「ここをまっすぐ行けばゲヘナ学園の中心部に出られます」
「助かった。わざわざ中心部まで運んでもらってすまなかったな」
「いえ、あれだけのものを貰ったのです。寧ろここまでするのが義理というものでしょう」
「そうか。今度は別の物を渡そう。また何か助けがいるかもしれない」
「いつでも待っております」
黒服はそう言ってその場を去った。車の爆音は姿が見えなくなってもしばらく響いていた。
「酷く騒がしいな。私は好きになれないかもしれない」
私は振り返り、黒服の指した道を歩いた。
ゲヘナ学園、トリニティとは仲が悪いと聞いていたが、なるほどそう聞くと学校の様相からして反対だと言えよう。夜のゲヘナは、その時間でも一種の荘厳さを醸していたトリニティに比べて、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。それはきっと全体的に壁の色が暗いからであろう。造りも堅牢さに重きを置いているようだ。
近くの建物に入ろうとしたが、どれもこれも鍵がかかっている。生憎外に灯りは無く、あるとすれば室内だろう。このまま夜明けを迎えれば私はまた倒れてしまう。
「ふっ」
私は思わず失笑した。なぜ夜明けが来ると思っているのか。つい先日まで訪れることのない夜を過ごしていたのに、たった一度訪れた夜明けを経験して、もう訪れるのが当たり前だと思っている。
「とはいえ、姿を隠す場所は探さなければ」
夢に帰れなくとも、日陰で日中を過ごせればいい。まともに動けないかもしれないが、倒れるよりかはマシだろう。
しばらく敷地内を回ると、とある建物の奥に何かが見えた気がした。それは前にある巨大な建物と明るい街灯に隠されていて、気づけたのにも驚くほどひっそりとしていた。一瞬の違和感を頼りにそこに向かうと、明らかに年代を感じる建築物が立っていた。壁には植物が絡み、ヒビが目立つ。窓も割れていない方を探すのが大変なほどだった。学園であるならばここは廃校舎であろうか。そんな様子であるから、入り口のカギはかかっておらず、それどころかドアは瓦礫と化していた。
中に入ると、足元でガラスの音が鳴る。それ以外にも大量の廃材が転がっているのが足の感触で分かった。
さらに奥へ足を踏み入れると、僅かな月光も無くなってしまい、何も見えなくなってしまった。
「松明忘れたな……ランタンも忘れた」
ヤーナムも暗いところばかりだったが、何度も何度も回っているうちに構造は覚えてしまった。ゆえに明かりなど無くとも回ることができた。改めて明かりの重要性を思い知ることになった。
廃材につまずかないよう、壁に沿ってゆっくりと歩いた。一定の間隔で扉があった。教室なのだろうが開けてみたところで中は暗く何も見えなかった。
月明かりが無いせいなのかいくら時間が経ったところで夜目は効かず、ずっと暗いままだ。廃校舎の雰囲気も相まって幽霊の一人や二人出てきそうだが、そのような気配は現状感じない。結局端に着くまで灯りも何も見つからなかった。
もう一度入口の前に戻ってくる頃には流石にうっすらと輪郭が見えるようになっていた。一先ず構造は分かった。反対側も同じだろう。灯りは無かったが、日中は教室で過ごしていればいい。月明かりが入らないのなら日光も入りはしないだろう。
避難場所は決まったのでもう一度ゲヘナの中を見て回ろう。予知夢の神秘に関連する何かが見つかるかもしれない。
私が廃校舎を後にしようとした時、ふと上から物音が聞こえた気がした。私は立ち止まり、天井を見ながら耳を澄ませる。数秒待ったが何も聞こえない。気のせいだったかと思ったが、また微かに物音がした。何かがこの上にいるのだ。廃校舎は二階がある外見をしていた。丁度入り口からまっすぐ行ったところに階段がある。
私は足の向きを変えて、そのまま階段を登った。なるべく音を立てないように登ったが、どうしても軋む音が出ていた。
二階にいる何かにばれないよう祈りながら階段を登り、陰から顔を出すと物音の正体はすぐわかった。誰かが明かりを持って校舎の廊下を歩いている。外から見えなかったのは恐らく教室の中にいたからだろう。松明は持っていないようだが、それよりも明るい何かを持って、こちらに背を向けて歩いていた。真っ暗な廃校舎の中でそれは目を背けたくなるほど煌々としていた。あれも二百年先の技術だろうか。
