ありふれたアフターⅡ 光輝編 天之河光輝という人間
悲壮感と絶望感、そして焦燥感で埋め尽くされたアークエット領。
防壁に囲まれた町の中では、自警団員が総出で領民の避難及び防衛準備に走り回っている。
混乱が加速度的に深まっていく。
が、それも無理のないこと。
なにせ長い歴史においても前例のない事態――≪暗き者≫の軍勢が最前線たる砂漠地帯を素通りして、後方の領地に突然出現するという事態に見舞われているのだから。
王都への信頼、後方の安全性、そして仮に前線が抜かれても、少なくとも知らせが届いて避難する時間だけはあるはずだったという常識的判断が覆された恐怖はいかほどか。
阿鼻叫喚といった有様で逃げ惑う領民達の恐怖に歪んだ表情が、その心情を何より雄弁に物語っている。
そして、混乱のただ中にあるのは領主館も同じ、否、領民よりも正確に事態を把握している分より酷い有様だった。
「くそっ、一体どうやってっ」
「幻の類いじゃないのか!? いくらなんでもおかしいだろ!?」
「防衛態勢はどうなってる! 防壁だけじゃあ保たないぞ! 術士の強化はまだか!?」
「撤退は可能か!? 殿下だけでも逃がさねば……」
「それより王都は何をしているんだ! 後方に回り込まれていることに気が付いていないのか!?」
「徒歩で来たわけじゃ無いんだぞ! 気が付いてると考えるのは楽観が過ぎる!」
喧々囂々、アークエット領の優秀な文官や自警団員達が絶望や恐怖といった負の感情を誤魔化すように怒声を上げてる。
と、そのとき、
「狼狽えるな!」
彼等を凌駕する凄まじい怒声が響き渡った。
ハッと我に返った彼等が視線を転じる。そこには険しい表情ではあるが、泰然と構える領主ロスコーの姿があった。
それが合図だったかのように、次の瞬間、バァンッと音を立てて即席の対策室の扉が開いた。入ってきたのはクーネ、アニール、光輝、そして数名の護衛隊のメンバーだった。
「ロスコー。クーネの護衛からスパイクとリーリンを筆頭に何人か防衛準備の手伝いに行かせました。恩恵術で防壁の強化をしますが、構いませんね?」
「もちろんです。事態の把握は?」
「軍勢が出現し、包囲されているということだけです」
ロスコーが頷く。
「敵の総数は先程の報告で五千ほど。なお増加中とのことです。四方を完全に包囲されました。出現した原理は不明。牛頭種・鱗竜種・奇骨種の混成のようです。飛行種・巨人種は確認していません」
「……不幸中の幸い、とは言えませんね」
ロスコーの報告した≪暗き者≫は、いずれも二メートルを超えない人形の≪暗き者≫だ。アークエットの防壁は高さ十メートル程あるが、飛行できる≪暗き者≫や巨人タイプの≪暗き者≫の侵入は防げない。
故に、速攻で内部に侵入されて攻撃を受けるという事態は回避できたが、しかし、不幸中の幸いと言い切るには敵の数が尋常ではなかった。
アークエットはあくまで後方の物資集積地だ。万が一、王都が陥落した場合に王族などが落ち延びる一時的な場所として、一応、防壁などはある。
だが、そもそも王都が陥落した時点でシンクレアの人々に未来はないのだ。故に、オアシスのように彼等を弱体化させる仕掛けもなければ、戦士団が存在するわけでもない。あくまで領民から募った〝自警団〟があるだけだ。
それはあくまで、領内のもめ事の処理、野生動物への対応など、言ってみれば警察的な役割であり、その数も百人ほどしかいない。
本当に優秀な戦士や術士は王都や周辺の監視拠点を兼ねた町に行くのだから当然と言えば当然だ。
つまり、軍勢に包囲された時点でアークエットに助かる道はない。
ロスコーが沈痛な面持ちで言う。
「申し訳ありませんっ、殿下。貴女をこのような死地に招いてしまうとはっ」
「このような事態、誰が予想できると言うのです。ロスコー。貴方の判断は最初から最後まで全て迅速で的確でした。クーネに対する責任など感じる必要はありません」
「殿下……」
流石は王族というべきか。この絶望的な状況にあって、クーネに動揺はなかった。十にも満たない幼い少女の毅然とした態度に、室内の者達は浮き足だった様子を抑え、次々と覚悟を決めた表情になっていく。
