ショウタイム 後編
キィキィと小さな音が響いた。それは、車輪の音。同時に、複数の足音も響いてくる。
その音は、マグダネス局長の車が停めてある背後の建物からだった。全員が、その建物の鉄製の扉に注目する。
そして、
「ふむ、カール氏。シーラ殿の車いすだが、メンテナンスが必要じゃないだろうか? 動かす度に、こうも音が鳴っては、いろいろと不安だ」
「あ、ああ、いや、ちょうど今日、メンテナンスに出しに行くつもりだったんだよ? な、なぁ、お前?」
「ええ、そ、そうなのよ。それで、出かけようとしていたところで、保安局の人達が来たから……」
「なるほど。これは失礼した。差し出がましい真似だったな」
普通に会話をしながら、扉を開いてやってきたのは、完全に表情を引き攣らせた中年の男性と女性。そして、その男性に手押しされる車いすに乗った七十は確実に超えているであろう女性だった。言うまでもなく、エミリーの家族だ。そして、そんな彼等の先頭を行く黒装束にサングラスの男。
「お父さん! お母さん! おばあちゃん!」
「っ、エミリー!?」
「エミリーッ」
エミリーの歓喜に溢れた叫びに、驚きと心配と、そして隠し切れない喜びを乗せて、愛しい娘の名を呼び返す父カールと母ソフィ。祖母のシーラはぐっすりと眠っているようだ。浩介が何かしたのかもしれない。アルツハイマーを抱える彼女に、この現場のめまぐるしさは毒になると判断したのだろう。
そうして、ある程度、娘の現状を聞かされていた二人は、心配と再会の喜びのまま、エミリーのもとへ駆け寄ろうとする。
しかし、その娘との間に立ち塞がる武装した男達の威容と、咄嗟にジャコッという不吉な音と共に向けられた銃口により、たたらを踏んで立ち止まってしまう。そして、そんなマフィアもかくやという男達と、壁際に追い詰められているように見える保安局の局員達、そして、娘が抱える倒れた人、という状況に血の気の引いた表情になる。
現状で、嫌というほど理解したのだ。保安局による虚実混じったオブラートに包まれた説明などとは異なる、娘が直面している恐ろしい事態に。自分達の最愛の一人娘が、どれだけ危機的な状況にあるのかということに。
そんな中、呆然とした声音が響いた。
「じょ、冗談だろう? 確かに、狙撃したはず……」
キンバリーだ。同時に、その場の全員の心の代弁だ。
だが、そんな疑問と困惑には頓着しない魔王の右腕は、家族の再会を邪魔する人混みに「やれやれ」と大仰に肩を竦めると、おもむろに両手で印を組み出した。そう、印を組み出したのだ! まるで、NINJAのように! NINJAのように!
先程までの浩介を案じる悲痛な表情はどこにいったのか。もうダメかもしれない女性捜査官が「印組みキタッーーー!!」と必死に真似をしている。覚えようとしているらしい。だが、彼女に某魔眼が備わっていない以上、浩介の特に意味がない故に超複雑で、超速い印組みは一見で模写できるようなものではない。
レベルが足りない! と歯噛みするヴァネッサさんを尻目に、特に意味はないけど、その言葉は呟かれた。
「家族の再会を妨げるとは、どこまでも不粋な奴等だ。――〝空遁・万地在空〟」
刹那、浩介を中心に黒い霧のようなものが渦巻き、かと思った次の瞬間には、浩介どころか、グラント家全員の姿が掻き消え、代わりに、先程までエミリーの腕の中にあった浩介の死体が現れた! そして、その直後、まるで役目は果たしたとでもいうかのように、浩介の死体はポンッと音を立てて消えてしまった!
