傍に立つ君は完璧で究極のアイドル 作:カミキヒカラナイ
いつもよりちょっとだけ長くなってしまいました。読みにくかったら申し訳ありません。
一話で加湿と除湿を両方やろうとするとな、どうしても長くなってまうんや。
あとどうでも良い話なのですが、作中における主人公の名前を「シオン」表記で統一したいと思います。
一応本名は紫音で芸名がシオンと使い分けているつもりだったのですが、改めて見るとシンプルに読みにくいと思ったからです。星野愛久愛海と星野アクアを交互にお出しされるようなものだしそりゃ読みにくいよねって。何ならアイは最初からシオン呼びだし、これもう分かんねぇな。
特訓開始から半月ほどが経過した。
僕とアイで考案した「B小町魔改造計画」は順調にその成果を上げ始めている。
「よし、坂路往復百本終了! そのままセットリスト通しで三回!」
「えーっ! マッサージは!?」
直後にセトリを指示すると三人からブーイングの声が上がった。しかし坂路を百往復もした上で倒れる様子もなく、まだ声を上げられる余裕がある時点で半月前とは雲泥の差だ。
「マッサージはセトリの後に行います。確かに疲れない体力は大事ですが、疲れた上でパフォーマンスを落とさない体力も同じぐらい大切です。本番のプレッシャーは練習時とは比較にならないほどに心身を疲弊させます。その状態でも常と変わらないパフォーマンスを維持できるよう鍛えなさい」
『ひぃ〜〜〜!』
「笑顔も忘れずに!」
泣き言を言いながらも粛々と踊り出す三人。流石に疲れているだけあってそのダンスはぎこちないものだったが、ここで重要なのは踊りの完成度ではなく、疲労した身体の使い方を覚えることにある。
気力の充実した身体と疲弊し体力の尽きた身体ではその運用方法はまるで異なる。まずはこの違いを理解するところから始めなければならない。
しかし本当に成長した。少し前まで走った直後は疲労のあまり泣いたり笑ったりできなくなっていたものだが、こうしてぎこちないながらも笑顔を浮かべられる程には体力が備わってきている。これならばアスリートでもないドルオタのストーカー程度なら容易くその足で振り切れるだろう。
『むぅ、笑顔の作り方がヘタだなー。特にかなちゃん! なんだそのだらしない口元はー! 口角もっと上げて! 具体的にはあと二ミリ!』
「有馬さん、笑顔がぎこちないですよ。口角下制筋に力が入りすぎです。逆に大頬骨筋にもっと力を入れて、口角をあと二ミリ上向けるように」
「ミリ!?」
「口角下制筋ってどこ!?」
アイのアドバイスを通訳して三人に伝える。
確かに僕はアイのパフォーマンスを完コピしたが、それは身体能力のゴリ押しで身体に覚え込ませただけ。頭で完全に理解しているわけではないため、細かなアドバイスはアイに任せっきりになっていた。
しかしアイはアイでやや感覚的なところがあるため、そういう点は僕が補足することで分かりやすく伝わるように工夫していた。……今のは細かすぎて逆に伝わらなかったみたいだが。
「嘘でしょ……本当にこの急斜面を百往復もするなんて……」
「しかもまだ踊れる体力があるのかよ……化け物じゃねぇか……」
すると、その様子を見ていたミヤコさんとアクアが絶句していた。二人とも半月という短期間で急成長を果たしたB小町の姿に驚きを隠せないようだ。
「え、アクア!?」
「お兄ちゃん! いつの間に来てたの!?」
「お前達が坂道を爆走してる最中にな。そんなことよりダンスに集中しろよ」
「有馬さん、ルビーさんも余所見をしない! 罰としてその場でプランク五分!」
『いやああああ!?』
ステージの上で
『そうそう、ファンを蔑ろにすると私みたいになっちゃうぞー』
アイの場合ステージ上では完全無欠だったわけだしちょっと違うような。別に僕はアイドルが裏で恋人を作っていようがどうとも思わないが、少なくともステージの上ではファンを第一に考えるべきだというだけだ。
ファンを騙すのなら最後まで上手に騙すべきなのだ。アイの身に起きた悲劇に関して彼女の非をたった一つ挙げるとするなら、貫き通すべき嘘を貫徹しきれなかったことだけだろう。ステージの上では完璧だったが、ステージを降りたところで詰めが甘かった。どうせアイのことだから不注意で
『ギクッ』
でなければただの大学生に過ぎなかったストーカーが越したばかりの新居を突き止められるはずもなし。
まあ、これに関しては別に追及するつもりはない。とうの昔に終わった話だし、僕はこの件については完全な部外者だ。 本人が言いたくないのなら無理に事情を聞くようなことはしない。
親しき仲にも礼儀あり。星野兄妹の父親に関する諸々は非常にデリケートな話題である。僕のような赤の他人が興味本位で首を突っ込むのは野暮というものだろう。
『バツイチに理解のある彼ピって素敵!』
はいはい。そろそろ罰ゲームが終わるからトレーニングに戻りますよ。
「うー……! 納得いかなーい!」
すると、プランクを終えたルビーがそんなことを言いながら勢いよく立ち上がった。まだまだ元気があるようで何よりだが、何が納得いかないと言うのだろう。
「ルビーさん、僕のトレーニングメニューに何か不満が?」
「えっ、いや、ちがっ……シオンさんのトレーニングに文句はないです!」
文句があるのはあっち! と言って指差す先にいるのは……ミヤコさん?
