「ダーリンが悪いんだよ?」
甘い声が耳を通じて脳へと響く。
「こんなに私を本気にさせて」
甘い吐息が頬を撫でる。
「私は愛せない?」
私は現在進行形で私の上に跨り拘束しているニケ──バイパーの問いかけを否定して返そうとする。
「そ、そんなことは──!」
「じゃあどうして抵抗しようとするの?」
彼女は底冷えするような声で呟いた。
こんな状況だと抵抗したくもなるだろう...!
いや、言い訳しても仕方がないか。
未だ私の上を陣取っているニケを見てため息を吐きたくなった。
なぜこんなことに......。
~~~~~~~
アークは現在、混乱の最中にあった。
エキゾチック部隊、クロウによる大規模なテロによって。
アークを揺るがした事件は一旦の終幕を迎えたが、復旧にはかなりの時間がかかる事は間違いない。
本当は今すぐにでも地上へ向かいたいところだが...まだ混乱状態にあるアークを放ってはおけない。
暫くはアークの防御に徹するべきだろう。
現在はテロの被害が最も大きかったアウターリムに訪れていた。
主に被害の確認のためだ。
アンダーワールドクイーンたちが奮闘し守ってくれたおかげか怪我人は少なかったが、インフラへの被害が大きい。
私にどうこう出来るような規模の話ではないが、せめて何かの役に立てたらと思いアウターリムを歩く。
通りを歩いていると見覚えのある人影が目に映った。
あれは──。
「バイパー?」
私が声をかけると彼女はすぐさま振り向いてこちらに駆け寄ってきた。
「あ、ダーリン♡」
「こんなところで会うなんて奇遇だね♡何してたの?」
「被害状況の確認だ。君は何をしていたんだ?バイパー」
「う~ん、私も被害の確認ってところかな?」
バイパー。
今回のテロの主犯格の一人だ。
最終的にクロウとは別の道に逸れたようだが、テロに加担していたのは覆らない事実だ。
そんな彼女が被害の確認とはどういう風の吹き回しだろうか。
私が訝しんでいると彼女から提案される。
「あっ、それじゃあ一緒に見て回らない?案内してあげる♡護衛も必要でしょ?」
彼女の提案は私からすれば願ってもないことだった。
バイパー以上にアウターリムを知り尽くしている人物は存在しないだろう。
しかし、違和感。
果たして彼女が何のメリットも無しにこんな提案をするだろうか。
「...また、何か企んでいるのか?」
私がそう言うとバイパーは目を伏せながら分かりやすく落ち込んだ。
「そう、だよね...まだ信じられないよね?」
「お願い、ダーリン。私にもう一度チャンスを頂戴?」
伏し目がちにこちらの態度を伺いながら懇願するバイパー。
通常であれば軽口の一つや二つ飛んできたうえでさらりと躱されそうなやり取りだったが...。
どうにも調子が狂うな......。
「...分かった。同行を許可しよう」
「...ほんとに?」
「ああ、君以上にアウターリムに詳しい人はそういないだろうからな。是非お願いするよ」
「ありがとね...ダーリン」
そう言ってバイパーははにかんだ。
~~~~~~~
早速バイパーの案内でアウターリムを歩き始めた二人だったが、指揮官は圧倒的な違和感を感じていた。
──バイパーの距離が近い気がする......。
否、近い気がするのではない。近い。
近すぎるのだ。
以前から何かと距離は近かった気もするが、今の状態は異常だ。
私に腕を絡めて肩に頭を預けているバイパーを見て思う。
流石におかしいと思い彼女に訊ねる。
「バイパー。その、なんだか近くないだろうか?」
「ん~?何が近いの?」
「私と、君が」
「え~?そうかな~?別にいつも通りだと思うけど?」
いつも通りな訳ないだろ。
「なにか、あったのか?」
私がそう囁くとバイパーの纏う空気が変わった。
「──ふふっ♡どうしてだと思う?」
「まあ、鈍感なダーリンには一生分からないかもね♡」
どうやら話す気は無いらしい。
ぐい、と腕を引っ張られる。
私の腕に絡められている彼女の細腕の締め付けが強くなった気がした。
~~~~~~~
アウターリムは酷い有様だった。
倒壊した建物の灰や煤、砂埃で灰がむせ返りそうになる。
アンダーワールドクイーンたちが奮闘してくれていたとはいえ、アウターリム全土を守護するのは不可能だ。
この悲惨な状況を生み出した内の一人であり、たった今隣を歩いているニケをちらりと見た。
