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感情で感じていた違和感は、

私自身の人との関わり方を映し出し、

「本当はどうしたいの?」と問いかけ続けていた。

 


 

続きです。

 

 

 

 

嫌われてもいいって思ってた。
 

 

たとえ世界が敵に回っても、

私だけは私の味方だ!

 

 

大多数に流されず、

長いものに巻かれず、

 

「自分を選ぶ」って、

私にとってそれくらいの覚悟だった。

 

 

でも、世界が敵に回ることはないと知った。

 

 

ていうかむしろ、

世界はいつでも私の味方で、

目の前にいる人の方が、

敵に回る可能性があることを知った。笑



 

この例えで伝わるかわかんないけど、

 

私たちの体は、

死に向かって生きているじゃない?

 

 

でもその”死”って、

新たな始まりであって、

永遠の一部なんだ。

 

 

その一方で、

今、体のどこかでは、

私を蝕むものが潜んでいたり、

何かをきっかけに、

私を攻撃してくる可能性がある。

 

それは全部私の内側にいて、

私の今を創っている。

 

 

私にとって”世界”とは、

死に向かってゆっくり歩みを進めながら、

全てを包み込んでいる永遠の流れそのもの。

 

”目の前にいる人”とは、

私の人生のさまざまな瞬間を共にする、共同体。

 

 

だから、

世界はいつでも私の味方で、

目の前にいる人の方が、

敵に回る可能性があるんだ。


それは起こるべき出来事や、

自然の流れのワンシーンとして。

 

 



それに気づいた時、

 

私の中にあった、

「たとえ世界が敵に回っても、私は私の味方でいる!」

という信念の意味がなくなった。

 

 

世界は敵に回りません!!

 

 

「自分を選ぶ」って、

私にとって覚悟がいることだったけど、

 

そんな覚悟がなくても、

もっと自然に自分を選べばいい。

 

 

大多数も長いものも、

あるようでなくて、変わっていくもの。



私たちは、

それぞれがワンネスの中で生きるオンリーワンなのだと気づき、覚悟も闘いも必要なくなった。


安心して生きていいのだと思えた。

 

 

 

 

昨年、私が預けていた

一軒家分の全ての荷物を放り出されたことで、

 

感情で得た気づきだけではなく、

直感的に気づいてしまったことがある。

 

 

 

「今月中に荷物を移動しないなら、全部捨てます」

そう言われたのは、月末だった。

 

 

世間は引越しシーズンの中、

荷物の量は4tトラック1台分。

移動距離は壱岐島から東京。

(この時はまだマノアは引き渡しになっていなかったから、中に入れれなかったの)

 

 

片っ端から電話をかけても、

「この10日以内にお願いできますか?」

は、どこもお断りだった。

 

 

その状況を説明しても、

「期限内に手配できなければ捨てる」の一択。

 

 

話にならず困り果てたので、

「弁護士に相談しているから触らないで」

と言ってすぐの出来事でした。

 

 

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業者を手配していなかったことを責められ、

まるで正当な行動であるかのようだった。

 

 

他人に捨てられることは免れたけど、

自分の手で捨てるのもかなりの苦行だった。。

 

 

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壊れたり、カビや水染みができた家具を見て、本当に悲しかったけど、

おかげで本当に大切なものを見つけた。

 

 

強制断捨離からも、

たっくさん得たものがあった😭

 

 

 

 

 

 

 

この出来事を受けて、

感情的には傷ついているんだけど、

その一方で冷静な自分もいて。

 

 

「人って、余裕がないとこんなに醜いんだな」

と思ったんです。

 

 

もちろん何を醜さにするのかは、

人それぞれの美学によって変わるけど、

 

もし愛されている自信があって、

幸せで満ちているなら、

私は取らない行動と言動だなと思って。

 

 

 

私はその人が、

うまくいってるのだと思っていたし、

愛されているのだと思っていたし、

すごく大きな存在だった。

 

でも昨年私に向けて、

正義を振りかざした姿は、

すごく小さく見えたんです。

 

 

これは当時の私が正直に思ったことです。

 

 

それによって、

私自身の目も覚めたのだけど、

その人もずっと、

一人の人間だったんだよね。

 

その時いきなり小さくなったんじゃなくて、

私が、孤高の存在にしていたんです。

 

 

それに気づいた時に、

私自身の内側にあった「寂しさ」の正体を知った。

 

 

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すごくなることをやめにした。

 

ただ一人の人間として、

生きていくことにした。

 

 

 

それが、

 

ふと顔を上げて、

スイッチをOFFにした時に、

目の前に人がいることに気づいたんだ。

 

変な言い方だけど(笑)

 

▶︎人間関係は自分が蒔いた種であるからこそ、思いっきり収穫して、学ぶ

 

に繋がるんだけど😆

 

 

 

ただ一人の人間として、

今を生きる。

 

 

それは、

弱さを認めることから始まった。

 

