ドラフト1位でファイターズに入りたい!北海道出身・石垣元気が描く夢
甲子園での最速記録に並ぶ155キロをマークした群馬県の健大高崎のエース。ことしのドラフト1位候補!登別出身の石垣元気選手。ファイターズだけでなく12球団のプロ野球。さらにメジャーからも熱い視線を注がれる高校生ナンバーワンピッチャーです。 CSファイナルホークス戦 惜敗も報道陣の笑い誘う監督「準備はしていきますけど僕ですから!」伊藤大海投手も取材応じる 石垣元気選手 「地元の日本ハムファイターズに入りたいです」 もし、ファイターズからドラフト1位指名を受ければ伊藤大海投手以来、球団史上2人目。 高校生としては、史上初めてとなります。 石垣元気選手 「最終的にプロに入って親孝行をしたいです」 4人きょうだいの3番目で生まれた石垣元気選手。 実は“元気”という名前には、ある家族の想いが込められていました。 石垣元気選手の母 「当初は『歩夢』にしようと思っていたが出産予定日から10日ほど遅れたので 元気に産まれてきてくれたらいいなと思い“元気”という名前になりました。」 その名の通り、元気いっぱいに育った石垣選手。2人の兄の影響で始めた野球。小学6年生の時には1番ピッチャーとしてチームを引っ張ってきました。中学生で強豪・洞爺湖リトルシニア入団すると週末は登別の自宅から往復2時間。両親の支えがあって野球を続けてきました。当日の印象について、中学時代の監督は 中学時代の監督 「昭和のガキ大将ってお母さんはよくいっていましたね」 やんちゃで明るく、チームのムードメーカー。しかし、その“元気すぎる”性格が思わぬ事件を起こしてしまいます。 石垣元気選手 「悪さをして野球をやめろって親に言われた。辞めたくないって何回も言ったが、何度もやめろって言われたので諦めて野球を辞めてしまうのかなと思っていました」 当時について母・美樹さんは 石垣元気選手の母 「野球をはじめてから一番怒った出来事でした。 元気は野球を辞めさせられると思って自分でユニホームを畳んでいたが 翌日になって半べそかきながら『もう一度野球をやらせてほしい』と言ってきたので もう一度チャンスを与えてあげてもいいのかなって思いました」 野球を続けるために変わらなければ。そう決意した石垣選手。 石垣元気選手 「行動で見返すというか、大人になるにつれて人間性は見られていると思ったので事件があってから本当に自分は変わらないといけないなとなりました」 気持ちを入れ替え、努力を重ねる毎日。やがて仲間の信頼も集まるようになると中学3年生のときにはキャプテンとしてチームを全国大会へと導き、監督も“打席に立てない”と語るほどの豪速球を投げ込む存在に成長を遂げました。 そして、高校は甲子園の常連・群馬県にある健大高崎高校に入学。親元を離れ、寮生活が始まりました。親として心配だったのが、母・美樹さんです。 石垣元気選手の母 「ご飯も親のご飯とは違うのでちゃんと食べられるのかなとか、洗濯をちゃんとできるかな、掃除できるかなとか心配でしたけど、本人が行く気だったので、止めることもなく送り出しました」 環境が変わっても努力を惜しまず、高校2年の春には選抜大会で全国制覇。その秋には、自身最速の158キロを記録。一躍、全国区の注目選手となりました。そんな息子を追いかけ、母・美樹さんは全国を飛び回ります。 石垣元気選手の母 「試合を見たい!というのが一番大きな理由。本人も親が来てくれていると思うと普段会えない分、 頑張ってくれるかなと思って、毎回応援に行っています。負けず嫌いですし、有言実行を結構してくれていたので子どもながらにすごいなって今になって思っています」 石垣元気選手 「個人としては、160キロ。チームとしては日本一を目指してやっていきたい」 甲子園での最速記録に並ぶ155キロをマークすると、沖縄県で行われた世界大会に日本代表として選出。日本のエースとして挑み、準優勝を飾りました。現地で観戦していた母・美樹さんは 石垣元気選手の母 「2連覇はできなかったんですけど、最高の仲間と最高のこの場所で高校野球の締めくくれて良かったなと思います」 高校生ナンバーワン投手として、ファイターズを含む12球団から注目される石垣選手。 石垣元気選手 「昔は本当に、迷惑をかけてばっかりだったと思うんですけど、しっかりと活躍している姿を見せて最終的にプロに入って恩返しと親孝行ができればいいなと思っています」 石垣選手の母 「これからも自分のやりたい道を進んで夢に向かって頑張って欲しい。これからも家族はみんな、味方なので応援していますということを伝えたいです」 きょうは運命のドラフト会議。 支えてくれた家族への感謝を胸に、夢の舞台へと歩き出そうとしています。 石垣元気選手 「やっぱり地元である、日本ハムファイターズに入りたいなと思います」