未だ大火には遠いが、町並みに少し変化が現れた。大通りの道幅がだんだん広くなり、家屋も店が増えて来た。そして時折獣の鳴き声が町に鳴り響く。大火の辺りを飛び回る巨大な黒い獣が建物を飛び回っていた。
百鬼夜行の住民がいることは分かったので、まともに話ができる人を探しているのだが、これがなかなか見つからない。アビドスじゃないのだから住民が居なくなるはずは無いのだ。いや、しかし……無理に探す必要は無い。目標は出来た。あの黒い獣、そうだ獣を狩ろう。ついでにキヴォトスにヤーナムの獣があふれている理由を探せばいい。
遠くで銃声が聞こえる。気づいたのはつい先ほどだが、もしかしたら町に着いた時から鳴っていたのかもしれない。
進路上で罹患者の獣が二匹うろついている。市民や豚のように適当に突っ込んで何とかなるような相手ではない。気を抜けば簡単に殺されるような相手だ。自ずと両手に力が入った。しかし同時に二匹相手するのは骨が折れるので、何とか一匹だけおびき出したい。
私は懐から石ころを一つ取り出して、獣の片方めがけて投げつけた。石ころは浅い角度の放物線を描いて獣に当たった。奴は私に気づき、四つ足を使って私の血肉をむさぼろうとよだれを垂らしながら近づいてくる。
狙い通り気づいたのは一匹だけだ。さあ、飛び込んで来い。その瞬間にお前の額にこの鉛弾を喰らわしてやろう。人の頭を破裂させるほどの威力、果たして獣には如何ほどに通用するだろうか。お前が私の血肉を求めるように、私や仕掛け武器たちもお前の血肉が飛び散る様を楽しみにしている。
互いに間合いを詰め、さあ獣が飛びついてこようか、その姿勢を見せた刹那銃声が聞こえた。
僅かに見えた弾丸の軌跡と舞う毛、弾丸の勢いに負けてバランスを崩す獣、私の元へ滑りながら、しかしやや右に反れた。道には獣が滑った跡がまるで足跡のように引かれている。
近くで誰かが銃を撃ったなと思った時にはすでにこの惨状だ。獣はまだ死んでいないが、重傷だ。傷からは血が絶えず流れている。受けた弾丸は一発二発どころではない。これではほっといても死んでしまうだろう。
「や、やった! あれだけ撃ち込んだら流石に倒れるでしょ!」
「油断するな! あいつらは思ったよりタフだぞ」
「れ、レンゲ先輩! もう一匹います!」
狩りの邪魔をした犯人共が獣を追いかけてやって来た。数は五、六人。むりやりまとめて相手するのは無理だ。指揮を執っているのは尻尾と頭に角を生やした珍妙な姿の少女だ。なのでまず彼女以外の取り巻きを狩る。それから彼女とタイマンだ。
彼女たちはもう一匹の無傷の獣を見つけるや否や銃口を向け、発砲した。一度に六つの弾丸を受けた獣は、しかしまだ抵抗する力を持っている。一番近くにいた指揮者の少女にとびかかろうとした。だがそれよりも先にもう一度六発の弾丸が獣を貫いた。頭に数発喰らった獣は空中で絶命し、その死体が地面に墜落する。あっという間に二匹の獣が死んだ。
少女が振り向くと私と目が合った。
「な、なんでまだ一般人が残ってるんだ。とっくに全員避難所に送ったはずじゃ……いや、お前百鬼夜行の生徒じゃないな。避難勧告の時に居なかったのか。運が悪いなあんた。見ての通り百鬼夜行は今大惨事だ。突然変な奴らが湧いてでてきた。よく分かんねえことを叫ぶ人や、こいつらみたいなやけにでっけえ動物だ。どれもこれもあぶねえから見かけたら絶対に近づくな。ここら辺はある程度掃討したからそこまで危険じゃないと思うが……とにかく、あっちに真っすぐ行ったところに臨時の避難所がある。そこに避難してくれ」と言って彼女は自分たちが来た方向を指さした。彼女は最後に「変な奴らは捕縛してるから動けないと思うけど危ないから近づくなよ!」と言い残して、自分たちはまだこの辺りを掃討するのだと走って行ってしまった。
彼女たちが来た方向を覗くと、なるほどヤーナムの市民が縄で縛られて項垂れている。抵抗してないのは何かしらダメージを喰らったからだろう。死んではいない。
