韓国語で、モンジョというのは、「お先に」というような意味です。
モンジョ モッケスムニダ! お先に食事をさせて頂きます。
などと使います・・・。
もんじゅは、福井県にある、日本2番目の高速増殖炉のことです。
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)に由来するそうです。
知人らと三人で、「ふれる。」という映画を観ました。
COCONO SUSUKINO(ココノ ススキノ)にある、
TOHOシネマズ すすきので観ました。
映画を見終わって、三階にエスカレーターで降りると、
正面に、もんじゃ焼きがあって、並ばなくて座れそうなので、そこで昼食にしました・・・。
人生で初めて、もんじゅ焼きを食べました。
間違えました・・・、もんじゃ焼き!!!
月島もんじゃ くうや、というお店でした・・・。
もんじょなのか、もんじゅなのか、こんがらがりましたが・・・、
もんじゃでした~。
夕方の写真です。
真理の前には、神様もどうすることもできない・・・
というか、自分が立てた原理に対して、
それを絶対的に守る神様なのですね・・・。
だから、人間の堕落にも干渉されなかったし・・・、
原理通りに復帰摂理をされるので、これほどまでに困難で、
長い期間を必要としたわけです。
そのような、厳格な原理が、今、大きな挑戦を受けているわけです。
それは、真の父母を立てる摂理はどのようなものであったのか!
という内容に対するものです。
真理の大切さが分かるならば、その説明に嘘や偽りがあってはならないことが
理解できるかもしれません。
真の父母を立てる摂理に対して、二つの考え方があり、
どちらか一方が真理であり、もう一方は偽りであるのです。
一つ目は、
神様は、男性のメシヤを送ります。
この男性メシヤは、唯一です。
再臨主としては、アボジ(文鮮明ムン ソンミョン 真のお父様:以下 アボジ)のみが、生まれた時から、再臨主の使命をただ一人もって生まれたのです。
その男性メシヤが、新婦を選びます。
この場合、新婦は唯一・絶対として生まれた時から定まっているのではありません。
時と場所と、摂理の状況の中で、最善の新婦候補を選びます。
堕落しないアダムがおれば、エバの復帰は簡単であったと原理講論に書かれているように、男性メシヤが立っていれば、エバ復帰は容易であるからです。
エバは、男性メシヤに絶対服従さえすれば良いからです。
最初のお母様、崔先吉女史もそうであったのであり、
韓鶴子お母様もそのような女性でした。
イエス様当時も、摂理の事情で、婚姻までは行きませんでしたが、
洗礼ヨハネの妹が新婦候補であったわけです。
ところが、独生女神学いわゆる真の父母論とかいう、
別の考えが出てきたのです。
どこが違うのかと言えば、真の母となる新婦は、
男性メシヤに選ばれて、男性メシヤに絶対服従することによって、
真の母になるのでなくて、
生まれた時から決まっていて、それはただ一人である!
という考えです。
男性メシヤが、唯一であるように、新婦候補も、
唯一であり、絶対的に決まっており、
女性メシヤのように誕生したんだ!
という主張なわけです。
それが、
韓鶴子お母様である!!!
という主張なわけです。
二つ目の別の考え、
男性メシヤは唯一であり、
その新婦も、唯一の存在として送る・・・、
しかも、男性メシヤに絶対服従することによって
真の母になるのではなく、
生まれて、成長することによって真の母になれる。
いうなれば、女性メシヤのような存在である。
なので、イエス様の時にも、もし、そのような女性が、
誕生していたなら、イエス様が十字架で殺されても、
その女性を通して、神様は摂理を進めていけたのである。
なので、そのような女性は、生まれていなかったのである。
韓鶴子お母様だけが、そのような女性なので、
アボジの最初のお母様との聖婚は、間違った結婚なのである。
この二つの主張は、決して両立できないし、
片方が真理であるならば、もう片方は偽りとなるわけです。
アボジの「み言」とアボジの生涯は、一番目の主張であり、
独生女神学は、二番目の主張なわけです。
二番目の独生女神学の主張が、偽りである理由をいくつかの観点から確認してみようと思います。
◆イエス様当時の摂理を正しく説明不可能である!!!
独生女神学いわゆる真の父母論は、真の母は、唯一の存在なので、
地上に誕生したら、必ず、真の母として成長、完成する!!!
という主張なわけです。
そのことが、独生女神学いわゆる真の父母論のポイントであり、
言いたいことなのです。
神様は、アダムとエバを送ったように、真の母となる女性も
唯一の女性だけを送る筈だ!
というのが、独生女神学いわゆる真の父母論の根本なのです。
ですから、イエス様の時には、そのような女性は誕生していなかった!