見れば、口には出さないが有馬さんとMEMちょさんも似たような目でミヤコさんを見ている。はて、彼女がいったい何だというのか。
「ミヤコさん、シオンさんのマッサージ受けたでしょ!」
「…………受けてないわよ?」
「目を見て話せーっ!」
確かに僕は霊能マッサージ……という名の生命力譲渡をミヤコさんにも施した。
僕はコーチとして正式な契約を交わす際、具体的にどのようなトレーニングメニューを組むかの説明を行った。大事な社員を預かるわけだから、これは当然のことである。
そして僕が霊能力者であることと、その能力を用いたマッサージを行う旨を説明した際、ミヤコさんはそれが本当に安全なものであるかを確かめる必要があると告げたのだ。
正論である。自称霊能力者の怪しげなマッサージなど安易に信じていいわけがない。そこで「自分が実験台になって安全性を確かめる」と言い放ったミヤコさんの社員のために身体を張る姿勢に感銘を受けた僕は、アイと協力して丁寧に施術を行ったのである。
『まあ夫人には恩があるし……』
お陰で元々綺麗だった容貌に磨きがかかり、今や彼女の外見は二十代と言えば十分通用するものになった。大人の女性らしい特有の色香があるため学生に交じるのは難しいかもしれないが、その辺を誤魔化す演技力が備われば役者として学生役もこなせるのではないだろうか。
「ずるいずるい! 私達はこんなに苦労しないとやってもらえないのに!」
「うっ……い、良いじゃない少しぐらい! こちとら社長として毎日激務に励んでるのよ! 当然の報酬と言っても過言じゃないわ! 社長権限よ社長権限!」
「横暴だー!」
「権力濫用はんたーい!」
「私だって時間のある時にちょっとやってもらってるだけよ! いいわよねー若いって! デスクワークで凝り固まった肩と腰の痛みや眼精疲労なんかとは無縁なんだから! 肌だってこれでもかってぐらいシャワーの水弾くんでしょ羨ましい! でも今や私の肌年齢も十代のそれ! もうつやっっっつやで小皺なんかどこを探してもないんだからシオンさん苺プロの専属マッサージ師として永久就職しませんか!?」
きゃいきゃいと姦しく言い争う四人。
仲が良くて大変結構。アットホームな職場って良いねぇ。
「……うちの女どもがすまん。後でキツく言っとくから」
「全然気にしてないよ。これだけ喜んでもらえるなら僕も嬉しいし……アクア君にも今度やってあげるよ」
「ああ、うん……正直ちょっと興味あるんだよな……」
『ナイスシオン! アクアにお触り! 合法スキンシップ! 丁寧丁寧丁寧にエネルギー充填してあげるからね!』
アイも喜んでいる。アクアには悪いが、彼女の機嫌のために犠牲になってもらおう……いや、知らぬとはいえ実の母と触れ合えるわけだしそこまで悪くないかもしれない。
「で、お前としてはどこまであいつらを鍛えるつもりなんだ? 体力的にはもう十分だと思うんだが」
「そうだね……欲を言えば百往復しても息切れしないぐらいにはなってほしかったけど」
「バケモンじゃねぇか……」
「時間は有限だ。確かにそろそろ技術的なトレーニングに移行しても良い頃合いかもしれない」
体力トレーニングは朝一の走り込みだけに留め、残りの時間を使いパフォーマンスの向上を目指すべきだろう。
『おっ、ようやく本格的なレッスンに入る?』
そうだ。いよいよアイドルらしいトレーニングに取り掛かる。
ここまでは言わば土台作り。坂路トレーニングによる体力作りと肺活量の増強、発声トレーニングによる腹式呼吸の徹底。これらを今日を以てひとまずの完成とし、次回から応用……歌やダンスの本格的な鍛錬に入るとしよう。
『オッケー任せて! よーし、ママ頑張っちゃうぞー☆』
シュッシュッとシャドーボクシングの真似をするアイ。
やる気に溢れているようで何よりだ。ここから先は僕にできることは殆どない。レッスン後の
そして坂路トレーニングの終了を知り涙を流して喜ぶ三人を眺めながら思う。
本当に辛いのはここからだぞ、と。
有馬かなにとって、桐生紫音という少年は色々な意味で苦手意識を持つ相手であった。
有馬かなは極めて優れた女優である。元天才子役という肩書きは伊達ではなく、子役としての旬が過ぎ仕事が格段に減ってなお弛まぬ努力を重ねてきた彼女の演技力は同世代の中では抜きん出ている。比肩できるのはそれこそ天才的な没入型の役者である黒川あかねぐらいのものだろう。