「──♡」
目が合った。
合ってしまった。
咄嗟に視線を逸らす。
心臓がどくどくと脈打っているのを感じる。
あの目で見つめられるとどうにかなりそうだった。
何せ、あの時バイパーは私の目の前で──。
「ダーリン♡どうかした?」
少し、思考に耽りすぎたようだ。
バイパーから話しかけられて現実へと引き戻される。
「あっ、ああ...いや、なんでもないよ。なんでも」
これ以上は思い出さないようにしよう。
隣を歩くニケを直視できなくなる前に。
~~~~~~~
「ねえダーリン♡私ちょっと疲れちゃった。少し休憩していかない?」
私たちはアウターリムの主要箇所をあらかた回り終え、残すは帰還のみとなっていた。
そこに待ったをかけるようにバイパーが提案する。
私としては帰りたいところだったが、今日一日世話になった恩もあるので素直に従うとしよう。
しかし、アウターリムでおちおちと休める場所などあるだろうか。
「この近くに隠れ家があるの。そこは絶対に安全だから心配しないでいいよ♡」
私の不安げな表情を読み察したのか、彼女は私が訊ねる前に答えた。
バイパーに案内されたのは大通りに面した狭い路地のさらに奥、ぱっと見では分からない階段を降った先にある鉄扉の前だった。
アウターリムには似つかわしくない重厚な鉄扉がエキゾチック部隊、もしくはバイパーにとってのセーフルームであることを示していた。
かちゃかちゃとバイパーが慣れた手つきで扉を開く。
一体どんな部屋だろうかと期待半分、怖さ半分で息をのむ。
そこで目にしたものは──。
また扉だ......。
いくら何でも厳重すぎやしないか?
たかが隠れ家の一つにどれだけの資金を投入しているのだろうか。
幾重にも重ねられたロックを解除し、ついに隠れ家内部へと足を踏み入れる。
「──?」
部屋に入った瞬間、強烈な甘い香りが鼻腔を突いた。
甘い香りが漂うピンク色の空間。
休憩をするために来たはずだったが、全く落ち着かなかった。
がちゃん、と背後から施錠を伝える音が聞こえる。
バイパーは肩越しにこちらを見やり微笑んだ。
「これで二人きりだね?ダーリン♡」
思わせぶりなことを...と思いながらも、彼女に関してはいつもの事なので切り替える。
「飲み物取って来るね。ダーリンはそこに座って待っててね」
彼女に言われた通りにソファに腰掛ける。
見れば見るほど落ち着かない空間だ。
一面ピンク色の壁紙にうす暗い照明、どこか淫らな空気を感じさせる。
かと思えば壁のラックにずらりと並ぶ様々な銃器のアンバランスさが雰囲気をめちゃくちゃにしている。
まるで彼女の内面を覗いているような、そんな不安定な空間だった。
「ダーリン、はいどうぞ♡」
バイパーは紅茶の入ったカップを私の前に置いた。
湯気立ち、今淹れられたことが伺える。
良い香りだ。
一口飲んでみる。
「美味しい。ホッとする味だ」
「そう?口に合って良かった♡」
私が紅茶を楽しんでいるとふと視線を感じた。
なにが面白いのか、バイパーはこちらを見て顔を綻ばせていた。
「私の顔に何かついているだろうか?」
「ううん。ただ、かっこいいなあ...って♡」
やはり今日のバイパーはどこか様子がおかしい。
少なくともあけすけにこんな事を言い出すタイプでは無かったはずだ。
暫く見つめられながら紅茶をちびちびと飲む。
人に見つめられながら飲むのはむず痒かったが、やめろとも言えずに飲み干してしまった。
最後にバイパーに礼を言いながら立ち上がる。
「バイパー。今日は本当に助かった。ありがとう」
「あと、紅茶とても美味しかったよ」
そう声をかけたがバイパーはうつ向いたまま反応がなかった。
「バイパー?」
バイパーはゆっくりと顔を上げて私を見つめた。
そのまなざしには”覚悟”もしくは”勇気”がこもって見える。
「ねえ、ダーリン?」
「なんだ」
「ダーリンは私の事好き?」
唐突な質問に目を丸くする。
バイパーの事が好きか、どうか。
「ああ、好きだよ」
即答する。
好きか嫌いかで言えば勿論好きだからだ。
質問の意図は分かりかねたがとりあえずの返答を送る。
「じゃあ、愛してる?」
「──は」
バイパーはなんてことのない質問をするようにさらりと言ってのける。
バイパーの事を愛しているか、否か。
私は、バイパーを愛しているだろうか?
