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platea/プラテア

『ゲキxシネ五右衛門ロック』『The Musical AIDA』など、ミュージカルの話題作に出演の青山航士さんについて。

TheDance at the Gym

2005-02-18 | ウエストサイドストーリー
WSS初演の際、リハーサル中も役作りのため、JetsとSharksはお互い親しくしないよう、ランチなども一緒にとらなかったと言います。なかでも、この体育館のシーンは全く別室で、曲全体を聞くことすらなく、ましてお互いのダンスを見ることもなく稽古を進めたので、初めての合同リハーサルの時には、物語そのままに熱いダンスバトルが繰り広げられたとか。その場の興奮、すごかったでしょうね。

 このシーンの青山さんは、あまり視線も高くあげず、会場を見据えることもなく、自分のなかのエネルギーを放出するために踊りに来た青年らしい演技/ダンスを見せてくれました。冒頭のソロパートなど、バレエなんかやったこともない、見よう見まねで回ってるだけ、という感じがよく出ていて、口笛でも吹きたい気がしました(残念だけど吹けません。だれか教えて・・・)。クラシックを学んだ人がこの手の「カッコイイ」ダンスを踊ると、どうしても回転系の技術で、そこだけフリルがついたように浮いてしまうのを目にする事がよくありますが、青山さんの表現の幅の広さは通常のダンサーという枠には収まりきらず、「役者」の領域をカバーしているように思います。また、トニーとマリアの出逢いのシーンに入る前、ラインを組んで全員が同じステップを踏む場面(映画版では横から撮影されています)、時間的にはとても短く、照明もかなり暗いのですけど、一瞬の動作のうちにも微妙な緩急があって、とにかくカッコいいの一言につきました。

 ここのシーンに欠点があるとすれば、青山さんのもっとラテン調なダンスもみたくなってしまう、というところでしょうか。バーンスタインが、自分の作品はラテン的なものが多く、WSSは特にそうだとコメントしていました。「マンボ」や「チャ・チャ」は言うまでもなく、ジャズの「クール」でもボンゴを用い、「ランブル」にもキューバやメキシコのリズムを取り入れたということです。そして青山さんのダンスにもそんな文化のハイブリッド感はものすごくありますよね。とくに「からだはドラム '02」の人間パーカッションのような動きは私のアジア人のダンサーに対する偏見を一気に打ち砕いてくれました。(その直後「森羅」を見たのです)

 街にインテリジェント・ビルが立ち並び、そのなかにお蕎麦屋さんがあって、隣はチャイを出す喫茶店、家に帰れば靴を脱いで畳の部屋でパスタを食べ、ウーロン茶を飲んで・・・ある意味でアメリカ以上に文化という文化がいりまじる日本だからこそ生まれるものもあるはず、そんな期待に答えてくれる表現者はまだとても少ないように思います。でも、青山さんは間違いなくその一人で、どんなリズムのどんなダンスも踊りこなすように、何にも侵されない部分を保ちながら、聖にも俗にも容を変えて空間を彩り刻んでいく、いかにも東京という街にふさわしい表現者だといえるでしょう。

 振付の変更はまず無理なうえ、これだけ有名な作品になってしまうと、最初に書いたような演出はもうありえないけれど、一度でいいから青山さんの「本当のダンスバトル」が見てみたいものです。・・・かっこいいだろうなあ。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了)

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2005-02-25 00:16 (あゆあゆ)
2006-02-02 11:51:16
「ダンスバトル」、しかしただ一直線に上りつめていくわけではないそのテンションに、抑揚というか、微妙なニュアンスを、非常に巧みにのせて、青山さんは表現していたように思えます。

 へーまさんが書かれている、「微妙な緩急」、よくわかります。あのシーン、本当に「真っ暗」に近いぐらいの照明でしたが、そこに浮かび上がる青山さんのシルエットから、「詩的(poetic)な趣き」さえ感じました。映画版では、トニーとマリア以外の部分がぼやけて、やがて暗くなって・・・、というもっと直接的な、映像の技術を感じさせる表現になっていますよね。列をなした大勢のなかのひとりとして、いわば二人の出会いを際立たせるための「背景」としての役割を持つパートだったとしても、映画版をはるかに超えるような、見事な表現でした。

