行きたいというエリック達に約束したのだ。
レベルⅩはリスクが高すぎる。現実的ではない。けれど、体の負担を無視するなら、レベルⅧ、Ⅸまでは、根性でどうにかする! とシアがウサミミを逆立てたその時。
「!? なんです!?」
『貴様等……』
大気が不自然に震えた。大地が振動し、肌を粘液が這っているような不快感に襲われる。
はっとして見てみれば、音叉のような建築物がいつの間にか直立していた。
そう、魔王国の最終兵器――タイラントが。
薄く発光している様は、それが起動していることを如実に物語っている。
エリック達が信じられないと目を見開き、天人達が今度こそ破壊せんと戦意を滾らせる中、少し回復したアロガンが宙に浮き上がりながら声を張り上げた。
いろんな意味で、愚かな声を。
「聞けっ、我が国民よ! 愚かなる神霊よ! 彼女こそ人類の救世主、我等〝人〟の希望たる勇者シア! ――我が妃である!」
はぁ!? という驚愕の声が響いた。それはシアの声であり、エリックの声であり、一部の魔王国の国民の声であった。
「シアよ! 我が窮地にいの一番に駆けつけ、こうして私を守らんとするお前の愛、しかと受け取った! お前に、私の力、いや、我が国の力が合わされば神など恐れるに足りない! 共に栄華に満ちた新世界を行こう! 国民よ! 刮目せよ! 我等最強の夫婦が、神を打倒する瞬間を!」
止まらない魔王の演説。呼応するようにタイラントが唸りを上げる。もう数秒もしないうちに、周囲の霊素を根こそぎ奪う忌みすべき所業が再現されるだろう。
アロガンの奇行の理由。それは、ある意味、言葉通りだった。シアの実力を見て、神霊への勝算に希望を見、しかし、天人とゴーレムの猛攻にシアは手が回らないと絶望し、ならばと策を練った。
それが、シアを己の側に引き込み、既成事実としてしまうというこの方策だ。如何にも、シアが己に懸想をしていて愛故に駆けつけたのだと見せかけ、自分がそれを受け入れたかのように主張する。
そうして、シアを中立の立場から完全なる魔王国サイドへと引き込むことで神霊達と絶対的な敵対関係に持ち込み、自分達と力を合わせなければ生き残れない状況にするのだ。
後は、この急場を凌いだところで、実際にシアを堕とせばいい。
アロガンは疑っていなかった。自分の魅力に、最終的には抗えるはずがないと。シアを手中に収めれば、人類の技術が神域に到達する時間を待たずに済むと。何より、シアという輝く少女は、自分にこそ相応しいと。
人の野心が形をなしたような魔王は、追い詰められ、希望を見てしまったが故に、これが起死回生の一手だと疑わなかったのだ。
「ちょっ、何を勝手なことを――」
当然、抗議の声を上げたシアだったが、言い切る前に、
――シア王妃! シア王妃! レテッド魔王国万歳!
