なぜ「IRIS OUT」なのか〜IRIS OUT盤・映画から考える歌詞考察〜
『チェンソーマン レゼ篇』を2回観てきた。
通常版とIMAXレーザーGTで観てきた。原作は既に読んでいたので話自体は元々中身はわかっていたが、それでもよかった。
なので今回はとりわけ、原作にない、主題歌として採用された主題歌である米津玄師『IRIS OUT』を、CDの特典を含め考えていきたい。
ついては、この noteは『チェンソーマン レゼ篇』のネタバレを多分に含むと共に、原作『チェンソーマン』のネタバレにも多少触れるのでご留意願いたい。また、米津玄師『IRIS OUT』のIRIS OUT盤の特典についても触れていくが、こちらはある程度公開情報であるため気にせず触れていくこととする。
ついては、チェンソーマンレゼ篇か、チェンソーマンの原作を読んでいればある程度ついていける内容となっているので、気になった方は米津玄師の「IRIS OUT」のCDを是非とも現物を手に取ってほしいし、原作だけの方は是非映画も見に行ってほしい。
・まず「アイリスアウト」とは
IRIS OUT……まずはこのタイトルともなっているアイリスアウトの言葉の意味を振り返っておこう。
アイリスアウトとは、近年であればアニメなどでよく活用されるが、場面の最後や転換などで、真っ暗な画面に丸でキャラだけ抜かれていて、その丸がだんだん小さくなっていってフェードアウトしていく演出のことである。
ドラえもんなどでのび太が「とほほ、もうこりごりだよ〜!」と言って終わるシーン、というと大体わかるんじゃないだろうか。そのイメージで言うと扱われるのは大体話の終わりであろう。なので個人的にポイントになるのが
・円、丸に囲まれている
・終わりや転換のシーン
・円が狭まっていく
というところであろう。
であれば、ある程度このアイリスアウトを想起させるシーンを振り返っていって考えていきたい。
・作中のアイリスアウトを想起するもの
まず、ダイレクトにアイリスアウトそのもの……外側から円形に黒い背景が迫ってくるような演出はない。ついては、『IRIS OUT』の歌詞などから深掘りしたり、先に挙げたアイリスアウトの象徴的ポイントである円や場面転換に関連させ、もう少し広義の意味でアイリスアウトの想起させるシーンを考える。
・1度目の恋の終わりとしての「アイリスアウト」
歌詞をシンプルにまずは考え、アイリスアウトと歌詞で述べている周辺を見てみよう。
頸動脈からアイラブユーが吹き出てアイリスアウト
ここを見て個人的に思い浮かぶシーンは、デンジがレゼに舌を噛み切られ、頸動脈を切られるシーンだろう。その直前でデンジのレゼへの愛のボルテージが一番加速しているシーンであり、かつ、頸動脈を明確に切られるシーンでもある。ここでデンジは初めて裏切られた(今まで騙されていた)ことに気付き、デンジとレゼとの楽しい恋物語が大きく転換する。ここでデンジの意識は一旦事切れフェードアウトしていくという意味でも、アイリスアウトを想起させる。
死ぬほど可愛い上目遣い なにがし法に触れるくらい
この曲全体を通してみても、レゼへの魅力を歌う歌詞も多く、デンジ目線で描かれていると考えると、頸動脈がアイラブユーが吹き出て……は、シンプルにレゼにハマっているデンジの愛の曲としつつ、実はそこでレゼに裏切られるシーンも描いている、とするのが、一つの王道の読み方だろうと考える。つまりここでは
・場面や転換のシーン
としてのアイリスアウトが使われている。
しかしながら、ここではあまり先に挙げた「円」の性質は少なく、ここの歌詞やタイトルがアイリスアウトでなくても成り立ってしまう。少しアイリスアウトという単語から離れすぎたので、もう少し近づいていこう。
・円としてのアイリスアウト:コーヒー
さて、アイリスアウトは円で囲われている、つまりアイリスアウトを想起させるものとしての“円”があると思うが、この映画の中ではかなり円を意識させることが多かったように思う。その点にフォーカスした記事では、先行されて別の方が書かれている記事が深掘りしているので細かいところは割愛する(読まずとも以降の文章はわかるように構成しているが、「円」の部分が気になった方は是非読んでみてほしい)
この記事からもう少し踏み込んでいくと、個人的にはその円の中でも“円が広がっていくもの”“円が狭まっていくもの”はよりアイリスアウトを想起させるものだと思うので、その点でフォーカスしたい。
それで思い浮かばれるのは“コーヒー”だ。
冒頭、作中オープニングで『IRIS OUT』が流れるシーンでも、上から撮ったコーヒーが描かれる場面がある。コーヒーは上から見れば円形であること、かつ、白黒逆ではあるが、コーヒーを飲み進めていくと、円がどんどん中央へ向けて縮んでいき、最後には無くなる。ただの円、というだけではなく、広がっていく、縮んでいく、という点でよりアイリスアウトを想起させないだろうか。コーヒーは最初のレゼとの出会い、そして別れの場でもある。原作でも、このレゼ篇のすぐあとのデンジの心情で