と主張するしかないわけです。
もし、誕生していたら、真の母として成長、完成していたと考えるのが、
独生女神学いわゆる真の父母論であるからです。
しかし、それでは、イエス様の摂理の勝利を願っていなかった神様となるのです。
もし、神様がイエス様の勝利を願っていたなら、必ず、真の母となるべき女性を
送るのに、送らなかったということは、イエス様の勝利をまったく期待していなかった、信じてもいなかった、そのような神様になってしまうのです。
これは、イエス様の勝利を願って、全力投入されていた神様とは、
全く違う姿の神様になるのです。
こんなおかしな神様の姿になるのは、独生女神学いわゆる真の父母論が、
とんでもない偽りであるからです。
洗礼ヨハネの妹が準備されていたよというアボジの「み言」を否定するだけでなく、
イエス様を愛し、期待しておられた、神様の心情までも蹂躙する、
とんでもない暴論であることが明らかなのです。
真理は、真の母は、男性メシヤに選ばれて、男性メシヤに絶対服従することで、
清められ真の母として立つので、
洗礼ヨハネの妹が、新婦候補として誕生していましたが、
イエス様と聖婚するところまでいかず、真の母になることができなかったわけです。
男性メシヤによって清められ、男性メシヤに絶対服従することを通して、
真の母として立つことが出来るのですから、
男性メシヤが地上からいなくなったので、
その摂理が不可能となったわけです。
生まれていなかったのではなくて、生まれていたけれども、
摂理が進められなかったので、新婦候補であったが、
堕落人間の一人のままで、生涯を終えたということです。
イエス様の当時、真の母となるべき女性を誕生させていなかったいう
のは、イエス様の勝利を期待していなかった神様という
あり得ない神様の姿になってしまうという矛盾を解決できないのです。
これが、一つ目の間違いであることの理由です。
◆アボジは真理に従う方
もう一つの理由は、神様が新婦となる女性を、
男性メシヤと同じように、唯一・絶対的な存在として
送られる、誕生させる、ということが真理であるならば・・・、
それをアボジに納得させることは、容易であるということです。
何故ならば、アボジは、真理の前にどこまでも謙虚、謙遜であるからです。
そのアボジが、生涯、そのように思わなかったということは、
それが、真理ではなく、オモニの思い違い、偽りであるからです。
なので、オモニと数十年一緒に暮らした後でも、
もし、キリスト教が受け入れていたら、最初のお母様の崔先吉女史と
離婚していないんだね・・・。
と明確に「み言」を語られているのですね・・・。
それは、離婚しないで、真の母には、崔先吉女史が立っていたということです。
別の「み言」では、キリスト教が失敗したことは、悲しいことだけれども、
そのおかげて、オモニに福が回ってきたね・・・、という意味の「み言」も
オモニに直接語りかけていました。
それは、キリスト教が失敗しなければ、オモニと聖婚する摂理が必要なかったからです。
もし、オモニだけを真の母となるべく送ったのが、真理であるなら、
アボジも当然、その真理に気がつき、その真理に基づいた「み言」を語られた
筈なのですが、アボジは生涯、男性メシヤに絶対服従して清められるということが、
真理であると語られていました・・・。
それは、それが真理であるからです。
アボジの「み言」、そして、アボジの認識が、独生女神学いわゆる真の父母論が、
偽りであることを明確に証明しています。
アボジは、メシヤは女性ではなくて、男性であると、日本で語られた「み言」にもあります。
メシヤは、真の父母なのですが、その摂理の仕方が、神様が男性のメシヤを送られ、
その男性のメシヤに絶対服従することによって、清められ真の母として
立つことができるという、摂理の秩序があるので、
神様は、女性のメシヤではなくて、男性のメシヤを送られるという
「み言」ではっきりと教えて下さっているわけです。
オモニ(韓鶴子 真のお母様:以下 オモニ)は、
キリスト教の基盤がなくて大変でした・・・。
という発言をよくされています。
本来、キリスト教が歓迎するべきでした・・・。
ということですが・・・。
もし、キリスト教が歓迎していたら・・・、オモニの出番は回ってきていないのです。
キリスト教が不信したので、オモニに機会が与えられたのです。
キリスト教の不信は、悲しいですが、おかげで、自分が真の母になる摂理が、
行われたのですね・・・。
それが、オモニが正しく認識すべき内容なのですね・・・。
これを十分に悟っていないように思えます。
それは、1960年以前の、オモニが主役でない、
いや、オモニが役者にも入ってない・・・。
重要な舞台が存在していたことを理解していないからです。
真の母候補は、複数いたことを受け入れていないからです。
最初のお母様、崔先吉女史も尊い、真の母候補だったのです。
ダンベリーから出られた後、
崔先吉女史に住む家を買ってあげました。
それを、アボジは、オモニがそのようにしたんだよ!!!