「こ、ここここ、これはぁ!? 身代わりの術!? 身代わりの術ですか、コウスケさん!」
「少し異なる。身代わりにも当然使えるが、万地在空は、この身のみならず、一定範囲の指定したものを、俺の分身体と空間ごと入れ替えるというものだ。ふふ、もっと高等な術ということだよ」
興奮絶頂! といった様子のヴァネッサの叫びに、ふっと髪を掻き上げながら答える浩介。二人のやり取りにハッと我に返ったキンバリーや局員達が視線を転じれば、そこにはいつの間にか、エミリーの傍に転移している浩介とグラント家の姿があった。
「ななな、なにが起きたんだエミリーでよかった! 無事で!」
「エミリー怪我はなにが起きたのかしら!?」
「おお、落ち着いてお母さん、お父さん! 二人が無事で私も混乱してるの!」
困惑絶頂! といった様子のグラント家。父母娘で互いに抱き合い、再会を喜びながら同時に困惑するという中々の技を見せている。おばあちゃんは「あら? もう朝かしら?」と言ってちょびっと目を覚ましたが、直ぐにむにゃむにゃして再び寝入ってしまった。なんというおばあちゃん。
「馬鹿な、どういうトリックだ。さっきのは人形か!?」
どうにか、自分が理解できる範囲の説明をつけようと、半ばパニックになりながらキンバリーが怒声を上げる。
そんなキンバリーへ、そして、武装した男達やマグダネス局長達へ、浩介はスッと天へ右手を掲げながら口を開く。
「人形? クックックッ。確かに、人形と言えなくもない。そうだろう。――右の俺」
掲げた右手を、まるでオーケストラのコンダクターのように優雅に振るいながら、浩介はパチンッとフィンガースナップして右の建物を指差す。すると、
「あるいは、夢であり、幻であり、闇とも言えるな。――正面の俺」
右の建物の二階にある窓、その暗闇から、まるで滲み出るようにして全く同じ風貌の男が現れた。〝右の俺〟と呼ばれた浩介は、そのまま躊躇いなく空中に踏み出すと、黒い瘴気のような波紋を広げながら宙を歩いて降りてくる。
「同時に、現実であり、偽物であり、本物でもあるのさ。なぁ、――左の俺」
キンバリー達が、信じられないといった様子で右の建物に視線を向けた直後、今度は背後から全く同じ声が響いた。慌てて振り返れば、やはり、そこには建物の暗がりからぬるりと、まるで闇そのものが生み出したように姿を見せる黒装束とサングラスの男の姿。
「もっとも、お前達が理解をする必要はない。そも、人の身に、真の深淵を理解することなど、できはしないのだから」
再び聞こえた同じ声。キンバリー達は翻弄されるように左へと向けば、そこには、自分達が道を塞ぐために横停めした車の屋根の上で、腕を組みながら少しだけ片足を引いて優雅に立つ同じ男の姿がある。「マジ分身! マジ分身!」と大はしゃぎの女性捜査官は置いておくとして、誰もが言葉を失い、唖然呆然とする。
「こ、こうすけが、こうすけが、四人も……」
エミリーの呟きが、静寂の降りた場に小さく響いた。直後、四人の浩介は、すらりと漆黒の小太刀を抜き放ち、腕を十字に交差する。「カメラッ、カメラはどこにっ」と必死の形相で辺りを見回す、もうきっとダメな女性捜査官はおいておくとして、魔王の右腕は、己が守ると約束した少女の言葉に、ふっと笑いながら声をかけた。
「エミリー」
「は、はひっ」
まさか話しかけられるとは思わなかったのか、エミリーの声が思わず裏返る。そんな彼女に、やっぱりふっと笑みを浮かべながら、一番近くにいる浩介は尋ねた。
「俺は正義の味方じゃない。己の意志のために、他者を害することを厭わない者を悪と呼ぶなら、間違いなく、俺はとびっきりの悪だ」
「え、えっと……」
エミリーさんは困惑している。言葉の意図も分からなければ、浩介の言動も、よく分からない! だが、浩介は気にしない。だって、ここにいるのは既に、浩介ではないから。
「だが、通すべき仁義だけは弁えているつもりだ。故に、俺は君を守る。守るという約束を守る。だから、俺を信じて、守られてくれるかな?」
「……う、うん。信じるわ、こうすけ」
ちょっと引いていなくもなさそうだが、それでも〝守る〟と言われて頬を染めるエミリー。胸の前で手を組み、祈るように、信頼を返す。そんな彼女へ、今日何度目かの「ふっ」をやって、浩介は、最後に言った。
「エミリー。そして、この場にいる全ての者よ。聞けっ」
四人の浩介が、それぞれアームクロスのポーズから多彩な香ばしいポーズのバリエーションを残像すら発生させながら見せつつ、闇夜に響く声を張り上げた!