ビジュアル面においても並外れている。自分で「モデル共にも負けない」と豪語するだけあり、その容姿のレベルは芸能界の中で見ても平均値を上回っている。美人というより可愛い系の顔立ちだが、アイの血を引くルビーと並んでも引けを取らないビジュアルは実にアイドル向きであると言えるだろう。B小町の新メンバー候補としてアクアが真っ先に名を挙げたのは伊達ではない。
総評して、有馬かなというタレントは若手の中では突出した有望株であると言えよう。子役時代の振る舞いが原因で半ば干されかけていたことや、セルフプロデュースの限界もあってあまり売れているとは言えないが、ポテンシャルそのものは抜きん出ている。
本人にもその自負はあった。自分の実力そのものは──アイドルとしてはともかく、女優としては──そこまで疑っていない。ただ、実力があるだけではやっていけないのが芸能界というもの。価値ある商品を如何にして有効に売り込むかということが重要であり、ここを疎かにするようではどれだけ実力があろうと日の目を見ることはない。
かなはまさにその典型、実力そのものはあるのに売れない役者の代表例だった。とはいえ、本来これは事務所側が担うべき役割であり、一概にかなだけに原因があると言えるものではない。
要は間が悪かったのだ。子役として落ち目になったかなを拾ってくれる事務所がなく、セルフプロデュースに頼らざるを得なかったこと。ここでどこかしらの事務所に所属できていればまた違った未来もあっただろう。学業、役者としての勉強、そしてセルフプロデュース。これらを学生の身で同時にこなすとなればどうしても限界が出てくる。そんな苦難の道を歩む過程で、彼女が本来有していた自信やら何やらはすっかり擦り切れて摩耗してしまっていた。
実力そのものはある。その自負もある。
しかし、“有馬かな”というブランドに商品価値はない。それが十年以上の芸能生活の中で彼女が自分自身に下した結論だった。
そんな中で唐突に芸能界に殴り込んできたシオンの存在は、かなにとって無視できるものではなかった。
生まれ持った素質だけで眩く光り輝く特級の原石。読者モデルとして僅か一年でティーンの間で話題になり、続くネットテレビでの活躍により全国区とまでは行かないがそれなりの知名度を稼いでみせた。そしてこれから更に有名になっていくことだろう。トントン拍子で階梯を駆け上がっていく様は、努力しても努力しても報われなかったかなとはまるで正反対である。
故に、当初は少なからぬ嫉妬があった。役者としてのライバルである黒川あかねの彼氏という立場もその感情に拍車をかけた。
そしてB小町のコーチ役として目の前に現れた時、かなが抱く嫉妬の念はよりハッキリしたものになった。何故ならシオンは彼女が憎からず想っている少年の関心を一瞬にして掻っ攫っていったからである。
アクアは露骨なまでにシオンを気にかけていた。同じ空間にいれば必ずと言っていいほど彼の視線はかなではなくシオンを向いている。彼だけではない。アクアの妹であり、B小町におけるかなの相方でもあるルビーもまたシオンに強い関心を向けていた。……果たしてアレを関心があるの一言で片付けて良いかどうかは判断の分かれるところだろうが。
何をせずとも他者の視線を集めてしまう天性の美貌とオーラ。芸歴一年未満にもかかわらず自然体のまま身に帯びる
己が持ち得ぬものを持つ誰かを前にした時、人間の反応は概ね二つに分かれる。憧れるか、嫉妬するかの二つだ。あかねは前者であり、かなは後者だった。故に当初、彼女はシオンをコーチとして仰ぐことに内心では反対だったのである。……断じてセンターを断られたことが不服だったからではない、本当に。
尤もそんな反骨心など、僅かに残っていたプライドと共にレッスン初日にバキバキに圧し折られたわけだが。
とはいえ、一度折られたお陰で素直にレッスンを受ける気になれたのだから悪いことではない。それに最初は才能だけの男だと斜に構えて見ていたが、接している内にそうでないことはすぐに理解できた。確かに凄まじい才能の持ち主なのだろうが、それだけではあれ程までに見事な歌とダンスを披露できるわけがない。