と心から嬉しそうに韓国シックに語られていたそうです。
そのように、愛の勝利をしたという条件があって、
父母一体などの「み言」を語ることができたアボジでありました・・・。
大事なことは、そのような姿をオモニが、変わらずに、持ち続けることです。
最初のお母様を尊重し、愛する、心、姿勢を永遠に持ち続けることが、
オモニの責任分担なわけですね・・・。
さて、その責任分担は守られているのでしょうか?
まさか、自分だけが選ばれていました!
なんて、思い上がりの心に変わっていないか・・・心配です・・・。
今のイスラエルとパレスチナの葛藤、戦争も、
サラとハガルの女性の葛藤が根本原因ですね・・・。
女性の愛の葛藤は、本当に恐ろしい・・・
難しい・・・、完全に勝利するのが、本当に難しいものですね・・・
サラも素晴らしい信仰的な女性であったようなのに・・・
ともかく、真理は、ないがしろにできないわけです・・・。
今からでも、偽りの独生女神学いわゆる真の父母論は、
破棄して、正しい真理に帰ることが、第一の摂理です。
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◇◆◇◆◇◆◇◆(ここから下は、「み言」などのプレゼントです)
統一家の36家庭、教会長、公職者、
そして全ての食口達に真のお父様が懇切に心から話す。
真の父はお母様を愛しとても大切にした。
そして世界各国の真の父母様を見つめる子たちを
とても大切に思い愛しながらこの生涯を生きてきた。
何よりも、もっと悠久な歳月を経てメシアを待っていた神様、
私の父が可哀想で、難しく大変な時も最後まで耐え抜いてきた。
統一家の食口達よ!
私の子らよ!
しかし、天上の真の父は他の誰よりも真の母よりも
統一家の私の子たちがあまりにも可哀想に思い
この文を地上に送るので、
食口達は天の真の父のみ旨に従って
生きて行くことを胸に刻むよう願う。
今日の統一家がこのままではいけないのです。
地上で真の父が生きている時何を教えましたか?
ひたすら愛し心をつくして教えたことは何よりも「霊界」だ。
「天上世界、霊界」だ・・・.
皆さんがいくら地上で一生涯を健康に生きたとしても、
時が来れば、誰もが例外なく天上世界に来るようになっています。
地上は短い生涯です。
天上は永遠の命の人生なのに、
皆さんは霊界の人生はほとんど考えもせずに生きている...
今、喜んでサタンが踊っている...
それでは天上の真の父はどうすればいいのか?
天上の真の父は、金英順に霊界を詳しく教えている。
"お前は一つ一つ教えて来なさい”と。
皆さんは、地上世界を去るとき、
地上の誤った人生を全てきれいに整理してこいと、
地上で整理して天上世界の真の父がいる位置に来てこそ
一緒に永生することができると、
詳細については、金英順(キム・ヨンスン)と話してみろ。
そしてお母様の話をしようと思う。
オモニはメシアの妻の座を去った。
私が話をしなくても、
あなた達はオモニの人生を見たし現在見ているのだから!
金栄輝(キンヨンフィ)、李載錫(イ・ジェソク)、
お前たちが真の父が地上にいたとき、
その教えの核心は何であるかをそれほどまでにわからないのか?
真のお父様の御言を
「触れてはいけない」とあれほど明らかに教えたのに、
真のお母様と一緒にすること、それが天法なのか?
なぜ真のお母様のために
君たちはその教えを明らかにできないのか?
お前たちが天上に来るとき、メシアと一緒にするのか?
その下流層に行くのか?
地上はそんなに重要ではない。
そして、オモニが「原罪」がないだと...?
サタンと関係のない独生女として
生まれたときから「原罪」が無いだと..?
食口の皆さん、36家庭、協会長、公職者、
そして統一家の皆さんは、
真の父と真の父の胸をこのように真っ青にあざだらけにする、
私の子らよ...!
真の母の言葉を置いて、
なぜ正しいか間違っているかを問わないのか?
今、すべての公職者、36家庭、協会長、
誤った生き方を悔い改め整理して天上に来なければならない。
地上に送った金奉泰(キンボンテ)家庭の話を
一度詳細に調べてみてください。
家族が精誠をこめたので地獄からは解放されたが、
まだ...もっとやるべきです...!
真の母が可哀想ですか?