そして、そのなんだか物凄い動きにビクッ! となりつつ、ハッとしながら銃口を四人の浩介に向けるキンバリー達へ、高々と、傲然と、奈落の底から響いてくるような声音で宣言した!
「俺こそ、奈落の底より生まれた神殺しの魔王の右腕にして、影! 深淵より出でし、闇よりなお深き闇! さぁ、この忌み名、その魂に刻め!」
漆黒の小太刀を振り払い、無手の左手を五指広げながら右目を覆うようにして添える。鋭く全てを睥睨する左目は、炯々とした光を放つ!
キンバリーが、「撃て! なんかよく分からねぇが、取り敢えず、撃て!」と号令を出す。それで、異様な雰囲気という名の拘束具から抜け出した武装集団は、一斉に引き金を引いた。轟音とマズルフラッシュで埋め尽くされる空間に、〝奴〟の名乗りが響き渡る。
「――疾牙影爪のコウスケ・E・アビスゲート。いざ、参る!」
一切に放たれた弾丸は、その全てが虚しく空を切った。シュッという音と共に、浩介――否、アビスゲート卿の姿が消えたからだ!
直後、
「地に這え。無限の業火に抱かれよ! ――〝火遁・紅焔の龍〟!」
アビスゲート卿が武装集団の背後に現れ、小太刀を地面に突き刺しながらそんなことを言った。刹那、ゴウッと紅色の鮮やかな火炎が、まるで大蛇が地を這うように放射状に広がっていく。
「うわっ、なんだ!?」
「あづ!? くそっ、火が、火が纏わりついてっ」
武装集団の足元に這い寄った炎は、そのまま巻き付くようにして男達に纏わりつくとその身を容赦なく焼いていく。
――小太刀〝赫灼たる雷炎の滅天刀〟
魔王より下賜された秘宝の一つ。本来、炎の蛇を生み出して、ランダムに走らせることで場を混乱させ、逃走を補助するための炎属性の魔法を昇華させ付与したもの。その名の通り、炎属性だけでなく雷バージョンも可能であり、両属性の逃走用や補助系統の魔法の即時発動が可能となる。
ちなみに、ネーミングは卿自身が考えた。異世界のウサミミな彼女と共に。
男達の火を消そうというのか、思わず駆け寄ろうとした仲間の男は、ゆらりと横合いに現れた黒い影に、素晴らしい反応で銃口を向けた。しかし、
「闇の波動は、全てを浸蝕する――〝羅刹の魔手〟」
「うごっ!?」
トンと、軽い感触でアビスゲート卿の掌が男の胸元へと添えられた瞬間、男は、まるでトラックに撥ねられたかのように、冗談じみた勢いで吹き飛んだ。
――指貫グローブ〝再臨と拒絶の羅刹黒手〟
魔力を衝撃波に変換する〝魔衝波〟――〝羅刹の魔手〟と、触れたものをある程度再生できる再生魔法〝堕天の御手〟が組み込まれたアーティファクト。
ちなみに、ネーミングはウサミミの長が三日唸って考えた。
「死ねっ、死ねっ、この化け物めっ」
恐慌に陥った数人の男が見境なく銃を振り回す。その無作為に飛び出した弾丸は、本来確保すべきはずのエミリー達を巻き込みかねない危険なもの。
「俺を無視して、エミリー達にアピールとは。寂しいじゃないか――〝絶光千刃・深淵の腕〟」
いつの間にか、上空へと飛び出していたアビスゲート卿が、空中で大きく手を振り払った。そうすれば、虚空に現れる四本の苦無。それらが、意思を持っているかのように飛び出し、うち三本がエミリー達の周囲の地面にカカカッと突き刺さり、残りの一本が頭上にピタリと静止した。
すると、ちょうど跳弾した弾丸がエミリー達に届く前に、その手前の空間で、見えない壁に阻まれてひしゃげる。
――攻守両用重力制御式苦無〝絶光千刃〟
能力は、魔王のビット兵器とほぼ変わらない。互いを支点に空間遮断の防壁を張り、重力制御で自在に飛ばせ、あるいは使用者と位置入れ替えによる空間転移を成せる。
