アキノリの小指
青井柚希(775りす)との抗争、当の青井が完全にダンマリを決め込む作戦であるため、戦線が動かず、正直ちょっと膠着状態に陥ってしまってるところなきにしもあらずだったのだが、めげずに粘って私の側の士気の高さをこれ見よがしにアピールし続けていれば、おのずと状況は動くものだなあといくらか感心さえしている。
アキノリ足軽未満がほんとに指を詰めやがった。
アキノリは主観的には、私に戦争をやめてほしいのだろう。が、さすが足軽にもなれない無能のくせに将軍なんぞ夢見ているゴミカス、指なんぞ詰めてみたところで私の戦意をぴくりとも動揺させることなどできはしない。
2025年10月21日、正確には深夜0時を回った10月22日、アキノリは子分の上梨裕奨(かみなし・ゆうすけ)を伴ってアポなしでいきなり私がバーテンに立っているBAR人民の敵に押しかけ、おそらくは詰めたばかりだったと思われる、おそらくはホルマリン漬けということなんだろう、液体の中に切断された小指の先端1.5センチぐらいが漂っている小瓶を私に押しつけて、去っていった。
以下るる説明するように、アキノリの〝指詰め〟は何重にも間違っていて、せっかくそれなりの決意なり覚悟なりを決めてのことであろうに、まったくの無駄となってしまう可能性大である。
まず私とアキノリの関係について整理しておこう。
〝アキノリ将軍未満〟(実際には足軽未満)こと相川絹二郎(あいかわ・けんじろう)は、たしか2011年の3・11のちょっと前ぐらいの時期から半年間ほど、福岡の私の家というか「九州ファシスト党〈我々団〉」の本部アジトに居候していた活動家である。86年10月生まれらしいから、当時まだ24歳だったことになる。
私たちのグループは当時、国政選にも繰り返し候補者を擁立していた右翼政党「維新政党新風」の福岡支部と友好関係にあった。新風の本拠である京都や東京の本部だか支部だかは、当時やはりブイブイいわしていた悪の組織「在特会」と人脈的にも思想傾向的にも重なっていたが、福岡の右翼シーンには明治期の玄洋社以来のアジア主義的伝統があり、新風福岡支部でも在特会ふうのレイシズムは軽蔑されていた。そのため全国の新風の若手党員のうち、在特会とほとんど変わるところがない京都や東京の新風の活動に疑問を抱く部分が、こぞって福岡支部にはるばる通いつめたり、何人かは福岡に移住してくるということまで起きていたのである。アキノリ=相川(以下、アキノリで統一)もまた、そのようにして福岡に移住してきた、東京の新風党員の1人だった。
何人も移住してくるものだから、新風福岡支部の受け入れ限度を超えてしまい、〝1人ちょっと預かってもらえまいか〟と頼まれて、アキノリを私たち我々団のアジトに住まわせたわけだ。アキノリはいわば、新風福岡支部からの〝預かりもの〟、私たちからすれば純然たる〝客人〟だった。
我々団のアジトではその頃かなり頻繁に、左右の活動家や前衛美術、演劇などの芸術家を集めて交流会というか宴会を開催しており、アキノリも毎回ではないがたまにそれらに参加して、大いに刺激を受けた様子である。読書会・学習会も時折やっており、そっちに参加したこともあったと思う。アキノリは単なる〝客人〟であり、ファシスト党〈我々団〉の指導者たる私は、とくにアキノリを教育したり指導したりした覚えはないが、その後の言動を見るに、アキノリのほうで勝手に何らか私から大きな影響を受けたつもりになっているらしい。今ほどではないがアキノリは当時からかなりトンチンカンで、正直云って私にはアキノリを教育する情熱もまったく湧かなかった。
たしか半年あまりでアキノリは我々団のアジトを出て、かつ、どうも新風も脱退したか追い出されたかして、福岡からも去り、そこから何年かすると京都に移っていた。初期の〝外山合宿〟OBが京都で何軒もシェアハウスを運営しており、その1つに転がり込んだようだった。
