あまりないですが、やり直したいことといえば、もっと学校生活を楽しめばよかったなと思っています
特に高校生の時はエセ進学校だったので、周りは、成績は良いが真面目なだけで自分の頭で考えていない生徒ばかり(と思っていた)
なので、勝手に壁を作って文化祭や体育祭などの行事に積極的ではありませんでした
体育祭ではクラス対抗リレーのアンカーに選ばれてしまったのですが、他のクラスは陸上部や野球部と足の早いメンバーを揃えているのに対し、うちのクラスはバトントワリング部や文化部の寄せ集めで、始まる前から結果は見えていました
当日、他の子たちも頑張ってバトンを繋いでくれたのですが、アンカーの僕に回って来る頃には他のクラスはゴールしていて、全校生徒に見守られながら一人でグラウンドを走るという地獄を味わいました
その際、あまり全力で走らずにランニングのペースで走ったのですが、あとで先生に呼び出せれて注意されたり、その時の彼女とその友達がわざわざ教室に全力で走らなかったことを咎めに来たりと踏んだり蹴ったりでした
今振り返ってみると、結果は事前にわかっていたのだから、例えば友達にバスケットボールを用意してもらって、ゴール前で、ストリートバスケのようなテクニックを使って1 on 1をして場を沸かすなどすればよかったなと思っています
勝ち負けではなく、どう面白くするかという視点が当時の僕には欠けていました
1960年のパンナム便のエコノミークラスの写真(映画のシーンではないです)
取り戻せるとすれば、これです。
これは60年代後半のことで、パンナムがエコノミークラスを利用する乗客をこんな風に扱っていたのです。
ラウンジのような普通の席で、知らない人の隣には絶対に座らない方がいいようです。いつも空席があるような状態でした。
そして、正確には見えませんが、この乗客たちは、おそらくとてもおいしい食べ物もついていたのでしょう。
もちろん、当時は飛行機がもっと高価で、誰もが飛行機に乗れるわけではなかったのは事実です。特別なものだったんですね。
でも、本当はもっと飛行機代を貯めて、まだ人が家畜のようにではなく、人間として扱われている雰囲気の中で飛行機に乗りたいんです。
しかし、現代にあればこの飛行機運賃はとても高くなるのでしょうが、もう戻ることはないのではと思います。
イタリア語版Quoraより
その他の航空会社の写真も。。
スカンジナビア航空。キャビア、ロブスター、ハムの足などを乗客に提供している高度35,000フィートでの様子。
スカンジナビア航空の機内食70年代の様子
カンタス航空のボーイング747ジャンボジェット機内にあるラウンジ
1960年代 トルコ航空の キャンピー カクテル
カンタス航空B747のファーストクラス
ユナイテッド航空747のモダ
1960年のパンナム便のエコノミークラスの写真(映画のシーンではないです)
取り戻せるとすれば、これです。
これは60年代後半のことで、パンナムがエコノミークラスを利用する乗客をこんな風に扱っていたのです。
ラウンジのような普通の席で、知らない人の隣には絶対に座らない方がいいようです。いつも空席があるような状態でした。
そして、正確には見えませんが、この乗客たちは、おそらくとてもおいしい食べ物もついていたのでしょう。
もちろん、当時は飛行機がもっと高価で、誰もが飛行機に乗れるわけではなかったのは事実です。特別なものだったんですね。
でも、本当はもっと飛行機代を貯めて、まだ人が家畜のようにではなく、人間として扱われている雰囲気の中で飛行機に乗りたいんです。
しかし、現代にあればこの飛行機運賃はとても高くなるのでしょうが、もう戻ることはないのではと思います。
イタリア語版Quoraより
その他の航空会社の写真も。。
スカンジナビア航空。キャビア、ロブスター、ハムの足などを乗客に提供している高度35,000フィートでの様子。
スカンジナビア航空の機内食70年代の様子
カンタス航空のボーイング747ジャンボジェット機内にあるラウンジ
1960年代 トルコ航空の キャンピー カクテル
カンタス航空B747のファーストクラス
ユナイテッド航空747のモダンなバー
ミニマルなデザインが特徴的なJALのエレガントな747ガーデンジェット。1970年代
https://lifeontheplanetladakh.com/blog/reclaim-lost-splendor-nostalgic-reflections自分に子供がいないので…
ついこの間まで子供だと思っていた子が大人になっているのを見た時…
芦田愛菜さんとか…
鈴木福さんとか…
谷花音さんとか…
須賀健太さんとか…
自分に子供がいないので…
ついこの間まで子供だと思っていた子が大人になっているのを見た時…
芦田愛菜さんとか…
鈴木福さんとか…
谷花音さんとか…
須賀健太さんとか…
