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アクセンチュアを2年で辞めそうだった僕が、コンサルの「本当の楽しさ」に気づくまで

「自分はコンサルに向いていない」と、ずっと思っていました。

アクセンチュアに入社して最初の社内テストでは、いつも下位クラスでした(アクセンチュアでは入社直後に、SAPIXのクラス分けテストのような試験があるのです)。コンサル適性があるとは全く言えなかったと思います。

しかし、最終的には700人の同期の中で最も早く、5年でシニアマネージャーに昇進しました。最後は仕事が本当に楽しくて、今でもアクセンチュアのことは大好きです。

ただ、そこに至るまでにはけっこうつらい期間が続きました。

コンサルの仕事が楽しくなったのには、明確な「きっかけ」があるんです

今回はそんな話をしてみます。特に、いまコンサルをやっていて「この仕事向いてないんじゃないか」とモヤモヤしている方がいたら、なにかしらのヒントになれば嬉しいです。

データサイエンティストになりたかった

僕はもともとデータサイエンティストになりたいと思っていました。大学では情報工学を専攻していて、大学院を出たあと、2018年に新卒でアクセンチュアに入りました。

データサイエンティストになりたかったのは、正直に言ってしまえば「人と違うことをしたかったから」でした。研究職に進む同期が多い中で、ビジネスの道に進めば差別化できるような気がしたのです。

「アクセンチュアに入れば給料もいいし、周囲に認められるのではないか」と思っていました。

入社後はデジタル部門に配属されました。コンサルティングというよりも、開発や分析などのエンジニア的な役割を担う部門です。当時は、工場の異常検知をするAIサービスの開発などをやっていました。

コンサル組織の中では作業者のような立ち位置で、お客さんとは一切話さない仕事です。

お客さんの話はPMを挟んでしか聞かないし、ビジネスの全体像もまったく知らずに、言われた作業をやる。そんな時期が半年ほどありました。

誰も知らないプログラム言語の案件

ところがそのうちに「新しいプロジェクトが立ち上がる」という話になりました。

それは、大手通信会社のプロジェクトでした。社内にあるGPSデータを集約して、「この時間帯のこの場所は、20代女性が多く集まる」といった人流データを可視化する。そういう企画があったのです。

GPSデータを処理するためには、システムの開発をする必要がありました。

ただ、それをかなりマイナーな言語で書いて欲しいという要望が、クライアントからあったんです。当時プロジェクトには100人ぐらいいたのですが、その言語がわかる人は一人もいませんでした。

もちろん僕もわかりません。

しかしなぜか「誰もいないから鴨居くんやって」ということになってしまいました。頼れる人が1人もいないままアサインされてしまったのです。

それでもクライアントにとっては、高いお金を払っている「エキスパート」なわけです。力不足で会議のたびにクライアントに怒られまくり、週末や通勤時間にずっと勉強しながら、なんとかやっていました。

お客さんと話すときに手が震える

この案件の最中、僕は自分のコンサル適性のなさを痛感していました。

お客さんと話すときに手が震えるんです。緊張して。

最初からずっと炎上しているような案件だったので、クライアントとの対話はかなりハードでした。納期も伸びてしまい、途中からなんとか人を増やしてもらって。チームを持つのも、そもそもクライアントと直接話すのも、その案件が初めてでした。

クライアントに怒られるのがつらいというよりも、怒らせてしまう自分の能力のなさが不甲斐なかった。

結果的にシステムは作りきったのですが、やり切ったという達成感よりは「やっと終わった、、」という気持ちのほうが強かったです。

「もうコンサルは辞めよう……」

なんとかプロジェクトが片付いて、冷静になった僕は「会社辞めよう」と思いました。

当時は完全に「自分にコンサルは向いていないんだ」と思い込んでいました。

コンサル会社では、どちらかというと技術ができることよりも、クライアントと対話できることのほうが評価されます。これはもう、自分には向いていない。開発もクライアント対応も両方やるのは、自分には無理だ。そう痛感したんです。

それで「コンサル会社じゃなくて、技術の会社でやっていこう」と決意し、週末に勉強して競技プログラミングの大会に出たりしていました。

必死だったと思います。「とにかくなにか武器が欲しい」「技術を極めてプロになれば、この苦しい状況から抜け出せるはずだ」と思っていたんです。

転職活動も始めて、技術系の会社を中心に見ていました。

やばい案件にはとりあえず鴨居

そんなある日、上司の上司ぐらいの偉い人に突然呼び出されました。

そして「韓国でコンサルティング案件があるから、行ってきて」と言われたのです。

僕は小学生までタイに住んでいて、一応英語が話せます。またしても「英語できる人がいないから、鴨居くんやって」みたいな感じでした。

「ヤバい案件にはとりあえず鴨居を突っ込んでおけ」みたいになっている気がする……。そう思いながらも、韓国に行くことになりました。それに伴って転職活動も中断しました。入社2年目のときでした。

