傍に立つ君は完璧で究極のアイドル   作:カミキヒカラナイ

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お待たせ、待った?(二週間ぶり投稿)

話畳むの苦手すぎて文字数が18000字超えてしまいました。
後書き含めると余裕で20000字超えます。
読みにくかったら申し訳ありません。
許して下さい。

メルト君が何でもしますから。


いつも評価・感想・お気に入り登録・ここすき等々、応援まことにありがとうございます。お陰様で増えてく閲覧数とカラフルになったここすき一覧を眺めてニヤニヤする毎日を送れております。
しかももうすぐ推しの子二期放送ですってよ奥さん。待ち遠しくて震えてるぜ……!



20.偽りの星の瞳

 パシャリ、とあかねさんが手にするスマホのシャッターが切られる。

 現在、僕達は立ち寄ったカフェのテラス席に座り、注文した如何にも写真映えしそうな豪勢なパフェを片手にツーショットを撮っていた。その目的はアリバイ作り……対外的には「今ガチ」を切っ掛けに交際することになった僕とあかねさんが、ちゃんと恋人らしいことをしていると世間に向けてアピールするためである。

 

「こんな感じでいいかな?」

「うん、大丈夫だと思う」

 

 あかねさんが身体を寄せてスマホの画面を見せてくる。生憎と自分で写真を撮らないため、所謂()()()写真の善し悪しというものは分からないが、問題なく撮れているのではないかと思う。そう伝えると、あかねさんは頷いて早速その写真をアップロードした。

 僕はSNS上に個人アカウントを持っていないため、この手の投稿はあかねさんに頼ることになる。元々若手天才女優として名が知れていた彼女の方が僕より発信力があるだろうし、適任だろう。

 

『おうおうさっきから見せつけてくれるじゃねえの……人の男に向かって何だそのでけえ乳と近え距離は?』

 

 ……うん、さっきから瞳孔開きっぱなしで呪詛を吐いてるアイが映り込んでいなくて本当に良かった。心霊写真とか洒落にならないよホント。

 

「とりあえずこれでファン向け彼氏彼女のアリバイは作れたかな。しばらくは安泰だと思う」

「ありがとう、助かるよ。今度事務所の指示でSNSに公式アカウント作ることになってるから、次からは僕も手伝えると思う」

「ううん、こんなの手間でもなんでもないから気にしないで! それより、例の件……そっちにはもう話行った?」

 

 例の件……あかねさんがそう切り出すということは、該当する話題は一つしかない。

 

「『東京ブレイド』のこと?」

「うん。お世話になってる『ララライ』っていう劇団が中心になってやるから、私にもその話来てるんだ。シオン君にもオファー来てるんだよね?」

「一応ね……」

 

 本当に、どうしてこんな話がきたのやら。宮田さんは受ける気満々だったから何も言わなかったが、僕に役者経験なんてものはない。この仕事を持ってきた鏑木(かぶらぎ)さんこそ、「今ガチ」での僕のやらかしを知ってるはずなのに。

 

「私は『鞘姫(さやひめ)』役でオファー来てて、シオン君は『こづか』役だったよね?」

「そうそう、『キザミ』の子分の一人として登場したキャラだね。……最近は全然出番なくて、パワーインフレに置いて行かれ気味みたいだけど」

「あはは……」

 

 僕に与えられた役は「こづか」という、小柄(こづか)の名の通り小柄(こがら)で弱々しい外見のキャラクターだ。登場初期はメインキャラの一人である「キザミ」の腰巾着でしかなかったが、章の終盤で一人の剣士としてキザミと共に戦う意志を露わにするという、脇役としてはまあまあの見せ場を持つ人物である。

 しかし最近ではメインキャラ達やアクの強い新キャラ達のパワーインフレについていけず、徐々にフェードアウトしていっている影の薄いキャラでもある。今舞台が比較的序盤の方に焦点を当てたものだから出せた役だと言えるだろう。

 

「本当はシオン君には『刀鬼(とうき)』役か、そうでなくても渋谷クラスタ側のキャラで出てほしかったんだけどなー……」

「こづかは新宿クラスタ……鞘姫とは敵対派閥にあるキャラだからね。残念だけど舞台の上では僕とあかねさんは敵同士だ。刀鬼役はアクア君なんでしょ?」

「うん、そう聞いてる」

 

 「刀鬼(とうき)」……あかねさんの配役である「鞘姫(さやひめ)」と関わりの深いキャラで、主人公の「ブレイド」とは敵対する立ち位置ながらクールな武人肌のキャラクター性が人気を博している。サブキャラでこそあるが、許嫁(いいなずけ)である鞘姫とのカップリングなどでキャラ人気が高く、出番も多い。ほぼメインキャラの一人と言っても遜色ない人物だろう。

 いずれにせよ役者経験ゼロの僕には荷が重い役だ。その点、アクアなら経験的にも実績的にも不足はない。クール系キャラという共通点もあるし、ハマり役と言えるだろう。

 

「刀鬼といえば、『つるぎ』役がまだ決まってなかったよね。あかねさんは何か聞いてる?」

 

 刀鬼というキャラクターには関わりの深い女性キャラが二人いる。一人はあかねさんが演じる鞘姫、もう一人が「つるぎ」という新宿クラスタ側のキャラクターである。

 刀鬼とつるぎは敵対する派閥の者同士ながら、剣を交えるにつれて次第に仲を深めていく。好敵手(ライバル)のような関係と言うべきだろうか。公式設定で恋人同士である鞘姫とのカップリングとはまた違った関係性は読者人気が高く、鞘姫とつるぎのどちらが刀鬼と結ばれるのかが注目されているらしい。

 

「私もまだ聞いてないけど、時期的にそろそろ決まっていてもおかしくないはず。誰になるんだろうね」

 

「──私よ」

 

 その時、何者かが僕達のいる席に近付き、会話に入り込んできた。

 ……いやまあ、何者かも何も有馬(ありま)さんなのだが。気配で近くにいることは把握していたが、こちらを捕捉すると同時に迷わず接近してきたのには少々面食らった。僕に何か用事でもあったのだろうか。

 

 いや、彼女の目線の先にいるのは僕ではなくあかねさんのようだ。その遠慮のない眼差しは初対面の者に向けるものではない。どうやら二人の間には面識があるらしい。

 

「リアルタイムの投稿はやめなさい。こういう投稿から悪質なファンに追いかけられてストーカー被害に遭うこともある。外での写真は全て予約投稿が基本よ。また変な揉め事で周りに迷惑かけたいの? 学習しないわね黒川(くろかわ)あかね」

 

 そう言って有馬さんはスマホの画面をこちらに向ける。そこに映っていたのは、たった今あかねさんがSNSにアップしたツーショットだった。

 確かにこの喫茶店はSNSユーザーの間では有名な人気店だ。僕らもその評判を聞いてここに来たわけで、知っている人からすれば写真を見れば僕達が今どこにいるのかは丸分かりだろう。確かに彼女の言う通り迂闊だった。僕はどうでもいいが、あかねさんが被害に遭う可能性があるとなれば無視はできない。