ちなみに、苦無は千本もない。十二本だ。千刃と名づけたのは、ウサミミの狙撃少年。理由は、「へへっ、イカスでしょ?」とのことらしい。
「ふざけやがってっ」
キンバリーが咆えた。幾本もの苦無を衛星のように周回させながら、地に降りようとするアビスゲート卿へ、キンバリーが着地の瞬間を狙って引き金を引く。絶妙なタイミングだ。混乱と焦燥を浮かべつつも、素晴らしい判断と技。しかも、それを機と見越してか、アレンまでも逃げ場を失くすように援護射撃をしている。敵の敵は味方というべきか。
苦笑するアビスゲート卿は、落下しながら苦無の一本を地面に射出し、空中で一回転。
「奈落へ誘え――〝土遁・深淵流砂〟」
刹那、地面が渦を巻くように波打ち、アビスゲート卿は弾丸を掻い潜ってそのまま地面へぬるりと潜り込んでしまった。「土遁の真骨頂キタッーーーーー!!」と狂乱するもうダメな女性捜査官の声が、キンバリーをギョッとさせる。ついでに、「落ち着いてヴァネッサぁあああっ」と絶叫する愛娘に、グラント家の皆さんもギョッとする。
それは隙となって、キンバリーに手痛い代償を支払わせることになった。
――隆起し、砕波せよ。〝土遁・雷遁混合陣・雷華鳳来〟
夜の闇全てから、そんな言葉が伝播した。直後、キンバリーの足元の地面が爆発じみた勢いで隆起。そのまま、生誕した龍が咆哮を上げながら天へと上るが如く、轟雷を響かせて雷撃が噴き上がる。
「ッ、がっ!?」
固い岩塊の散弾に打ち据えられながら、強烈な電撃を浴びてまともに悲鳴すら上げられないキンバリーは、コメディーのように上空へと打ち上げられた。
一瞬、誰もがその光景に目をくぎ付けにされる中、
「己の罪深さを自覚せよ。国家の影よ」
「んなっ、また地面から――」
全てを言い終わるより先に、アレンが背筋を襲った怖気に振り返る。そこには、射出でもされたかのような勢いで地面より飛び出した浩介の姿があった。両手を広げ、軽く足を折りたたんだその姿は、まさに荒ぶる鷹のポーズ!
だが、アレンも負けてはいない。目を見開きつつも凄まじい反応で右手の銃を照準し、引き金を引く。
が、宙に飛び上がり、死に体を晒しているともいえるアビスゲート卿は、本日多めの「ふっ」をやって、キレッキレな空中スピンにより弾丸を回避。
そして、そのまま遠心力をたっぷりと乗せた空中回し蹴りでアレンの銃を弾き飛ばす。刹那、アレンの左腕が動いた。なんと、左の袖からも隠し銃を引き出していたのだ。
「殺ったっ」
「いいや、幻想だ」
アビスゲート卿の、逆足が空を切り裂いた。空中回し蹴りの遠心力を利用した弐の太刀ならぬ弐の脚撃。アレンの隠し玉はあっけなく吹き飛ばされた。それでも、動きを止めない国家の影は、コートの裾をはためかせて弾かれたはずの右手を腰に伸ばす。そこには早撃ち用のリボルバーが収められている。
もっとも、その尋常ならざる動きも、アビスゲート卿の前では一歩遅かった。
「疾ッ」
「な!? がっ」
三撃目の蹴り。二撃目の回し蹴りから、上半身を捻ることで更に三撃目の空中回し蹴りへと繋げる。一回転して戻ってきた右足がゴゥッと風を唸らせながら、咄嗟に下がろうとしたアレンの顎を強烈に打ち据えた。
体を宙に躍らせ、トリプルスピンを決めながら吹き飛ぶアレン。彼が白目を剥いて地面をバウンドすると同時に、アビスゲート卿も地へと足をつける。
「…………深淵流暗殺体術・脚撃の型………〝飛淵煉脚〟」
不自然な間はもちろん、今、考えたからだ!