 それから「マンボ」で、JETSが舞台の右から左、左から右へと、大きなステップで移動する場面では、音楽に合わせて、ボルテージが一気に高まっていく感じ、スピード感がよく表現されていたように思います。ただ単に速い速度で、単調に移動するとかじゃなくて、身体中に充満していくエネルギーをギリギリまで溜め込みながら疾走していく、一種重みのあるスピード感を醸し出している、あのステップが非常に印象的でした。映画版では、あのシーンは様々なアングルから撮影されていて、とても臨場感があるのですが、舞台では、そのような視点の変化がないのは当然のことながら、タイガーが踏み込むフロアーの感触、その身体にエネルギーを充満させて、フロアーの空気を縫っていく、タイガーが風を切っていく感じが、こちらにも伝わってくるようでした。

 ところで、へーまさんが「人間パーカッション」と評されている「からだはドラム’02」、青山さんの卓越したリズム感を堪能できる作品(私にしてみればまさにpulseが走っているのが見える作品)ですよね。(蛇足ですが、私の好きな作品5本に入る作品です。「おちばとあそぼ」と続けて見れば、足の動きの表情だけで、季節感の違いが楽しめますよね。)この作品がなぜ好きなのかといえば、勿論あの考えられないリズムをたたき出していることによるのですが、やはりあの「微妙な緩急」の秀逸な出し方によるところが大きいのではないかと思うのです。間奏部分で、急に動きのテンポがゆっくりになって、両手を胸の前で付き合わせるところ、そしてまた俄かに動き出すところ、ああいうところの雰囲気の出し方が、何とも言葉に尽くしがたいほど、青山さんは上手いですよね。

 そもそも映画という違う媒体であるゆえ、単純に舞台と比較するべきではないのは承知していながら、両者の比較をしてしまいましたが、やはり、WSSといえば、私自身も含め、世の中に広く深く浸透しているイメージは、アカデミー賞10部門獲得した、映画版によるそれだと思います。映画版における、各々の場面のムードは、勿論キャストによるダンスによって創出されているのは紛れもない事実なのですが、カメラワークや編集、映像技術によって大きく左右されるところもあると思うのです。しかし、今回の青山さんのタイガーを振り返ってみると、映画版で、そのような要素によってうみだされることも多かった場面のムード、さらには微妙なニュアンスみたいなものまでを、舞台というフレームのなかで(照明、場面転換の仕方などの要素は当然寄与していますが)、それをフレームと感じさせないような仕方で、その身体により、見事に表現していたな、と思うことがたびたびあります。私のなかに入り込んだ映画版のイメージを、軽々と飛び越えて、それを覆し、この作品の原典へと向かわせるような力が、青山さんのタイガーには間違いなくあったと思っています。
2005-02-27 00:28 (へーま)
2006-02-02 11:52:39
あれだけファンの多い映画の、舞台版を日本のキャストで演じる・・・映画版WSSファンの方にとっては必ずしも歓迎することではなかったと思います。

 大阪は会場が収容人数約2700と大きいせいもあって、激戦にはちがいないけれど、努力すればチケットは手に入る状況でしたので、「作品ファン」と思しき夫婦連れ(夏公演)、親子連れ(冬公演)もたくさんおられました。私の聞いた限り(盗み聞きも含みます、あはは)ですが、その方たちには「青いタンクトップの人」のダンスは嬉しい誤算だったようです。

 青山さんのすごいのは、常に観客の目を客観的に見据えているところだと思います。ダンスに詳しくなかろうが、その日初めて舞台を見る人だろうが、「素晴らしい」といわせ、「わかりやすさ」を一切の「妥協」なしに保ち続けられるだけの、表現者としての説得力はそうお目にかかれるものではありません。

 青山さんの、作品世界との高い密着度が映画ファンをも唸らせたんだと思います。私も、少なくとも今は他の舞台版はたとえ機会があっても見られません。そして、この舞台がこんなにもかたくなに映像化を避けているのも、好ましいことのように思えています。