コーヒー…… コーヒーといえばレゼ……
と言うシーンもあるので、多少の意識はあるだろう。
ただ、この考察の気になる点で言えば、たしかに円としてのコーヒーは意識されていたかもしれないが、最後のフェードアウト、つまり物語の終わりとして、デンジが花束を抱えていたシーンでは確かコーヒーは飲んでいなかったはず……(記憶を頼りに書いているので違っていたら申し訳ない)。 歌詞中の「ザラメ」も、コーヒーと関連つけられなくもない……があまりコーヒー向きでもないだろう。コーヒーが作中象徴的存在ではあるとは思うが、アイリスアウトという単語ともそうだし、歌詞中とも関連性は少し低いかもしれない。
・円を表すもの
・広がっていく/縮んでいくもの
・場面や展開など、何かしらの終わりを示すもの
・歌詞と絡められるもの
この観点を改めて頭に入れつつ、もう少し別の視点で考えていこう。
・『IRIS OUT』IRIS OUT盤の特典から想起されるもの
さて、先に挙げたように、円そのものは作中で意識して描かれており、色んな候補が挙げられるので、もう少し絞っていきたい。
その中で気になったのは、米津玄師『IRIS OUT』のCDのバージョンとして存在する“IRIS OUT盤”の存在である。
上記リンクにあるような特典がついてくるわけだが、個人的に、これが先に挙げた円の中でも、米津が注目した円(アイリスアウト)が見えてくるのではないか。
まず、この特典自体が円形であり、それは意識されているように思える。かつ、このケース自体がレゼのチョーカーを思わせるケースになっている。黒で、輪になって、ちゃんと爆弾の悪魔を起動させるピンも一緒になっている。入っているチェキ風カード、アクスタもレゼとなっている。レゼを色んな形で表すことに注力した特典であると思う。シンプルな見方としてはまずそれがあるだろう。
私が注目した点はここからだ。
ジャケット絵をまずは見てほしい。
ジャケット絵において背景が赤色であり、キックバックとも繋がるようになっていて、それを意識すると赤が中心のイラストであり、レゼの影が赤みがかっていることにそこまで大きく違和感はない。しかし、アクスタはこの絵をそのまま利用しており、赤が少し目立つ。
ここからは考察……というより、個人の感想に近いものになってしまうが、自分がこれを手に取って、アクスタだけが入った状態で見た時気付いた。
「血の色だ」
と。赤が目立つ形で、その円の中にレゼがいる。
そう、この特典は、レゼ篇の最後のシーン、マキマに殺され、円形の血溜まりの中で死んでいくレゼそのものも表しているのではないか。映画を未視聴、または覚えていない人はもう一度観に行って最後のシーンをもう一度意識してほしいが、あのレゼの死ぬ最後のシーンの血溜まりはかなり綺麗に円形なのである。かつ、円がゆっくり広がっていき、レゼという存在がフェードアウトしていくシーン。
先に、この歌はデンジが頸動脈切られて意識がフェードアウトしていくという意味でのアイリスアウト、デンジ目線で描かれていると言った。それだけではなく、この曲はレゼ目線でもあるのではないか。
瞳孔バチ開いて溺れ死にそう
今この世で君だけ大正解
最初この歌詞に8割方納得しつつも、どうも残り少し納得しきれない部分があった。デンジ目線で考えると、「君に溺れそうだ、君しか正解じゃない」と盲目的になっている感情……とも考えられる。盲目、を意味するのが瞳孔バチ開いての部分と考える。しかし、デンジはレゼに「二人で逃げない?」と言われ、マキマさんや仕事のことが気になって、踏みとどまる。恋愛的な意味でも、ずっと「マキマさんとレゼと、頭に浮かぶのが二人になっちまった!」と言っており、“君だけ大正解”の意味がしっくりこない。デンジがレゼだけを正解としているシーンはない。また、“瞳孔バチ開いて”も、瞳孔が開いていると言うのは死に近いと言うこと。先に頸動脈を切られたシーンの話をしたが、そのシーンはデンジは当然ながらレゼに“大正解”なんて思っていないだろう。デンジ視点の曲と考えると、この歌詞の違和感は残ったままとなる。
しかし、レゼの視点で考えるとどうか。
デンジくん 本当はね 私も学校いった事なかったの
最後、レゼが事切れる直前のセリフである。
このセリフは、レゼがデンジを騙すためとはいえ、学校で二人で遊んだことを楽しんだと言えるセリフでもあると思う。デンジはそれをなんとなく見抜いていたと思う。だから、デンジはレゼにこう言う。
全部嘘だっつーけど 俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?