結婚当初、色々理由があって母の借金(大した金額ではない)と奨学金を背負ってました。もちろん、結婚前にそのことは夫にもあちらの両親にも伝えてありました。そして、それを払う代わりに母とは縁を切れと言われました。当時「毒親」という言葉が流行っており、私も母に対して疑念がなかったわけではなかったので、非常に悩みました。こんな話誰にでも話せるものではないし、多分時世的にもみんな母と縁を切れと言うと思いますし、下手に話してしまうと夫の稼業の邪魔になってしまうと思い誰にも話せませんでした。でも、私は母を本当は愛していました。バブルが崩壊した頃家庭内も壊滅状態、父は酒に溺れ暴れた末に私は殺されかけました。その時母は離婚を決意しました。私たち子供を愛していたからです。当時の状況で4人を育てるのは大変な事だったでしょう。元々ちょっとお嬢様だった母にはプライドを傷付けられることが何回もあったと思います。それでも、私たちからバイト代をせびることはなく、私は奨学金で大学に行きました。やりたいことやりなさいって言ってくれました。だから、そんな母と縁を切るなんて到底できることではなかったんです。客観的に見れば、子供に借金を負わせるなんてそんな母親はおかしいって義父にも夫にも言われました。私は理由を説明しようとしましたが、当時そんな気力はもう残っておらず、もう母のことは諦めるしかないのかもしれないと思っていました
結婚当初、色々理由があって母の借金(大した金額ではない)と奨学金を背負ってました。もちろん、結婚前にそのことは夫にもあちらの両親にも伝えてありました。そして、それを払う代わりに母とは縁を切れと言われました。当時「毒親」という言葉が流行っており、私も母に対して疑念がなかったわけではなかったので、非常に悩みました。こんな話誰にでも話せるものではないし、多分時世的にもみんな母と縁を切れと言うと思いますし、下手に話してしまうと夫の稼業の邪魔になってしまうと思い誰にも話せませんでした。でも、私は母を本当は愛していました。バブルが崩壊した頃家庭内も壊滅状態、父は酒に溺れ暴れた末に私は殺されかけました。その時母は離婚を決意しました。私たち子供を愛していたからです。当時の状況で4人を育てるのは大変な事だったでしょう。元々ちょっとお嬢様だった母にはプライドを傷付けられることが何回もあったと思います。それでも、私たちからバイト代をせびることはなく、私は奨学金で大学に行きました。やりたいことやりなさいって言ってくれました。だから、そんな母と縁を切るなんて到底できることではなかったんです。客観的に見れば、子供に借金を負わせるなんてそんな母親はおかしいって義父にも夫にも言われました。私は理由を説明しようとしましたが、当時そんな気力はもう残っておらず、もう母のことは諦めるしかないのかもしれないと思っていました。そんな時、母は再婚しその方と事業を起こしました。子供たちに何か残したいと思ったからだと思います。そのとき、私は精神的に追い詰められ、ボロボロの状態でしたので、それをみて再婚相手は激怒していました。でも私は心が麻痺していたので、なんで怒ってるのか分からず倦厭していました。宗教も勧められて、怪しい人だと思ってしまいました。ある時、夫婦喧嘩で体調を崩した際、一ヶ月ほど実家に帰りました。その際、もう夫のことは諦めろと言われました。私は、私のワガママで借金は自分で返すものだと思っていたため、それが何で返してやらないのだとあちらの方には映ったのでしょう。私もそれについての愚痴をこぼしていたがために、完全にお互いの家族が、憎み合う構造ができてしまっていたんです。
それに気づいた時、取り返しのつかないことをしてしまったと思いました。お互いの家族はそれなりにそれなりの考えできちんと営んでいたのに、私が間にいたがためにいらぬ争いが起きてしまったと思いました。元々逃げ癖があった私は、もう全部捨てて死ぬか誰も自分を知らない土地で静かに生きようかとも思いました。だけど、そうなると夫は何のために生きているか分からなくなり、義両親にしていただいたことも全て無駄になってしまうと気付いたんです。もちろん、母だって私たちのことがあったからできないながらも再婚相手の方の力を借り、なんとか立て直そうとしていたんだと思います。それに気付いたとき、どちらとも縁を切るべきではないし、出来ることなら家族であるからには仲良くして欲しい、私が至らなかった故に得ることが出来なかった幸せを取り戻すためにこれからは生きなければならないんだと思いました。実際にはこんなに綺麗な話ではありませんでしたし、色々勘違いとか下心とかあった部分はあると思います。でも、それでも私が両者と縁を切れなかったのはそこに「愛」があったからだと思っています。
長々とすみません。これが人生の中で一番「やめてしまおう!」と思ったエピソードでしたので、書かせていただきました。
乱文、お目汚し失礼いたしました🙇♂️