縄で縛られた市民と、大通りに転がる二体の罹患者の獣の死体を見比べた。人間に近い市民は生かし、狼に似た罹患者の獣は殺すわけか。別に彼女たちを軽蔑するわけでは無い。ただ純粋にそう思っただけだ。人の姿というだけで躊躇するのだと。
彼女たちが狩った獣は、その傷口から流れ出る血のせいでまるで海に浮かぶ水死体のようだった。すると、死体が僅かに沈んだように見えた。よく見るとそれは幻覚の類ではなく、自身から流れ出た血だまりに死体が沈んでいくのだ。
眺めているうちに死体はどんどん沈んでいき、やがて血だまりだけが残された。私はまだ息のある獣の頭に杖を挿しこんでみたが、死体が沈む様子はない。不思議なこともあるものだと呟き、死体の横に転がる輸血液を拾って、先に進んだ。
少女の指示を無視して進んだ先では、いくつもの血だまりが不自然に広がっていた。彼女たちが狩りをした痕跡だ。そして道の端に追いやられている捕縛された市民もちらほらいる。一瞥したところ、市民よりも血だまりの数の方が多いように見える。
血だまりの通りを歩き、市民の横を通ると、奴らは縛られて何もできないので獣や、死ね、出て行け、などとただ罵声を浴びせてくる。非常に滑稽だ。
ふとある路地に目が行った。何の特色も無いただの路地だ。ただ目の端に何か映った気がした。通り過ぎたのを戻って、路地をじっと見つめると分かりにくいが、窓から明かりが微かに漏れているのが見えた。
そこはただの家屋で、両隣と同じ外見をしていた。光が漏れているのは玄関横の窓だったらしい。ガラスの代わりに格子状の木が嵌められている。ドアをノックすると人の声が返って来た。
「だ、誰? 人間なの?」と聞いて来たので、私はそうだ、と返した。「ああ、よかった。あ、でも、百花繚乱の人じゃ……無いよね。私の声に反応しないってことはそうだから。あなたも早く逃げた方が良い。外ではびこっているのは恐らく怪談。あんな見た目の奴らは初めて見たけど、私はアレを見たから。だから誰も倒せない。百花繚乱の子達が頑張ってるみたいだけど無駄だと思う。怪談を倒せるのは証を持ってる人だけだから。でも私は……ともかく私はほとぼりが冷めるまでここに隠れている。夜が明けたらあいつらも消えるはず。ごめん、私は怪談の全てを知っているわけじゃないの。あなたも早く隠れた方が良い」
私はもう一度戸を叩き、先ほど言いかけた証について聞いた。
「え、証? 申し訳ないけど、一般人に詳しく話すわけにはいかないの。言える範囲で言えば百花繚乱の、大予言者クズノハに会ったことがある委員長だけが持てる銃、噂では幽霊を捕まえることが出来るなんて言われているみたいだけど。ごめんなさい、言えるのはこれぐらい。早くあなたもどこかに隠れた方が良いよ」
それっきり声が聞こえることは無かった。立ち去る際にふと、窓から中を覗いてみると、青い羽織を着た、美しい白髪を持つ後姿が見えた。
大通りに戻って来た。彼女の話によれば、ヤーナムの獣の正体は怪談らしい。怪談と聞くとシュロのことを思い出す。そういえばあの後シュロはどうしたのだろう。この騒ぎの中で一体どこにいるのだろう。彼女が持っていた謎の本は黄昏などという得体のしれないものを生み出していた。きっと神秘の一つに違いない。興味が湧いて来た。そういえば、私もあの珍妙な姿をした少女も獣を狩っているが、倒せないとは一体どういうことだろうか。
大通りを歩いていると、目の前にあった血だまりが泡立っていた。それは非常に小さく、見逃してもおかしくない程であったが、みるみるうちに泡は大きくなり、連続的になっていた。そして血だまりの中から獣が飛び出してきた。小柄でクリーム色の体毛をしており、しかし一部は血で汚れている。目は死者のごとく虚ろで、だが視線はしっかりと私を向いている。犬だ、犬が血だまりから這い出て来た。
嫌な予感がした私は後ろを振り返った。数多くの血だまりが同じように泡立ち、一部は既に獣が頭を出していた。そのほとんどが犬だった。一匹ならともかく大量の犬と絶対に戦いたくない。たとえカラスの頭でもだ。私は全速力で逃げた。最初に湧いて来た犬が叫びながら私を追う。そして群れがリーダーについて行くように、湧いて出て来た他の犬も私を追いかけてくるのだ。