これを言われた直後のシーン、レゼは頬を赤らめていない。レゼは、デンジを騙すための術として頬を赤らめてさも惚れているかのように接したと言っていた。逆に言えばそうでない場面は本心に近い場面と言える。レゼは今までそういった術を使って人々を騙し続けていたであろうと考える。つまりは、それまでレゼと会ってきた人間はレゼの嘘の側面しか見ていない、全員、“不正解”なのである。デンジが出した答えも不正解なのであれば、レゼはそのまま逃げていただろう。なぜレゼは、そのまま新幹線に乗って逃げずに、喫茶店に戻ってきたのか。
瞳孔バチ開いて溺れ死にそう
今この世で君だけ大正解
そう、それが“この世で君だけ大正解”だからである。
瞳孔が開ききり、血の海の中で溺れ死んでしまいそうなシーンで、レゼは「学校いった事なかったの」とこぼす。この世で、騙して騙して、自分のことを見抜く人はおらず、全員不正解。頬を赤らめたのに騙されその側面しか見ない人間ばかり。その中で、この世で唯一、正解を叩き出したのがデンジだったということではないだろうか。
もう少し踏み込んでいくと、デンジは『泳ぎ方』について言及した。あれはただ、学校で一緒に遊んだことが楽しかったよね、というだけの話ではない。例えばだが、学校楽しかったよね、の意味合いで『でも、俺に勉強教えてくれたのはホントだろ』と言っていたら不正解だ。なぜならレゼは学校に行ったことがないから勉強ができない。できないから、1+1とかデカケツとかしか教えていない。まともに教えていないのだ。
では泳ぎはどうか。レゼはソ連に尽くす兵士として鍛え上げられた存在だ。当然、泳ぎは訓練を受けているだろう。であれば、泳ぎはかなりできるだろう。そして、デンジも感じたはずだ、ちゃんと為になる泳ぎ方の教え方をされたのか、まるきり嘘の泳ぎを教えられたかは。だから、デンジはそこだけは本当に教えてくれたと見抜いていたのだ。
デンジくん 本当はね 私も学校いった事なかったの
まとめよう。
改めて、このセリフが、なぜデンジを想い、『君だけ大正解』につながるのか。レゼは学校に行ったことがなかった。だがそれを隠して学校にデンジを誘う。デンジはまんまと騙されていく。しかしデンジは、最後の別れ際に「俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?」と言う。このセリフは、デンジがレゼの本心を見抜いていただけではなく(※デンジも本能的にわかっていただけで、言語化できるほど明確に見抜いてはないと思うが)、レゼが学校に行っていない(勉強分かっていない)ことを察していたから出てきたセリフでもある。デンジは、レゼの頬の赤らめ、プールでの裸体、整った顔ばかり見ていたのではない。ちゃんとレゼの本質を見ていた。”正解”を見ていた。それにレゼも気づいていたというセリフだと考える。
つまり、この曲はデンジがレゼに惚れて恋に溺れていくシーンだけを表しているのではなく、レゼが死にいく最期にデンジを想うシーンも表している、二重にどちらの想いも表している曲なのではないだろうか。
血の海で瞳孔バチ開いて溺れ死にそうになっている中、デンジが正解をたたき出したこと、自分にとっての大正解であるデンジのことを想うラストを、この二行で表しているのではないだろうか。
そう考えると本当にこの曲の作りはすごいな……と感心するばかりである。聴くだけではなく、特典にもヒントがあるとは。信頼して買ってよかったとしみじみ思う。
もう一つの円としての「マキマ」~劇場版OP映像の考察~
さて、大方先ほどの章でメインで触れたい話は終わったのだが、もう一つ触れたいところがある。ここはそこまで深掘りできていないのでおまけ程度に聞いてほしい。
先ほどアイリスアウトを想起させるものとしての「円」の話をしたが、個人的に「円」で一番想起されるものは、マキマの目だ。
かなり特徴的な目をしていて、目の中に幾つも円が描かれているような目だ。実際映画のオープニングシーンでもこの目が大きく描かれるシーンが存在する。原作ではこの目で見ながら命令することで、相手を支配できる能力であると思われ、この目は、支配の象徴でもある。そう考えた時、アイリスアウトとは、マキマの円(目)の中で、支配で逃げられないという意味合いもないだろうか。マキマは動物の耳を借りれる。だから、「田舎のネズミ」の話も聞いて知っていた。つまり、レゼの動きも、デンジの動きも想定内で、全部マキマの手のひらの上であったのである。
ひっくり返っても勝ちようもない