「あぁ、忍術だけでなく、体術まで……素敵です」とうっとりしている元捜査か――ただのオタクと、「こ、この人は大丈夫かい? エミリー」「いいえ、もう手遅れだわ。お父さん」なんて会話をしている父娘はさておき、深淵卿が降臨した戦場は、ただ、彼のもたらす闇に為す術なく蹂躙され、混沌と絶望の悲鳴で満たされていた。
「聞いてないぞ! なんだこいつはっ」
「ちくしょうっ、来るんじゃねぇ!」
轟音と共に弾丸の群れが殺到する。だが、その標的であるアビスゲート卿には、掠りもしない。否、正確には当たっている。彼が動く度に、二重・三重にぶれては後を追随する残像に。まるで、弾丸自らが吸い寄せられるようにして、アビスゲート卿の体を僅かに逸れて、残像の方へ流れていく。
「――〝重遁・傾死の影〟。何者にも深淵を捉えることはできない」
技能〝幻踏〟・重力魔法混合技――〝傾死の影〟。〝幻踏〟により追随する残像を発生させつつ、その残像に重力魔法を付加することで、あらゆる攻撃を逸らす。
「……まるで、B級映画だぜ」
ようやく痺れが取れてきた体を、ガハッと血反吐を吐きながらもどうにか持ち上げ、そんな悪態を吐いたキンバリー。四つん這いになりながら、周囲に視線を向けて乾いた笑みを浮かべる。
音速を超える圧倒的物量を誇る死の具現が、目の前の存在に掠りもしない。見えているのに、認識しているのに、その実体を捉えることができない。これ以上ないほど注視しているのに、ふと気が付けば存在を見失い、次に気が付いたときには激痛と共に意識が闇に呑み込まれる間際。残心する卿の後ろ姿のみ。
炎が地を這い、雷が乱れ飛び、風の刃が血飛沫を上げ、地が全てを呑み込む。影が地も空も関係なく奔り、消えては現れ、幾つにも分身し、重力を無視した苦無が空を疾駆する。
「あぁ、ちくしょう。まったくついてねぇ」
「それも、貴様の選択の結果だろう?」
「っ」
どうにか一番近くの車に這い寄ろうとしながら、キンバリーが再度呟けば、その直ぐ背後から、冷めきった声音が返答した。
キンバリーが振り返れば、そこには自分を見下ろすアビスゲート卿の姿が。同時に、キンバリーの隣に、ドシャッと生々しい音を立てて仲間が落ちてきた。首が、明らかに曲がってはいけない方向に曲がってしまっている。
「この、化け物が」
「人を食い物にし、無関係の者を巻き込むことに躊躇いを覚えず、金のために仲間を殺戮するお前は、化け物ではないのか?」
痛烈な返し。キンバリーは尻餅をつく形でアビスゲート卿に向き合った。気が付けば、いつの間にか銃声が聞こえない。視線だけで周囲を探れば、既に、この戦場に立っている者はいなかった。
いや、僅かにいる。それは特殊部隊の隊員達だった。壁を背に、マグダネス局長の盾になるようにして半円陣を組んで、緊張の冷や汗を流しながらも立っている。彼の傍には、分身体のアビスゲート卿がおり、逃げ出すことを許してはいないようだが、それでも争う様子は見えない。
一方で、キンバリーが連れてきた組織の仲間は、誰もかれもが苦しむ間もなく絶命しているようだった。派手な傷のある者はいない。心臓を一突き、あるいは衝撃による内部破壊、電撃による心臓停止、風の刃による動脈切断。炎に巻かれた者も、焼死する前に飛び苦無の一撃で命を絶たれたようだ。
「おいおい、なんだよ。局員は見逃して、俺等は皆殺しか? あいつらと俺等とで、何が違うってんだ?」
