百鬼夜行も独特な雰囲気を持った自治区だ。木造の建物や、石とは違うつなぎ目の無い滑らかな壁を形成している白い建物が目立つ。また、大通りの人の往来もトリニティに負けず劣らずあってとても賑やかな所だ。直前にアビドスへ訪れたことも起因しているかもしれない。しかしトリニティやアビドスような街灯は無く、代わりに篝火が大通りだけを明るく照らしていた。
シュロは大通りでは無く、そこから外れた路地へ私を連れて来た。明るい大通りから一本外れるだけでまるで世界が変わったように闇に包まれる。人っ子一人いない、妙に慣れた感覚だ。
シュロは案内すると言っておきながら百鬼夜行の町を全く紹介しない。ただついてこいと言ったきりずっと人通りのないところを歩き続けた。中心街まで来たというのに一言もしゃべらない。だからずっと彼女が話すのを待っていた。すると突然シュロが立ち止まり、振り向いた。不機嫌そうな顔をしている。
「なんで手前様は何もしゃべらないんです? 手前はついてこいと言いましたが、黙ってついてこいとは言ってませんよ」
「貴公が何も話さないからだ」
「手前が何も話さなくても、手前様が手前に聞きてぇことがあるんじゃないんですかぁ!?」
「何か聞いてほしいのか?」
「普通は聞くでしょう!? いきなり現れてついてこいと言ったんですよ、気になる事の一つや二つあるはずですが!?」
「そうだな……貴公は私をヤーナムの狩人と言ったが、ヤーナムを知っているのか」
「そ、そうですそうです。手前は何でも知ってるんですよ? 手前様がヤーナムから来たことも手前様が予知夢に神秘を求めていることも。そして手前様が今日百鬼夜行にやってくることも」
「本来なら――」
「三日前に来るはずでしたものね? ですが今日です。今日であるべきなんです。今日この日、この時間、この場所にいるべきなんです」
「どういうことだ」
「やぁっと話を聞く姿勢になってくれましたね? 今年行われるは二十年前に終わった祭。そこで手前は手前どもだけの
「かいだんとは?」
「は? しりませんか? 百物語、怪談、怪しい談と書いて怪談ですよ」
「怪しい談? それはもしかして漢字の話をしているのか。申し訳ないが私は英国人だから――」
「ああはいはい! そうでしたね! ホラー、ゴーストストーリー! これなら伝わりますか!?」
「ああ、なるほど。良く分かった」
「せっかく興が乗ってきたというのに、なんで台無しにするんですかねぇ手前様は」
「では貴公はその怪談に私を利用しようというのか?」
シュロは見開いた目を閉じ、咳払いをして、再び笑みを浮かべた。
「利用とは人聞きが悪いですねぇ。ただちょぉっと協力してほしいんですよ」
「黒服も同じことを言っていたな。あっちは素直に私をモルモットにしたいと言ったぞ」
「だーかーらー! なんで手前は人の話に水を差すんですか、ケチをつけるんですかぁ!? なんでそんなに口数が多いんですかぁ!?」
「私は……そこまで口数が多いとは思わないが」
「多い、多いです! 余計な言葉が多いんですよ手前は! 人と会話したことないんですかぁ!?」
「あるとも。しかし……流石に私も馬鹿じゃない。貴公が気に食わないのなら黙っていよう」
「えぇ……そうしてくれると助かります。ともかく、この物語は手前の
大通りから声がする。誰かが誰かに指示をしている声だ。あっちを見張れ、こっちを見張れ、お前はあっちに行け、お前はこっちに来い、視界の隅で青い布を羽織った少女たちがちらちらと移動しているのが見える。
「手前の百物語と、手前様の生み出す百物語は性質から違いますが、それでも組み込みたい。そう思わせるほどの……そう、言わば神秘を含んでいるんです」
シュロは言葉を続ける。懐から一冊の本を取り出しめくり始めた。
「これは稲生怪談物語。この中には数々の怪談があります。これを使えば何でも分かりますし百物語を生み出すことが出来るんです」