どのようにすればいいか
大母様がその母ですが、
子を捨てなければならない痛みを抱えているので..
真の父は、食口達に話したい話があまりにも多いが、
皆さんは地上の人生を考えながら、
自分自身をよく整え来てください。
自身の本郷地は天上世界であることを胸に刻みなさい。
36家庭、会長、公職者の皆さんは、
真のお母様に
真のお父様の教えを正しく従うように
懇切に言わなければなりません。
それでこそ真の子供になるのです。
天上において真の父が地上の非常時を終えてくれることを願う。
2016年10月6日(木)
真のお父様
受信者:霊界レポーター・金英順
食口の皆さんアンニョンハセヨ。
私は洪順愛 大母です。
地上の食口達は、私からの便りを心から待っていたでしょう?
何から語ればよいのか非常に心が焦るような思いです。
本当に真のお母様にはとても申し訳ないことですが、
天上世界のこのような実情を思い計ることが
できないようなので断定的に事実を明らかにしようと思います。
私は真のお母様の母(大母)として、
このような事実を明らかにしなければならない私自身が
どれほど胸が痛いか考えてくださるよう願います。
食口の皆さん!
地上において過ちを犯せば、
天上世界の霊界圏の位置がよくない程度はよくご存知でしょう?
地上での人生は本当に瞬間です。
天上の人生は永遠な永生であることもご存知でしょう?
それは本当に最も大きな問題です。
皆さん!
食口の皆さん!
皆さんはどのように過ごしていますか?
食口の皆さん!
地上にメシアがおられた時、
本然の生き方とは何なのかということは大体わかるでしょう。
統一原理の教えから外れた歩みは
天上世界では補うことができません。
どんなに真のお父様の愛する子女たちであっても
神様は彼らを許すことができません。
それがまさに天理原則(天法)自体ではないでしょうか。
ところで食口の皆さん!
真のお父様が最も愛する対象は誰でしょうか?
当然、真のお母様でしょう。
ところが食口の皆さん!
申し訳ないことに今の真のお母様は
間違った生き方をしておられます。
昔の真のお母様ではなく、
今は、驕慢と慢心の思いを少なくなく持っておられます。
そして今はメシアの妻の位置からとても外れ、
自ら”メシア”であるという自負心を持って
主観的摂理的な行跡を積上げておられ、
真のお父様、メシアが経綸された摂理的業績を
様々な領域で変えていっています。
現在の真のお母様は決して”メシア”ではありません。
そして真のお母様の”独生女”に対し
様々な次元で少なからず議論されているようです。
独生女問題はその解釈がほとんど間違っています。
真のお母様はメシアの妻に過ぎません。
天上においても地上においても、
メシアが経綸された全ての摂理的業績において、
メシアの妻としての位相を決して外れてはいけないのです。
そして真のお母様の周辺で様々な計画を推進する
公職者たちと元老の方々は
真のお母様がその位置から外れた現実そのものに
少しの迷いもなくただ依存しているようです。
統一原理や真のお父様のみ言に、
そのような教えがどこにありますか?
食口の皆さん!
ここ、天上世界では、真のお母様の誤った現実を直視し-直感し
総ての食口全がとても心を痛めています。
地上世界の食口の皆さんは、
そのような現実をどうするつもりなのですか?
食口の皆さんは、真のお母様が天上世界の真のお父様の
上流霊界圏から離れることを願うのですか?
決してそうなってはいけないのです。
地上での誤ったこのような現実は、
地上世界で綺麗に整理しなければなりません。
このような地上世界での真のお母様の現実を
天上世界で真のお父様がとても心配され
考慮しておられるとするならば皆さんはどうされるつもりですか?
お互いに自問自答し直接祈ってください。
本心の声に従って地上で全てのことを整理してください。
2016年10月4日(火)
洪順愛大母
受信者:霊界レポーター・金英順
『男根石 女根石 奉献式』
・・・
ですから今までの救援摂理は、アダムを再創造する歴史だよ。
神様の息子を見つけられなかったんだね。4000年ぶりに現れたイエスは神様の息子なんだね。独生子なんだよ。血統を清めて現れたんだね。独生子と言うのは、血統を清めて現れたからなんだね。原理の「み言」を聞いてみると血統を清めなければならないという内容がでてくるね。
血統を清めたその男性が、アダムを見本としてエバを造ったので、女性に会って血筋を清めてあげないといけないんだね。
アダムがエバの言葉を聞いて血統を汚したんだから、エバを絶対服従するようにして血統を清めないといけないんだね。
文鮮明ムン ソンミョン先生マルスム選集 325巻
2000.06.30(金)韓国 ソウル 龍山 漢南国際研修院
「メシヤと我々」より
神を失った人間
この世に住んでいる一般の人は、メシヤが必要であることを知る者はほとんどいません。
・・・
サタンを追い出すメシヤ
・・・
だからこのメシヤというものは、
こういう天宙の中心の核として来られるお方は、
男で来るか、女で来るかということが問題だよ。
男に聞けば「はーい、男で来る」と言う。
女に聞けば「はーい、女で来る」と言う。
なぜか? 男は実際何もやるものがない。
体としては何もやるものがない。
女は、体としてはお乳をやるんだね。
子供に飲ませ、食べさせるんだけれど、
男には何もやるものがない。何かあるの?