君だけルールは適用外
四つともオセロは黒しかない
カツアゲ放題
ここは先に挙げた、デンジが盲目的に相手に惚れていることだけではなく、マキマの圧倒的支配を指す歌詞でもあるだろう。これはレゼもそうだったし、デンジも絶賛マキマに惚れて監視されており逃げない選択肢を取っている。
(追記:25年10月8日)
劇場版PVが一般公開され、気づいた点が増えたので追記することとする。
このオープニングで「IRIS OUT」が流れているが、このオープニング映像では徹底して”マキマの支配”が円を通じて描かれている。
まず出てくるのは、朝食のシーン。
なんの変哲もない朝食シーンに見えるが、トマトを切るシーン、コーヒーを注ぐシーン、目玉焼き、すべて上から撮影し”円”が強調される。この朝食は最初にデンジを原作で勧誘するときにマキマが伝えた朝食とほぼ内容が一緒である。マキマが最初に支配を行うシーンともいえる。
次に出てくるのは下水管から覗くネズミだ。
マキマは小動物の耳や目を借りることが原作で判明しており、劇中でもたびたび小動物が出てくるシーンは、見られていることの表れであろう。”どこでも見ているぞ”ということを表す一枚でもある。
そして極めつけはマキマの目である。
マキマの目は同心円状になっており、これでもかと円を強調した目になっている。かつ、ここからのマキマの目に吸い込まれていった後の描写でも色んな円が出てくる。
輪の中で楽しく踊っている三人。みんなが手を繋いだ輪の中で踊っている。しかしこれは、マキマの目の中=マキマの支配下と考えると、”マキマの計画(デンジを楽しませた後に不幸に落として、ポチタとの契約を破棄させる)通りに楽しんでいる何も知らない三人”という絵にも見える。
かつ、その後出てくる円形はフェナキスティスコープのアニメと、メリーゴーランドで楽しむデンジ、アニメの中で楽しそうにしているデンジ。
そしてその中心には、”チェンソー(ポチタ)の心臓”
これは、
・マキマの脚本(アニメ)の中で計画通り楽しんでいるデンジ
・その輪から逃げられないことの示唆
・その輪の中心にあるチェンソーの心臓のためにすべてが回っている
ということだと考える。
フェナキスティスコープのアニメは延々と同じ絵が回るだけで、それ以上の展開はない。その円=支配の中に閉じ込められていることの強調だと考える。
ちなみに、このシーンが”ポチタとの契約を破棄しようとするマキマ”を表しているのである……とする考察の補強材料はまだある。
最初ポチタはデンジと楽しくダンス〇ンスレボリューション風のゲームを踊っているシーンがある。これはデンジとポチタの「デンジの夢を見せてくれ(=楽しく生きる)」の象徴でもあるし、それをポチタが満足している様子でもあると思う。
しかし、この”ゲーム”は、マキマがデンジに手をかけて、失敗する。
これは、マキマが、ポチタが楽しんでいたダンスゲーム……デンジが自分の夢をかなえて楽しく生きるというポチタとデンジの契約を、マキマの支配によって破棄させたということを表現していると考えている。
(追記終わり)
長くなったが、つまり、この曲はマキマの支配も表しており、総合すると
・デンジからレゼへの想い(王道の読み方)
・レゼからデンジへの想い(ちょっと捻った読み方)
・デンジからマキマへの想い(劇場版OP)
・マキマの支配(劇場版OP)
と、めちゃくちゃ色んなことを一曲で表現しているのではないだろうか………。
ここについてはまだまだ深掘りできる部分がありそうなので、読者自身でもう少し考察してみてほしい。
まとめ:IRIS OUT盤、手に取ろう
宣伝のような終わり方になってしまうのでリンクはここには貼らないが(記事中には貼ったが)、是非とも映画チェンソーマン レゼ篇をみて、できれば米津玄師『IRIS OUT』のIRIS OUT盤を手に取って見てほしい。私自身がこのひらめきを得たのは、書いている通りまさに手に取って感じた時の違和感から得たものである。であるならばある程度意図した作りであるだろうから、手に取って実際に感じてほしい。当然ながら、これも一つの解釈に過ぎず、まるで間違っているかもしれないし、あっている・間違っているに関わらず、手に取った各々で何か感じるものがある作りになっているはずであるから、この記事以外の何かひらめきも得られるものであると思う。米津玄師はそういう作りをする人なんだな〜……と、にわかながらそう思った出来事であった。是非とも手に取って、映画を見て、何か気付きやひらめきを得てほしいと思う。



コメント