と、国民の大歓声が、戦場の轟音に負けずとも劣らない音量で響き渡り、シアの声を掻き消してしまった。
更に、
「オロス様! 異界の勇者と魔王が契りを結ぶなど、看過できない最悪の事態です! どうか助勢のご許可を!」
天人族まで、アロガンの思惑通り盛大に勘違い。オロスが下すと信じてでしゃばらず、シアの討伐を委ねていた彼等が助太刀の許可を求めだした。
「だから違うと――」
『やはり世界を滅ぼしてでも人を救うか、悪魔の子よっ』
オロスまで、そんなことを言っちゃう。どれだけ鉄槌を下そうと揺るがず真っ向から立ち向かうシアと、起動しているタイラントに焦りが生まれたのか、攻撃が更に苛烈となり、天人の提案にも許可を出してしまう。
「話を――」
「何を勝手なことを! オロス殿! 耳を貸してはなりません!」
流石、バルテッド王国の王。まとも……
「仮に彼女が伴侶を求めたとしても、それは断じて魔王ではない! 彼女を召喚したのは我等バルテッド王国であり、彼女に相応しいのは古き良き心を取り戻した我が国だ! つまり伴侶となるべきは、わ、私だ!」
どさくさに紛れて何言ってんだこの野郎というツッコミは、やはり負けてなるものかと声を張り上げたエリックの声と、
『何度も言わせるな。愚か者共。シアは既に神域の存在。で、あるなら神霊たる我こそ相応しいのは自明の理』
「あんたら本当にいい加減に――」
目を灼くような閃光と、つんざくような轟音がシアの声をかき消す。今度はなんだこの野郎! と視線を向ければ、そこにはなんと、
「ご照覧あれ、大地の神霊殿。我が獣王国は、魔王国に誅を下さん。そして、兵器の破壊という功績を以て我等の声を聞き届けたまえ」
赤い竜――獣王グルウェルの姿が。加えて、再び少し傾いたタイラントも。
どうやら、タイラントに向けてブレスを放ったらしい。アロガンの精鋭部隊が必死に防御をして倒壊は免れたようだが、起動状態は一度リセットされたようだ。
度重なる天人の攻撃もあって、精鋭部隊が軒並み膝を突いている。次の攻勢を凌げるかは微妙なところだろう。
「見ての通り、シアは我が同胞。その力は、神々に仇なすものではない。我等獣人と同じく世界を愛する者。神前にて婚姻を認めていただければ、私と共に世界の監視者となり、素晴らしき未来を創れよう!」
蝙蝠ドラゴンは、やっぱり蝙蝠だった。どさくさに紛れて漁夫の利を狙うこと甚だしい。ここまで面の皮が厚いと、もはや逆に清々しいくらい。
シアを中心にして、欲と思惑が渦巻く。
「私の話を聞け――」
「さぁ、シアよ! 私の手を取れ! 二人で世界を分かち合おう! お前とならそれができる! 生ある限りの栄華と快楽を与えてやる!」
「シア! 敢えて今言おう! 俺はお前を想っている! この世界で共にあろう!」
『神霊の身なれど、我は愛を知っている。シアよ、我が寵愛を受け取れ』
「シア殿、貴殿の言葉に感銘を受けた。我が心は貴女のものだ。共に、利のある未来をゆこうではないか」
魔王が、人の王が、神霊が、獣王が、口々に同意を求めてくる。天人が憎悪と戦意を滾らせて罵詈雑言を響かせ、国民は神の支配から脱却できると希望に瞳を輝かせて〝シア王妃〟を決定事項のようにコールする。
そして、オロスが、混沌とした戦場の原因の全てはイレギュラーたる異界の勇者にあると断じ、『生かしておけん!』と生存を否定してくる。
大地の神霊が、再び両手を合わせた鉄槌を作り出した。
タイラントが、再び起動し、悪夢の再現に手をかけた。
魔王や獣王は自陣に引き込もうと画策し、若き人の王は取り敢えずいろいろ必死。
天人の全てが、オロスの殺意に呼応してシアを確殺せんと致死の術を手の先に掲げる。
この世界の人々が、自分達で救済を成し遂げるために、手助けをしているというのに。
誰も、シアの話を聞かない。
プチッと、音がした。
「レベルⅩ」
シアの姿が消えた。誰一人、神霊にすら知覚を許さぬ圧倒的速度。
気が付けば、巨大な影が天を覆っていた。天を仰いだオロスは、そこに見た。
遙か上空で身を翻し、超巨大な戦槌を振りかぶるウサギの姿を。
神の鉄槌?
よろしい、ならばこちらは――100トンハンマーだ!!
天に足を付け、逆さに踏み込む超速落下。一瞬で空気の壁を越え、更に重力増大。合わせて疑似的重量増大。超増大! その身はまさに隕石の如く!