歩いているのは一人、否二人だ。
「――く帰ろ――」
「待っ――――奥の教室――」
耳をすますと会話が聞こえるが、距離が遠く全ては聞こえない。廃校舎だと思っていたが人がいたようだ。私はどう行動すべきか考えた。始末するわけにもいかないし、始末する意味も無い。では話しかけるか。だがしかし話しかけたところで何を問いかける。予知夢の神秘について何か知っているのだろうか。そこらにいる人が知っているのだろうか。
十秒ほど考えた末、私は無視して一階に下りることにした。彼女たちがいようがいまいが何も変わりやしないのだから。私は踵を返し、階段を一段下りる。だがしかし、私はふと妙案を思いついた。丁度光源が欲しいと思っていたのだ。あの二人が持っている明かりを貰おうじゃないか。
より慎重に歩き、足音を出さないように近づく。近づくにつれ二人の会話が鮮明に聞こえてきた。
「この廊下こんなに長いっけ」
「も、もうそろそろ着くから」
「ねえやっぱり帰ろうよぉ。幽霊何ていないってぇ」
「じゃあゆっくり歩いてないでさっさと行けばいいじゃん」
「だ、だって懐中電灯持ってんのそっちだし。あんたがゆっくり歩いてるから合わせないといけないじゃん」
「じゃあ懐中電灯渡すから早く歩きなよ。ついて行くから」
「え、あ、え、えっと……わ、私周り警戒するからあんたが持ってて。ほ、ほらさっき物音したし何か来るかもだから」
「やっぱ怖いんじゃん……あ、ここだよ。この教室」
二人は廊下の一番奥にあるらしい教室で立ち止まった。私は少し離れて彼女たちが中に入るのを待った。背中を取らないとバレるかもしれない。しかしガタガタと扉を動かすだけで彼女たちが教室に入る様子はない。
「あれ、開かない?」
「ほ、ほらやっぱ施錠されてるんだって。うち結構治安悪いし、教室も変に利用されたら危ないじゃん。不良のたまり場になったらいけないからさ。というわけで帰ろう。すぐ帰ろう。今すぐ帰ろう!」
「あ、ちょ、押さないで――」
もう一人が、教室の扉があかないと分かると明かりを持つ彼女を無理やり押した。そのせいで明かりは私の姿を映し出してしまった。あまりにも眩しいその光に私は目を手で覆い、同時に目を細めた。
「あ、あ……で、でたぁぁぁぁ!?」
光に圧倒されて何が起こっているのか分からないが、その内に銃の射撃音が聞こえそれとほぼ同時に腹に衝撃と鈍痛が襲った。私は痛みに耐えながら対抗するためにガトリングを撃った。先ほどまで耳鳴りが聞こえるほど静かだった校舎内は、耳をつんざくほどの射撃音に圧倒される。
やがて私を刺すような光が無くなる。射撃を止め、視線を戻すと、二人の少女が倒れていた。一人の傍らに件の明かりが落ちている。私はガトリングを置いて代わりにそれを拾い上げ、二人に当てた。松明なんかよりもよっぽど明るい。
二人には間違いなくかなりの弾を当てたはずだが、彼女たちに傷らしい傷は見えない。痣が複数できているぐらいだろうか。本当にキヴォトスの人間は銃弾程度では死なないらしい。
私は二人が開けようとしていた扉に向き、ただへこんでいるだけの取っ手に手をかけた。そのまま押したり引いたりしてみたが開くことは無かった。二人が言っていたように鍵がかかっているのかと辺りを照らしてみると、ドアの下部にレールのようなものがあった。レールは半分が扉の下に続いている。私は少し考えて扉をレールに沿ってスライドさせた。扉は多少引っ掛かりながらも開いた。
中は非常に荒れており、机と椅子が無残に無秩序に散乱していた。ただ部屋の真ん中、一組だけ机と椅子が正しく置かれており、その正面には教壇が置かれていた。私は中に足を踏み入れる。ギシッと床が軋んだ。一歩踏み出す度床は軋んだ。どれだけゆっくり歩こうと、どれだけ体重をかけないように足を下そうと、床は必ず軋んだ。
真ん中の机は経年劣化と長年の埃のせいか表面を撫でるとざらざらしていた。そしてその机上には一冊の本が置かれているのだ。一枚めくると私の読めない文字が書かれていた。何度か読み返すうちにそれが東方の文字であると分かった。
私は杖と明かりを傍らに置き、椅子に座り、その本をめくってみることにした。しかしその瞬間、再び訪れていた静寂が破られる。周りから人の声が聞こえだした。一人や二人ではない。もっとたくさんの、十人以上はいようかという声が辺りを包んだ。その存在を裏付けるかのように数多くの気配が私を取り囲んでいた。私は身構えたが、気配が襲ってくる様子はなく、ただそこに存在して騒いでいるだけだった。その内容も他愛のないものに感じる。