 

 近くにいたのは偶然だろうに、わざわざ忠告しに来てくれるとは親切なことだ。物言いはキツめだが、性根の善良さと面倒見の良さは相変わらずである。そんな有馬さんがつるぎ役として出演してくれるのなら、これ以上に心強いことはない。

 

「な……な、な……っ」

 

 ふとあかねさんを見ると、彼女は何やら信じ難いものを目にしたとばかりに目を見開き、わなわなと震えながら有馬さんを凝視している。はて、あかねさんは何をそんなに驚いているのだろう。

 

「なに、それ……『今日あま』の放送から半年も経ってないのに、この短期間でいったい何が……!?」

「……ふふん」

 

 あかねさんが何に驚いているのかいまいち要領を得ないが、有馬さんはすぐにその理由を察したらしい。彼女は得意満面といった様子でこれ見よがしに髪を掻き上げた。

 彼女の赤みがかった黒髪がサラサラと揺れる。まるで絹糸のように艶のある髪は枝毛の一つもなく、白く透明感のある肌は瑞々しく潤っている。

 

 一ヶ月にも及ぶ猛特訓の間に、霊能マッサージと称して繰り返し生命力を供給された有馬さんは、その身に常人の数倍にも達する生命エネルギーを(みなぎ)らせている。あり余る生命力はあらゆる身体機能を底上げし、向上した新陳代謝は美容と健康に大きな影響を及ぼした。端的に言うと美少女ぶりに拍車がかかった。

 うん。JIFからしばらく経ったが、特に変わりないようで良かった。髪も傷んでないし、肌荒れの兆候も皆無。血色は良く、脈拍や呼吸音も極めて正常である。初ライブの興奮冷めやらぬルビーとMEMちょさんに付き合わされてレッスン漬けの毎日を送っていると聞くが、様子を見る限りでは調子は悪くなさそうだ。

 

 ……ああ、なるほど。あかねさんは有馬さんのこの変化に気付いたからこうも驚いているのか。口振りから察するに「今日あま」も見てたようだし、あの頃と比較して別人レベルで生命エネルギーに満ち溢れている今の有馬さんを見れば驚くのも無理はない。

 

「ま、偶々近くにいたから注意しに来ただけよ。お仕事デートの続きは場所を変えなさい。じゃあね、黒川あかね……それとシオン」

「よ、呼び捨て……!? ちょっとかなちゃん! シオン君といったいどういう関係──!?」

 

 何やら問い質そうとするあかねさんを無視し、有馬さんは颯爽とこの場を去っていった。

 去っていく背中に手を伸ばした姿勢で固まっていたあかねさんだったが、しばらくして我に返った彼女はゆっくりとこちらに振り返った。その表情は感情が抜け落ちたような無表情で、見開かれた瞳からはハイライトが失われている。コワイ!

 

「シオン君……かなちゃんとはどういう関係なのかな……?」

「えっと、同じ学校の先輩と後輩で……」

「で?」

「……一ヶ月ほどコーチとしてアイドル活動の補佐をしてました」

「……コーチ?」

 

 そう、コーチ。何やら勘繰っている様子だが、僕と有馬さんとの間にそれ以上の関係はない。それに有馬さんにはアクア君という相手が既にいるのだから、その手の心配はするだけ損である。

 

「コーチ……秘密のレッスン……二人きり……近付く距離……合法お触り……!?」

「もしもし? あかねさん?」

 

 B小町は三人グループなので二人きりではありません。もしもし? 聞いてる?

 

「……シオン君、この後の予定って特になかったよね?」

「え、うん。今日は一日空けてあるし、カフェで写真を撮る以外の予定は特に決めてないね……?」

「じゃあこの後私の事務所に行かない? いつも私が使わせてもらってるレッスン室があるから、そこで舞台演技のこと色々教えて上げるよ」

 

 ニコリと微笑んでそう提案するあかねさん。その提案自体は非常にありがたいのだが、表情に反して彼女の目が一切笑っていないのがちょっと怖い。

 

『こ、この女……! シオンを密室に連れ込んでナニするつもり!? 不潔! 高校生にそういうのはまだ早いと思います!』

 

 十六歳(高一)で双子を身篭った人が何やら喚いている。鏡を見ろと言いたいところだが、残念なことに彼女の姿は鏡に映らないのだ。

 

 結局、この後あかねさんの所属事務所のレッスン室に連れ込まれ有馬さんとの関係について根掘り葉掘り聞かれることになった。

 とは言っても本当にさっき言った以上の関わりはないので、演技指導のお礼として霊能マッサージをすることでこの話は手打ちになった。むずがるアイを説得するのには骨が折れたが、有馬さんにやってあかねさんにはやらないというのも変な話なのでどうにか納得してもらった。

 

 勿論、アイが心配していたようなことは一切ない。あかねさんは礼儀正しく、分別を弁えたしっかりした子だ。たとえ彼氏彼女の関係にあろうが、早々そんな軽率なことをするはずがない。アイの考え過ぎである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──舞台「東京ブレイド」、スタッフ顔合わせ当日。

 

 

 JIFから約四ヶ月が過ぎた。季節の移ろいは早いもので、気付けば秋も深まり木枯らしが肌を刺すようになってきた。冬の到来はもう間もなく、といったところだろう。

 

 今日までの四ヶ月間、僕は早くも超能力者として大活躍……はしていなかった。

 東京ブレイドの舞台化企画という大きな仕事が控えている現状、下手に超能力者として話題を呼んでしまい、スケジュールの制御が利かなくなるのを宮田さんが嫌ったためだ。宮田さんにとって今回の舞台は僕というタレントの名を世間に知らしめるための踏み台である。ここで転けるようでは意味がないため、差し当たっては目の前の仕事に集中してほしい……そう言われ、僕は今日までデビューを遅らせていたのである。

 

 宮田さんは申し訳なさそうにしていたが、初めての演技の仕事ということで不安を募らせていた僕にとって、この提案は渡りに舟だった。お陰でこの四ヶ月という時間を演技の勉強に費やすことができた。デビューに向けての準備と並行していたため、この期間をずっと演技のために使えたわけではないが、それなりにはやれるようになったのではないかと思う。

 

 とはいえ、あくまでそれなりだ。身体操作の力技でどうとでもなった歌やダンスとは勝手が違う。与えられた役柄をしっかりと理解し、その上で役になりきり、シーンごとに適切な感情を込めなければならない。身体表現力や発声にはそこそこ自信があるが、いわゆる演技力……感情表現や役作り、即興力というものはやはり一朝一夕で身につくものではなかった。

 

「……あっ! シオン君、こっちこっち!」

『うわ出た』

 