『ッッッ!!?』
「地面の染みになれやっ、ですぅっ!!」
大地が、悲鳴を上げた。瞬間的に音が消え、かと思った直後には爆風じみた衝撃波が迸った。
冗談みたいにオロスの巨体が崩壊し、大地がめくれ上がる。それはまるで、超高層ビルの爆破解体にも似ていた。
衝撃波と土砂が放射状に広がる。
それらが都に襲いかかるが、その前に悪夢の如く超巨大ハンマーが翻り、一振り。
それだけで衝撃波も土砂も明後日の方向に吹き飛ばされた。
だが、安心などできるはずもない。間髪入れず、遠心力そのままに流れるようにして100トンハンマーが薙ぎ払われる。それは魔王城にある幾つもの美麗な尖塔を、枝を折るようにして消し飛ばし、そのまま一際高い塔を文字通り粉砕した。
そう、発動寸前だったタイラントを。
超巨大ハンマーの後を追うようにして発生した暴風が、三人の王、彼等の側近達、ウダルや国民、そして空に生きる天人達、一切合切関係なく強制錐揉み回転をプレゼントした。
圧倒的膂力こそ正義!! と言わんばかりの信じ難い現実を前に、彼等は抵抗に意識を割く余裕もなく、仲良く地面を転がる。
みな、平等。
そうして、天にあるのはただ一人。
螺旋描く淡青白色の光の中心で、大気を唸らせながら超巨大ハンマーを肩に担ぎ、いつものようにとんとん。
ただし、普段の軽快さは皆無で、その表情は彼女の最愛が時折見せるのと同じ――ヤクザ顔。
プッツンしちゃったシアは、すぅ~~~~っと息を吸うと、力尽くで黙らせた戦場に思う存分響かせた。
「わ・た・し・は!! 人妻ですぅううううううううっ!!!!」
いんいんと木霊する、その言葉。
しんと、まるで時が止まったような静寂が訪れ……一拍。
「「「なにぃーーーーっ!?」」」
『なん……だと?』
三人の王と、一柱の神から、そんな声が返されたのだった。
ざわざわ、ざわざわ。魔王国の民がざわつく。
え、何この状況……。天人達が戸惑う。
もぞもぞ、もぞもぞ。オロス再生中。
ビシッと石化したエリック(&ルイスと、ちょうど駆けつけたグレッグ達)、ぽかんっと口を開けて呆けているアロガン、眉間に皺を寄せ唸るグルウェル、うなだれウダル。
まさにまさに、たった一言でもたらされた戦場の混沌。
だが、後先考えずにレベルⅩまで発動しちゃったプッツンウサギは、その神霊すら圧倒するプレッシャーを放ちながら、「そんなもん知らん!」と衝撃波じみた怒声を響かせる。
「私には愛する旦那様がいるんですぅ! お迎えが来たら帰ります!! この世界のために人生捧げるなんて、天地がひっくり返ったってあり得ませんっ。他の人と一緒になるなんて死んでもごめんですっ。それなら来世にワンチャンかけますよ!!」
エリック達のハートに言葉のブレイクショット!! 100トンハンマー並の破壊力だ!
灰色になっているエリック達や、目を細めるアロガンとグルウェルを放置し、シアは呆然と自分を見上げている魔王国の民に、「そもそもっ」と声を張り上げた。
「私を王妃と仰ぎながら、自分達の尻拭いを願うなんて情けないと思わないのですか!! 厚顔無恥もいい加減にしろです!」
怒声は、民達の頬を張り飛ばすようだった。そう、それこそまさに、母親が子を叱るように。
「自分達がしたことの責任は、自分達で取る! 当たり前のことでしょう! 責任も取らず、他者に縋って、甘い汁だけ吸おうなど言語道断! 未来のために足掻こうとしない者の言葉など聞くウサミミを持ちません!」
人々が、戸惑うような表情を見せる。反発の感情を浮かべる者もいたが、それほど多くはない。降り注ぐ言葉は、多かれ少なかれ彼等の心に突き刺さってはいるらしい。
シアの猛烈な勢いに、気を呑まれたように天人達も動きを止め、三王達は黙って見上げ、小型ゴーレム程度に再生したオロスまでじっと視線を注いでいる。
「私は神霊さん達を殺すつもりなんてありませんからね! これ以上、戦争を望むというのなら――私は逃げます!」