「どうにか領民を逃がしたいところですが……」
クーネの厳しい表情が、自らの願望を自らの予想で否定していることを伝えてくる。
対するロスコーの返答もまた実に簡潔だった。
「手遅れです」
クーネは「でしょうね」と静かに頷く。
「なら、今一番の問題は、この異常事態について王都が感知しているか、ということです」
「しかり。アークエットの地下保管庫は頑強です。今、急いで物資を運び出させています。終わり次第、住民を避難させます。防壁と合わせれば、あるいは二日程度なら耐えられるかも知れません」
「この事態を既に知っていて既に動いてくれているなら……早く見て一日。そうでないならこちらから伝令を出して……二日と半日くらい。ギリギリ、ですね」
いずれにしろ、伝令は出さなくてはならない。≪暗き者≫が前線を無視してどこにでも出現できるのかもしれないという情報は、万が一にも〝知らなかった〟では済まされない。
救援を呼ぶということ以上に、この事実だけは絶対にモアナへ伝えなければならないのだ。
クーネとロスコー達が、自分達が最期に為すべきことを議論し決定していく中、それを黙って見ていた光輝の心中は荒れ狂っていた。
少し前の自分なら、勇んで敵を屠りに行っただろう。自分が死ぬかもしれない可能性なんて微塵も信じず、自分なら必ずできると、民を守る〝正しさ〟の前には他の事情など塵芥だと盲信して。
(また、また殺すのか? ラガルの時でさえ、あんな……。今度は数百、数千の命を? 彼等だって生きようとしているだけなのに? そんな考えは〝間違っている〟。いや、人を家畜と見なしているんだ。……なら、奴等は悪か?)
正しい選択が、分からないっ。
光輝は自分の手を見た。小刻みに震えるのは、自分の死を予感しているから。死が恐ろしいから。
ここには屈強な戦士団はいないのだ。流石に、五千を超える軍勢を一人で相手して生き残る自信などありはしない。ご都合主義などないのだ。自分も死ぬときは死ぬのだと理解している。
同時に、あの時の感触を思い出す。
〝肉を断った〟という以上に、〝命を切り裂いた〟その生々しい感触。一つの命を、生きる道を、その意思を、自分の手で破壊し終わらせた。
なんて恐ろしい。ラガルの虚ろな、しかしどこか恨みを感じさせたあの瞳がフラッシュバックする。猛烈な吐き気が襲いかかってくる。
(両方とも死なせず、全てが救われる理想の方法があれば……くそっ、この考えはダメだっ。また選べなくなる! その結果がどうなるか、俺は思い知ったはずだろ!)
ギリッといつの間にか噛みしめていた奥歯が音を鳴らした。
「光輝様、大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが……」
そっと気遣うようにかけられた声に我を取り戻し振り返れば、そこには心配そうに光輝を見つめるアニールの姿が。よくよく見れば、いつの間にかリーリン達も戻ってきており、かなり恩恵術を行使したのだろう、疲弊した表情で報告をしている。
どうやら、ようやく≪暗き者≫の出現が止まったらしい。結局、総数は一万くらいまで膨れ上がったようだ。もういつ進軍が始まってもおかしくない。
今は、王都への伝令をどうやって脱出させるか、それが話し合われていた。
クーネは王族だ。それも力をほとんど失っているモアナを除けば、唯一、力を残している最後のシンクレア王国の王族。≪再生≫が戦後の復興にこそ本領を発揮する術であることからも、絶対に生かさなければならない。
故に、クーネは何が何でも絶対に生き残らねばならない。伝令役は護衛隊とクーネであるべきだ――というのがロスコー側の主張だ。
対するクーネは、
「いいえ、ロスコー。クーネでは包囲網を突破する際、足手まといにしかなりません。より確実な突破を考えるなら、目立つクーネは注目を集め、伝令役は勇者さまと数名の護衛とするのが最適です」
その言葉に、光輝はハッとした。確かに、光輝には突破力があるし、何より瘴気が効かない。クーネが伝令隊の中にいると、包囲網を突破する際、ただ突破に力を尽くすだけでなく、クーネの守護にも力を回さねばならない。