なるほど彼女の言っていた倒せないとはこういうことか。つまりいくら獣を狩っても、また復活してくる。まるでどこぞの鐘を鳴らす女みたいだ。つまり近くにあの女がいるということだろうか。いや、違う。鐘の音は聞こえないし、奴らの体は赤くない。だがあれは怪談、シュロが生み出したもののはずだ。つまり奴を殺せば消える。走って逃げる中出した結論を基に、私はシュロの姿を探した。しかし、今は人探しよりも犬を撒くほうが大切だ。獣を撒く良い道具がないかと考えながら懐を探った。
不意に一つのアイテムを思い出した。それと同時に、指先に円筒状の物が触れた。取り出してみると、僅かに血の匂いを放った。僅かでも大量の獣を狩った後のような咽かえる程の匂い、しかし同時に芳しい香りも混ざっている。熟成された血で出来た酒は、しかし飲むためのものではない。ヤーナムに酒は似合わず、狩人はこれを獣を引き付けるために使う。
酒を地面に叩き割ると、ガラスの悲鳴と共に酒が地面に広がった。コルクの隙間から漂ってくる匂いだけでも強烈だが、直に匂いを嗅げば常人であればすぐに気分が悪くなるだろう。狩人でさえ下手に嗅いだり口にすればたちまち酔ってしまうだろう。ましてや血に飢える獣はより惹かれるに違いない。
犬どもは血の酒が広がるや否や私を追うのを止め、一心不乱に酒を舐めだした。私はその隙に遠くへ逃げた。念のため路地裏に誘導するように酒を流してから先へ進んだ。
もう十分に撒いたはずだ。そう思って足を止めたのも束の間、私の瞳は大通りを何かを求めるように彷徨う獣患者の群れを見つけた。犬程厄介じゃないし火に怯える。しかし数だ。あれは犬と同等、下手すればそれ以上の数がいる。
奴らの足元には血だまりが広がっていた。百花繚乱の者たちが一度狩ったのだろう。彼女たちは数があるからこれぐらいどうってことは無かったはずだ。だが私は一人だ。この数相手にまともに戦えるわけがない。息が上がる、体が熱い。
路地に入ってやり過ごそうとした時、不意に声が聞こえた。声は言う、逃げるのか、と。私は「現実的ではない」と反論した。声は言う、貴公は何者であるか、と。私は「狩人」と答えた。
狩人であるならば獣を狩るべきだ。
「むやみに突っ込めと言うのか。それこそ獣と変わらない」
しかし獣を狩らずに逃げるのは狩人としての責務を全うしていない。忘れたか、貴公の目的を。狩りを全うせよ。
「狩りの、全う」
そうだ。狩りの全う、それこそが貴公が何よりも優先しなければならない目的である。
「私は全うしなければならない。それがヤーナムを訪れた理由の一つかもしれないのだから。そうだ全うせよ、獣を狩りたまえ、獣を全て狩りつくしたまえ」
視界がぐらつく、まるで重心が頭に行ったかのようにふらふらする。濃厚な血の匂いが鼻から離れない。目の前の獣を狩りつくせばもっと濃厚な血を浴びれる気がする。いや、確信した。私はあの獣どもを全て狩らなければならない。
懐から一つ黒い塊を取り出し、かみ砕いた。獣血の丸薬、何の匂いもしなかったそれは口に含んだ瞬間えも言われぬような、この薬にしかない独特の血の味がした。内側から何かが私を食い破ろうともがいている。その何かを抑えるために、ただひたすらに暴れたい。そして血に渇いたこの喉を潤すために血を欲する。丁度いいところに獣がいるではないか。杖を銃を握りしめ、獲物を吟味した。奴らに流れる血を想像すると、思わず舌なめずりしてしまう。詰まった息を吐けば、そこにはねっとりとした湿気が混じった。今にもよだれとして零れ落ちてしまいそうだ。
呼吸が早くなり、息が苦しい、もう我慢できない。私は獣の群れに向かって飛び出した。
別にまたお話を書かなければならないので、9月末までさらに頻度がひどくなるか、もしくは更新が無いかもしれません。どうか気長にお待ちください。