恐らく才能に胡座をかくことなく努力を重ねてきたのだろう*1。努力を続けることの難しさは他ならぬかな自身が骨身に染みて理解しているのだから、幼稚な嫉妬心でそれを否定することはできなかった。
元より有馬かなという少女の精神は年齢の割に成熟している。達観しているというほど擦れてはいないが、理性によって自我を律することができる程度には大人だった。故に、ある程度シオンのことを認めた時点で先入観や偏見の目を早々に捨て去ることができたのである。
何より、シオンが本気で親身になってかな達三人を鍛えようとしてくれていることは否が応にも伝わってきた。どれだけ斜に構えていようが、根が善人であるかなにそれを拒むことは難しい。レッスン開始から数日も経てば当初の
……しかし今、近付いていた心の距離は再び離れようとしていた。
「ルビーさん、そこで腕を振り上げる際はしっかり指先を揃えて! あと腕の上げ方が甘い! そこの振り付けは仰角五十度を常に意識して! ……角度の指定が細かい? 甘えたこと言うんじゃありません!」
「MEMちょさん、先走りすぎですよ。もう少し周りを見て呼吸を合わせることを意識して下さい。あとそこで腕を回す際は肘が地面と水平になるように! ……疲れて腕が上がらない? 本番でそんな泣き言は通用しません!」
「有馬さんは逆に周りに合わせることを意識しすぎてキレが落ちてますね。そこのターンはもっと勢いをつけて……軸がブレてる! 常に体幹を意識して、身体の中心に一本芯が通ってる感覚で! ……ターン練習のしすぎで目が回った? 体幹と平衡感覚のトレーニングを三倍にしましょう」
「大丈夫! どれだけ疲れてもすぐに回復してあげるからね!」
『 厳 し す ぎ る !! 』
三人は声を揃えて悲鳴を上げた。
地獄の体力トレーニングが終わったと思えばこれである。走り込みの時も十分厳しいと思っていたが、ダンストレーニングにおける厳しさはそれ以上だった。
ひたすらに肉体を苛め抜く坂路トレーニングは確かにキツかったが、ノルマという形でゴールが明示されていた。
しかしダンストレーニングに終わりは存在しない。いや、正確には存在するのだろうが、完成の絵図がシオンの中にしか存在していないのだ。彼が合格と定める基準に到達するまでこの
(まさかアイツと同じレベルになるまで終わらないとか言わないわよね……?)
最初に見せられたシオンの「サインはB」の完成度は凄まじかった。映像資料で見たアイ本人のそれと遜色ない完成度は、きっと血の滲むような練習を重ねたものに違いないだろう*2。
もしそれと同じ水準を求められているのだとしたら……そこまで考えが及んだかなはサッと血の気を引かせた。
そんなもの、JIFまでに間に合うとは到底思えない。たとえマッサージによって通常では考えられない超高密度のトレーニングが可能であるにしても、アイやシオンの水準に至るためには絶対的に時間が足りなかった。あんなものはシオンレベルの才能の持ち主が長い時間をかけてようやく辿り着ける、ダンスパフォーマンスにおける到達点とでも言うべき一つの極致である*3。とてもではないがアイドルの卵如きが促成栽培で至れるような境地ではなかった。
「それでは一旦ここまでで一区切りとしましょうか。十五分の休憩を挟み再開とします。しっかり身体を休めるように」
『はぁ〜〜〜い……』
いつものように撫でるだけなのにアホみたいに疲れが吹っ飛ぶ霊能マッサージを行うと、シオンはリラックスのしすぎでトロトロになった三人に休憩を告げトレーニングルームから退室した。
残された三人は動く気力もなくグッタリと床に横たわっていた。……いや、正確には気力自体は充実しているのだ。言うまでもなく体力も全快しており、肉体的にはベストパフォーマンスであると言えるだろう。
しかし肉体的には万全でも、精神的にはズタボロだった。
「……厳しくない?」
「厳しい」
「どちゃくそ厳しい」
MEMちょのぼやきにルビーとかなは即座に同意を返した。
流石あれほどのパフォーマンスを発揮するだけあって、シオンの振り付けに対するこだわりは半端ではなかった。確かにB小町は歌よりダンスで魅せるタイプのアイドルグループだったが、それにしてもあの熱の入りようは尋常ではない。