痛みと焦燥で汗を流し、頬を引き攣らせながらも軽口を叩くキンバリー。そんな彼に、アビスゲート卿は小太刀を逆手に持ち替えながら肩を竦めた。
「信念ある悪と、ただの外道。果たして同じ末路とすることは正しいか。答えは、否だ。……まぁ、後始末の面倒さという違いもあるがな」
アビスゲート卿はアビスゲート卿だ。かの魔王ではない。敵対した時点で、一切合切殲滅などという方法は、価値観的にも、後始末の手段の乏しさという面でも、取れないし、取りたくない。まして、この地球では。
だが、私利私欲のために、己の快楽のためだけに、悪意をばらまいた外道を生かせるほど、甘い経験をしてきたわけでもない。故に、選んだ。だた、それだけのことだった。
アビスゲート卿は、僅かに視線を動かしていることから、キンバリーがこの状況でも何やら打開策を巡らせていることを察しつつ、ゆらりと歩み寄った。そして、キンバリーの襟首をむんずと掴むと片手で一気に持ち上げる。
「うおっ。待てっ、待ってくれ! 本意じゃなかったんだっ。俺にも事情があって仕方なかったんだ! 話を聞いてくれ!」
背後から自分を掴み上げるアビスゲート卿の腕を必死に叩きながら、そんな無様という言葉すら霞むような言い訳を口にするキンバリー。アビスゲート卿は、そんな彼を、まるで十字架に磔にされた罪人の如く掲げる。
同時に、
「うっ。わ、私は……あぁ、確か、気絶してって!? なんか持ち上げられてる!?」
今の今まで白目を剥いて気絶していたアレンが、分身体により、キンバリーと同じように掲げられながら運ばれてきた。
マグダネス局長を始め、特殊部隊員も、そして、妙にキラッキラッした眼差しを向けてくるヴァネッサや、そんな彼女に完全ドン引き状態のエミリー、周囲の状況に青褪めつつも、未だに困惑を隠せない静かなパニック状態のグラント夫妻が注目する。
そんな中、エミリー達を守っていた苦無を引き寄せながら回収した卿が、声を張り上げる。
「エミリー=グラント! ヴァネッサ=パラディ!」
「ふぁ、ふぁい!」
「はい、なんでしょう。我が神よ」
いきなりフルネームで呼ばれたエミリーがカミカミしながら返事をする。隣のヴァネッサは、何故か動揺もなく、すちゃっ! と片膝立ちになると、まるで主君に跪いているかのような恭しさで返事をした。最後の部分で、エミリーがギョッと目を剥く。
だが、そんなシリアスぶち壊しな駄捜査官なヴァネッサも、次の言葉でハッと表情を改めた。
「お前達の大切な家族を、大切な仲間を、奪った張本人を捕えたぞ」
そう。キンバリーが奪った。尊敬すべき上司であるヒューズを。そして、同僚達の命を。
そう。アレンが奪った。間接的とはいえ、エミリーの父代わりを。兄と姉を。
「黙っていられるか?」
そんなわけがない。尋常ならざる事態の連続に、麻痺していた心が動き出す。ずっと抱えていた憤怒の灼熱が、炉に火を入れたが如く再燃する。
エミリーが立ち上がった。脳裏を巡るのは家族の姿。命令だったから? 直接ではない? だからどうした。紛れもなく、目の前の男が撒き散らしたものが、大切な人達の命を奪ったのだ。
ヴァネッサが立ち上がった。胸中を満たすのは、己が目指すべき上司の姿。そして、命を預け合った仲間達の姿。彼等を、〝金のため〟なんて理由で背後から撃ったのは誰だ? 寄せられた信頼を鼻で嗤いながら踏みにじったのは誰だ? 目の前の、クソ野郎だ。