傷ついてるんだってことだったり、

悲しい、切ない、愛しい、

とっても繊細に感じていることだったり。

 

 

実はこの1年は、

子供みたいに大粒の涙を流して、

本当にたくさん泣いた。

 

 

でもちょっと不思議な感覚で、

小説や映画を観て泣いている感じ。

 

自分のことなんだけど、

「これが生きてるってことか」と、

壮大な人生の物語と繋がりに感動して、

感謝が溢れるままに、

 

今悲しくて、今胸が苦しくて、

でも同時にとっても愛おしくて、

 

明日の私が笑えるように、

癒されていることを願って泣いた。

 

 

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私は生きている。

 

傷ついて、悩んで、それでも前向きに、

自分らしく在ろうと努力して生きている。

 

 

落ち込むことも、

うまくいかないこともある。

 

それでも今日を生きているのは、

みんな同じだよね。

 

 

孤高であることを辞めてからの私の姿が、

ベシャメルソースを何度も失敗していた私の姿と重なった。

 

 

 

 

プロだから、

慣れた手つきで簡単そうに、

美味しいものを作ってくれるけど、  

 

その背景には、

私の3度の実践では到底足元に及ばないほどの、

努力と時間と経験があることを

この身をもってはっきりと理解する。

 

 

そんなことを感じてしまうと、

こうして出してくれる

美味しい料理と笑顔に、

感動して泣きそうになる。

 

↑これを味わいたいがための、

これまでの時間なのだ。

 

 

「背景を知って身体で理解する」

ことを、したいんだ。

 

だってそうしたら私は必ず、

感動して大好きになっちゃうんだもん!

 

 

自ら惚れにいっている。。

 

あーあー、これに気付いた私は、

好きになることを自分にもっと許可していくんだ。

 

 

 

何者かになろうとするのをやめて、

 

ただ一人の人間として、

生きることにしたその日から、

 

「自ら惚れにいく」対象が、

「人」そのものになっていたんだよ。

 

 

 

私の一方通行ではなくて、

誰かに自分の気持ちを伝えること。

誰かと共に生きること。

 

 

金八先生が言ってた、

「人という字は、人と人とが支え合って生きています」

っていうやつ。

 

わかるようで、

いざやってみると難しいんだね。

 

 

先生!

人と人は、すれ違いだらけです!

 

 

今年はいっぱい失敗した。

 

いっぱい失敗したからこそ、

30年以上ずっと一緒にいる両親のすごさや、

世界中の両思いがいかに奇跡であることか。

 


そんな愛の奇跡の中で、

私たちは生まれたことを知った。

 

 

誰もが悩んでて、

傷つくことがあって、

それでも今日を生きている。


 

誰のために?


 

自分のために生きているようで、

誰かの未来を創っているし、

 

心のどこかでは、

自分が悲しんでいたら

悲しむ誰かがいることを知っているから、

大丈夫な自分でいようとする。

 

 

強がりだって、

本当は優しさでできている。

 

 

人ってすごいな。

社会ってすごいな。

 

 

まさか社会不適合者が、

初めてそんなことを思って

感動しているんです。

 

 

 

こんな自分になれたのは、

この一連の出来事のおかげです。

 

 

 

当時この話をお互いを知る人にしたときに、

「でもそれもその人の愛だからね」

と返されて、それはショックだった。

 

 

私には、

その人が言った”愛”という言葉が、

とても薄っぺらく聞こえた。

 

全然腑に落ちなかった。

 

だから私は、

自分なりにこの出来事が

愛だったと言えるように努めてきた。

 

 

そうして今私が心から思うことは、

本当にこの出来事は愛だったと思う。

 

 

ただそれは、

その人自身に対してというよりも、

もっと大きな必然に対しての畏敬の念。

 

この出来事を「愛だった」とすることは、

運やタイミング、そういった”人が操ることのできない領域”があること、

人を超える大きな”何か”があることを認めることなんだ。

 

 

 

今日は、

久しぶりに天開きのセッションでした!

 

 

 

 

自分で言うのもなんですが、

かなり”仕上がって”いました😆!!

 

 

約45分〜60分の電話セッションです。

 

 

今の状況や漠然とした思いを聞きながら、

私が感じること、視えることをお伝えします。

 

天開きは、

「やっぱそうだよね!」とか、

「最近そう思ってた!」とか、

答え合わせになることが多いと思います。

 

 

誰にも言ってないこと、

私が知ってるはずのないこと、

自分だけの内側の感覚が、

セッションの時間に繋がってくる。

 

漠然としていたものが、

私から言語化される言葉によって、

明確になっていく。

 

 

温かくて、優しくて、

キラキラした時間です✨

 

 

きっと明日からの世界の見え方が変わるはずです。

 

 

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天開きセッション ¥55,000

 

 

10月もセッション可能です。

11月のご予約も受付中です。

 

 

お申し込みはこちらから⬇️

https://ssl.form-mailer.jp/fms/7ed56adc865046

 

 

 

假屋舞