その宣言に、全ての人々は目を見開き、そして理解した。シアという異界の勇者は、決して人類の味方ではないのだと。彼女はただ、自分達と神々との橋渡しのためだけに力を振るうのだと。
救世主などではないのだ。地に生きる者達が、今一度、天へと祈りを届けるための、そう、言うなれば羽翼なのだ。
ならば、祈りをやめた者が、その羽翼を失うのは当然のこと。後は、ただ地に落ちるのみ。
シアという勇者を、全ての人が理解した。理解が浸透した。
言葉で張り飛ばされた頬がじんじんと痛みを発しているかのような表情の人々へ、今度は、背を叩くような言葉が木霊する。
「だからっ、本当に未来を想うならっ、ぐだぐだ言ってないでまず自分達が! 変わりなさぁーーーーい!! ですぅ!!」
果たして、背を叩いた母の手を、子はどう感じたのか。その手に押されて、未来へ歩き出せるのか。
おかしなほど、しんとした静寂が戦場を覆った。
三王は言葉を見つけられないかのように口を噤み、オロスは小型ゴーレムのまま再生を止め、目を明滅させている。ふっと舞い寄ったウダルがその肩に乗れば、二柱揃って何か眩しいものを見ているかのように天を仰いだ。
停滞した戦場。
それを動かしたのは、
「笑止千万だ」
一人の天人族だった。衣装、纏う覇気、それらからして、おそらくこの場の指揮官か。怜悧な相貌を、更に冷たく凍てつかせ、しかし、口元には隠しようもない嘲笑と侮蔑が浮かぶ。
「変わる、変わらないの問題ではない。神の沙汰は下された。故に、滅ぶ。それだけのこと。そもそも劣等種が足掻いたところで何が変わるというのだ。この世界と、神々と、共にあるのは我等天人のみで良い。それこそ、清浄なる世界というもの」
凝り固まった極度の選民思想が、シアの言葉を切り捨てた。この世界に、天人以外の人種が存在していることそのものが許せない罪悪であると。
シアに圧倒されていた天人達が、次々に我を取り戻し空に上がる。
「オロス様! さぁ、今のうちにご復活を! 我等、身命を賭して、あの悪魔を抑えます故!!」
彼等ほど神々の決定に狂喜した者達はいないのだろう。遙か天空の浮島にて精霊と共に繁栄を続ける彼等は、神罰の対象外。古くより精霊と神霊に仕えし神官、あるいは巫女の一族なれば、母なる星樹も切り捨てはしない。
だからこそ、神々の寵愛を独占するこの千載一遇の機会を、彼等は決して逃さない。
駆除しろ! 駆除しろ! 地を這い、汚物を垂れ流し、恵みを食い散らかす害虫を駆逐しろ!
狂喜と狂気が混じり合い、言葉通り身命を厭わない戦意と殺意の暴風が吹き荒れる。
『お前達……』
『……』
オロスの声に、僅かな動揺が走った。ウダルは何も言わない。運命は、未来への道は、人に委ねなければならない。シアへのほんの少しの助力、それがウダルにできるギリギリのライン。
瞳を揺らすオロスに、エリックが必死に呼びかけを行う。が、一拍の後、オロスの瞳に宿ったのは決意。使命への覚悟。
大地が流動し、オロスが再び巨大化していく。神罰は、母の決定は、絶対だ。
天人達から雄叫びが上がった。オロスを支援せんと、シアを包囲していく。
シアという人類救世の要を必殺する。その意思が戦場に渦巻き……
神が、それに応えた。
「ッッ!?」
死のビジョン。極大の閃光が、己を呑み込み塵も残さず滅却する。
咄嗟に、100トンハンマーを頭上へ。直後、天から太陽が降ってきた。世界を閃光で染め上げる殲滅の陽光。それは、まさに、
(ハ、ハジメさんのヒュベリオン!?)
そう、太陽光集束レーザー兵器〝バルス・ヒュベリオン〟のそれと同じ。
極太の光の柱が、シアの掲げる100トンハンマーを呑み込む。その直下で衝撃に耐えるシアの周囲を、滝のような光が落ちていく。
「わわわっ、やっばいですぅ!」
レベルⅩだ。ヒュベリオンの直撃であっても、盾さえあれば膂力で耐えられる。けれど、その盾――100トンハンマー自体は?