しかしやがてアキノリはそこで〝セクハラ事件〟を起こし、くだんのシェアハウス界隈を〝出禁〟となる形で追放され、その後どうしていたのか詳しくは知らないが、また何年かすると元のとおりすっかり〝東京の人〟になって、東京での〝外山界隈〟のイベントや交流会にも頻繁に出没するようになった。ちなみにアキノリは東京の〝外山界隈〟でも〝セクハラ事件〟を起こし、OB・OGたちの一部からは忌み嫌われ、絶縁されている。セクハラが悪いと云うのではない(ケース・バイ・ケースだろう)。アキノリに私の〝セクハラ〟(すでに別の文章で説明したとおり、今回の私のケースはそもそもセクハラでも何でもないが)を云々する資格はない、ということだ。私はそれらアキノリがやらかしたという〝セクハラ〟の風聞を耳にしても、男女間での私的なやりとりについては本当のことは当事者以外には知りようもないのだし、すぐに〝男の側が一方的に悪い〟ということになるポリコレ的な風潮への反発もあったから、以後も変わりなくアキノリに接していた。私の側の云いぶんを聞きもせずに、無前提に青井柚季の側に与してしまうアキノリとは、私は人間の出来が違う。
〝セクハラ〟なんぞどーでもよく、話を戻すと、アキノリはいつしか私を〝師匠〟呼ばわりするようになった。京都時代にはすでにそうだった気がする。前記のとおり私はアキノリを教育した覚えも指導した覚えもなく、私の側はアキノリを〝弟子〟だなどとは一度たりとも思ったことはないが、他人が私を単に〝さん〟付けで呼ぼうが〝先生〟呼ばわりしようが〝師匠〟呼ばわりしようがどーでもいいので、アキノリによる〝師匠〟呼ばわりも放っておいただけである。
もちろん内心かなり不快だった。一方的に〝師匠〟呼ばわりされてるだけなのだが、世間にはそれを真に受けてアキノリを私の〝弟子〟なのだと思い込んでしまう人も一定数いる。のちアキノリは都知事選に出てそこそこ有名になったから、ますますアキノリみたいなポンコツが私の〝弟子〟の代表例のように錯覚されてしまう。ほとんど〝ネガキャン〟であり、他に大勢いる私の本当の弟子たちにも迷惑だろう。私の弟子と呼べるのは、少なくとも〝外山合宿〟の全課程を修了した者たちだけである。合宿出身者であれば、実際1割ぐらいいるポンコツどもであっても、私の〝不肖の弟子〟であると認めるにやぶさかではない。しかしアキノリは〝不肖の弟子〟ですらないのだ。アキノリは単に一時期ちょっと私のもとに居候していただけの人間であり、合宿出身者ではないのである。私の弟子たちは平均的にもっと圧倒的にアキノリよりも優秀だ。
アキノリが〝将軍未満〟を名乗り、自身の団体「ネオ幕府」なるものを立ち上げたのがいつのことなのか、興味もなかったしよく知らない。たぶん2024年夏の都知事選にアキノリが出馬する数ヶ月前とかに、出馬を視野に名乗り、立ち上げたものなのだろう。
もちろん〝都知事選に出る〟という今や陳腐な発想も、まったくオリジナルにそれをやった私の猿真似である。さらに云えば、〝将軍〟だの〝幕府〟だのというのも実は私の受け売りだったりする。私は2003年に獄中でファシズム転向して以来ずっと、ファシズム革命の末に私が目指しているのは〝漢倭奴国王兼征夷大将軍として中華様と天皇陛下に両属する地位〟だと公言しており、〝ファシズム政権というのは近代的な江戸幕府のようなもの〟という見解についても公言してきた。我々団アジトでおこなっていた宴会などの席でもそれらのことを繰り返し口にしていたはずで、アキノリが〝将軍〟だの〝幕府〟だの口走るようになったのがその影響でないはずがない。なのにアキノリはそれらを自分で思いついたものだと勘違いしている様子なのだから、まっこと〝弟子〟にする甲斐もないし(じっさい〝弟子〟になどしてないし)、私を〝師匠〟呼ばわりする資格もない。
ケッタイなプラスチック製の〝兜〟といい、都知事選がらみのアキノリの一連のパフォーマンスは少しも面白くなく、マジメな意味もなく、私はアキノリの出馬に何の期待もしていなかったが、知らない仲でもないし、せめてもの貢献として、政見放送について1つだけアドバイスをした。どんな内容であってもいいから(どうせ面白いことなんか一言も云えないんだろうが)、演説の内容はまず原稿にまとめてそれを丸暗記しろ、つまりカンペは絶対に見るな、というアドバイスである。私がアキノリに対して〝指導〟らしきことをしたのは、後にも先にもこの1回のみだと云ってよい。