「お、おい、ヴァネッサ。待て、落ち着いてくれ! 俺は――」
「黙りなさい」
ヴァネッサが、ゆるりと一歩を踏み出す。
「あ、あ~、お嬢さん? その、私もしくじったことは悪いと――」
「黙れ」
エミリーが、カッと足音を鳴らして一歩を踏み出す。
二人、生き抜いた女二人が、並んで歩き出した。表情は、影になって分からない。だが、ギッと引き結ばれた口元が、その心情を何より雄弁に物語っている。
拳が握り込まれた。二人が走り出す。災禍の原因となった男二人が、自分達に起こる未来を想像して溜息を吐いた。そこには、所詮は女、それも一人は少女に過ぎないという侮りが見て取れる。殴られるくらい、どうということもないと。
が、それも直後には掻き消えた。
――深淵に限りなし。深き闇は全てを包む。
その呟きが放たれた瞬間、二人のギリリッと握り込まれた拳に、突如、夜が纏わりついた。そう錯覚するような黒く渦巻く光は、二人が一歩を進めるごとに、脈動するように力強さを増す! そう、まるで、深淵卿が、時を経るごとにその力を増すように!
キンバリーとアレンの表情に焦燥が奔った。その現象が何なのか、二人には分からない。だが、これだけは魂で理解した。あれはヤバイッと! その衝動のまま、制止の声を上げる。
「まっ――」
「ちょっ――」
「「問答無用ッ」」
が、その時には、二人は既に眼前に。隠れていた表情があらわになる。そこには、悪鬼羅刹もかくやの凶相。
ズダンッと、あり得ない踏み込みの音が響く。ビシリッと地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走った! そして、放たれる。空気を唸らせる砲弾じみた、深淵を纏う拳が!
「ぶっ飛べっ」
「死になさいっ」
エミリーの拳がアレンへ、ヴァネッサの拳がキンバリーへ。二人は万の想いと、億の怒りを込めて、全てを吐き出し、撃ち放つ!
「「このクソ野郎ッ!!!」」
ゴゥッ!! と、肉を打つ轟音と、「ぐぺぇ!?」「ゲハッ!?」という悲鳴が響き渡った。〝天眼〟により知覚能力の上がっている卿の目には、キンバリーとアレンの頬に突き刺さった拳が、二人の頬骨を砕き、奥歯を粉砕し、肉をひしゃげさせて波打たせる光景が映る。
卿がタイミングよく手を離せば、その威力を証明するように、キンバリーとアレンは、錐揉みしながら吹き飛び、揃って地面をバウンド。そのまま勢いを減じることもなく、背後の車へと激突した。二人仲良く頭からフロントガラスに突っ込み、ケツを表に出しながらピクリとも動かない。
ゴクリッと生唾を飲み込む音が響いた。特殊部隊の隊員達が、「なんてやべぇ拳してやがる」と戦慄の表情を浮かべている。
そんな中、揃って拳を突き出した姿のままのエミリーとヴァネッサは、ゆるりと残心を解いた。そして、顔を上げて卿を見る。
そこには、きっと、おそらく、全てとは到底言えないだろうが、それでも少しは晴れたのだろうと分かる笑みが浮かんでいた。
「二人共。……惚れ惚れするような一撃だったぞ」
卿が、本日大盤振る舞いの「ふっ」をしながら称賛の言葉を贈る。
エミリーとヴァネッサは互いに顔を見合わせ、そして、もう一度、卿へと顔を向けると、無言で、グッとサムズアップを決めるのだった。
いつも読んで下さり有難うございます。
感想・意見・誤字脱字報告も有難うございます。
終わりじゃないですよ。まだ続きますよ~。
次回も土曜日の18時の更新予定です。