その面積、質量の大きさ故に、ヴィレドリュッケンと異なって比較的稀少な金属であるアザンチウム装甲ではない。案の定。100トンハンマーの部分は融解し、赤熱化した金属が光の滝に加わって、さながら溶岩のように落ちていく。
遠くで、シアの名を呼ぶ声が聞こえた。エリック達だろう。彼等からはシアが極大の閃光に呑まれたように見えたはずだ。悲鳴は、都の人々だろう。シアのいた場所が、外壁の外だったことを幸いと思える余裕もない。
一秒、二秒……たっぷり十秒。
シアがいた直下に、巨大なクレーターが生まれ、マグマのように煮え立つ。
直撃を受けて生き残れるはずのない神威の光。
『ソアレか……あれでは勇者と言えど』
『さて、どうか』
退避していたオロスとウダル。オロスが頭を振って言った言葉を、ウダルは苦笑い気味に否定。何を……と、言葉を発する前に、
「ふぃ~~~、あっぶなかったですぅ!」
『……馬鹿な』
『うむ。本当にな』
元のヴィレドリュッケンを肩に担ぎつつ、片手で冷汗を拭うシアに、オロスは、もし顎があったならカクンッと外れていたに違いないと思わせる雰囲気で呟いた。ウダルが、しみじみと同意する。
もっとも、半転移による回避に魔力をごっそり持って行かれて、レベルⅩは解けている。限界点前の解除だったので動けなくなるほどの倦怠感ではないが、プッツンして後先考えず行使し、しかも発動時間の大半を非戦闘行為で費やすという愚行の代償としては割と重い。
一応、レベルⅩのプレッシャーが、言葉の説得力を大きく引き上げたというメリットはあったが……
なにはともあれ、冷や汗は割とマジである。
オロスの化け物を目撃したような視線を余所に、シアは頭上を見上げた。
そこには、白い炎を羽衣のように纏う美しい女性の姿が。
――火輪の神霊 ソアレ
誰かが、そう呟いた。太陽の化身とも言える、熱と光を司る神霊だ。
『雷雲の。それに大地まで。なんという体たらくでしょう』
透き通るような、あるいは燃えるような声音が降り注いだ。
『とはいえ、我が断罪の光を受けて無傷とは……化け物ですね。母の懸念通りですか』
燃える姿に、燃えるような苛烈な言葉。なのに、声音と眼差しは絶対零度。
「初めまして、シア・ハウリアといい――」
いきなり殺そうとしたのは、まぁ、神霊としては皆同じだし、今更か……と頑張って割り切りつつ、引き攣り顔で挨拶をしてみるシア。何事においても、まず大切なのは挨拶です。
が、そんなシアの言葉も、それどころか意思も、全く興味がないらしい燃える冷然レディは、虚空へ視線を投げた。まるで、何者かと意思の疎通を図るかのように。
直後、それは起きた。
――人の子等よ。もはや、其方等を我が子とは思いません
別の、女性的な声音だった。天より降ってくるのではない。まるで、その場にいる全員の脳に、直接響くような声音。悲しみと、諦観と、憤怒と、覚悟と、いろいろな感情が飽和して色を失ったような、ゾッとするほど生気のない声音だった。
『母よ……』
『母ルトリア。まさか……』
オロスとウダルの声が、シアのウサミミに届いた。つまり、そういうことなのだろう。
この声音は、
――我が子等を、これ以上、傷つけさせはしない
全ての命ある者の母、星樹ルトリア。遙か絶海の孤島におわす、いと尊き存在。彼の者が、世界の意思を響かせる。
ウダルの力が極度に衰え、オロスまでもが一時的とはいえ敗北。
その事実が、母を起こしたのだ。
――この断罪を以て、世界に平穏を
空が歪む。黄昏に突入し夕日に燃える空が、それこそまさに、逢魔が時といわんばかりに歪み、捻れ、鳴動し、そして、
――ォオオオオオオオオッッ!!