アキノリの政見放送を見た者はよく知っているとおり、アキノリは〝師匠〟からのこの生涯唯一の直接の〝教え〟をまったく守らなかった。こんなのちっとも〝弟子〟とは云えんだろう。
なお、この都知事選に際して、(これまたアキノリが〝師匠〟の先業にまったくリスペクトを払っていない証左の1つなんだが、07年の私の都知事選では、政見放送などオマケでしかなく、私が最も重視したのはポスターだったと繰り返しあちこちで云ったり書いたりしてきたのに)ポスターをほとんど貼らなかったアキノリは、その掲示板の割り当てスペースを私に無償提供したので、アキノリのポスターではなく私のポスターが都内各所に2000枚ほど貼り出されることになった。この一件と、私と青井柚季との〝恋愛スキャンダル〟が密接に関係していることも、すでに別の文章で述べたとおりだ。
都知事選での、ポスター掲示枠の無償提供というエピソードを知っている人たちの中からは、今回の私とアキノリの決裂を見て、恩義あるアキノリに対して冷たすぎないかと私を非難する声もごく少数ながら見られるんだが、それを云うなら私はかつてアキノリを半年あまりも無償で住まわせてやったという大きな〝貸し〟があり、そもそもお互い様だし、その後の〝師匠〟呼ばわりのネガキャンでこうむった迷惑を参入すれば、まだまだ貸し倒れ状態である。
そんなこんなの末に、ともかく今回の決裂に至った。
アキノリ率いる「ネオ幕府」の面々(おそらく数人規模)は、青井柚希が2024年11月から毎週開催し始めた新宿駅前での路上交流会(「駅前アジト」)に、そのごく初期から足しげく参加するようになっていた。2025年春ごろには、もはやすっかり常連と化していたはずである。前後して、私と青井柚希との間で2024年7月以来くすぶり、激化の一途をたどっていた深刻な対立が表面化した。〝弟子〟にする甲斐もなく、実際〝弟子〟にした覚えもないアキノリは、最初から青井の側に与して、青井を批判する私を〝ダサい〟、〝みっともない〟などと誹謗しはじめた。
まったく根本からアキノリは間違っている。本気で私のことを〝師匠〟と考えているのであれば、私が誰と対立しようと、まずは無前提に私の側に与すべきはずである。師匠が白いと云えば黒いものも白いのだ。仮に私が間違っており、青井の側が正しいのだと考えるとしても、まずは私の側に与した上で、私が考えを改めるようあの手この手で諫める、というのが〝弟子〟としての正しい振る舞いであるはずだ。何をやるにしても、私の〝弟子〟を称するのであれば「まずは外山側に与した上で」というのが大前提なのである。
ところが足軽にもなれないポンコツのアキノリは、最初から青井の側に与した。私の云いぶんもろくに聞かないまま、である。「駅前アジト」に足しげく通ううちに単に青井に親近感を持ったのかもしれないし、もしかしたらそこだけは〝師匠〟を見習って青井に劣情を抱き、いわゆる〝チン騎士〟と化して愛しい姫をお守りしているつもりなのかもしれないが、いずれにせよ〝弟子〟としては合格点にはるか及ばない落第生だとしか云いようがない。
試しに2025年9月12日の、私と青井の〝直接対決〟の記録動画を観てみるとよい。話しかけるために青井に近づこうとする私の腕を掴んで制止し、けなげに〝チン騎士〟稼業にいそしんでいる冒頭のポンコツが、(モザイク越しにも判別できるように)アキノリだ。
で、本題の〝アキノリの指詰め〟である。
前記のとおり、このアキノリの所業は何重にも間違っており、何の意味もない愚行そのもので、私の戦意を微動だにさせない。
間違ってるところ、その1。
そもそも最初の時点で〝師匠〟であるはずの私ではなく、その〝師匠〟を攻撃している青井の側についた時点で、アキノリは端的に〝裏切者〟であり、何を云おうがやろうが私にまともには相手にしてもらえるはずがない、ということがまるで分かっていないらしいこと。
間違ってるところ、その2。
