馬車に揺られて恐らく数時間、突然馬が止まった。窓から外を見てみれば、強烈な吹雪は止んでおり、見覚えのある街並みが見えた。再び馬が走り出す様子はない。ここが目的地の様だ。
キャビンのドアを開き、外に出ると百鬼夜行の中心街だった。篝火があるということは大通りのはずなのだが、人っ子一人いない。不思議に思いながら馬車から一歩二歩離れると、キャビンのドアが閉まり、それを合図に馬が走り出した。そしてそのまま町とは逆方向に消えてしまった。
「行ってしまった」
馬車が消えた方向を見つめながらそう呟いた。
大通りに面した建物の一つの窓から灯りが見えた。さっき廃墟で見つけたばかりなのに、また灯りがあるのは不自然だが偽物にも見えない。開きっぱなしの入口から入り、灯りをつけると、やはり使者たちが生えて来た。ついでに一度帰ろうと思ったが、やっぱりやめた。戻ったところで何も変わりやしないし、どこかで死んだのか弾も輸血液も十分ある。このまま町の中心まで行ってみよう。
私は建物を出て人のいない大通りを歩いた。大通りに面した建物からはいずれも中が見えるが、どこもかしこも真っ暗で人がいる様子はない。町には大勢の人がいたはずだが、皆眠っているのだろうか。黄昏に呑まれている間に時間が経ってしまったのだろうか。しかし、たとえそうだとしても違和感があった。もしかしたら別の原因もあるかもしれない。例えば馬車を下りた時から見えていたものである。
百鬼夜行の中心街は山みたいな構造をしている。中心が一番高く、端になるにつれだんだん低くなっている。私が今いるのは一番端の部分だろう。そして中心のあの大木の付近でいくつか大火が見えていた。あの大木がどれほどの大きさをしているのか分からないが、素人目にもあの火事が大規模であるのが分かった。
火事の現場を目指していると、不意に何かを引きずる音が聞こえた。立ち止まって耳を澄ますと、どうやら大通りを外れる路地の一本から聞こえているらしい。そして二人以上の足音も聞こえる。私は立ち止まったまま音の主を待った。
路地から出てきたのは、やけに薄汚い格好をした者達だった。至る所に包帯を巻き、顔の半分をも覆っている者もいる。そして皆一様に毛深い。一瞬人間だと分からない程だ。彼らは狩人の代わりに獣を狩ろうとして、自らが獣になってしまった憐れな者たちよ。もはや獣を獣と認識せず人を獣と見るようになった彼らは、私と目が合うと引きずっていた斧や、槍や松明を持って小走りに近寄って来た。
杖を持ち直し、彼らに向かって歩き出した。彼らは「DIE!」と叫び、呟きながら向かってくる。先頭にいた斧持ちが間合いに入った。いつもより大きく見えるのは、私がキヴォトスに来て身長が下がったせいだ。だが筋力も技術も下がっていない。斧が振られるよりも先に私の杖が彼の胸を捉えた。骨を叩き折る感触を確かに感じた。脆い、思わず呟いた。キヴォトスに来てから妙に頑丈なキヴォトス人しか相手にしてこなかった。学徒はまるで感触が無い。だからこそ確かにダメージを与えたというこの感触が何よりも新鮮だった。
斧持ちの男は苦痛に顔を歪め、斧を手放して軽く飛んだ。地面に這いつくばり、呻き、喀血している。だがしかし、まだ生きている。今すぐにとどめを刺したいが、ピッチフォークを持った男が突進していた。
ピッチフォークが突き出されるのに合わせて横にステップしたのだが、切っ先が僅かに私の服と皮膚を切り裂いた。奴は「HWY! WHY!」などと叫びながらピッチフォークを振り回し続けるが、「why」と言いたいのはむしろ私だ。こいつに限らず、なぜ突きというものは避けにくいのだろう。その中でも特に記憶に残るのがピッチフォークを持つこいつだ。いつもいつも避けきれない。非常に腹立たしい。
