忌部の血をひく鷲住王が海部の祖。
↑のつづき。
さて、那佐湾を後にして海沿いを車で数分。
2006年に海部町・海南町と合併し、
海陽町となる以前、
この一帯は『宍喰(ししくい)町』
と呼ばれていた。
古代、
宍喰川流域の堆積地帯に人々が住み、
狩猟・漁労・採集が中心の生活をしていた。
6世紀ごろ、宍喰川流域を支配した
豪族が宍喰古墳を築いたと云われており、
鷲住王の子孫である
阿波脚咋別一族の首長墓と考えられている。
『宍喰(ししくい)』の地名の由来は、
「脚咋(あしくい)」が転訛したもので、
「葦を主食とした住民」を意味するのだそうな。
そんな
徳島県南部の宍喰に来たからには
絶対に行かなければならない神社がある。
たどり着いた。
鳥居の扁額は『八坂神社』。
しかも、ただの八坂神社ではない。
境内にもひとつ鳥居。
その向こうにはなんとも変わった社殿。
まるで教会のような…
拝殿。
三大祇園のひとつ
『宍喰八坂(ししくいやさか)神社』
鎮座地 徳島県海部郡海陽町久保
創健 不詳
別名 祇園社
祭神 素戔鳴尊
宍喰八坂神社は、
京都八坂神社、
広島県福山市鞆町の沼名前神社とともに
「日本三大祇園」と称され、
鎌倉時代から全国的な崇敬を集めてきた。
※ちなみに沼名前神社の近くに
『鞆の浦』があるが、
宍喰八坂神社の近くにも
『鞆浦』の地名がある不思議…
宍喰八坂神社の由緒については、
下記を引用します↓
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●歴史宍喰八坂神社の創建年は不詳ですが、
かつては「鷲住王」を氏神として
祀っていました。
その後、氏神が「素戔鳴尊」に変わり、
神社の信仰も広まりました。
古くは「祇園社」と称し、
1718年(享保3年)には神階正一位を授けられ、
正一位祇園牛頭天王と称しました。
1872年(明治3年)には、現在の
「八坂神社」という名称に改められました。
また、宍喰八坂神社で行われる
「宍喰祇園祭」は、京都の八坂神社や
広島県福山市の沼名前神社と共に、
日本三大祇園祭のひとつとして
知られています。
この祇園祭は、文化庁の
「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」にも指定されています。
●宍喰祇園祭
毎年7月16日と17日に開催される
「宍喰祇園祭」は、地元の人々にとって
重要な伝統行事です。
祭りでは、関船(せきぶね)や
だんじりと呼ばれる豪華な山車が
町中を練り歩き、夜店や花火も
楽しむことができます。
宵宮の16日には、夜店が立ち並び、
奉納花火が打ち上げられます。
そして、本宮の17日には、例大祭式、
伝統芸能の奉納、餅投げが行われ、
その後、神輿や4台のだんじり、
関船が町を練り歩く姿は勇壮そのものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この場所に三大祇園のひとつが
鎮座していることも驚きだが、
スサノオ以前に祀られていた
鷲住王とは
恒例の「狛犬から見る景色」。
木漏れ日降る境内は夏の暑さを忘れさせる。
近くの宍喰古墳から
宍喰川を遡っていくと、
『大山神社』が鎮座しており、
宍喰地方の開拓の祖神『鷲住王』が
祀られている。
鷲住王に関しての記述は、
日本書紀によると、
讃岐国造の祖であり、
阿波脚咋別一族の始祖であること、
履中天皇の皇后の兄であること等。
履中天皇と言えば、
播磨国風土記の中で、
この地域の和那散についてこう述べている↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
志深(しじみ)の里。
志深と名づけた理由は、履中天皇が
この井で御食事された時、
信深貝(しじみがい)が御飯の箱の縁に
カサコソと上ってきた。
その時、
「この貝は、
阿波の国和那散(わなさ)で
私が食べた貝かなあ」
と言われた。だから、志深の里と名づけた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、
岐阜県揖斐郡揖斐川町の富田家文書によると、
室町時代に海部川流域を支配した
海部氏の祖先は鷲住王であると記されており、
鷲住王がこの地に移り住み、
開発・統治したことが伝えられている。
また、鷲住王は、
阿波国の脚咋別(あしくいわけ)
現 海部郡海陽町宍喰)の始祖となったのち、
香川県善通寺市大麻町付近に出向き、
「大麻神社」を再興した後、
飯野山(讃岐富士)の近くに居を構え、
讃岐国造となった。
まとめると、
6世紀の豪族鷲住王とは↓
■宍喰川流域(現・海陽町宍喰)を中心に、
北東の海部川流域、南西の野根川流域までを
統治した開拓者
■讃岐国造の祖先
■阿波脚咋別一族の祖先
■阿波の海部一族の祖先
■履中天皇の皇后の兄。
皇后は太姫郎姫(ふとひめのいらつめ)と
高鶴郎姫(たかつるのいらつめ)。
まさに古墳時代のスーパースターである。
さらに、名前からして、
阿波忌部の祖『天日鷲命』の意思を
受け継いでいる。
鷲住王は、
忌部の祖神『天太玉命』の孫の
『天富命』の孫である。
天富命は、
天日鷲命の孫の阿波忌部を率いて
阿波国を開拓し、穀・麻種を植え、
その郡の名は麻殖となった。
さらに肥沃な土地を求めて
東国へ行き、房総半島を開拓した。
忌部の血をひく鷲住王が海部の祖。
佐那河内中学校の校歌を思い出した↓
~~~~~~~~~~~~~~
忌部海部の手と手をつなぎ
南北文化の力をあつめた
血脈伝統この地に受けて
真理を探り 平和を築き
名誉あがる 佐那河内中学校
~~~~~~~~~~~~~~
光が飛び交う境内。
苔むした狛犬いいかんじ。
拝殿の裏側へ廻れる階段がある。
境内社『大歳神社』。
スサノオの御子神を祀る。
横から本殿。
反対側には境内社『地神宮』。
祭神は鷲住王
️
船が置かれている。
外海から渡来してきたことを
伝えているのだろうか。
それとも海部氏が支配した
海洋国家だからなのだろうか。
こちらにも境内社。社名はわからず。
御神木の大楠は推定樹齢500年。
見応えありありの面白い神社。
なにせ三大祇園
せっかくなので、
この記事は7月17日にアップしてみました
さてさて、随分遠くまできたが、
次が折り返し地点。
高知県との県境にある竹ヶ島。
この島もまた謎多き島。
数々の伝承が待っていた。
つづく。
ではまた
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”『三大祇園のひとつ 宍喰八坂神社』出張の合間の神社巡り徳島編”
onezerozero flatさんのリブログ記事です。出張の合間に神社巡りをされておられる。今回は徳島県海部群海陽町の宍喰八坂神社。記事を読んで驚いたのは、祇園祭りが京都と徳島の剣山で行われている7月17日に行われていること。ノアの箱船がアララト山に漂着した日だ。徳島には、八坂神社徳島県板野郡上板町824年創建祭神:素戔嗚命蔵本八坂神社徳島市蔵本町天文13年創建祭神;須佐之男命・櫛稲田姫命と二人の間だに生まれた皇子8人がある。八坂は、眉山の登り口が八つあるからつけられた名称のようだ。蔵本は、聖徳太子の墓だとされるタタリ谷のすぐ近く。眉山の麓だ。それにしても宍喰八坂神社の社殿は変わっていますね。
2025-07-19 12:00:00
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