たしかに私は9月末だったか(ツイッターのポンコツ運営から削除を強要されたので、ツイートの正確な日付が分からない)、アキノリに〝指詰め〟をオススメするツイートをおこなった。正確な文言は、以下のとおりである。
だいたい武家みたいな名乗りを上げてて、かつ私を「師匠」呼ばわりして、それで〝775りす〟との戦争をやめてほしいんなら、腹でも切って私を諫めてみろや。せめて指でも詰めてこいってんだポンコツが。
〝武士たるもの〟の身の処し方について常識的なことを述べているだけで、何も間違っていない。
もちろんアキノリが本当に指を詰めるとは思っていなかったし、そんなことを期待してもいなかったが、べつに〝そんなつもりはなかった〟と云い逃れようというのではない。〝そんなつもりはなかった〟が、しかし万が一アキノリが本当に指を詰めるという挙に出たとして、それはそれでかまわないとも思っていたのである。さらに云えば、まあ本当に指を詰めるなどという愚かしいことはやるまいが、アキノリのトンチンカンぶりは常にこっちの予想を超えてくるので、本当に指を詰めてしまうという可能性も完全にゼロではない気がする、ぐらいには考えてもいたのだ。
もし本当にアキノリが指を詰めてしまったらどうしよう、ということも少しは考えてみた。結論としては、せいぜい思いっきり嘲笑してやろう、ということにしかならなかった。
だって、〝指を詰める〟なんてのは他人から云われてやることではない。悩みに悩んだ末に、ここは私が指でも詰めるしかない、と自発的にやることだ。やるんなら私が云う前にやらないと意味がないのである。私から云われてやったんじゃ遅いんであって、そんなことも分からないのかと嘲笑されて当然の愚行なのだから、せいぜい嘲笑してやろうと結論していたわけだ。
そもそも〝指を詰める〟のは、大雑把に2つの状況においてだろう。
多くの場合、自身の不始末の責任をとるというテイでおこなわれることだが、それとは別に、目上の人を諫めるため、というケースもある。後者はまずたいてい味方側の目上の人が対象だが、前者についてはさらに、相手が味方側である場合と敵側である場合が考えられよう。
アキノリがトンチンカンなのは、自分の〝指詰め〟がそれらのうちどのケースなのか、おそらく自分でもちゃんと位置づけられていないらしいところにある。
私のツイートは、すでに敵側(青井柚希側)に寝返っているくせに失礼にも私を相変わらず〝師匠〟呼ばわりしてネガキャンを続けていることへの当てつけでもあり、〝師匠〟呼ばわりを続けるアキノリの主観では私はアキノリの〝味方側の目上の人〟ということになるのだから、その考えを改めさせたいのであれば、〝諫める〟手段としてハラキリなり指詰めなりやってみてはどうか、という提案である。アキノリはすでに敵側の人間なのだから、もちろんそもそもナンセンスな提案であることを私自身がよく自覚した上でのツイートだ。〝じゃあ本当に指を詰めて外山を諫めてやろう〟などと考えるのはアホであって、相手にしようがない。まずアキノリが私の味方側であるという前提がなければ、そもそも〝諫める〟なんて行為自体が成り立たない。
もちろん前記のとおり、敵側の人間を相手に〝指を詰める〟というケースもある。私のくだんのツイートは、このケースを想定したものではないから、アキノリの今回の行為は私のツイートとは何の関係もないことと云わざるを得ないのだが、それは措いて、客観的には今回の場合はこれに当たるだろう。その場合、指詰めに含意されるメッセージは〝赦しを乞う〟ということになる。これまた前記のとおり、〝自身の不始末の責任をとる〟ということでもある。〝私が悪うございました。お怒りはごもっともです。しかしそこを何とか、私のこの自罰行為に免じて、赦していただけないでしょうか〟という意味での指詰めである。
しかし、ここでアキノリの間違ってるところ、その3。
〝諫める〟にしても〝赦しを乞う〟にしても、指を詰めて、相手方のところにそれを持参して登場する場合の基本姿勢は、どう考えても〝平身低頭〟になるはずである。ところが10月21日深夜のアキノリの態度はどうであったか?