「まさか記憶を読むとでも?」
「ええそうです、そうです。ちょっとばかし記憶を読ませてもらえればそれでいいのです。そうして出来た噂がいずれ百鬼夜行に流れ始めるでしょう」
頁をめくるスピードが徐々に上がる。そしてある頁を開いたところでぴたりと動きを止めた。
後ろから気配を感じた。咄嗟に横に避けたがそこで触れた感触はまるで網にかかったようなものだった。
「本当ならこういうのはじっくりと進めるんです。じっくりと伏線を張って、育てて、最後にすべて回収する。それが良い物語です。でも手前様のはいわゆる伏線。本筋じゃぁありませんからさっさと終わらせてもらいますよ。心さえ許してくれればそれでいいんです」
シュロの顔はこれまでの短い時間の中で最も自信に満ちていた。私はもうあまり動かない左腕で彼女に発砲したが、確かに当たったはずなのに苦痛に歪むどころか表情一つ動かさない。
「無駄無駄。手前様の攻撃は何一つ手前には効きませんからぁ。そのまま大人しく手前の百物語の一部になってください」
彼女の甲高い笑い声を聞きながら、私の意識は闇の中で溺れていった。
私は暗闇の中にいた。全てが闇に包まれており、しかし自分の姿ははっきりと見えていた。立っているのかすら分からないが、一歩踏み出せば地面の感触が確かにあった。記憶もある。シュロに騙されて――あまり騙された覚えはないが、ともかく彼女のせいでこんなところに連れてこられたのだ。
上を見ても青天井の暗闇だ。ここが室内の底である可能性もあるが、だとしたら随分深いだろう。ここで立ち尽くしていてもなにも変わらないので、松明を持ちながら暗闇の中を歩き始めた。
火花が散る音を聞きながら歩くことしばらく、私は不意に背後から声を掛けられた。
「おい、あんた」
振り返ると、数メートル、ローリングおよそ三、四回分の距離に見知らぬ少女が立っていた。私の方向感覚が正しければそこは先ほど歩いた場所であり、彼女の存在に気づかないはずは無かった。
彼女を見て初めに目に入ったのは、羽織っていた見覚えのある青い布だった。金色のような髪に少々人間離れした耳をしていた。羽織の下の服装はアビドスに似た作りをしていそうだ。色は白い。
「あんた、なんでこんなところにいる」
「私の事か?」
このような場所に人がいると思わなかった私は念のため確認を入れた。彼女は少々呆れたように答える。
「あんた以外に誰がいるんだよ」
「いや、すまない。まさか人がいるとは思わなかった」
「私もだよ。で、あんたどうやってこんなところに来たんだ」
「来たというか、連れてこられた。シュロという少女だ」
その名を出した途端、彼女の眼は見開き、やや前傾になる。
「あんたも百物語にされたのか?」
「そういえばそんなことを言っていたな。私の噂を流してなんとか……という話だったが、中途半端な説明だったからあまり理解できなかった」
「そっか……あんたも百物語に……じゃあ諦めた方が良い。ここは黄昏の中だ。私たちには何もできない」
「はぁ、黄昏……色彩とは違うのか」
「色彩? そっちは知らないな」
「キヴォトスの上位者で知られているはずだ」
「その色彩ってのは人か何かか」
「さあ、知らん」
「なんだよそりゃ」
「貴公は……そういえば貴公の名は何という? 聞いていなかった」
「名前ね。折角だ、名乗るなら言い出しっぺのあんたからだ」
折角、という意味は分からないが彼女の言い分も理解できるし拒否する理由は無かった。
「私は狩人」
「あー……それ名前か?」
「キヴォトスではこれで通している。シュロも私を狩人と呼ぶが?」
「いやそれは関係ない……まあいっか。私はアヤメ、七稜アヤメだ」
「なるほど、では貴公一つ問おう。黄昏とは何だ」
彼女は私の質問に一拍置き、そして呼吸を一つした。先ほどの比較的豊かな表情は一つに集約され、目線は私の目に合わせている。彼女が口を開いた瞬間、彼女はすさまじく昇った。
