↑のつづき。
書籍『甦る皇都阿波への旅』より↓
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殯宮跡「天石門別豊玉比売神社」へは、
平安時代に山城国の
山城忌寸大海全子(やましろのいむきおおあまぜんじ)
が稲三百束を自らの氏神(祖先神)に
奉納するため阿波国を訪れて参拝した
との国史記事が見えます。
(「日本三代実録」元慶二年(八七八)二月十九日)
大海全子は豊玉比売の子孫だったのです。
豊玉比売を祀るのは阿波一国のみ。
この神の鎮座は神武天皇の出自地を
伺わせるものと言います。
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日本三代実録には、
平安時代に山城国の
山城忌寸大海全子がわざわざ阿波国に
ご先祖様に奉納に訪れたと記録されている。
九州でも畿内でもなく、阿波国に…である。
さて、
徳島城があった城山にかつて鎮座していた
竜王宮(天石門別豊玉比売神社)。
清玄坊が命懸けで守ろうとした
阿波の女王の宮は、
明治8年(1875年)の徳島城取り壊しの際に
伊賀町1丁目の國瑞彦神社に一旦合祀され、
さらに現在は徳島市眉山町の
春日神社境内社「豊玉比売神社」として
祀られている。
さっきまで晴れていたのに、
あっという間に暗雲立ち込めた。
祖谷そば、いつか食べてみたい。
『祖谷(いや)』と読むことが超重要。
鳥居が見えてきた。
眉山麓の八幡神社である。
『八幡神社随臣門』。
徳島市指定文化財。
手水舎。
多くの境内社。
ほうろく大明神。
『八兵衛大明神』。
『八兵衛大明神』。
『大岩大明神』。
霊験あらたかな狸の神様たち
️
『富田大岩の弁財天』。
素敵な絵。
立派な境内社。
扁額には『家神社』とある。
雨が強く降りだした。
『富田八幡神社』。
鎮座地 徳島県徳島市伊賀町
創建 天文年間(1532年~1555年)
祭神 応神天皇 仲哀天皇 仁徳天皇
伊予国河野郷(愛媛県松山市)の
氏神様を阿波に移したのが創健のはじまり。
伊予国というところまた、
想像を掻き立てられる。
月読が伊予国から連れてきたあの女神…
初代徳島藩主である蜂須賀家政公が
徳島城の鎮守として整備した
「徳島市中五社」のひとつである。
歴代藩主からの崇敬も篤かった。
徳島市中五社↓
八幡神社(徳島市伊賀町)
諏訪神社(徳島市南佐古三番町)
春日神社(徳島市眉山町大滝山)
四所神社(徳島市福島)
金刀比羅神社(徳島市勢見町)
雨すごかった。台風の影響だ。
横から本殿。
そして、富田八幡神社の境内のお隣、
朱色が目を引く社殿を発見。
あった。
拝殿。
『国瑞彦(くにたまひこ)神社』
鎮座地 徳島県徳島市伊賀町
創健 1806年(文化3年)
別名 くにたまさん
祭神 蜂須賀家政(藩祖) 徳島藩歴代藩主
第11代徳島藩主・蜂須賀治昭が、
藩祖・蜂須賀家政をしのび
国瑞彦の神号を受けて奉祀した。
横から本殿。
かつて、
徳島城で竜王宮が祭祀されていた。
清玄坊が祟りとなってまで守ろうとした
竜王宮を蜂須賀家が継承した。
明治維新後、廃城令が発令。
1875年、徳島城は城門を除く
ほぼ全ての建築物が撤去が命じられ、
竜王宮もまた、『竜王のクス』を残して
取り壊しが決まったが、
蜂須賀家はこの国瑞彦神社に
竜王宮の神を合祀することで護った。
しかし、
後に蜂須賀家は東京・北海道に移住していき、
いつしか竜王宮の神の祭祀は廃れていった。
その後、
入田町の春日祠を起源に持つ
徳島市眉山町の春日神社の宮司様から
「春日神社はもともと
徳島城の鎮護を司るものなので、
同じく徳島城内にあった
竜王宮もあずかりたい」
と申し入れがあったのだ。
そして、
めでたく春日神社境内に竜王宮が復活した。
『豊玉比売神社』として。。
入田町と言えば、
城山以前、
天石門別豊玉比売神社の元宮が
鎮座していた竜王山があるところである。
式内社『天石門別豊玉龍王宮』。
まだまだその謎は解けず。
しかし、
海人族の大女王は阿波の大女王。
これだけは確かだったはずだ。
さてさて、
天候も悪いし仕事もしなくちゃだし
ってことで、早めにホテルへ戻った。
駅近くのお店で腹ごしらえ。
このお店のうどんが絶品だった。
鳴門わかめが練り込んだ麺は
本当におすすめです
そして、翌日は…
ついに徳島の南部に初上陸
つづく。
ではまた
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