つい先日、
デンタルクリニックの帰りに以前はよく行っていたQueen's ISETANというスーパーに
立ち寄ったところ、看板の電飾が外され、ドア枠も外され、内装工事のような感じでした
きっと閉店したんだと思います、入り口側までは近づけなかったので確認できてはいないんですが。
新宿にある本店『伊勢丹百貨店』の名前を冠した高品質なプライベートブランドを持つスーパーマーケットとして今も各地にはありますが、杉並区桃井店はおそらく売り上げが低かったのでしょう、過去にも一度閉店、というお知らせがあったんですが一応独立採算制で営業していたようです
この周辺はマンションが多く、住民もかなりいるのですが、それでも閉店となるのは、やはり少し高いんですね、野菜でも生鮮食品でも、近隣にはもっと安いスーパーがありますので、みなさんそちらに行くのかと思います
私はこのスーパーはちょっとマニアックなものを売っていたので気に入ってたんですが、自分が慣れ親しんだお店が閉店になるとやっぱり時は移ろうものだなと思います
この桃井には16年住んでいて、暑い夏も寒い冬もほとんど毎日買い物に行ってましたんですが、私も数年前にここから自転車で15分ほど離れたところに引っ越しましたので、身近な存在ではなくなった、というのかこの地域そのものが自分の生活圏ではなくなって、遠い存在に変わっていったということが時の移ろいを余計に感じさせるものなのか
つい先日、
デンタルクリニックの帰りに以前はよく行っていたQueen's ISETANというスーパーに
立ち寄ったところ、看板の電飾が外され、ドア枠も外され、内装工事のような感じでした
きっと閉店したんだと思います、入り口側までは近づけなかったので確認できてはいないんですが。
新宿にある本店『伊勢丹百貨店』の名前を冠した高品質なプライベートブランドを持つスーパーマーケットとして今も各地にはありますが、杉並区桃井店はおそらく売り上げが低かったのでしょう、過去にも一度閉店、というお知らせがあったんですが一応独立採算制で営業していたようです
この周辺はマンションが多く、住民もかなりいるのですが、それでも閉店となるのは、やはり少し高いんですね、野菜でも生鮮食品でも、近隣にはもっと安いスーパーがありますので、みなさんそちらに行くのかと思います
私はこのスーパーはちょっとマニアックなものを売っていたので気に入ってたんですが、自分が慣れ親しんだお店が閉店になるとやっぱり時は移ろうものだなと思います
この桃井には16年住んでいて、暑い夏も寒い冬もほとんど毎日買い物に行ってましたんですが、私も数年前にここから自転車で15分ほど離れたところに引っ越しましたので、身近な存在ではなくなった、というのかこの地域そのものが自分の生活圏ではなくなって、遠い存在に変わっていったということが時の移ろいを余計に感じさせるものなのかもしれません
10年前の自分に『2009年にビットコインという仮想通貨の取引が始まるから、有り金はたいてそれに投資しろ!!』と言います。
それと現在から過去10年間の地震天災、事故、殺人事件の詳細な記録情報を、過去の自分に渡します。
そして「これらの不幸な出来事を、できるだけ防ぐか最小限の被害ですむよう、あらゆる手を尽くす」よう頼みます。
特に東日本大震災がもたらすであろう被害を最小限にすることと、福島原発事故の予防、そして殺人事件を未然に防ぐことに全力で尽くすよう、過去の自分に頼みます。
もしうまくいったら「歴史を変える」ことになりますが、こういった「歴史の改ざん」なら、きっと歴史の神様も許してくれると思います。
10年前の自分に『2009年にビットコインという仮想通貨の取引が始まるから、有り金はたいてそれに投資しろ!!』と言います。
それと現在から過去10年間の地震天災、事故、殺人事件の詳細な記録情報を、過去の自分に渡します。
そして「これらの不幸な出来事を、できるだけ防ぐか最小限の被害ですむよう、あらゆる手を尽くす」よう頼みます。
特に東日本大震災がもたらすであろう被害を最小限にすることと、福島原発事故の予防、そして殺人事件を未然に防ぐことに全力で尽くすよう、過去の自分に頼みます。
もしうまくいったら「歴史を変える」ことになりますが、こういった「歴史の改ざん」なら、きっと歴史の神様も許してくれると思います。
ドラえもんの作者・藤子F先生に『T・Pぼん』という作品があります。タイムパトロールものです。中学生の男の子が、妹ポジションの相棒とペアで、歴史の修復や微改変に活躍するお話です。小道具がいくつかあって、杖をひとふりあら不思議、時が1分だけ巻き戻される「タイムコントローラー」なんてのがありました。
このまんがが連載されていたのは、家庭用ビデオデッキが出回りだす頃でしたか。コマ送りとか一時停止とかの機能が、この杖に仕込まれているのは、その反映に思えます。