私が制止の声を上げるよりも先に彼女は見えなくなってしまった。そして次に私は気づいた。風は感じないが服の一部が逆立ち、髪も遡っている。アヤメが昇ったのではない、私が落ちているのだと。私は確かに立っていたし、そこには足場があった。ならば足場が抜けたか。しかしあんな場所最初から足場など確認のしようが無く、ただ足場があると思い込んでいたにすぎない。
もう死ぬには十分落ちた。いつ地面に叩きつけられてもおかしくない。この空間に地面が存在するのであればだが。もしかしたら永遠に落ちっぱなしなのかもしれない。このまましばらく落ちて、着かないようなら仕方がないが一度戻るほかない。直近の灯りはアビドスだ。百鬼夜行に行く方法をもう一度考え――
「アアァァァアアア!」
目に刺さる程明るい場所だ。体は一切動かず、唯一瞼だけを上げることが出来る。霞んだ視界の中で何とか見えるのは遠い天井と、僅かに見える青い空だった。
目の端で何かが動いた。それは黒い靄のようで、しかし生き物のようにも見える。生き物とは程遠い見た目ではあるが、靄を足のように伸ばして一歩一歩まるで忍び歩きのように近づいてくる様が私を錯覚させるのだ。
彷徨う悪夢程度の大きさだったそれは、罹患者の獣ほどの大きさとなって隣に立った。触手のように伸びた靄が私に触れようとした瞬間、誰かの足が靄を踏みつけた。二、三度踏みつけてからすりつぶす様にすると、靄は霧散して消えた。
足の主は私に体を向ける。
「あやつが狙ったのはお主じゃな。妾はお主など呼んでおらんが……まあ良い。黄昏に狙われるほどじゃから、来てしまったのはしょうがないことじゃからのう」
幼い声に似合わず、声色はどこか達観した様子だ。セイアにも似た様子は、しかし彼女よりも落ち着いた、全てを上から見ているかのようだ。
彼女の手が体に触れる。
「ほう、予知夢の神秘をとな。しかし其方は正しく、そして幸運じゃ。正にこの妾、クズノハだけがその神秘の秘密を知っている。じゃが……余所者の其方にその神秘は似合わず、そして邪魔じゃろう。だから、まずは其方が持つ神秘を捨てたまえよ――」
彼女が私の体を押した。背中の感触は消え、代わりに重力を感じた。視界が霞み、瞼は重く瞳を閉じようとする。私はそれに逆らおうとは思わなかった。ただ、今はこの心地いい感覚に身を投げ出したかった。
音がする。轟音だ。そして突き刺さるような寒さも感じた。寝ぼけ眼も一瞬のうちに覚醒するほどだ。
体を起こすと、そこは崩れかかった木造の建物の中だった。外はこの建物を吹き飛ばしそうなほど吹雪いており、寒さの原因は一目瞭然である。
そばに灯りがあったので、体を起こしてまず灯りを付けた。速やかに灯りはつき、床から使者が数人生えてくる。
外に出て周りをよく確認してみようとしたが、吹雪のせいで何も見えない。とりあえずカインハースト城では無さそうだ。灯りはつけた。迷ってもどうせ帰ってこれるので一先ずこの吹雪の中を進んでみよう。そう息巻いて吹雪の中に足を突っ込んでみたが、一瞬で自身を失くすほどの吹雪に思わず二歩目を躊躇する。迷うのはいいが、果たして迷った先で何か見つかるのだろうか。
吹雪の中、左手で柱を掴みながら立ち呆けていると、風の音に交じって別の音が聞こえだした。耳を澄ませていると、音の正体が分かったと同時に吹雪から二匹の馬がキャビンを引いてやって来た。馬は私の前までやってくると、向きを変えて丁度キャビンの入口が目の前に来る位置で止まった。
入り口がひとりでに開き、ステップも下りた。何も言われなくても私に乗れと言っているのが分かる。私は躊躇なくステップに脚を掛け、キャビンに入った。中に座ると入り口が閉まり、やがて馬が動き出した。馬車は吹雪を物ともせず、あの廃墟は瞬く間に吹雪の中に消えていった。
黄昏については私独自の解釈が入ってます。意思があるような描写をしていますが実際意思があるのかはありませんし、多分本来はありません。