私は焦って損した、と浮かせた腰を下ろした。そして喧騒の中読みかけた本のページをめくりだした。やはり中は東方の文字で書かれており、私には何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。ただ文字が手書き風なのと、ページをめくるたびに日付のような数字が見えるので、恐らくこれは日記なのだろう。本のどこを見ても持ち主らしい名前は見当たらない。
私は日記を懐にしまった。置いた狩り道具を持って席を立つと、途端に声は止み不気味な静寂が訪れた。私は不思議に思い立ち止まる。明かりを周囲に当ててみると喧騒の主たちが部屋の壁に沿って直立不動で立っていた。顔の表情は認識できないが、間違いなく自分を見ている。そう感じた。
私は自身にのしかかる圧を無視して、部屋を出ようとした。
「返して」
教室と廊下の境目を通ろうとした時、私は肩、腰、足に質量を感じた。反射的に振り返り、共に杖で薙ぎ払った。鞭のようにしなる刃は何かを確かに刻んだ。
「貴公らの事情など知らん。これは私が貰う」
私は見せびらかす様にをぴらぴらと振った。
「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」
「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」
「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」
窓が揺れる。それはまるで誰かが叩いているようだ。教室に居る者たちが日記の返却を求めている。たくさんの足音が微かに聞こえた。
「返さん。返してほしくば私を殺すぐらいしろ」
「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」
「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」
「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」「返せ」
暗闇から腕が現れ、私の体を掴んだ。両腕、両足、体全体が大量の腕で掴まれた。やがて二本の腕が動けない私の首を掴み、力を込めた。
「殺すか。私を殺すか?」
かすれた声で私は問うた。腕は何も答えずにただ私の首に力を籠め続ける。私は杖を逆手に持ち、薙ぎ払った。腕は次々と切断され、音も無く落ちた。見える腕をすべて落とすと新しい腕は現れず、返せという声も無くなった。足音が聞こえる。たくさんの足音だ。
「貴公らが私を殺すのであれば、私も貴公らを狩る。キヴォトスでは銃で戦うのが基本なのだろう? 幽体では銃も持てぬか」
私は何も見えない教室に向かってそう呟いた。もはや何も返ってこなかった。
「風紀委員だ! 全員その場で止まれ!」
突然そんな声を投げかけられた。同時に幾本もの光が私を照らす。
声がした方を見れば、眩い光に私は目を細めた。ぼんやりとした視界に人影が見える。
「おいそこのお前、後ろを向いて手を上げろ!」
逆光で見えずらいが人影は一人、二人、三人……ああ、結構いる。あの数は骨が折れるな。生憎ガトリングは私の少し後方にある。果たして間に合うだろうか。
鋭い痛みと衝撃を腹部に感じた。バシリカで頭部に喰らったあれほどではないが、私を十分に後ろへ押す力はあった。私は咳き込みながら跪いた。
「今のは警告だ。大人しく抵抗するならそのまま牢屋に送ってやる。それでも聞かないなら次は頭だ。制圧してから送ってやるからな」
相対する者の多くは同じ服装をしている。それはつまり彼女たちが組織であること。そして私の経験からするに、そのような奴は一人一人の力が弱いゆえに群れる。すなわち彼女たちは所詮雑魚の群れ。よろめいたおかげで私のすぐ横にガトリングがある。掃射で奴らをかたずければ万事解決。ゲヘナの探索を再開可能。
私はガトリングに手を伸ばし、そして立ち上がった。向こうがガトリングの存在に気づくのと同時に、私は引き金を引いた。