 スタジオに向かって廊下を歩いていると、反対側からこちらに向かって歩いてくる人影があった。それを見たアイが露骨に顔を(しか)める。

 そこにはこちらに向かって笑顔で手を振るあかねさんの姿があった。近くなったらLINEで連絡するよう事前に言われていたが、もしかしてわざわざ出迎えに来てくれたのだろうか。

 

「おはよう、あかねさん。今日はよろしくね」

「こちらこそよろしくね! ……ちょっと表情固いね。やっぱり緊張してる?」

「あはは、やっぱり分かっちゃうか」

 

 そこまで表情に出しているつもりはなかったが、やはり感情表現のプロを相手に隠し事は難しいらしい。あっさり内心がバレてしまった。

 最初のデートの時も含め、この四ヶ月の間に何度かあかねさんに付き合ってもらい演技の勉強を重ねてきた。しかしアイのパフォーマンスを完コピすればそれで良かったJIFの時と異なり、演技においては役柄への深い理解が求められる。僕自身の感性が問われる部分であり、こればかりは身体能力のゴリ押しでどうにかなる問題ではない。あかねさんの演技を間近で見れば見るほど、自分の役に対する理解の浅薄さをまざまざと突き付けられる思いだった。

 

 分かっていたことだが、やはり一流のレベルは遠い。たった四ヶ月の練習でどうにかなるなどと楽観していたわけではないが……それでも何とかして二流程度までは漕ぎ着けないことには、この東京ブレイドという大舞台について行くことはできないだろう。

 しかし尽きぬ不安に悶々とする僕とは対照的に、あかねさんはあっけらかんとして言った。

 

「あまり心配しなくても大丈夫だと思うよ? シオン君の場合、舞台演技で重要な体力や表現力は最初から完成してたし、声の通りも良い。演技未経験だなんて信じられないぐらい基本的な部分は完成してる。あと足りてないのは役柄への理解度と感情表現だけど、それはこれから金田一(きんだいち)さんや脚本家の人と一緒に詰めていけばいい問題。だから大丈夫!」

 

 そう簡単に行くとも思えないが、彼女なりに僕を元気づけようとしてくれていることは伝わってきた。ありがたいことだ。僕の演技の練習にも嫌な顔一つせず付き合ってくれたし、あかねさんの優しさには助けられてばかりである。

 

『私も! 私もシオンの練習手伝った!』

 

 ハイハイハイ! と自己主張強く手を挙げるアイ。

 勿論アイにも感謝している。彼女もまたドラマや映画の出演経験を持つれっきとした役者である。舞台演技とカメラ演技の違いはあれど、同じ演技には違いなく、アイのアドバイスも大いに参考になった。

 

「ありがとう。色々迷惑かけると思うけど、これからよろしくね」

「うん、一緒に頑張ろう!」

 

 二人の献身に報いるためにも、何としてもこの舞台は成功させなければなるまい。気合いを入れ直し、「Bスタジオ」という表札のついた扉をくぐる。

 

 スタジオに入ると、既に大部分のメンバーが揃っているようだった。少なくとも「ララライ」の役者は全員スタジオ入りしている様子。

 ……少し来るのが遅かったか。一応集合時刻までまだ時間はあるが、僕は外部の人間で、しかも圧倒的に芸歴の短い若輩者である。誰よりも早くスタジオ入りするぐらいはしないと失礼だったかもしれない。業界の暗黙というか、慣習的に。

 

 案の定、全員ポカンとした表情でこちらを見ている。呆れられてしまったのかもしれない。焦りを感じつつ僕は慌てて頭を下げた。

 

「『こづか』役を務めさせていただきます、リーベックプロ所属桐生シオンです。よろしくお願いいたします!」

 

 腰を直角に折り曲げ、深く頭を下げる。

 彼らは劇団ララライの役者……つまり全員があかねさんと同等かそれ以上の実力を持つ超一流の役者である。そんな彼らと同じ舞台に上がるのだという事実に身震いする思いを抱きつつ、せめて意欲だけは負けまいと声を張り上げた。

 

「──ちょ、ちょ、ちょ……あかねちゃんちょっと」

「? はい」

 

 すると、ミディアムヘアの小柄な女性があかねさんを手招きする。首を傾げながらあかねさんが近寄ると、その女性をはじめとしたララライの役者陣は息の合った動きで素早くあかねさんを取り囲んだ。

 

「なにあれなにあれなにあれ。なにあの無差別広域破壊顔面兵器。あんな歩くハーグ条約違反どこで捕まえてきたのあかねちゃん」

「えぇ……何って前に話したじゃないですか、番組で彼氏ができましたって。インスタとかにもツーショ上げてるのに」

「俺ツイ派だから……」

「そりゃ黒川にカレシがいるって話は聞いてたけどさぁ……流石にこんなのが来るとは思わんじゃん普通。なに? ドラゴン○ールで神龍でも呼んだの?」

「顔ちっさ……腰たっか……」

「顔面めちゃ強スタイルバチバチ大手芸プロ所属年下彼氏とかちょっと前世で徳積みすぎじゃない? 半分ぐらい分けてくれてもいいのよ?」

「若くて顔が良い子を外部から呼ぶとは言ってたけど、ちょっと金田一さん本気出しすぎじゃね?」

「金田一さんっつーか鏑木さんのツテでしょ? にしたってこんなのどこで拾ってきたんだか……」

 

 ……コソコソ話してるみたいだけど僕の耳だと普通に聞こえるんだよなぁ。うん、まあ悪く言われているわけではないみたいで安心したけれども。

 漫画やアニメ等フィクションの登場人物というものは──フィクションなのだから当然だが──どうしても美形に描かれがちだ。それを現実で舞台化する以上、ある程度原作のイメージに即した容姿が役者にも求められる。それを踏まえた上で、彼らほどの役者から容姿を褒められる……褒められてるのかあれ? まあ、褒められるというのは悪い気はしない。芸能人にとっては外見的素養も重要な武器である。ここは素直に評価されていると喜んでおこう。

 

『アクアはまだ来てないんだね』

 

 アイがきょろきょろとスタジオ内を見回しつつ残念そうにボヤくが、心配せずとも通達された集合時間まであと半刻程度。じきに到着するだろう。

 それからしばらくして、スタジオに近づく見知った気配を感じ取る。気配は三人分、内二人はアクアと有馬さんのものだろう。しっかり者のアクアらしい、ピッタリ十分前の到着だった。

 

「失礼します。『つるぎ』役を務めさせていただきます、苺プロ所属有馬かなです」

「同じく苺プロ所属星野アクアです。『刀鬼』役を務めさせていただきます」

 

 入ってきたのはやはりアクアと有馬さんだ。

 バッチリお(めか)ししている有馬さんとジャージ姿のアクア君という、両者の性格が表れている出で立ちの二人が入室する。そしてその後に続いて入ってきたのは、僕が一方的に知っている少年だった。

 

「『キザミ』役を務めさせていただきます、ソニックステージ所属鳴嶋(なるしま)メルトです。よろしくお願いします」

 