――グルァアアアアアアッ
――ガァアアアアアアッ
母の神罰が形をなした。空が、埋め尽くされたのだ。精霊獣の大群に。
数百? 数千? 否、数万単位だ。
精霊獣とは、霊石を元に自然から生まれる存在。故に、それはまさに、自然を蔑ろにしてきた人へ、自然が牙を剝いた光景そのものだ。
神霊の圧倒的力と単純な数の暴力で勇者を下し、この場で魔王国と人類の主要人物達を殲滅するつもりか。
――厄災の子よ
シアの全身に怖気が走る。死のビジョンが視えたわけではない。ただ、本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。
――世界の狭間に、堕ちなさい
その言葉が響いた瞬間、シアの背後の空間が捻れ狂った。
「なっ、これはっ」
咄嗟にその場を離脱しようとするシアだったが、凄まじい力に引き寄せられ、空中でたたらを踏んでしまう。
肩越しに振り返れば、そこには捻れた空間と渦巻く闇が……
「まさか、重力場です!?」
慣れ親しんだ吸血姫が多用するそれに酷く類似した力が、シアを捉えて放さない。
必死に〝空力〟の足場で踏ん張るが、比例するように捻れた空間と渦巻く闇は拡大。球状にシアを包み込もうとしていく。
頭上が覆われ、下方にも広がり、左右が狭まっていく。
もはや正面に飛び出すしかない状況で、しかし、ここに来てレベルⅩの後遺症が効いてきた。レベルⅤまでしか強化できず、それでは重力場から抜け出せない!
「ぬぬぬっ、ちょぉっとやばいです!!っていうか、世界の狭間って!?」
少しでも回復しようと宝物庫から召喚した回復薬を口でキャッチし、飲み口を噛み砕いて中身を煽りながら叫ぶシアに、果たして星樹ルトリアは答えたのか、それもただの一方的な宣言か。
――ここではない、どこかへ。ただ、この世界に存在すべきでないが故に。
「そんな勝手な! 私だって来たくて来たんじゃないんですよ!? どこに飛ばす気ですか!? せめて生存可能な世界にしてくださいよ!?」
世界の狭間、という言葉には不穏な気配しか感じない。異世界ならまだいい。けれど、本当に言葉通りなら……
いよいよ、空間の歪みがシアを覆う。背後の渦巻く闇はシアをすっぽり覆うほど大きくなり、そのまま高波のように迫ってくる。
下方から、エリック達の焦燥の声が飛んでくる。アロガンやルイスが、霊法を以て重力場を攻撃しようとするが、
「これぞ神の意志! 劣等種に生きる道などないのだ! 害虫は害虫らしく、大人しく駆除されるがいい!!」
天人族が、シアを助けようとする全ての者へ攻撃をしかける。
『母よ! シアは我々の敵ではない! どうか慈悲を!』
ウダルがシアの前に跳び上がって、必死の執り成しをする。だが、
――恨むなら、己の不運を恨みなさい
返ってきたのはそれだけ。
それはまさに、ゴミをゴミ箱に捨てるようなものか。如何にも神らしい。この世界から放り出すことができれば、その先でどうなろうと知ったことではないと。
空中で踏ん張るシアの足はずりずりっと引き寄せられ、ぬぎぎぎっと声を漏らして頑張れど、もはや打つ手なし。半転移しても、数秒後には魔力が尽きて引き込まれるだけ。
万事休す。
シアは、眼下の人々をチラリと見て苦笑い。目を見開いたエリック達が悲鳴じみた声を上げ……
――この世界に存在すること。それそのものが大罪と知りなさい。
存在の全否定。
それが、星樹という神から、シアへ与えられた神意。
だから、
「誰の女に向かって吠えてんだ?」
渦巻く闇の中から、手が伸びた。
闇そのものが凝縮して形を成したような、漆黒の金属の腕。
それが、背後からシアの腰に回された。
事態を理解するより早く、ただ、本能が、体が、心が、そしてウサミミが! 歓喜に溢れて跳ねる!
一切合切を呑み込むはずの闇の奥に、真紅の輝きが見えた。スパーク放つ真紅と、渦巻く闇の中から滲み出るようにして出現したのは、勇者ウサギを虜にする――
「ハジメさん!!!」
そう、正真正銘の〝神殺しの魔王〟だった。
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