国語の教科書に登場する作者
大正から昭和初期に作品を発表した童謡詩人の金子みすゞ(本名テル、1903~30年)。作品は十数か国語に翻訳され、海外でも親しまれています。詩の数々からは「小さいもの、見えないものへの愛」が伝わってきます。(中塚慧)
みすゞの詩は「わたしと小鳥とすずと」(光村図書3年上、教育出版5年下)、「ふしぎ」(東京書籍4年上)、「積つた雪」(教育出版4年下)、「大漁」(教育出版5年下)と、多くが教科書にのっています。
みすゞが生まれ育った山口県長門市仙崎のJR仙崎駅を出てすぐに、瀬戸崎尋常小学校跡があります。みすゞが通った小学校です。
みすゞは小学1年生から6年生まで、成績はすべて「甲」(最高点)。6年間、級長(いまの学級委員)を務めました。当時の先生は「誰にでも好かれるような優しいまなざしであった」と書き記しています。
家は仙崎でただ一つの本屋を営み、自身も読書家でした。植物も好きで、押し花をつくって教科書にはさんでいたそうです。
仙崎はクジラ漁の町でもあり、とれたクジラの胎児を埋葬した鯨墓があります。みすゞも、小さな命に思いをはせていたのかもしれません。のちに「鯨法会」という詩を残しています。
20歳のときに山口県の下関に移り住み、本屋で店番をしながら創作活動を始めます。作品を雑誌に投稿し、「お魚」「打出の小槌」などが、選者で詩人の西条八十から高く評価されました。ペンネームの「みすゞ」は、万葉集の「信濃」にかかる枕ことば「みすず刈る」から、音のひびきを気に入ってつけたといわれます。
23歳で結婚。しかし、文学に理解のない夫から詩を作ることや投稿仲間との文通を禁じられます。娘のふさえを産みますが、夫との関係になやみ、離婚を決意。娘の養育が夫の手にわたるのをこばみ、自ら死を選びました。26年の生涯で、512の詩を残しています。
見えないものを心の目で見る
「みすゞさんの詩には、見えないものを見る、という姿勢があります」と、長門市にある金子みすゞ記念館の学芸員(当時)、内海夕香里さんはいいます。「星とたんぽぽ」では、昼の星や散ったたんぽぽの根を「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」とあらわしています。「大漁」では、イワシが多くとれて浜は祭りのようだけれど、「海のなかでは何万のいわしのとむらいするだろう」としています。「魚の気持ちを心の目で見たから、言えることなのでしょう」
「わたしと小鳥とすずと」は、最後に「すずと、小鳥と、それからわたし」と順番が逆になります。「『みんなちがって、みんないい』のは、自分だけではない、ということ」と内海さん。「相手の心を大切にするみすゞさんのやさしさが表れています」
読んでみよう
童謡集『わたしと小鳥とすずと』
絵本『ほしとたんぽぽ』
絵本『こだまでしょうか?―いちどは失われたみすゞの詩―』
金子みすゞ(かねこ・みすず)
1903年、山口県生まれ。26年に出版された童謡集に詩「大漁」「お魚」がのる。亡くなって50年以上がたった84年、『金子みすゞ全集』が出版された。2016年に詩「こだまでしょうか」をもとにした絵本がアメリカで出版。
(朝日小学生新聞2025年9月2日付)
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