 鳴嶋メルト。モデル兼役者のイケメン俳優。ドラマ「今日あま」で主演を務めた人物であり……恐らくは、今回の出演者の中では僕の次に役者経験に乏しい唯一の人物でもある。

 彼自身もそれを理解しているのだろう。その表情は緊張からか僅かに強張っている。失礼ながら、少し親近感を覚える態度だった。

 

『アクア殴ったから私あの子のことキラーイ』

 

 それは演出だったってアクアも言ってたでしょ……

 少なくともこうしてまた演技の仕事に呼ばれたということは、きっと「今日あま」の時よりも実力を付けているに違いない。同じく発展途上である彼から学べることもあるだろう。モデル上がりの役者ということで共通点も多いことだし、彼とは仲良くしたいものだ。

 

「──おっ、まだ十分前なのに皆早いねぇ! もう揃ってるみたいだし、紹介始めちゃおっか」

 

 すると、そんな言葉と共に陽気な雰囲気の男性が登場する。

 真ん中から白と黒で染め分けられた頭髪にサングラスという、一見すると派手な風体。歳は宮田さんとそう変わらなさそうだが、彼もまた統括プロデューサーとして今回の仕事を纏め上げる立場にある人物だ。

 

「ボクの名前は雷田。雷田(らいだ)澄彰(すみあき)。この公演の総合責任者ね。で、こっちが演出家の金ちゃん」

「ララライの金田一(きんだいち)敏郎(としろう)だ」

 

 雷田さんに続いて気難しそうな顔つきの男性が自己紹介する。

 劇団ララライの代表である金田一敏郎さん……金田一さんの名前はあかねさんの口から何度か聞いたことがあるが、会うのは今日が初めてだ。彼自身も役者であるためかガッシリとした体型で、よく鍛えられているのがひと目で分かる。

 

「それから脚本家のGOA(ゴア)さん。ララライの人達は何度か一緒に仕事してるだろうから言うまでもないかもだけど、彼は今人気の売れっ子脚本家だ。今回の脚本も期待していいぜ?」

「GOAです。よろしくね」

 

 続いて紹介されたのは、優しげな顔立ちをした若い男性だ。演技の世界とは無縁だった僕は知らなかったが、この業界では有名な人らしい。

 

 それから僕やアクア同様、鏑木さんのキャスティングによって招かれた俳優の鴨志田(かもしだ)朔夜(さくや)さんをはじめとして、今回の公演に参加する役者の名が雷田さんの口から紹介されていく。流れで僕の名前も呼ばれたので、今一度全員に向かって頭を下げる。

 

「で、最後に今回の舞台で主演を務める……」

「おいコラ、起きろバカモンが!」

「あいてっ」

 

 僕が来た時からずっとスタジオの壁に寄りかかって居眠りをしていた男性が金田一さんに蹴っ飛ばされ叩き起こされた。

 ボサボサの黒髪に無精髭が目立つ、一見するとだらしなく見える人物だった。しかし、彼が決して見た目通りの人物でないことは流石の僕でも知っている。

 

「ああ、サーセン。この芝居の主演の……あれ、役名なんだっけ……まあ、良いか」

 

 ズレた眼鏡を直しつつ身を起こす男性。彼こそがあかねさんをも上回る実力者として劇団ララライの頂点に立つ看板役者にして、舞台のみならずドラマや映画でも活躍する実力派俳優──

 

姫川(ひめかわ)大輝(たいき)です。よろ」

 

 ──姫川大輝。帝国演劇賞最優秀男優賞をはじめ数々の俳優賞の受賞経験を有する、間違いなく日本有数の役者である。

 すごい、本物だ。テレビでも見たことのある有名人が目の前にいるという事実に、僕は興奮を禁じ得なかった。

 

『なんか大したことなさそうじゃない? シオンのがよっぽどオーラあるよ』

 

 今を時めく実力派俳優になんてこと言うの。彼は役者という分野に関しては間違いなくアイより数段上の実力者である。

 あの昼行灯然とした振る舞いはきっとこちらを油断させるフェイク……! 油断したところを一気に持っていく作戦に違いない……!

 

『役者の人そこまで考えてないと思うよ』

 

「さあ! このメンバーで一丸となり、舞台『東京ブレイド』を成功に導きましょう!」

「今日は顔合わせだが主要メンバーは一通り揃ってるみたいだな。このまま本読みまでやっちまうか」

 

 いきなり来た、本読み稽古……!

 

 本読みとは、舞台や映像作品などの制作段階において出演者やスタッフが台本を持って読み合わせを行うことを指す。台本の内容や役割分担を確認し、演出家や監督からの指示を受ける重要な準備作業である。

 役柄への理解と解釈、それに伴う感情表現に難を抱えている僕にとって、この台本を作り上げた脚本家や演出家から直にアドバイスを受けられる貴重な機会。同時に、現時点における僕の演技力を見定められる場でもある。

 

 「東京ブレイド」の舞台はその名の通り東京。架空の東京に存在する新宿クラスタと渋谷クラスタの二大勢力が、二十一本の伝説の刀を巡って熾烈な争いを繰り広げるという王道バトル漫画……それが東京ブレイドの大まかなストーリーである。

 今回の公演においてはこの二大勢力の戦いに焦点を当てた「渋谷抗争編」を柱にシナリオを展開していくらしい。主人公であるブレイド、そして有馬さんと鳴嶋君が演じるつるぎやキザミも属する新宿クラスタ。僕が演じるこづかもまたそこに所属しているキャラクターだ。

 

 こづかという人物は所謂(いわゆる)脇役だ。従って出番やセリフは主要キャラ達ほど多くはない。ある意味では演劇初心者向けのキャラクターだと言えるだろう。

 しかし出番が少ないということは、その限られた出番の中でしっかり存在感を発揮しなければならないということでもある。少ない出番の中でしっかりキャラを立たせる演技を行い、終盤に存在する唯一の見せ場に向かって“説得力”を持たせなければならないのだ。

 

 出番が少ないからこそ下手な演技は許されない。主要キャラを引き立たせるべき脇役が下手な演技でノイズとなってしまっては本末転倒だからだ。少ないセリフの一つ一つにしっかり感情を込める必要がある。

 

 しかし、この“感情を込める”というのがネックだった。こづかというキャラクターは勇敢で好戦的な性格のキザミの子分の一人であり、彼とは対照的に弱々しさが目立つ性格をしている。だが章の終盤にて、軟弱な己と訣別しキザミと共に戦う覚悟を決めるシーンにおいては、それまでの弱々しい性格から一転して強い闘争心を露わにすることになる。

 この闘争心というものが僕にはよく分からないのだ。転生者故に子供らしい癇癪(かんしゃく)を起こしたこともなければ、誰かと喧嘩らしい喧嘩をしたこともない僕は生まれてこの方、誰かに対して強い敵愾心といったものを抱いた試しがない。知らない感情を演じることは難しい。それ故にこづかというキャラクター最大の見せ場であるにもかかわらず、僕は今日まで満足のいく演技ができないでいた。