この杖がほしいな。時空を旅する能力でもなく、人生をやり直すマシンでもなくて。
ドラえもんの作者・藤子F先生に『T・Pぼん』という作品があります。タイムパトロールものです。中学生の男の子が、妹ポジションの相棒とペアで、歴史の修復や微改変に活躍するお話です。小道具がいくつかあって、杖をひとふりあら不思議、時が1分だけ巻き戻される「タイムコントローラー」なんてのがありました。
このまんがが連載されていたのは、家庭用ビデオデッキが出回りだす頃でしたか。コマ送りとか一時停止とかの機能が、この杖に仕込まれているのは、その反映に思えます。
この杖がほしいな。時空を旅する能力でもなく、人生をやり直すマシンでもなくて。
キリスト教の牧師として回答します。
ご質問における「仮定(時間を巻き戻しができる)」があるので、当然、「時間の巻き戻しをする」ということは「同じようにすることになる」ということです。
ただし、ご質問には「戻って同じようなことするの?」ということは、ご質問の「仮定」を前提にしていないため、「何度も同じことをする」みたいに思われるかもしれませんが、「時間を巻き戻す」とはまさに事象(発生したすべての出来事)そのものを「元に戻す」ことになるので、「何回、同じことを巻き戻して経験した」としても、その人にとっては「ただ1回の経験でしかない」という点にご注意ください。
実はできるのかもしれません。
でも、時間を戻すと全ての人の記憶や世界の状態が一緒に戻ってしまうので、誰も戻ったことに気づきません。
時間巻き戻しに成功した科学者でさえ、成功した瞬間に「成功した」という記憶もなかったことになるので、また挑戦することになります。
いつも思っています。
小学3,4年生ぐらいまで戻って、そこから人生を計画し直したいです。
カードダスとかゲームソフトに手を出さすにカネ貯めて、体も鍛えて・・・
所属していた部署が廃部になり、仲の良かった仲間は散り散りになり辞めていきました。私も異動先の仕事がつまらなくて、人手が足りないから来ないかと誘ってくれた部署はキャリアに勿体無いからと人事に退けられたので嫌になって辞めるつもりでした。ところが、異動したがっているという話が回り回ったのかはわかりませんが予期しない部署の部長からお誘いがあり異動する事が出来たんです。おかげ様で会社を辞めずに済みました。ちょっとだけ声をあげたら上手く回った良い例ですね。
野外音楽フェスの出演アーティストのラインナップが良い時ですね。炎天下で立ちっぱなしはさすがにキツいです。演奏中に立ち上がっても座席があると安心します。コロナ前は海外アーティストのライブでアリーナ全席スタンディングのケースが多々ありましたが、それで断念しちゃいます。若い時にはむしろその環境を楽しんでいたと思います🤗
野外音楽フェスの出演アーティストのラインナップが良い時ですね。炎天下で立ちっぱなしはさすがにキツいです。演奏中に立ち上がっても座席があると安心します。コロナ前は海外アーティストのライブでアリーナ全席スタンディングのケースが多々ありましたが、それで断念しちゃいます。若い時にはむしろその環境を楽しんでいたと思います🤗
この世においては過去の時間は戻りません。但し、その人を催眠術にかけて退行催眠させて過去の出来事や前世の人生をを再現させれば、その当時と同じ体験を味わえるようです。そうした方法を使って過去のトラウマを治すことにも使われています。ということは、人間は意識体がその本体ですから、肉体を脱ぎ捨てて霊界に移行すれば、時間と空間の概念がなくなって時間と空間の制約から解放されますから、過去に体験したことについて再体験が可能です。それから、神仏の世界では、過去、現在、未来の差がありません。過去、現在、未来が同居しているようです。こういうことは普通の常識では理解はできないでしょう。スピリチュアルの世界では常識です。
そらそうでしょう。
土曜日の夕方に仕事を終えてから、遊びまくって月曜日の朝に帰って来て疲れ知らずに仕事をして、また土曜日が来たら…を繰り返してましたが、しんどいとは思わなかったですからね。
妹は昔、公立高校で英語を教えていて今はお役所仕事ですが妹から時々言われます。あの頃の兄ちゃんは眩しかったと。そして、今は
パパと同じことしてる…
ほっとけ(笑)
あります。20数年待ちに待ち続けましたよ。
そしてこうなりました。
A2a
戻りたくないですね。むしろ早送りして、すぐにでも人生を終えたいです。
それか…自分が生まれる前の両親に会って、「お願いだから自分を産まないで」と伝えたいです。
中学高校のとき、芥川龍之介、太宰治に影響されてシを思いました。その時、部屋があまりにもぐちゃぐちゃなので、せめて親に迷惑かけまいと思って、必死に片付けました。部屋がピカピカになると、なんかテンションが上がって、生きていく希望が湧きました。中高年の今も、ダウナーになると掃除してアゲます。