体が小さくなった分、敵の攻撃も当たりにくかった。私は奴の攻撃の間を縫って懐に入ると、若干の苛立ちを込めて腹を突いた。奴は前のめりになり、私に頭を差し出した。その頭に渾身の一撃を振り下ろせば、奴は一瞬浮いてから地面に叩きつけられた。振り下ろした勢いを利用して杖を一回転させ、頭の上で杖を逆手に持ち替えた。そして起き上がろうとする奴の頭に突き刺した。奴は再び地面を舐める。骨を砕く感触はしたが、まだ浅い。少し持ち上げてからもう一度突き刺した。杖は頭骨を貫通し、額を突き抜け、地面に刺さった。
杖を持ち上げると、男の頭も持ち上がるが、血と脳のためにすぐに滑り落ちた。引き抜いた杖からはまとわりついた脳片や血がしたたり落ちていた。振り払うと血と脳片で地面に線が描かれた。
残ったのは後一人。仲間が殺される様子を眺めていた盾と松明を持った男だ。彼は攻撃的ではなく、寧ろ私が一歩近づくたびに一歩後ろに下がるような奴だった。だからあえて後ろに下がらせ続けて壁際に追い詰めてやった。
奴が下がれなくなるとすぐに距離は縮まった。間合いに入った私は杖を盾の底辺に付け、そのまま力任せに引き上げた。盾を持った腕は少女の力に負けて頭上にまで持ちあがった。
獣の表情は読めぬが、私に向けられた目が驚愕を表しているのはよく分かった。
後ろにのけ反り無防備に体を晒した男に、私は杖を変形させながら振り下ろした。獣だろうが上位者だろうが難なく引き裂く仕込み杖の刃は、奴の左耳を削ぎ、そのまま左半身を大きく抉った。刃が壁に当たってしまって、両断することは出来なかったが、骨と内臓が露出するほど体を抉られた奴は苦痛に叫んだ。獣の叫び声を上げた男は、獣であるがゆえにまだ死なない。驚愕の目は殺意に変わり、松明を私めがけて振り下ろした。
反射的に銃の引き金を引いた。パリィして、モツを引き抜こうとした。しかし、放たれた銃弾は男の頭に穴をあけ、後頭部を破裂させた。よく頭が破裂した様子を花のようと表現するが、なぜ花が用いられるのかよく分かった。血と骨片と脳片、脳漿なんかが混じって広がる様は、まず花が思い浮かぶ。そしてそれ以上に最適な表現は思いつかなかった。
男が倒れて来そうだったので一歩引くと、予想通り彼はゆっくりと前に倒れ、私に触れることなく地面に伏した。破裂した後頭部、花弁のように血塗られた壁を一瞥してから左手に握られた銃を見た。キヴォトスの銃、未来の銃の威力を初めて思い知った。
集中していて気づかなかったが、ここはキヴォトスで二百年先の未来だ。学徒はともかく、見知った獣など出てくるはずがない。
「啓蒙が高すぎたか?」
しかし死体は消えないし、杖でつつくと確かに感触がある。斧を持っていた男の荒い呼吸も聞こえる。だから多分これは本物なのだろう。もしかしたらこの謎の現象とあの大火は関係があるのかもしれない。大火の元に行けば現象の理由がわかるのかもしれない。私は未だ死ねない男を介錯して、また火事現場へ歩みを進めた。
町に百鬼夜行の住民らしき人影は無く、代わりにヤーナムの市民が跋扈していた。大通りの広場ではヤーナム名物のキャンプファイヤーまでしている始末だ。十字架に死体を掛けているのではなく、地面に獣の死体をいくつか積み上げて燃やしているのを遠巻きに見た。しかしどいつもこいつも集団行動しているのが厄介だ。下男でさえ群衆と共に行動している。市民を相手している横からタックルで吹き飛ばすのは止めていただきたい。
何度か群衆を捌き、装束が真っ赤に染まって来た頃、静かだったはずの百鬼夜行に悲鳴が轟いた。あまりにも大きな悲鳴は場所の特定を困難にし、私はその場で止まった。耳を澄ますと、微かに足音のような音が聞こえる。非常に短い間隔と、重すぎる音、人ではなく四つ足の巨大な獣が出すような足音だ。さっきの悲鳴を考えるに、人が獣に追われているのかもしれない。
定期的に聞こえる悲鳴と足音の遷移から、恐らくこちらに向かっているのだろう。そう思った時、前の路地から少女が一人、転びながら駆け抜けてきた。そして彼女を追って、巨大な豚が狭い路地を無理やり突き抜けて来た。大通りの真ん中で倒れている少女に向かって突進するが、彼女は間一髪跳んで避け、勢い余った豚はそのまま向かいの建物に突っ込んだ。
