法華経には
「柔和質直者 則皆見我身 在此而説法」
「柔和質直(にゅうわしちじき)なる者は、すなわち、我が身ここにあって法を説くと見る」
と説かれています。
このお経文は、「心がやさしく柔軟で、素直な人は、私(み仏)がこの世にいらして常に教えを説いておられると、その姿をはっきり見ることができる。」
という意味です。
これは、信仰心、特に法華経のご信心をさせていただく者の基本姿勢を教えられている教えです。
これは私たち日本人に多いのですが、最初から信仰そのものを無駄なことだとか、無意味だと決めてかかっている人、すべてを疑ってかかっている人。そういう人の前には、けっしてみ仏はお姿を現さないし、教えは活きてこないということです。
そればかりではなく、心やさしく柔軟な感じの人、また、素直にものごとを受け取る人は、ふだんの生活や人間関係もうまくいくでしょうし、周囲の人に受け容れられていくでしょう。
また、特に、いろいろな悩み、苦しみがあって御宝前(み仏)にお願いして、お計らいを頂こうとするには、柔和質直でなければ叶わないということです。
確かに、健全なる疑いは持たなければなりません。世の中には、間違いもありますし、だます人や組織も存在します。
ですから、信じる前によく、吟味して本当かどうか、検証することは大切です。
日蓮聖人は、そこで、
道理・・・ものの道理にかなっているか、どうか。
証文・・・それは、仏教であるなら釈尊ご自身がいわれていることか、あるいは、その思想に合致しているかどうか。
現証・・・現実にその教えを守り、実行したら、どういう結果が現れているか。
これらの三つの証し、証明があって初めて、たくさんある仏教の宗旨や教え、また、仏教以外でもその教説が真実かどうか、見極める必要があると言われています。
ですから、正しい教えを選択するには、この物差しを使う必要があります。
そして、法華経のご信心にめぐりあい、日蓮聖人の教えに従ってお計らいをいただき、まさかという不思議なお計らいを頂いた人。このような人に共通するのは、「柔和質直」な人です。
固定観念にとらわれている人、疑いを引きずっている人、御利益とか言ってもそんな事はあり得ないと思っている人。科学こそもっとも信頼できるものであると言い、確かなデータを無視したり、真実から目をそむけ、目を覆う人。釈尊とか仏様といっても「ただの人間」だと思い込んでいる人。
心がひねくれていて、不思議を不思議と言わず当たり前だという人。
信心信仰を利用しようという人。信者を利用して他の目的に使おうとする人。
こういう人々は、けっして仏様の姿を拝むことも、その教えを身につけることも、そのお計らいを頂くこともありません。
心やさしく、素直ということは、そんなに簡単ではありませんが、しかし、そんな難しいことでもありません。
08/09/05