そもそも事前に何の予告もなく押しかけ同然に登場するところからして、なってない。今回の場合、すでに敵側の一員であるアキノリの指詰めは、敵の大将たる私に〝赦しを乞う〟という意味でしか成り立たないのだから、指を詰めたことは伏せておくとしても、まずは事前に〝謝罪に伺いたいのですが……〟という連絡を入れるべきだろう。そもそも飲食店に〝切断した小指〟などという不浄のブツを何の承諾もなく持ち込むこと自体が非常識である。
いきなりドアが開いてアキノリが現れたので、ともかく私はアキノリを追い返そうとドアのところまで行った。するとアキノリの背後には子分の上梨が大きなビデオカメラを私に向けて構えていて、もちろんすでに撮影は開始されているようである。平身低頭で〝諫め〟たり〝赦しを乞う〟たりする姿勢とは程遠いどころか、真逆と云える。
もちろん私はさらにカッと来て、力づくでこの無礼な2人を叩き出そうとした。するとアキノリが、「プレゼントです」などと云って小さな包みを私に渡す。「何だ?」と訊きながら、ともかくは開けてみようとすると、「見ないほうがいいですよ」などと云う。この一連の会話の流れも、とうてい〝諫める〟姿勢でも〝赦しを乞う〟姿勢でもない。私はアキノリが止めるのも無視して包みを開ける。すると、小さな瓶に何か液体が入っていて、小指の先らしきものが漂っている。「ほんとにやったのか!」と私は呆れて云うが、ふと気づくとアキノリは登場以来ずっと左手を高く掲げるヘンな姿勢で、小指に包帯を巻いている。
アキノリらは私が動揺してうろたえると思っていたようで、だからその様子を動画に収めて晒してやろうという魂胆だったっぽいが、私をナメているとしか云いようがない。驚くというより呆れはしたが、とくに衝撃を受けたりはしなかった。
今さら指など詰められても私は何とも思わないが、さすがに私も少しほだされるというか、アキノリのあまりの愚かさに憐みを感じもしたので、アキノリらの態度にはムカつきつつ、「ともかく話は聞いてやろう」とアキノリを中に招き入れた。上梨には「帰れ!」と一喝し、追い返した。
私はカウンターに入り、カウンター越しにアキノリと向かい合った。「話を聞こうじゃないか」と水を向けると、アキノリは開口一番、「今後、〝外山界隈〟は私が仕切ります」と宣言した。
このアホは一体何を云っているのだ?
そこから先はあまり覚えていないが、たぶん5分ほど嚙み合わない〝議論〟をして、アキノリは〝話にならん!〟みたいな態度でそそくさとBAR人民の敵を出ていった。
もちろん同席していた日替わりバーテンともども、どっと疲れてしばらく脱力しつつ、いかにアキノリが〝なっとらん〟かを愚痴り合った。
その過程で日替わりバーテン氏がパソコンを開き、自身のフェイスブックを確認した。私もそうだった気がするが、氏もアキノリとはフェイスブック上の〝友達〟なのだという。ったくネットでつながってる〝友達〟など、ろくなものではないという話だが、ともかく日替わりバーテン氏は、そこで「あっ!」と叫んだのである。
アキノリの間違ってるところ、その4。
日替わりバーテン氏がそこで目にしたのは、〝今日はアキノリ将軍未満さんの誕生日です〟というフェイスブックからの〝お知らせ〟である。「まったく自分のことしか考えてない奴ですね」と氏は怒りを露わにした。
これではアキノリの指詰めなど、私を諫めるなり私に赦しを乞うなり、ともかくは私のことを何らかヒトカドの存在として尊重した上でのものではなく、単にアキノリ個人の〝誕生日記念〟のちょっとした冒険にすぎないではないか。
アキノリがやって来たのは、そういえば深夜0時を回ってちょっとした頃だった。そしてどうも、指を詰めてまだ間もない、という雰囲気だった。アキノリはきっとBAR人民の敵のどこか近隣で、39回目の誕生日である10月22日の0時になった瞬間にでも指を詰めて、その足で我々の前に登場したのだ。