クーネの提案は実に合理的ではあった。自分の希少価値というものを少々ないがしろにしすぎていること以外は。
だから、光輝は気が付く。クーネの横顔に、その幼い面差しに、宿る覚悟の意味を。
姉を連れて逃げて欲しい――その願いを叶えて欲しいと、クーネは言っているのだ。
おそらく、聡いクーネは理解したのだ。空間的隔たりを超えて出現する≪暗き者≫を見て、人間との均衡状態が崩れたのだと。
後方の領地をピンポイントで襲撃。
王都の戦士団は救援に振り回され、あるいは戦力を分散させられ、しかし守るべきものは守れず――そうしてシンクレア王国は瓦解する。
その未来が、きっと見えてしまったのだろう。
クーネは今、自分の命を含め、見切りをつけてしまったのだ。
だから、クーネは言わないのだ。この状況で、光輝に〝民のために戦え〟と。
だから、クーネは言っているのだ。光輝に〝逃げて欲しい〟と。そして、逃げるなら、どうか姉だけは、と。
自分には到底できない取捨選択を、己の命を賭けて行う幼い女の子に、光輝は恐れおののくと同時に、深い敬意と、そしてどうしようもないほどの羨望を抱いた。
(あぁ、ダメだ。この子は、生きなきゃダメだ。こんなところで死んじゃダメだっ)
故に、自然とそう思った。だから、
「クーネ様を連れて、包囲網を突破できます」
気が付けば、そう口にしていた。
食い下がるロスコーと、冷徹に却下するクーネ、そして周りの者達が揃って驚いたような表情を光輝へと向けた。
「俺の最大火力なら、包囲網を破って道を切り開けます。アロースの最大速度で駆け抜ければ包囲を突破できます。常時展開で障壁も張っておけば、少なくとも、クーネ様を守りながら包囲突破戦をする必要はありません」
「おぉ、おおっ、それは真ですか!」
「ゆ、勇者さま?」
断言する光輝の言葉に、ロスコーは歓喜の、クーネは戸惑いの表情を浮かべた。
イヴァナ自警団長が、僅かに希望を浮かべた表情で尋ねる。
「あの、勇者殿。もしや、そのお力で軍勢を――」
「……すみません。万を超える軍勢を滅ぼすには魔力が……。数で押し切られます。包囲を破り、少数を脱出させるのが限界です」
「そう、ですか……」
イヴァナだけでなく、〝もしや〟と思ったらしい者達が悄然と項垂れた。しかし、それも一瞬、直ぐに元の覚悟を決めた表情を取り戻すと、自分達の役目を果たし始める。
「では、光輝殿、スパイク殿。早急に脱出の準備を。クーネ殿下を、よろしく頼みます」
「準備なら既に。必ずやアークエットの窮地を陛下へお伝えします」
スパイクが深く頷いた。どうやら脱出の準備は既に出来ているらしい。あるいは、クーネの意向を無視してでも、彼女を連れて決死の脱出を果たすつもりだったのかもしれない。
「ま、待ってください! クーネは逃げるわけにはいきません! 王族が民を見捨てて敵に背を向ければ、シンクレアの全てで〝信頼〟が瓦解します! そんな前例が一つでも出来れば、士気を保てなくなります!」
自分が脱出することが決まったような流れに、クーネはぴょんぴょんと跳ねながら精一杯反論する。
確かに、アークエットの民は絶望するかもしれない。自分達を置いて、王族だけが脱出するのだ。それが救援のため、あるいは未来のためだとは、今の混乱したこの状況では誰も冷静に割り切ることはできないだろう。
そして、アークエットの陥落と共にクーネ達だけが逃げ延びたという情報が広まれば、この先の戦いでの士気に関わる可能性は確かにある。
ロスコーが片膝を突き、クーネに言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「殿下。この状況にあっては、貴女が生き残ることこそ我々人間の希望です。確かに、アークエットの民は見捨てられたと思うやもしれません。他の領民もそうなるやもしれません。ですが、敢えて言いましょう。――些細なことです」
「……」