 

 そうこうしている内に本読みが始まった。

 分かっていたことだが誰も彼も演技が上手い。“一流の役者しかいない”と言われるララライの人達は噂に恥じない実力者ばかりで、ちょっとしたセリフ一つを取っても迫力が違う。2.5次元経験が豊富だという鴨志田さんもまだ本読みの段階だというのにキャラの再現度が凄まじいし、芸歴の長い有馬さんの演技は流石の貫禄で隙らしい隙が全くない。

 舞台での演技経験がないはずのアクア君も決して負けていない。持ち前の冷静さと視野の広さが演技にも活かされているのか、周りの演技に熱が入れば入るほど彼の振る舞いも洗練されていくようだった。

 鳴嶋君も、やはり「今日あま」の時と比べればその成長ぶりは一目瞭然だった。周りのレベルが高過ぎてお世辞にも上手いとは言い難い部分はあるが、決して下手ではない……いや、感情を乗せて演じる部分に関しては僕などよりよほど上手だと感じられる。思えば例のドラマの最終回での彼の演技は感情が乗っていてかなり良かった。あの時の経験が今の彼の感情演技に活かされているのかもしれない。

 

 しかしやはりと言うべきか、特に抜きん出ていたのはララライのツートップ……あかねさんと姫川さんの演技だった。

 

 徹底した役作り、与えられた役への深い洞察と考察、それらを完璧に演じ切る天性のセンス。「今ガチ」の際に初めて目の当たりにした黒川あかねという女優の真髄はあれから更に磨き上げられており、鞘姫という架空の人物像(キャラクター)を彼女なりの解釈で以て完璧に演じ切っていた。あかねさんが台本を(そら)んじる度に空気が凛と引き締まる。それはまるで、本当に鞘姫本人がこの場に現れたかのようだった。

 

 そして、そんなあかねさんをも上回る演技を見せたのが姫川さんだ。

 姫川さんの演技は、ひたすらに熱かった。当初の気怠げな態度は刹那に消え失せ、彼の放つ熱量によって一瞬にしてこの場の空気が支配される。

 真に迫るどころではない。本物と同等……否、本物以上の解像度と情報量。その手に握る丸めた台本が本物の刀に錯覚する程の“説得力”を生み出す、それはまさしく究極の感情演技だった。

 

『ひぇ〜、すっご……』

 

 アイも思わずそう呟いてしまう程、その演技は凄まじいの一言に尽きた。

 堂に入った佇まい、浮かべられた不敵な笑み、何よりその眼差しに漲る意思の熱量。それこそまさに、熱い闘志を以て戦う新宿の剣客、主人公ブレイドの姿そのものだった。

 

 本読みの段階でこれほどの完成度。果たして本番ともなれば一体どれ程の演技をするのか見当もつかない。

 

 ……そして、このすぐ後に僕の番が控えているという現実に戦慄を禁じ得なかった。

 

 あの、すみません金田一さん。僕が演技初心者だって知ってますよね? どうして姫川さんを先にやらせたんですか? どうしてよりにもよって僕が一番最後なんですか? どうしてさっきから頑なに目を合わせてくれないんですか? もしもし? 金田一さん?

 

『あのオジサン、姫川君に順番振ったすぐ後に「あ、やべ」って感じの顔してたよ。多分素でシオンのこと忘れてたんだと思う』

 

 ンンンン……! 悪意があるならともかく、うっかりなら怒るに怒れない……!

 ……まあ、仕事として来た以上は素人であることを言い訳にすることはできない。下手だろうが何だろうがやりきるしかないのだ。今の僕にできる範囲で、精一杯演じさせてもらうとしよう。

 

「あー……次、桐生。こづかが渋谷の敵を前に啖呵を切るシーンから。肩の力抜いて、できる範囲でやってみろ」

 

 金田一さんが妙に優しい……! 微妙な気まずさが垣間見える態度、やっぱり途中まで僕のこと忘れてたでしょう!

 まあいい。幸いにして今回指定されたのはラストの見せ場ではなく、中盤の辺りで敵と対峙する場面。この時点ではまだ臆病な自分を捨て切れておらず、震えながら虚勢を張るシーンである。

 

 この時のこづかはまだ真の意味で強敵と戦う勇気を持つことができず、だがそんな自分が嫌で、臆病な己を認められず震えながら強がってみせるのだ。そんな複雑な内面を上手く表現できる自信はまだない。しかし、強い闘争心を表に出さなければならない終盤のシーンよりはまだ何とかなるはずだ。

 

『姫川君の真似してみたら? あれこそ闘争心ってやつじゃないの?』

 

 確かに、真似するだけならできなくもないだろう。あの熱い闘志に溢れた表情や身体の動きはしっかりとこの目に焼き付けた。恐らく身体的表現という点に限れば、姫川さんのものと寸分違わず同じものを再現できるはずだ。身体能力のゴリ押しは僕の十八番であるからして。

 しかしそれはブレイドの演技であってこづかの演技ではない。加えて、外側から見える振る舞いだけ再現しても、そこに感情(なかみ)が伴っていなければそれは薄っぺらい芝居に成り下がるだろう。そんな劣化ブレイドみたいな演技を披露したくはない。

 

 敵と対することの恐怖。情けない自分への苛立ち。捨て切れない剣士としての誇り(プライド)。兄貴分であるキザミへの憧れ。そんな複雑な心情から発せられる虚勢の演技にブレイドのような闘志が必要だとは思わない。だがここで完全に闘争心を欠くようでは虚勢ですらなくなるし、後の見せ場への説得力が失われてしまう。中々どうして難しい塩梅だ。

 

『要はあれだね。シオンは強すぎて弱い人間が恐怖を堪えて闘志を振り絞るって感覚が分からないんだ』

 

 そうかもしれない。はっきり言って僕に怖いものなどない。この地上のどんな生物と比較しても存在としての格が違いすぎて、何に対しても恐怖を抱くことができないし、強大な何かに闘志を以て立ち向かうという情動も理解できないのだ。

 

『あー、どうしてシオンがここまでこの役に苦戦してるのかやっと分かったよ。そりゃそうだよねー、大地震をパンチで止めちゃったようなフィジカルモンスターに弱いキャラクターの気持ちなんて分からないよねー』

 

 あ、あの時のアレは出来心というか……偶々上手くいっただけというか……

 

『いいこと考えた! 感情が乗らなくてこのシーンが演じられないなら、代わりになるもので演じればいいんだよ!』

 

 闘志の代わりになるもの? それはいったい……

 

『シオン。()()()()()()()()()()()()()

 

 えっ。いや、それは……

 

『目を瞑ったままじゃ今以上の感情演技なんて絶対にできないよ。大丈夫! シオンも中学生の頃より成長したし、薄目を開けるぐらいなら何とかなるって!』

 

 果たしてそうだろうか。アイはこう言っているのだ、「常の演技を止めて素の自分を曝け出せ」と。それはつまり──

 