「一パートごとに十個ぐらい指摘が入るんだけど……」
「重箱の隅をつつくぐらい細かいよね……」
「そのクセ指摘自体は正しいのがムカつく……ホントに私より一個下なのアイツ……?」
ここ数日における怒涛のダンストレーニングにより、かなの中でシオンに対する苦手意識は形を変えて再燃していた。嫉妬ではなく恐怖という形で。
「絶対アイツ古代スパルタ人の生まれ変わりよ。段々あの可愛い顔が恐ろしくなってきたわ……」
「で、でもこの数日で私達すごく上達したと思わない? トレーニングを受ける前と後じゃ雲泥の差だよ!」
「メムはそう言うけどさ、その割にはアイツまッッッたく指導の手を緩めないじゃない。つまりシオン基準じゃ私達のレベルはまだまだってことでしょ。これだけ厳しくてまだ終わりが見えないと思うと気が滅入ってくるわ……ルビーもそう思わない?」
ぼーっと仰向けになりながら天井を眺めていたルビーに水を向ける。蜂蜜色の髪の少女は「ほぇ?」と間の抜けた声を上げた。
「だからコーチの指導の話よ。アイツの目指すところがどの程度なのか知らないけど、ちょっと厳しすぎるんじゃないかって話。正直辛くない?」
「あー、まあ確かに……厳しすぎて時々うるせぇオッパイ吸ってやろうかこのメスガキって思うことはあるけど……」
「いやアンタのが怖いわ……」
「シオたんメスじゃないし……」
突如暴露されたルビーのアブノーマルな本音にドン引きする他二人。かなとMEMちょはそっとルビーから距離をとった。身体だけでなく心の距離も離れた。
確かにシオンの外見は非常に中性的で、柔らかい仕草も相俟って下手な女性より女性らしく感じることはあるが、彼はれっきとした男性である。果たしてルビーはシオンのどこにそこまでの母性を見出したのだろうか。気になるが、それを直接聞く勇気はかなには無かった。
「でもその分、出来なかったことが出来るようになった時はいっぱい褒めてくれるし……何だかんだ言って私達のためって気持ちは伝わってくるからさ」
「まあ……それは分かるけど」
「有馬ちゃんはコーチ役に徹してるシオたんしか知らないもんねぇ。苦手意識持っちゃうのも無理ないけど、ホントは優しいコなんだよ?」
「そうそう! シオンさんはガチ陰キャなうちの兄とも親友やってくれる聖人なんだから!」
「……誰が陰キャだ。失礼なヤツだな」
「あ、お兄ちゃん」
噂をすれば何とやら。ルビーの悪口を聞きつけたかのようなタイミングでトレーニングルームに入ってきたのは、ルビーとよく似た顔立ちの少年だった。
「……アクア」
蜂蜜色の金髪に、どこか危うげな光を宿す海色の瞳。水底でひっそりと輝く宝石のような妖しい魅力を纏う少年の登場に、かなはドキリと胸を高鳴らせた。
「メンバー同士親睦を深めるのは結構だが、水分補給はちゃんとしろよ」
「あ、ありがと……」
ぶっきら棒ながらこちらを気遣う様子を見せる少年の姿にドギマギしつつ、差し出されたミネラルウォーターの入ったペットボトルを受け取る。直前まで冷蔵庫で冷やされていたのだろう。ひんやりと冷たく、火照った身体に心地良かった。
「気が利くじゃないお兄ちゃん! ……っか〜! 生き返るぅ〜!」
「飲み方がおっさんクセェ」
「うっさい。それだけ喉乾いてたの!」
「ならくっちゃべってないでさっさと水飲んどけ。体力はあり余ってるのに脱水症状でぶっ倒れるなんざ笑い話にもならん」
「なんだとぉ……」
仲が良いのか悪いのかよく分からないやり取りをする兄妹の様子をなんとはなしに眺める。ちびちびと水を口に含みながらしばらくその様子を眺めていると、ふと、かなは二人の姿に妙な既視感を覚えた。
(……なんか、似てる?)
アクアとルビーが、ではない。二人は血の繋がった双子の兄妹なのだから似ているのは当たり前だ。
かなが感じたのは、星野兄妹とシオンとの相似性だった。とはいえ外見的にはそこまで似ていない。顔立ちも全く異なるし、醸し出す雰囲気も二人とは全く別物だ。
しかしこうしてアクアとルビーが並んでいる様子を見て、かなはようやく既視感の正体に思い至る。目だ。まるで星を浮かべたようなキラキラとした瞳が、三人は非常によく似ているのだ。
(血の繋がりがある……わけないわよね。偶然?)