「聡明な殿下なれば分かっておいでのはず。もはや趨勢は傾いた。全てを守ることは不可能です。殿下は、陛下と共に新たな戦火の下を生きねばなりません。誰を守り、誰を切り捨てるか。たとえ少数になれど、〝人類が絶滅しない戦い〟のために、貴女は生きねばならない!」
「っ」
歪むクーネの表情が、彼女自身理解していることを如実に物語っていた。
言葉を失うクーネ。
と、そのとき、自警団員の一人が駆け込んできた。
「報告っ。敵軍、進軍を開始!」
直後、凄まじい轟音が響き渡った。確認するまでもなく、それが防壁への攻撃だと分かる。間断なく連続して響き渡る轟音は四方より響き、否応なく人々の恐怖を煽り立てた。
僅かな瞑目の後、ギリッと歯を鳴らしたクーネが顔を上げた。
「ロスコー。脱出します。ただし、ロンドとあと二人ほど選んでください」
「殿下、それは……」
「クーネのアロースなら後三人は乗せられます。守護の対象が子供なら、一人も四人も変わりません」
クーネがスパイクを見れば、スパイクは僅かな思考の後、クーネの言葉を肯定するようにコクリと頷いた。
「次代の希望を、選ぶのです。ロスコー」
「っ、難しいことをおっしゃる。……ですが、ご厚意、感謝します。直ぐに連れて行きます故、殿下はご準備を」
「はい。……ロスコー、貴方と、貴方の部下の全てにフォルティーナ様のご加護があらんことを。貴方達の覚悟と勇気を、クーネは忘れません。決して、クーネは忘れません!」
「はは、それでは今生の別れのようではないですか。殿下、我々はあっさりやられるつもりはありませんよ?」
戦士団がいないアークエットの人々に生き残る道はない。最速で二日半。おそらく三日はかかる救援を思えば、奇跡でも起きない限り間違いなく間に合わない。
だが、ロスコーはそう言ってのけた。部下達も、同じような表情で。
尊いその姿に、クーネは誇らしげに、歯を食いしばって、頷いた。
光輝の心は――軋んだ。
この人達を見捨てるのか……
あるいは、≪暗き者≫を何百人、何千人と殺すのか?
先程から、ずっとその繰り返し。思考が渦を巻いて何度も何度も同じところで足踏みだ。
(人間も、《暗き者》も、生きようとしているだけだ。争うのは、この世界の在り方だ。無関係の俺が介入するなんて、それこそ、きっと間違っているんだっ。そもそも、一万以上の敵なんて、本気で戦ったって勝てるわけない。魔力が持たない。俺だって、死ぬのは嫌だっ。みんなに会えなくなるなんて、そんなのは絶対に嫌だっ)
切羽詰まった状況の中、嘘偽りのない気持ちが心の中で荒れ狂う。
どちらも殺したくないから、手を出さずに逃げたい。
死ぬのは嫌だから、逃げたい。
家族に、幼馴染み達に、友達に、仲間に、あの未だにどう思うべきか迷いのある〝あいつ〟にだって――会いたいっ。このまま異世界で死んで、二度と会えないなんて、絶対に嫌だから、逃げたいっ。
「光輝殿、光輝殿っ」
「っ、え、あ、スパイクさん?」
スパイクの呼び声でハッと我を取り戻した光輝。
気が付けばアロース達を収容している厩舎の前にいた。どうやら内面に囚われている間に無意識でクーネ達についていき、厩舎のところまで来ていたらしい。
「大丈夫ですか、光輝殿?」
「え、ええ、大丈夫です。それで、どうしましたか?」
訝しそうな表情のスパイクに、光輝は努めて平静を装って答えた。それが却って無表情を作り、更にスパイク達に心配させるはめになっているのだが、今の光輝にそれを察する余裕はない。
なにせ、光輝は今初めて、〝見捨てる〟という行為をしようとしているのだから。
かつて、あれほど〝あいつ〟を責めた理由を、今、自分がしようとしている。
――ギシリッと、光輝の中で軋む音がした。
「……光輝殿が言っていた最大火力の攻撃について詳しい話をお聞きしたく」
「あ、そうですね。……言ってみれば、砲撃です。高威力の砲撃を一直線に放ちます。本当に全力で撃てば、包囲を貫いて道を作ることはできるはずです」
ニエブラやラガルとの戦いから、光輝は半ば確信していた。それが伝わったのだろう。スパイクは頷く。