そういう立場から見た場合に、男より女?
男のメシヤが来たらいいか、女のメシヤが来たらいいか?
では、女のメシヤが来たらいいの?
日本の場合には天照大神は女か男か?
日本人はよく知っているんじゃないの?(女です)。
日本人から言えば女で来たらいいじゃないの?
これはおもしろい。
世界中でそんな国はたくさんはない。
そういう血統を受け継いだから、
日本人は女といえばもてはやされるよ。
男で来たらいいか?
女で来たらいいか?
・・・
神は原理の神だ。神がメシヤをよこすには、原理に従ってよこすしかない。
まずもって、そのメシヤたる者は原理を中心として完成した者である。
原理を、専門的な原理を中心とした者でなければならない。
そうなるんですよ。
・・・
原因の出発点は男から、
神様から見ても、男を中心としなければ原因の主体性を立たすことができない。
男を中心としなければならない結果になっているから、
男のメシヤが来なければならない。
女は何か? 畑だ。
女が主体にはなりません。
男が主体である。
先にあった。人間の生まれるその種は女にあるんじゃない。
男が先にある。
だから原理的に見た場合には、男が主体者にならなければならない。
・・・
だからメシヤは神様も仕方なしに、男をよこさなければならないし、
人も男を望まなければならない。だから男が来るんだ。
男が来る。男のメシヤは何を求めてくるのか問題である。
何を求めて来る? 女を求めて来る。
・・・
だからメシヤは、この地上に来られる時には堂々たる男として来られる。
天下いずこに来られてもそれに逆らう者なし。
神様もほれた男である。
歴史的聖人も、それは希望の的の男である。
これは万民、世界三十四億の現世の人間は、
その姿に一度会い、一度話し、
共に行動したいというような望みの的のお方である。
未来はそこから新しい尺度が始まる、出発の基点である。
それがあって、すべての価値が生まれてくる。
その基準あってすべてがその中心を取るようになる。
それが確立するにしたがって、勝利が決定されてくる。
・・・
日本語による「み言」『メシヤと我々』
1972年4月23日 日本 東京教会
先生は、それが分かるので、
オテギョン(真の父母論を作った人)この野郎は、
下手をすれば統一教会を滅ぼすと見るんだね。
だから、イーストガーデンから追い出したんだが、
追い出したのに出て行ったと思ったら、
また、戻って来たんだよ。
『文鮮明先生御言選集』第399巻213頁
2002.12.23 イーストガーデンにて
先生はいい加減に生きないんですね。
オモニがしようというままにしないんだね。
神様がしようという通りするんです。
オモニが神様がしようという通り、すべてのことが出来ていないので、オモニを前に立てることができないんだね。
嫌だとしてもオモニも父母様(アボジのこと)を前に立てておいて、こうしよう、ああしようとしないとダメです、
自分たちだけで、こうしよう、ああしようとしたら原則が狂ってしまうんだね。
「み言」選集 506巻 2005.09.05 アラスカ
統一教会に中心があるの?
家庭的中心がある?
先生も、いまだにオモニを中心として越える峠を越える為に、死ぬほど我慢してるんだ。
目玉が飛び出るほどの難しさがあっても舌を噛んで(歯を食いしばって)何も言わないんだね。
一人の女性を育てて、理想的な妻にするのが、世界統一より、もっと難しいのだよ。
『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』ということよりも、もっと難しいんだね。
それをオモニが知らないんだね。
今、聞いているだろうね。
今から分からないとね。
何日か前に言ったよ、
「先生は原理的にしますが、私はそうはしません。」
そんなこというんだよ。
これ以上恐ろしい言葉がどこにあるの?
文鮮明(ムン ソンミョン)先生「み言」選集 488巻
『摂理的蕩減時代と祖国光復』
2005.02.21(月)韓国 ソウル 龍山(ヨンサン)
漢南(ハンナム)国際研修院
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https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202001220001/
peace
2024-10-11 07:09:29
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