あるいは妙に二人がシオンを気に掛ける理由もその辺りにあるのだろうか。一度そうと気付いてしまうとますます気になりだしてしまい、かなはじっと少年の海色の瞳を凝視した。
「……どうした有馬。俺の顔に何か付いてるか?」
「えっ。いや、その……」
それだけ強い視線を向けていればどれだけ鈍かろうが流石に気付く。アクアは怪訝そうに己を凝視してくるかなに顔を向けた。
しかし、問いかけられたかなは答えに窮した。これで「アンタとシオンって血の繋がりがあったりするの?」と聞いて「実は遠い親戚で……」と返ってくるならまだ良いが、もし「実は異母兄弟なんです」とか言われた日には気まずいなどというレベルではない。
見る限り三人の仲は良好なためそこまで気にすることではないのかもしれないが、どこに爆弾が潜んでいるか分からないのが人間関係というもの。とかく芸能人にはそういう複雑な家庭事情を抱えている人間が多く、下手に首を突っ込むと藪蛇になるようなケースは枚挙に
「……アンタって随分とシオンにご執心よね」
「は?」
「何かっていうとあの子のこと目で追ってるじゃない。まあ気持ちは分かるけど。歌もダンスも上手いし容姿もずば抜けてるし……私なんかよりあの子をメンバーに入れてセンターやらせた方が良かったんじゃない?」
代わりに口をついて出たのはそんな憎まれ口だった。とはいえ全くのデタラメというわけでもない。表立って態度に出すことこそなくなったが未だにシオンというタレントに対する嫉妬心はあるし、自分などよりシオンの方がよほどB小町のセンターに相応しいという思いは強い。それはかな自身が抱くセンターに対する自信のなさの表れでもあるが、紛れもない彼女の本音だった。
「……後悔してるのか? アイドルになったこと」
「後悔、はしてないわよ。切っ掛けはどうあれ自分で決めたことだし。でも向いてないとは思ってる。私なんかがセンターやるなんて、きっと碌なことにならないわよ……」
苺プロのアイドルになることを決めたのは自分の意思だ。そのこと自体に後悔はない。
期待に応えたいという思いも本当のことだ。黄昏の公園でアクアから掛けられた言葉は今でも厳しいトレーニングをこなす上での原動力となっている。
それでもセンターだけは。“有馬かな”がグループの
「アンタも知ってるでしょ? 私が昔に比べてどれだけ落ちぶれたか……今の私にファンなんていない。子役じゃない私に価値なんてないのよ。そんな私がセンターなんてやって、大ゴケしたらどうするのよ……」
自分が売れないのは別に良い。大人達から向けられる失望の眼差しも、SNSの好き勝手な書き込みもとっくの昔に慣れた。今更自分一人がどうなろうと構わなかった。
だがB小町はチームだ。ルビーがいるし、MEMちょもいる。自分一人が失敗するだけなら何とも思わないが、かなが失敗すれば二人にも累が及ぶのだ。
それだけは耐え難かった。それだけが唯一の恐怖だった。
有馬になら大事な妹を預けられると、そう言われたのに。その言葉を裏切ることになるのが、何よりも恐ろしい。
「……正直、俺は有馬が今まで何をして、どんな思いでこの業界にいたのか全く知らん。俺が知ってるのは十三年前、初めて共演した時の“有馬かな”と、今ここにいる“有馬かな”だけだからな」
「……それが何だって言うのよ」
「その二つの“有馬かな”を比較した上で言うが。お前、別に本質は何も変わってねぇだろ。ちょっと世間を知って臆病になっただけだ。俺にとってお前は口が悪くてクソ生意気な、ただの小娘だよ」
「なんだとコラ」
あんまりにあんまりな物言いに思わずいきり立つかな。
しかしこちらを
「そんなに今の自分に自信がないって言うなら、いっそ昔の自分に戻ってみたらどうだ?」
「は、はぁ? 私の話聞いてた? そもそも私はもう子役なんて歳じゃ……」
「子役どうこうじゃなくて、演じ方の話。お前、何かというと周りのレベルに合わせる癖があるだろ」
正確には癖ではなく、そうなるように努力したのだ。「自分が自分が」と己を前面に出す演技は主役級を演じるには申し分ないが、主役だけでは作品は成り立たない。時には自分以外の誰かを立てる演技ができてこそ一流の役者であると言える。
故に主役級の演技しかできなかったかなは子役としての旬が過ぎると共に仕事を失っていった。かなの演技方法は求められる演技の幅が狭い子役だから許されていたものである。主役しかできない役者など作り手側からしたら使いづらいことこの上ない存在なのだから、これは仕方のないことだった。
「それは過去、自己顕示の強い演技をし続けて仕事を失ったお前がこの業界で生き残るための戦略だったのかもしれないが……過去の演技に価値がなかったわけじゃない。有馬だって別に昔のやり方が悪かったと思ってるわけじゃないんだろ? 素行や言動はともかく」
「うっさい一言余計よ。……まあそりゃ? 伊達に天才子役って呼ばれてたわけじゃないし? でも、今の私が今更昔の演技なんかしたところで……」
「逆だろ。今のお前にこそ昔のやり方が必要なんだよ。そうだろ? “元子役アイドル”有馬かな」
「昔のお前も今のお前も、どっちも同じ“有馬かな”じゃねぇか。役者なんだから上手く使い分けろよ。アイドルが周りに合わせてやる必要なんかない。『私が一番』って輝きでファンを魅せるのがアイドルで、センターの役割なんだからさ。得意だろ、そういうの」