少女は豚が突っ込んだ建物の穴を見つめながら荒い息をしている。私はそんな彼女の前に立った。突然現れた私に、彼女は「だ、誰!?」と声をかけるが、無視して豚が突っ込んだ跡を睨んだ。数秒後、人の何倍も大きな豚が無傷で建物から現れた。少女は小さく悲鳴を上げ、私の右腕を掴んで逃げるように諭した。
「少し離れていろ。巻き込まれるぞ」
私は彼女の腕を払い、豚と相対した。豚は眼前の私にターゲットを変え、威嚇の鳴き声を上げた。
私が回りこもうとすると、豚は上体を起こして私を押しつぶそうとする。巨躯でありながら後ろ脚だけで立ち上がり、あろうことか私を追ってくる。ただ歩くだけなら追い付かれそうだ。やがてバランスを取り切れなくなったか、視界いっぱいに豚が迫りだす。ステップで回避すると、直後ボディプレスが通りの石畳を叩き割った。
私の眼前に豚のケツが広がっていた。杖を握りしめ、肛門めがけて力いっぱい刺し込むと、豚は絶叫を上げ、四肢を放り出して倒れる。杖を抜いた勢いで放り投げて、今度は獣と化した右腕を強く肛門にねじ込んだ。豚は人間のように首を左右に振って拒否の意を示すが、その要望は聞けないし、聞く気も無い。ケツの中で腸を掴み、そのまま力の限り引きずりだした。
引きちぎれた大腸と一緒に小腸も出て来た。肛門の隙間から血液も流れ出て、一目で致命傷だと分かるが、獣はまだ動く。肛門から垂れる内臓を引きずりながら、私へ頭を向けた。再び鳴き声を上げると、突進を仕掛けてきた。だが流石にダメージがでかかったのか踏み出すのが遅く、容易に回避できた。先ほどよりも鈍重で、しかし質量をもった豚は大砲の弾のようにまた建物へ突っ込んだ。
杖を拾い上げ、豚を追いかけた。豚は既に狭い家屋の中で方向転換を始めており、丁度間合いに入った時、頭が正面を向いていた。走った勢いそのまま、飛び上がって両手で杖を持ち、豚の脳天に突き刺すと、あまりにも容易に刺さった。半分以上突き刺さった杖に豚は絶叫を上げる。杖を変形させてから引き抜くと、残った刃が豚の脳を引き裂きながら紐のように抜けていった。大量の体液が散らばり、内装と私を塗りたくる。刃が抜け切ると豚は鳴き声を上げずに倒れ、そのまま動かなくなった。
人の何倍も大きい体に、突進や押しつぶしなどの行動とケツをぶち抜いた感触を鑑みるに、この豚はヤーナムにいた人食い豚だ。ここまでの市民といい、明らかにヤーナムの獣が百鬼夜行に現れている。しかしなぜだろう。獣の病はヤーナムにしかないはずで、キヴォトスに広がるはずはない。いや、市民の誰にもヘイローは無かったからあれは全てヤーナムの住民だ。ならばどうしてヤーナムの住民がキヴォトスにいるのか全く分からない。メンシス学派じゃないのだから無関係のはずだ。医療協会が関係しているのだろうか?
外に出ると少女がまだ腰を抜かしていた。シュロに似た様相の服、獣のような耳と尾、そして頭上に浮かぶヘイロー、彼女はきっと百鬼夜行の住民だ。
私は彼女に手を差し出した。しかし、彼女は私の手を取る代わりに小さく、短い悲鳴を上げた。人食い豚にそうしたように。彼女は体を震わせ、私から距離を取り、眼には恐怖と憎悪が混ざっている。つまるところ彼女は私を恐れていた。理由は分からないがとりあえず落ち着かせるべきだ。人食い豚と相対して動転しているのかもしれない。
「大丈夫か。獣はもういない。安心しろ」
「ひ、ひぃ!?」
彼女の手を引っ張って立たせようとするが、私の手ははたかれ、拒絶されてしまった。これは重症だ。パニックから立ち直れていない。目に涙を浮かび始め、過呼吸になりかけている。鎮静剤を流し込めば落ち着くだろうが、どうせ抵抗されるだろう。死ぬほどじゃないし、周りに獣がいる様子もない。先を急ぎたい気持ちもあって面倒なので、一応鎮静剤を一つ彼女の側に置いて立ち去った。