「ただ、発動まで少し時間がかかります。開門すると同時に放つのが理想なので、俺の合図と同時に開門してもらえると助かります」
「承知しました。門番にお伝えしておきましょう。光輝殿、我等の命運をお預け致します」
「……はい」
スパイクが伝令を走らせた。光輝は、万が一に備えて自分が制御し続けなくても【聖絶】を常時展開できるようアロース達の鞍に魔法陣を刻み、そこへ魔力を注いでいく作業を行った。
できるだけ王都まで待つように膨大な魔力を注ぐ。光輝は腰のポーチから三本の試験管を取り出した。それはこちらの世界に持って来れていた最後の魔力回復薬だ。
そのうちの二本を戻し、全ての魔法陣に魔力を注ぎ終わった後に一本を服用した。
そして、それが終わると同時に厩舎からアロースが出される。光輝達も表に出た。
轟音が何度も響き渡り、自警団員達の怒号と、領民の恐怖におののく声が耳を突く。
――ギシリッギシリッ、胸の奥から音が鳴る。
人が駆け込んできた。領主の子息――ロンドだ。それと、見知らぬ子供が二人。女の子と男の子だ。
ロンドがロスコーの言葉に耳を傾けている。真剣な眼差しで、自分が今託されているのだと理解している顔で、歯を食いしばって泣くのを堪えている。たまらないといった様子でシーラが息子を抱き締めた。強く、強く、抱き締めた。
選ばれた男の子と女の子と、その家族も、同じように別れを噛みしめている。
他の領民が目撃すれば、〝どうか自分の家族も〟と訴えてくるのは目に見えている。だから、その別れは厩舎の陰でひっそりと行われている。女の子の泣き声が、酷く光輝の耳に響いた。
――胸がざわつく。搔き毟りたい、と光輝は思った。
王都側へ通じる東門の近くへ、アロース達を移動させる。領民の目に付かないように。
「……」
天真爛漫なはずのお姫さまが、何もしゃべらない。表情は麻痺でもしているかのように固まっている。
「搬出はまだかっ」
「ちょうど輸送前だったんだ! 全部出すのには時間がかかる!」
「言ってる暇があったら手を動かせ! さっさと一人でも多く収容しろ!」
怒声が聞こえた。どうやら地下保管庫の物資を運び出す作業がまだ終わっていないらしい。必然、領民達も町で一番頑丈な場所に避難できていないということだ。
他にも頑丈な建物はあり、そちらにも人は逃げ込んでいるのだろうが、通りには地下保管庫の開放を今か今かと待っている人々でごった返している。
大人達の緊迫した雰囲気と鳴り続ける轟音に、子供達が悲鳴と泣き声を上げている。
――痛い。胸が痛い。軋む音が止まらない。
建物の陰にアロースが待機する。クーネも子供達も、そしてスパイク達、護衛隊のメンバーも既に騎乗して準備を整えた。光輝の詠唱で各アロースを包むように光の障壁が展開される。
ロスコー達が下がり、開門係の自警団員が緊張の表情でスタンバイしている。
開門と同時に砲撃を放ち、東門の向こう側にはびこる≪暗き者≫を吹き飛ばす。走り出したアロースに飛び乗る形で騎乗し、後は一気に包囲網を突破する。
作戦の準備は万端だ。
東門の正面へと歩き出した光輝は、いつしか小さく呟いていた。
仕方ないんだ、と。
俺だって死にたくないんだ、と。
これから少なくない命を散らします、許してください、と
恐怖に震える領民達に、見捨ててごめんなさい、と。
言い訳のように、
俺が選んだものは、いつだって間違いだったから。
きっとまた、間違えてしまうから、
取り返しのつかないことに、なってしまうから……
俺は……
だから、
だから、俺だって……
〝顔も知らない大勢〟より、〝自分にとっての大切な人達〟を選んだっていいじゃないか。
だから、
「たすけてっ」
「ッ!?」
電流が全身を駆け抜けた。気が付けば、光輝は東門の直線上にあるストリートの中央にいた。そして、だらりと力なく垂れ下がっていた腕が、ぎゅっぎゅっと引っ張られていた。
光輝が視線を転じれば、そこには三、四歳くらいの小さな男の子の姿が。
「お父さんをたすけてっ」
必死に光輝の腕を引っ張り、時折、西側の門の方へ視線を向けている。見れば、西側から大きな粉塵が噴き上がっていた。目を凝らすと、防壁の上に瘴気や黒い人影が見える。