『そう、ありのままのシオンのクソデカオーラ! これなら感情がこもってなくても演技に説得力出るでしょ!』

 

 女の子がクソとか言うんじゃありません。

 だが確かに、それぐらいしか対処法が思いつかないのも確か。全く感情移入のできない薄っぺらい演技をするぐらいなら、アイの言う通りにした方がまだ厚みのある演技ができるかもしれない。

 

「どうした桐生。早くしろ」

「あっ……すみません、すぐにやります!」

 

 もはや四の五の言ってられる状況ではない。気は進まないがやれるだけやってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その異変に最初に気付いたのは星野アクアだった。

 気の毒にも姫川大輝の後に演技を見せることになったシオンを気遣わしげに見ていたアクアは、真っ先にその異変を目にすることになった。

 

(何だ? あいつの目が……)

 

 紫水晶(アメシスト)のような瞳に違和感を覚え、じっと目を凝らす。

 違和感の正体にはすぐ察しがついた。星の輝きが──アイのそれを思わせる星の瞳から、輝きが失われているのだ。

 

 そうと理解した瞬間、アクアの背筋に冷たく刃が走った。

 

 目だ。目が違う。星の光は薄れ、魔性の紫色が強く深く妖しく灯っている。

 それは夜天にたった一つ輝く一番星ではない。偽りの明星が失せたそこにあったのは、無数の星塵と乱舞する宇宙線を内包し、絶えず集合と離散を繰り返す不可思議な色彩の瞳だった。まるで星雲(ネビュラ)のようだと、そんな思考が脳裏を過ぎる。

 

 刹那、器たる肉体を食い破るようにして()()は溢れ出した。強靭にして鋭利、膨大にして灼熱の霊威。天地を焼き尽くさんばかりの──それは命の、魂の輝き。

 

 桐生シオンは超人である。ただの一人にして天体もかくやという巨大な命を持って生まれ落ち、今この瞬間にも絶えず膨張を続けている。

 如何に肉の器が強靭であろうと、今や宇宙そのものと言っても過言ではないその大質量を完全に収め切れるわけがない。何をせずともその身からは溢れんばかりの霊光を迸らせ、その超重量で天地万物を震撼させて止まないのだ。

 

 故に、シオンは己を偽ることにした。幸いにして彼の傍らには人を騙す(嘘をつく)ことにかけては天性のものを有する女の霊があったから、参考とする相手には事欠かなかった。

 いっそ女性的とさえ感じる程の(たお)やかな立ち振る舞いも、誰からも好印象を抱かせる整った顔立ちと柔和な表情も、全ては世界すら欺く弱者の演技。その意識は常に微睡みの底にあり、覚醒していながら思考の瞼は閉じられている。

 

 誰が可愛らしく喉を鳴らして微睡む獅子を恐れるだろうか。無害であれば獅子とて図体のデカい猫と大差なく、愛玩動物の如き振る舞いをしていれば、か弱き人とて獅子を恐れはしない。たとえその牙と爪が本物だろうと、それが振るわれることはないと分かっていれば、賢き人は過剰に猛獣を恐れることはないのだ。その賢しさ故に人は誤認するのである。

 

 だが、今この瞬間に獅子は目覚めた。ほんの僅かとはいえその瞼は開かれた。

 それ故に人は気付く。それが獅子ですらない、恐るべき異次元の獣──人智を超越した魔人であることに。

 

 黒川あかねの考察は正しかった。シオンの瞳は何も見ていない。見ているようで芯で捉えることをしていなかった。凝視すれば立ち所に溶け崩れてしまうから、常に微睡むようにして視点を分散させていたのだ。彼の瞳にきらめく星の光の正体とは、アイのそれとは似て非なる偽りの星光。畢竟(ひっきょう)、微睡みに蕩けた瞳孔を覆い隠す欺瞞の輝きに過ぎないのである。

 

 シオンの正体とは、要するに“桐生シオンという人間”を演じることに特化した生粋の演者であった。世界をも欺く振る舞いで以て常人を演じている。既に演じている状態で更に別の人格を演じようとすれば中途半端になるのは当然だ。何かを演じようとすれば、一度()()の皮を剥がす必要がある。()()()()()()

 

 だから、それは必然だった。

 突如スタジオの中心に現れた魔人が僅かに瞼を開く。たったそれだけで──世界が軋んだ。

 

 窓の外で、無数の(カラス)がけたたましい悲鳴を上げて弾けるように飛び立った。無様なまでに必死に翼を羽ばたかせ、羽根を撒き散らしながらこの一帯から逃げ去っていく。

 俄かに騒がしさを増した外とは反対に、スタジオ内は静寂に満ちていた。それもシンと降り積もるような静寂ではない。張り詰めるような、今にも破裂せんとする寸前の如き危うさに満ちた静寂だ。たった一人の魔人の放つ存在感がために、天空の高きから押さえつけるようにして沈黙を強いられていた。

 

 誰もが戦慄に言葉もない。残酷にして非情。乱暴にして凶猛。武力か暴力かと問うたならば間違いなく暴力であるところの、荒ぶり漲る戦気。狂える激情を辛うじて抑制しているかのような、震える程に危うい気配。桐生シオンという人の形をした天空の放つ暴力的なまでの威風を前に、誰もが己の矮小たる有様を目の当たりにした。

 

 とりわけ、シオンの眼差しを正面から受けることになった金田一敏郎を襲った衝撃たるや、筆舌に尽くし難いものだった。

 天地を引き裂くが如き激震が金田一の精神を押し潰さんとする。目を瞑ることすら許されない。耳を塞ぐこともまた同様に。何か計り知れない魔性の強制力によって、金田一は瞬きすらできぬまま限界まで目を見開き、前方に佇む魔人を直視することを強いられていた。

 

(鏑木の野郎、いったい何を拾って来やがった……!?)

 

 仕立ての良い上品な服装、サラサラとした黒髪、美しく品のある顔立ち。歳は今年の冬で十六になると聞いたが、しかしそれらは全てが本質より遠いところにある。

 目だ。紫色に冴え冴えと、煌々と、妖しくも惹き付けられる眼光。数多の魂を啜った魔剣が帯びるような、危うさの先へと至った気配。それこそ天使のような容貌をしているというのに、そこだけが強力な違和感を放っている。

 

(こんなもの、たかが十六の子供に出せるオーラじゃねえ! これは何だ!? 人か!? 俺は何を前にしているんだ!?)