好きか嫌いかで言えば、好き。
では、愛情を抱いているかといえば。
正直に言えば微妙なラインだった。
普段の行動や、常に飄々として掴みどころのない感じに加え、今回の大規模テロへの加担。
それらを加味し、愛していると言ってしまえば嘘になるだろう。
しかし、それを面と向かって言うべきか決めあぐねてしまい言葉に詰まった。
「そ、れは...」
私が押し黙っているとバイパーの瞳から、ふっと感情が消える。
「ふうん?」
「黙っちゃうんだ。私を助けてくれた王子様なのに」
「─!?何を......!」
バイパーは立ち上がり私の腕を掴みベッドへと放り投げた。
急の事だったので対処が遅れた。
すぐさま携帯電話を取り出して助けを求めようとするもバイパーに手を掴まれる。
身体に重みを感じる。
気付けば私はバイパーに馬乗りで拘束されていた。
必死に拘束から逃れようともがく私にバイパーは囁く。
「──ダーリンが悪いんだよ?」
~~~~~~~
と、ここまでがたった今窮地に陥っている事の顛末だった。
問題はこの状況をうまく切り抜けられるかどうかだが。
「ダーリン、私がいるのに考え事?」
バイパーの問いかけで現実へと引き戻される。
彼女の瞳は色を失い、深い赤色に染まっている。
まるで蛇に睨まれた蛙のように身がすくんでしまい自由に動かせなくなる。
バイパーはそんな私の様子を見てクツクツと嗤った。
そして、私の耳元で囁く。
「そんなに怯えないでよ」
「──ゾクゾクしちゃう♡」
抵抗をする気力は既に無くなっていた。
そもそも人間がニケの膂力に勝てるわけもないのだから。
なんだか身体も熱くなってきて、頭も沸騰しているような感覚がする。
バイパーの美しいマゼンタピンクの瞳がゆらゆらと揺れた。
「ねえ、ダーリン?」
「なん、だ......」
バイパーは目を細くして私に微笑みかけた。
「これから起きることは、全部私のせいにして」
「ダーリンはなんにも考えなくていいの♡」
「責任とか、立場とか、しがらみとか」
甘い声が脳に響き渡る。
「今、この瞬間は全部忘れて」
「今だけでいい」
「私を本気で愛して?♡」
甘い吐息が頬を撫でる。
ああ、ダメだ。
これは抗えない。
まるで毒に冒されているようだ。
バイパーの甘い声が、香りが、瞳が私の脳を冒している。
どんどん、どんどん溶けていく。
思考できない、理性も既に僅かばかりだった。
「ふふっ、効いてきたみたいだね~♡」
思えば、出くわした時点で彼女の掌の上だったのだろう。
誘き出し、絡みつき、締め上げて、食らう。
今は既に食事のフェーズだろうか。
毒蛇は獲物を前にして、待ちきれないようだ。
狙われた時点で勝ち目などないのだと、そう思い知らされる。
「それじゃあ──」
彼女は舌なめずりをし唇を少し濡らした。
「──いただきます♡」
「やっ、優しくしてくだ─......!!!」
──ちゅっ。
⚠️23、24章のネタバレを含みます⚠️
はい、という事で今回はバイパーのお話です。
メインストーリーでバイパーに脳を焼かれました。
流石に可愛すぎるだろうが。
メインストーリーのネタバレを含みますがある程度はボカしてます。
バイパーに詰め寄られたい、そんな一心で書きました。
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