粉塵は、誰かが恩恵術を行使したのか、あるいは防壁の補強外壁――急遽、恩恵術で大地を隆起させ貼り付けることで強化したもの――が粉砕されたのかもしれない。
そして、あの自警団員が辛うじて突き落としたあの黒い影は≪暗き者≫だろう。仲間を踏み台にしているのか、あるいは膂力に任せて這い上って来たのか。分からないが、防壁が乗り越えられようとしている。
おそらく、男の子の父親は西門に配属された自警団員なのだろう。噴き上がった粉塵や≪暗き者≫を見て、父親が窮地にあると思ったのだ。
「ど、どうして俺に……」
酷く、息がし難い。そう思いながら、光輝は掠れる声で尋ねた。
「だって、お兄ちゃんは〝ゆうしゃさま〟なんでしょ!」
「っ、お、俺は……勇者なんかじゃ……」
「お父さん言ってたよ! すごい人が町に来てるって! あの人がいれば、きっと≪暗き者≫なんてへっちゃらだって! おねがい、ゆうしゃさま! お父さんをたすけてっ」
身勝手な願いだ。
人の気も知らないで。
その期待が、どれだけ痛いか分かっているのか。
光輝の心の中に、八つ当たりじみた罵詈雑言が溢れかえる。
見覚えのある文官の男性が駆けつけてきた。光輝の役目を知っているが故に、焦った表情で男の子を引き剥がす。直ぐに母親も駆けつけて、文官に謝りながら男の子を連れて行こうとする。
「ゆうしゃさま! たすけてっ」
男の子が手を伸ばした。光輝に、救いを求めて。
ああ、本当に……
「なぁ、南雲。俺は、やっぱり変われないのかもしれない。こんなの馬鹿だって分かってるのに、お前みたいにはできないんだ」
そんなことを、諦めたような声音で呟いて……
「全ての敵意と悪意を拒絶するッ!! 神の子らに絶対の守りを! ここは聖域なりて、神敵を通さず! ――【聖絶】ッッ!!」
絶叫じみた詠唱が轟いた。
それは絶対の守り。燦然と輝く守護の証。
煌めく光のドームが光輝を中心に広がる。かつてない規模に広がっていく!
建物を透過し、人々を透過し、しかし、≪暗き者≫達だけは押し返して、町全体を覆う超大規模障壁が展開された。
突然、天を覆う光のドームが出現し、人々が呆然と頭上を見上げている。子供の泣き声もピタリと止まり、自警団員達すら手を止めて天を仰いでいる。
防壁を襲った轟音が止まったのは必然。されど、ダメージなどなかったはずの≪暗き者≫達の喧噪まで止まっているのは、やはり呆然としているからか。
「守るよ」
「え……」
それは誰の返答か。男の子が、その母親が、そして止めに入った文官の男が視線を光輝に戻した。
光輝は男の子を見て、もう一度、口にした。
「俺が、みんなを守るから。だから、大丈夫」
「ゆうしゃ、さま……」
男の子はお礼の言葉を言えなかった。守ると言った勇者が、泣き笑いみたいな表情をしていたから。
光輝は視線を東門へ戻すと、シャンッと音を立てて聖剣を抜いた。
そして、予定にない大規模障壁を展開したことに呆けていたクーネ達に言葉を贈る。
「クーネ様。すみません。俺はここに残ります。道は切り開きますから、駆け抜けてください」
「なにを言っているのですか、勇者さま!?」
驚愕と焦りを孕んだ声を張り上げるクーネ。思わずアロースから降りようとしてアニールに止められる。
「倒しきれないと言ったのは勇者さまではないですか! 死ぬ気ですか!」
「……ごめん。本当なら、君を守って確実に王都へ届けるのが〝正しい選択〟なんだと思う」
「そんなことを言っているのではありませんっ」
「うん、でも、俺はやっぱりダメなんだ」
「ダメって――」
途中から、口調が素になっていることに、クーネは言いようのない気持ちになりながら翻意させようと言葉を尽くす。が、
「俺、やっぱり助けて欲しいって人を、見捨てられない」
ヒーローに、なりたいわけじゃない。
誰も、殺したくない。
死にたく、ない。
でも無理なのだ。人類を救って欲しいと言われても余り実感が湧かなかった。人類と≪暗き者≫を天秤に掛けると、どちらに傾けるのが正しいのか、全く分からなかった。
けれど、それでも……