 

 もはや金田一には目の前の少年が自らと同じ人間には見えなかった。

 眼前に立ち現れたる超越者は、摩訶不思議な色彩の瞳を魔力の色に煌めかせている。暗闇に青光が差して紫雲が艶めかしく対流するような……月なき夜に妖星が昇り輝くような……得体が知れずとも目の離せなくなる眼光を放って、ただ佇む様も壮麗に、この時この場に集った者達を眺め渡している。

 

 誰も彼もが彫像のように固まり指先一つ動かせない中、ただ一人シオンだけが滑らかに動き出す。丸めた台本を刀に見立てて両手に握り、正中線に構えた。

 瞬間、この場の誰もが自らの首が落ちる様を幻視した。首筋を走る冷たい刃の感触。耳鳴りはそれがための擦過音に聞こえた。

 シオンはただ刀を構える()()をしただけだ。その演技力においては姫川大輝の足元にも及ばない。にもかかわらず、それは異様なまでの迫力と生々しさで以て全員の首を落とす様を想起させた。げに恐るべきは、そうと錯覚させるまでの圧迫感を放つ魔人の戦気。一挙手一投足が矮小に過ぎる人の命を押し潰して余りある。

 

 シオンがゆっくりと口を開く。透明感のある艶めかしい唇が持ち上がり、形の良い白く小さい歯が覗く。

 駄目だ。彼にこれ以上の行動を許してはならない。金田一は眩暈に襲われる程の恐怖に奥歯を震わせながら、確信を以てそう断じた。今この状態でかの魔人の声を聞けば、何か決定的なところが壊れてしまう気がしてならなかった。人智を超越した魔性、その引力に絡め取られ、あるいは魂まで砕けてしまうのではあるまいか。

 

 だが動けない。無理だ。冗談ではない。緊張が必殺の刃のようにしてこの場に集う誰もの喉元に突き付けられている中で、金田一はおろか、誰一人として身動ぎすることも叶わない。

 金田一はただ身を竦めるばかりだった。彼は諦観の中で悟る。いつ止むとも知れぬこの霊威の嵐を忍耐に忍耐を重ねてやり過ごすより他にどうしようもないのだと。

 

 そして──戦慄に身構える一同の前で、言の葉は紡がれた。

 

 

「ぼ、僕だって新宿の剣士だ! キザミさんみたいに、勇敢に戦える……!」

 

 

 悲壮感漂う表情と震える声で、しかし依然として世界が揺れる程の圧を総身から迸らせつつ……そう(のたま)った。

 それは間違いなく、新宿クラスタの剣士、こづかの劇中におけるセリフの一つだった。

 

 

 

「役不足!!」

 

 

 

 金田一は腰を抜かしてその場にへたり込みながら、万感の思いを込めてそう叫んだ。

 その言葉には、先程まで披露されていたどの役者のどの演技よりも、遥かに感情が乗っていた。

 

 

 

『──嗚呼(ああ)。本当にきれい……』

 

 ただ一人、この奇妙な状況を生み出した下手人の片割れたる女の声が木霊する。生者の耳には届かぬ霊妙の声音には隠し切れぬ陶酔が香り、恍惚を宿した眼差しで傍らの少年を眺めやる。

 世界を軋ませる程の威風を放つ魔人を前にして、星の瞳を蕩けさせる彼女の表情には恐怖の色が欠片もなかった。その霊威甚大たる様を陶然とした眼差しで見上げ、常人の理解の外にある狂気を以て微笑んでいる。

 

 かつて、その精神の欠落を以て魔性の魅力を振り撒いた女がいた。

 星野アイ。誰かに愛されたことも、誰かを愛したこともない、愛を知らぬ哀しき少女。故に彼女は誰よりも真摯に愛を求め、分け隔てなく愛を与えた。欠けているが故にこそ、常人とは異なる視座と感性で以て大衆を魅了したのだ。

 

 だが欠けた少女は今、欠けざるが故の魔性を放つ超越者の瞳に魅入られていた。

 まるで超新星残骸の如くに眩く、神秘的な紫雲の瞳。一番星すらその光輝で呑み込み塗り潰してしまうような激烈の霊光を放つ眼差しに、星野アイはどうしようもなく魅了されていたのだ。

 

 桐生シオンは超人である。人の形をしていることが奇跡と言って良い、いわば自律する宇宙そのもの。その存在は始まりの瞬間から完成しており、ただ一人のみを以て完結している。

 そんな巨大な存在が、天を衝くが如くに聳え立つ超越者が……無垢に微笑み、愛を以て慕ってくれるという不可思議。まるでアイこそが己の全てなのだと言わんばかりに、少女を見つめる少年の眼差しには常に思慕の情があった。

 

 現実は全くの逆だというのに。ただ消え去るしかなかったアイが意識の連続性を保っていられるのも、再び愛する子供達に出会えたのも、全てはシオンという奇跡あってこそのものである。彼はアイがいてくれたからこそ今の自分があるのだと言うが、それすら本を正せば彼がその大いなる魂の引力によって消え行くアイを拾い上げたからだ。つまりは自力によって引き寄せた必然に過ぎず、誰よりもその幸運を噛み締めているのは他ならぬアイの方だった。

 

 だが、だからこそ上位者より()()()()()愛は何よりもアイを満たした。本来この世の何ものよりも高きにあるべき至尊の超越者が、まるで偶像を見上げるかのように己に愛を注ぐというどこか倒錯した状況に、愛に飢える少女はえも言われぬ快感を覚え、それに溺れていたのである。

 

 それはある種の共依存というものかもしれない。しかしアイにとっては全て瑣末事だった。

 誰よりも何よりも大きな彼の愛が欲しい。

 彼の鮮烈な瞳に映るのが自分だけであってほしい。

 無毀なる超越者、欠けずの魔人。本来自分以外の何ものも必要としない究極の個たる彼にとっての、代え難い何かになりたい。

 

 ──彼の人生の、欠けてはならない一部でありたい。

 

 彼の愛を得るためなら何だってするだろう。この狂気すら伴って熱く燃え上がる情動が恋だと言うのなら、今のアイは間違いなく恋に狂っている。

 ああ、恋の狂気に浸ることの何と心地好いことか。世の女達は誰に教わることもなくこの恋という名の快楽を知っているのだろう。アイは一度死ななければそれに気付けなかったというのに、それは何とも素晴らしく妬ましいことだった。

 

(これは(ふる)いだよ、あかねちゃん。これが本当のシオンの姿。これに怖気付いちゃうようなら……残念だけど、君に彼の隣に立つ資格はないかな)

 

 アイは妬心も露わに呆然としているあかねを流し見る。シオンに向けるその想いが本物だと理解しているが故に、彼女はあかねを己の恋路における最大の障害であると認識していた。

 この燃え上がるような恋の狂熱も、恋敵という好敵手(ライバル)の存在も、醜くすらある嫉妬心も、その全てが生まれて初めての経験である。シオンと出会ったことで得られたこれら全て。その綺麗な部分も醜い部分も引っ括めて、アイはこの感情を心から楽しんでいた。