──
今の自分に自信がないならそれでも良い。しかし殊更に昔の自分と今の自分を切り離して考えるのはナンセンスだ。昔も今も同じ“有馬かな”なのだから、今求められている役柄に沿った自分を引き出して便利に使えばいい。
「……『今日あま』の時も思ったんだけどさ。アンタって誰かをのせるのが得意よね」
「俺には有馬ほど役者としての才能がないからな。周りにあるものは何でも使わなきゃやってられん。小道具、カメラ、照明、環境、そして人間。その場にあるものをその場に適したように便利に使って、そこまでしてようやく二流ってところ」
「で、私も便利に使おうってわけ? ほんと、アンタって昔からデリカシーってもんがないんだから……」
だが、悪い気はしなかった。言外に「今の素のお前じゃアイドル無理だから演技しろよ」と言われたようなものだが、心にもない言葉で空っぽの激励を送られるよりよほど心に響いた。
そうやって誰かに求められることを、この十年間ずっと望んできたのだから。
「良いわ、せいぜい便利に使われてあげる。アイドル演じてる私の神々しさに腰抜かさないことね!」
「言ってろ。呑気してるとこれから仕上がってくるルビーとMEMちょに追い越されるぞ。なあ?」
「あったり前じゃん! 今はまだ先輩に合わせてもらってるけど、すぐに追いついてみせるんだから!」
「もち! 歳上の意地見せちゃうぞ〜!」
かなが元気を取り戻したのを見て笑顔を浮かべるルビーとMEMちょ。
能天気にアイドルを夢見る二人は、それ故に純粋で、見る者を惹きつける魅力を放つ。それこそはスターとしての素質、いずれ大器に至る片鱗に相違ない。これに確かな技術が備わればきっと化けるだろう。
この二人が育つまでは、センターとしてグループを牽引するのも悪くはないと。そう思える程度には、かなは二人に絆されていたし、精神的に持ち直していた。
「 ──話 は 聞 か せ て も ら い ま し た ! 」
『!?』
直後、バァン! と轟音を立ててトレーニングルームの扉が乱暴に開かれる。
そこに立っていたのは瞳を潤ませたシオンだった。気が付けば休憩時間の十五分はとっくに過ぎている。
「有馬さん」
「は、はい?」
「僕は感動しました。有馬さんの責任感の強さ、与えられた役割への真摯な姿勢、いずれも素晴らしい。やはりあなたこそがB小町のセンターに相応しい」
「い、いや、そんなこと……」
「いやぁ、良い青春の一幕を見せてもらいました。やっぱり有馬さんとアクア君はお似合いのカップルですね!」
『ブ───ッ!?』
笑顔で告げられたその一言に盛大に吹き出すかなとアクア。ルビーとMEMちょの二人は「えっ、マジで?」という顔で二人を見た。勿論そんな事実はない。
「ななななな何言ってるのかしらこの歩く顔面兵器は!? だだだ、誰と誰がカップルだって!?」
「え、違うの? 二人の距離感的にてっきり付き合ってるものと……」
「んなワケあるか! 澄ました顔で何てこと言いやがる!」
『誰がこんな奴と付き合うか!』
「いや有馬ちゃんとアクたん息ぴったりじゃん……もしかしてホントに……」
「えぇ〜、先輩が将来の義理の姉? それは何か嫌だなぁ……」
「んだとシバくぞコラ」
途端に騒がしくなるトレーニングルーム。ネタにされるかなにとっては堪ったものではないが、やはり惚れた腫れたの恋バナはいつだって少女達の興味を引きつけるものなのだろう。目に見えてルビーとMEMちょのテンションが上がっていった。
元気があり余っているようで何よりである。
「よし、それではトレーニングを再開しましょう。元気そうなのでルビーさんとMEMちょさんは先ほどのレッスンで駄目だったところをおさらいします。『サインはB』と『STAR☆T☆RAIN』と『HEART's♡KISS』を通しで五回ほどやりましょうか」
『いやあああああーーー!?』
「勿論ボーカルレッスンもやりますからご安心下さい」
『ぎゃあああああーーー!?』
よりにもよってB小町の持ち歌の中でも特にダンスがキツいトップスリーを指示され悲鳴を上げる二人。しかもその後にしっかり歌の練習もするという。相変わらず人の心がない、まさに絵に描いたようなスパルタトレーニングだった。
かなは悲鳴を上げる二人を見て、正直ザマァと思った。
「ちなみに有馬さんの体幹トレーニングも通常の三倍の密度のものに組み直しましたので、ご期待下さい」
「人の心とかないのかしら?」
「所要時間は変わらずとも三倍の効果が得られるものに仕上がったと自負しています。その分かかる負荷も相応のものになりましたが、問題ありません。全て跡形もなく回復させてみせますから」
「わァ……ァ……!」
かくして、地獄のスパルタトレーニングは更に密度を増して三人に襲いかかる。
JIF本番まで残り半月もない。しかし地獄の鍛錬は着実に三人を成長させていた。アイドルの育成に携わる者が彼女らを見れば、短期間でのあまりの急成長に目を見張ることだろう。
その結果は半月後に否が応にも明らかとなる。
その時こそ、世間は新たな超新星の誕生を目の当たりにすることだろう。
【
アイに言われるがまま、アイが満足いく水準まで鍛えるべく三人に地獄のトレーニング(善意100%)を課す。人の心とかないんか?