先日、別の文章で、青井柚希について「病人にはそもそも他者はおらず、そこには肥大した(肥大させていきたい)自我があるだけ」と書いたが、これはまったくそのままアキノリについても云える。〝なんだ、今日はアキノリの誕生日だったのか〟ということが分かってしまうと、私はアキノリの〝自分ワールド〟の物語に付き合わされただけなのだ、まったく迷惑な!とさらに不愉快な気分になる。
他にも今回のアキノリの行為の〝間違ってるところ〟はいくらでも挙げられそうだが、とりあえずこのくらいにしておく。
そんなわけで今さらアキノリに指など詰められたところで、私と青井柚希との戦争は終わらない。
念のために云っておくが、そうなるとアキノリが私を逆恨みしそうでメンドくさい。もとより指詰めなど、あくまで自分の側の誠意を示すために、相手が自分の意を汲んでくれるかどうかには構わず、やることである。〝指まで詰めて誠意を示したのに意を汲んでくれないなんて、許せない!〟などと相手を逆恨みし始めるような奴には、最初から指など詰める資格がない。そもそも指を持参して登場した際のアキノリの姿勢には〝誠意〟の一片すら感じられなかったわけだし、逆恨みされても困る。
これほど長い文章を書いてアキノリの〝間違ってるところ〟を詳しく説明してやったこと自体が、アキノリの愚かしい行為に対して私が示してやれる最大限の情けである。
云うまでもなく、今回のアキノリの愚行について最大の責任を負うべきは青井柚季(775りす)である。青井がメンヘラのポンコツを集め、くだらない〝運動〟を展開しさえしなければ、アキノリがこのような愚行に走ることもなかった。
アキノリが今回やった〝誕生日記念の指詰め〟など、まさに青井が追求しているという「青春のやり直し」の渦中で起きるにふさわしい、10年20年経って苦い痛みを伴いながらも忘れがたく振り返られたりもするのだろう〝青春の過ち〟ではないか。青井よ、全部お前の愚かしさに起因する悲喜劇なのだ。お前のせいでアキノリは小指を失った。どんな気持ちだ?
それとも相変わらず、アキノリが勝手にやったことでアタシは関係ない、と逃げるつもりだろうか。アキノリが青井の主宰する「陰核派」とやらの正規メンバーなのかどうかは知らんが、少なくとも〝準構成員〟ではあろう。〝指導者〟ぶるんなら、責任回避はできないはずだ。
ちょっと呆気にとられたところもあって、つい受け取ってしまったが、そもそも〝アキノリの指〟など私が持っていても無意味だし、こんなもん押しつけられる筋合いもないし、ひたすら迷惑である。これ自体が青井柚希の不始末の産物なのだから、青井が始末をつけるべきものだろう。
私は今後しばらく、いくつかのルートを頼って〝アキノリの指〟を青井のもとに送り届ける努力をする。どうしても受け取らないというなら、私はアキノリを警察に突き出すことにする。詰めた指を持参して何かを要求しに訪ねてくるなど、現在では〝脅迫〟に当たるということになっている。構成員だかか準構成員だかが、お前のせいで逮捕されたとしても、お前は自分の責任を回避しようとするんだろうか?
何から何まで無意味なアキノリの指詰めだが、私もいくばくかはアキノリを不憫に思うし、事前に考えていたようにその愚行を嘲笑するような気分には、実際に指を詰められてしまうと、なかなかなれるものではない。アキノリは主観的には私と青井の戦争を止めたいのだろうし、アキノリの望む方向に沿う形では無理だとしても、アキノリが私に「プレゼント」してくれたこのブツをせいぜい有効活用して、青井柚希をいよいよ徹底的に追い詰め、早期に戦争を終わらせたい。
これもまた、アキノリに対する私の最大限の〝情け〟の表現である。
ホルマリン漬けのアキノリの小指が漂う小瓶は、とりあえず今も私の手元にある。


コメント