目の前で助けを求める手を伸ばされて、悲痛な声を聞かされては、もう無理だ。
「問答はしない。行くんだ、クーネ。……早めの救援を待ってるよ」
「勇者さ――」
チラリッと肩越しに振り返った光輝の泣き笑いの表情。恐怖と苦痛に埋め尽くされて、それでも引けず、引かず……
クーネが何かを言う前に、
「神意よっ、全ての邪悪を滅ぼし光をもたらしたまえ!」
光輝の詠唱が響き渡った。掲げた聖剣が強烈な光を放ち、【聖絶】に呆然としていた人々が光輝へと視線を移す。
「神の息吹よっ、全ての暗雲を吹き払い、この世を聖浄で満たしたまえ!」
光の螺旋が光輝を中心に発生した。天を衝かんばかりに立ち上った輝く奔流に、人々が瞠目する。
「神の慈悲よっ、この一撃を以て全ての罪科を許したまえ!」
光が吸い込まれるように聖剣へと集束した。門の向こうから≪暗き者≫達のざわつく音が聞こえる。彼等も異常事態に困惑しているのか。
光輝がスパイクへと視線を向けた。今にも飛び出しそうなクーネをアニールが押さえる隣で、スパイクは力強い視線を返し、コクリと頷いた。
そして、光輝の視線が門番へ。門番二人が意を決したように左右へ開門する。
その向こうにうごめく数多の黒い影。
そこへ、
「――【神威】ッッ!!!」
世界が純白に塗り潰された。
そう錯覚するほどの鮮烈な光の奔流。
同時に、音を置き去りにして突き進んだ閃光が【聖絶】の障壁を透過して≪暗き者≫達の軍勢へと突き刺さった。
防御など、する暇はなかった。否、防御そのものに意味などなかった。
まさに、神意の発現というべき【神威】の砲撃は、熱したナイフをバターに突き込むが如くあっさりと包囲網を穿ち、遙か後方まで突き抜けた。
やがて白に染まった世界が元に戻り、音が生き返り、白き閃光が虚空へ溶け込むように消えていく中、≪暗き者≫が消し飛んで開かれた道を見て、自分のなしたことにヒュッと喉を鳴らし震えた光輝は、
「っ、行けっ!!」
叫んだ。
スパイクを先頭にアロース達が猛烈な勢いで走り出す。
多大な魔力消費によってガクリッと膝を突いた光輝の脇を、スパイクが、リーリンが、護衛隊のメンバーが、アニールが、強ばった表情で敬礼しながら駆け抜けていく。
「勇者さま! 死んだら、殺してやりますから! 絶対に生きてないとっ、酷い目にあわせますからっ!! クーネはっ、やると言ったらやる女ですぅ!!」
通り過ぎた後も必死に声を張り上げてそんなことを言い残したクーネに、光輝は苦笑いを浮かべる。
いざとなれば、脱出する一行を追おうとする≪暗き者≫を防壁の上から狙い撃ちして援護しようと思っていた光輝だが、どうやら【聖絶】と【神威】の反則振りに硬直が解けないらしい。
クーネ達が包囲網の最後尾を抜けて、ようやく追おうと反応する者が現れたが、その時には既に振り切れる距離まで引き離している。
無事に脱出できたことに安堵しながら、光輝は腰のポーチから二本目の魔力回復薬を取り出した。
残りは一本。
これが二日半から三日の間の光輝の、否、アークエットの生命線。
立ち上がった光輝は、我に返って門を閉じようとする門番達に手を振って制止した。
そして、一歩一歩、門へ向かって歩いて行く。
「光輝殿! これは一体……貴方は何故……」
声をかけてきたのはロスコーだった。彼の傍らにはシーラとイヴァナの姿もある。
「ロスコーさん。この障壁は攻撃を受けるほど消耗し展開時間が短くなります。万を超える軍勢に絶えず攻撃されては、流石に救援までは持ちません」
「こ、光輝殿?」
「俺は、彼等を……いえ、〝敵〟を少しでも減らすため外に出ます。俺に戦力が集中するだけでも障壁の負担は減りますから。俺が稼いだ時間で、防壁と地下保管庫の拡張・補強を行い、一人でも多くの人を避難させてください。それから、モアナ様とクーネ様に伝言を――」
「光輝殿!!」
まるで遺言だ。そう思ったロスコーは咄嗟に口を挟んだ。
「無茶を、無茶をおっしゃるな。一人で戦うおつもりか? そんなもの自殺と変わらん」
「確かに多勢に無勢です。けど、障壁で守られた町に唯一の入り口があったら? そこが通路になっていて、精々二体が入って戦える程度の広さなら?」