人の心はあるが自分のスペックがシンプルに化け物なため、基準値がバグっておかしなことになっている。自分をまだ人間だと思ってる哀しきフィジカルモンスター。普通の人間はミクロン単位で筋肉の動きを微調整することはできないし、体力に余裕があるなら何をしても良いというわけではない。人の心とか(ry
【
愛する娘と愛する息子の彼女(候補)と娘のお友達を立派なアイドルにするべくめちゃくちゃ張り切っている。君達を一流アイドルに仕立てや……仕立て上げてやんだよ!
人の心はあるが自分のスペックがシンプルに高水準なため、無意識に相手にも同じレベルを要求しがち。一応自分がアイドルという分野に関して天才的であるという自覚はあるが、今回はテンアゲで舞い上がってるためセーフティが外れてしまっている。
あれとそれとこれとあそことこれこれとついでにそれを直せば及第点だよ!
じゃあ次は更にそれを完璧に近付けるための練習を重ねよう! とりあえず通しで五回!
人の(ry
【
シオンとアイのマジカルエステによって十歳ぐらい若返った。元々若々しいため劇的と言えるほど大きな変化はないが、肌年齢がもう別物。ノーメイクで現役JKとタメ張れるレベル。
その後、街を歩いていたら芸能人としてスカウトされそうになったとか。
【
B小町のヘタウマ担当……だったが既にある程度オンチは改善されており、アイドル基準としては普通に上手い方。
無垢にアイドルを夢見ているが、ルビーほどアイドルに夢を見ているわけではない。良くも悪くも現実の世知辛さは身を以て理解しており、人生経験的にはメンバーの中で最も大人。とはいえ芸能人としては芸歴十七年のかなちゃんが圧倒的なため、“芸能人の先輩”として無意識に寄りかかっている節がある。
【
母性に飢えた哀しきモンスター。オギャってバブってじゃんけんポン。
とはいえ前世の事情が事情であり、今世においてもアレなため母の愛に飢えているのは仕方のない面はある。いずれ愛するセンセーやママとも再会できるからそれまでの辛抱である。
それはそれとして、雰囲気が似ているからという理由で同年代の少年にバブみを求めるのは流石にどうなのってテスカトリポカ思うワケ。
【
「かなちゃんと仲違いしてない」+「ぴえヨンのふりをせず素顔で接している」という状況で、アクアはどう悩めるかなちゃんにアドバイスするのか……という作者なりの解釈が今回のお話でした。
ぴえヨンのふりをしていないため、原作の「毎朝走り込みと発声欠かさない努力家〜」の下りを素直に言うとは思えなかったため、拙作においてはかなちゃんの役者としての部分を刺激して発破をかけるような形になりました。
多分アクアはアイのように自信家で他者を魅了する輝きを放つ人が好きだと思うので、割と幼少期のかなちゃんは口が悪いことを除けば好みドストライクだったんじゃないかなーと思う次第です。中々素直に本心を言葉にできないところも、そこはかとなく天性の嘘吐きだったアイに似てるような……と妄想してみたり。
以上、考察ですらない作者の妄想ちゃんでした。解釈違いだったらメンゴ。
【
B小町の加湿器担当。元々歌もダンスもアイドルとしては及第点レベルだったのに、シオン&アイ'ズブートキャンプによってワープ進化。名実共にセンターに相応しい実力者へと成長を果たした。
……にもかかわらずメンタルが実力に追いついておらず、私なんかがセンターなんて無理無理カタツムリ状態。湿気のせいで鏡が曇って自分の魅力に気付かずまた湿気出す永久機関。拭け。
しかしこんなんでも原作よりはマシな精神状態。端的に言うとアクアと喧嘩していないので、「私を見てくれる人なんて誰もいない……」「いるさっ! ここにひとりな!!」となるため鬱になる一歩手前のところで踏ん張れている。それでもデフォで湿ってるあたり筋金入り。
唯一自分を可愛いと言ってくれたアクアの視線が突如急襲した歩く顔面兵器に吸われたことで嫉妬によりまた湿ったが、それもアクアの発破によって除湿される。気になる男の胸先三寸で湿ったり乾いたりする様はまさに恋する乙女。はよくっつけ。