桐生(きりゅう)紫音(シオン)
 宇宙の膨張と同じ速度で成長を続けている、普段は「ゴロニャンぼくこわいライオンじゃないよ」と全力で猫を被り自分を無害な獅子だと偽っている自分をゴジラだと思い込んでいる完璧で究極のゲッター。
 その正体は己を「ちょっとオーラが凄いだけのただの人間である」と他者のみならず世界にも誤認させる、「人間“桐生シオン”」を演じることにのみ特化した生粋の演者である(生産者表示:星野アイ)。
 アイや星野兄妹、あかねの瞳に現れた星の輝きは作中において「人を騙す瞳」であると言及されている。本当にそれだけのものなのかは現時点においては不明だが(連載最新話の情報は知りゃん)、何故シオンにも星の瞳があるのかという疑問に対するアンサーがこれ。常に脳を半休眠状態にし認知機能の大半をセーブし、更に四六時中片時も休むことなく“無害な人間のフリ”を続けることでようやく常人として人間社会に紛れ込むことができている。これを止めると目から星の光が消え、トラウマを思い出したアクアの心が死ぬ。そしてもれなく世界と疫病神ちゃん(の胃)が死ぬ。

 ちなみに言うまでもないが「こづか」というキャラクターは拙作におけるオリキャラ。名前の由来は小刀の柄(小柄(こづか))で、小柄(こがら)なキャライメージとのダブルミーニング。所謂男の娘キャラであり、鏑木Pはハマり役だと思い善意100%でシオンにオファーを出した。なお。

星野(ほしの)アイ】
 シオンの本来の姿を知る唯一の存在。というか普通の人間は彼の本来のオーラを浴びるとSAN値直葬して塩の柱と化すのでアイぐらいしか知ることができない。そんなアイも本気のオーラを浴びれば流石に蒸発する。ある意味でアイの存在そのものが最大のストッパーである。なので何かの拍子にアイが成仏すると疫病神ちゃん(の胃)が死ぬ。生きろ、そなたは美しい……(白目)
 割と取り返しのつかないレベルで恋に狂っている。というかアレに恋したことで狂った。具体的に言うと「本来なら人類では逆立ちしても勝てないような上位存在に溺愛される」というシチュに興奮を覚えるタイプ。男の厚い胸板や逞しい腕に抱かれるのが好きな女の子と話が合う。つまりアイは筋肉フェチ。Q.E.D.

 ちなみにこういう結果になると分かっていてシオンを焚きつけたのはあかねに対する牽制という目的もあるが、主な理由は久々にシオンの本来の瞳を見たくなったから。つまりは完全に個人の趣味である。傍迷惑すぎる。

黒川(くろかわ)あかね】
 公式で浮気は許さないタイプの重い女。自分が釣り合っているとは思わないけど、それはそれとして付き合ってる間は私のことだけ見てね♡(ハイライトのない瞳)
 (かね)てからアイとシオンの瞳の性質が異なることに気が付いていた。アイもシオンも「己を偽る」という嘘に由来しているところまでは共通しているが、嘘を吐く対象が異なる。アイの嘘はあくまで人間相手、シオンが騙すのは人間を含む世界全てである。「向いてる先が違う」「端から誰も見ていない」というのは要はそういうこと。やっぱ探偵とかでしょ君の天職。

星野(ほしの)アクア】
 目の前でアイの瞳から星の輝きが失われていく様を目の当たりにした経験があるため、シオンの目から星の光が消えた瞬間トラウマスイッチがONになり息が止まりそうになった。
 そしたらそれどころじゃないレベルのクソデカオーラがシオンの中からよろしくニキしたため別の意味で息が止まった。あーもう(精神的に)めちゃくちゃだよ。

有馬(ありま)かな】
 お仕事デートの場に出会したのは偶然だが、それはそれとしてあかねを揶揄(からか)いたいがためだけにシオンとの関係を匂わせる発言をする。勿論この二人の間には何もないためジッサイ健全だがあかねの目からハイライトは失われた。元想い人による現想い人のNTRとかあかねちゃんの脳みそ壊れちゃうからやめて差し上げろ。

鳴嶋(なるしま)メルト】
 芸能事務所「ソニックステージ」所属のイケメンモデル。十六歳。顔の良さは作中でも度々言及されているため、実際かなりのイケメンであると思われる。
 ドラマ「今日あま」における戦犯その一であり、演技の経験自体が乏しいこともあって実力は低い。しかし根は素直で良い子なため、ちゃんと己の未熟を自覚して努力することができる。
 同じくモデル上がりで演技経験の少ないシオンに親近感を抱いていたが、現物を見て腰を抜かした。君写真と違くない?

姫川(ひめかわ)大輝(たいき)
 劇団「ララライ」の看板役者にして、数々の賞を受賞した実力派俳優。十九歳。当公演における主人公「ブレイド」役を務める。
 拙作を読んでいる読者の皆様におかれましては今更ネタバレもクソもないと思うのでぶっちゃけるとアクアの異母兄。大輝お兄ちゃん♡

雷田(らいだ)澄彰(すみあき)
 イベント運営会社「マジックフロー」所属プロデューサー。三十五歳。当公演における総合責任者を務める人物であり、2.5次元舞台編における苦労人枠その一。
 原作でも中間管理職の悲哀が描かれた苦労人だったが、こちらの世界でも過労死する未来が確定している。なんもかんも唐突によろしくニキしてきた野生のゲッターが悪い。許さんぞ鏑木。

GOA(ゴア)
 数多くの舞台の脚本を手掛ける売れっ子脚本家。二十九歳。右目の泣きぼくろが色っぺえ兄ちゃん。2.5次元舞台編における苦労人枠その二。
 原作では唐突にPOPした原作者に振り回される苦労人だったが、こちらの世界でも原作者にジャイアントスイングされる未来が確定している。なんもかんも唐突によろしくニキしてきた野生のゲッターが悪い。許さんぞ鏑木。

金田一(きんだいち)敏郎(としろう)
 劇団「ララライ」の代表にして当公演における演出家を務める人物。五十六歳。
 唐突にドワォしてきたゲッターの威圧を受けてガチのマジでチビって腰を抜かした。失神する一歩手前だったが、オーラと演技のあまりの温度差に極めて何か演技に対する侮辱を感じて辛うじて踏みとどまった。絶対に許さんぞ鏑木。




【疫病神ちゃん】
「このカス……! やるならやると……言えっ……! 先にっ……! 何の前触れもなくオーラを漏らすヤツがあるか……! バカっ……! お陰で手下のカラスが何羽もトラウマこさえて使い物にならなくなった……! どうしてくれるんだっ……!」

 どことも知れぬ……暗闇……!
 およそ人の踏み入れる所ではない……現世(うつしよ)幽世(かくりよ)の狭間……!
 腹を押さえてうずくまる……幼げな少女……!

「どうしてこうなった……! ボクはただ……あの子達を見守ってただけなのにっ……! 頼むから軽率に世界を危険に晒すのはやめてくれ……! お前がちょっと本性現すだけで……簡単に千切れるんだぞ……! この世界はっ……!」

 ストレス……! 圧倒的ストレスっ……!
 特に理由もなく現れた世界のバグが……幼気(いたいけ)な少女の胃壁を苛んでいた……!
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