そう言って光輝が手を突き出せば、我を取り戻し始めた≪暗き者≫達の目の前で、東門の正面の障壁の一部が変形し通路のようになった。幅四メートル程、長さ七、八メートルといったところか。
まさかと、ロスコーは、否、その場にいた者達はみな戦慄に喉を鳴らした。
「一対一万では直ぐに押し切られる。でも、一対一を一万回なら? ……それなりに時間稼ぎできるはずです」
絶句するロスコー達に、光輝は言う。
「救援が来て、そのとき俺がもうダメなら、モアナ様とクーネ様に『近いうちに魔王がやって来るかもしれない。相応の対価があれば救いはある』と伝えてください」
「なぜ、なぜそこまで……」
ロスコーは気が付いていた。戦うという光輝の手が小刻みに震えていることを。冷静を取り繕った表情が、武者震いなどではないことを如実に伝える。
だからこそ、そう尋ねたのだが、それに対する光輝の返答は、
「……俺が、大馬鹿野郎だから、だと思います」
そう言って、苦笑いしながら歩き出した。ロスコー達には止める言葉がなかった。
光輝は歩きながら、視線の先で≪暗き者≫達が障壁を破ろうと攻撃を再開したのを確認する。先程の【神威】で数百の≪暗き者≫を消し飛ばしたが、割れた海が元に戻るように埋め尽くされた外を見れば、焼け石に水だったように感じる。
(……聖絶を、どれだけ長く維持できるかが要だ。殲滅力よりも、継戦力を重視。とすれば、魔法の使用は控えて剣技だけで対応するのがベスト。魔法を使うにしても、攻撃魔法じゃなくて回復魔法だけにするべきだ)
未だに迷いがある。なのに、生きようとしている種族を、これから殺しに行くのだ。吐き気が止まらない。そんな道しか選べない自分に心底失望する。
制限だらけの戦いになる。攻撃魔法を使えば先に力尽きること必定で、使わなければ苦しい戦いが数百回、数千回と続く。
おそらく、死ぬ。恐ろしくて、恐ろしくて、手の震えが止まらない。カチカチッと鳴っているのは奥歯が奏でる恐怖の音色だ。
でも、足は止まらないのだ。
自然と、〝守る〟と口にしていたのだ。
まるで操られているみたいに、体は戦場へと向かう。戦う力のない人を背にして。
頭の中はぐちゃぐちゃなのに、〝守らなければ〟という意志だけは強く響いている。
明確な覚悟もなく戦場に出て、一体何度失敗した。一体何度間違えた。光輝の冷静な部分が、また同じ事を繰り返すのかとがなり立てる。
「……きっと、後悔するんだろうな」
今までと同じように。
「……でも」
でも、今までと違うことが一つだけ。
「……命を賭ける。逃げはしない」
真っ直ぐ前を見据えて、門を越える。【聖絶】の一歩手前。通路には既に敵が入ってきてる。光輝が門番に閉門を合図した。門番は泣きそうな顔で敬礼すると門を閉め始めた。
「……こわいなぁ。いやだなぁ……」
でも、躊躇うことはしない。≪暗き者≫達の多くの命を奪うことが正しいかなんて分からないけど、少なくとも、天之河光輝という人間は、助けを求めてきた子供の手を振り払えないから……
それだけは絶対に出来ないから。
光輝が【聖絶】で作られた通路に続く障壁の一部を解いた。瞬間、〝縮地〟で踏み込み、反応させることもなく、先頭にいた≪暗き者≫を袈裟斬りにした。
生々しい感触が手に伝わり、吐き気がこみ上げ、胸の奥がズキリッと痛む。
それらを無理矢理抑え込み、ざわつく≪暗き者≫達に、光輝は……
すぅと息を吸うと、包囲する全ての敵に届けと――咆えた。
「お前達の敵はここにいるっ!! アークエットが欲しければっ、俺を殺してみせろっ!!!」
注目と開幕のために、おそらくこの戦いにおける最初で最後の十八番――【天翔閃】の輝く斬撃が通路の敵を両断しながら後方まで突き抜けた。
通路の中程まで進んだ光輝は、聖剣を輝かせながら正眼に構えた。
一拍。
たった一人で軍勢に立ち向かおうとする身の程知らずに、≪暗き者≫達が一斉に飛びかかった。
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