よくわからないまま韓国へ

韓国のクライアントからの依頼は「AIを活用したマーケティングの方法論を教えてほしい」というものでした。その道の有識者を派遣してくれ、と。

僕は当時、その分野の有識者でもなんでもありませんでした。本物の有識者の人は日本にいて、彼に聞きながら僕がクライアント対応をしないといけない。けっこうな無茶ぶりでした。

でも結果的に、苦手だった対面にものすごく強くなったんです。

入社2年目の若造が、クライアントの部長陣にめちゃくちゃ質問されるのを全部捌いていたので。わからなくても、ちょっと濁して、有識者の人に聞いて、堂々と返す。そういうことがかなり得意になりました。

韓国語を覚えて最終発表をした

この案件は僕にとって、初めての成功体験でした。

実は、韓国にいる間にがんばって韓国語を勉強して、最終発表は韓国語でおこなったんです。それがお客さんに響いて、とても喜んでもらえました。

その後、取組みが韓国でうまくいったらしく、そのチームの人が全員昇進したと連絡がありました。部長の人も役員になったそうで、すごく褒めていただけました。

そのとき思ったのは「ここまでコミットするのが大事なんだな」ということです。コンサルって頭がよければ、話術がうまければ成果が出るわけでもないんだな、と。

実際はもっと異種格闘技のような感じで、お客さんの役に立つためならどんなことでもやる。それで初めて評価されるんだなと感じました。

初めてリーダーを任され、炎上

日本に帰ってくると、また「大きい案件がある」という話になりました。

5人ぐらいのチームでアサインされ、僕は初めて正式にリーダーを任されることになったのです。

そのプロジェクトは、小売業界のとある大手企業の案件でした。「位置情報のデータを分析して、小売店のマーケティングに活用しよう」というものです。

半年で数千万ぐらいの規模で、普通はマネージャーがやるレベルの案件でした。

僕はリーダーをやるのも初めてですし、なによりデータの分析案件をやったこともありませんでした。エンジニア的な開発の経験はあったのですが、データ分析はどちらかというと、マーケティングやコンサルティングの能力が求められるんです。

結果的に、案件は炎上しました。

「できない」と言えなかった

当時の僕の最も良くなかった点は、できないことを「できない」と言えなかったことです。

僕は上司に相談せずに、自分で頑張ろうとする癖がありました。

これまでの案件でもつねに無茶振りはされていて、それになんとか応えることで経験を積んで、評価もされてきたんです。その自覚があったので、なおさら頼れませんでした。

でも、そのときはついにキャパを超えてしまったんですよね。

お客さんには報告のたびに「クオリティが低い」と怒られ続けていました。データ集計の列を間違えるという凡ミスをして、いわゆるシステム事故みたいになって始末書を書いたりもしました。

もっと早く、無理だとわかったタイミングで、プライドを捨てて人に頼るべきだったと思います。レベルの低い気づきかもしれませんが、本当に痛感しました。

それでもなんとか頑張って、上司にも助けてもらいながら、プロジェクトは着地させて終わりました。

「なんかもう疲れたな……」

このプロジェクトが終わった後、僕はいよいよ疲れ果てていました。

ずっと怒られ続けて、お客さんの期待値に応えることも正直できなかった。「うまくいかなかったのは全部、リーダーである自分のせいだ」と思いました。やっぱり自分にコンサルは向いていなかったんだ、と。

すっかり自信をなくしてしまい、転職しようとすら思えませんでした。

そこから1年ぐらいの記憶は、正直あまりないんですよね。ちょっと鬱っぽくなってしまっていた気がします。社会人3年目、27歳ぐらいのときです。

それからは目立った成果も出せませんでした。いちおう仕事はしていたけど、めざましい成果がない。周りから見ても「なんか伸び悩んでる」「最近ダメだね」みたいな感じだったと思います。

エンジニアチームの末端へ異動

疲れ果てた僕はまた「コンサルティングよりも、エンジニアとして技術力を伸ばした方がうまくいくんじゃないか……?」という思考に陥りました。

それで会社に言って、社内異動でエンジニアを半年ぐらいやらせてもらったんです。コードを書く作業がメインの、1年目と同じ仕事です。

当時はもうマネージャーに昇進していました。だから周りからすると「この人、なんでここにいるんだろう……」みたいな感じで、ちょっと扱いにくかったと思います。

プロジェクトの末端になるので、作業だけやっていればいいんです。

でも、いざやってみると、勝手に全体を気にして動いてしまっていました。エンジニアリングだけしていればいいのに、ビジネスのこともつい気になってしまうんです。

それでようやく「やっぱり自分は、技術力も活かしつつ、ビジネスをやりたいんだな」と気づきました。

それで、なんだか少しだけ元気になって、もう1度コンサルティングに戻ることになったんです。

かなり迷走してしまい、会社には申し訳なかったのですが。。

で、コンサル組織に戻るときに、当時一緒にやっていたエンジニアをチームごと連れてきて、コンサル組織と統合することになりました。結果的にこれまでで一番大きい、50人ほどのチームのマネージャーになったんです。

メンバーの雇用を守らないといけない

50人のチームを見るようになって、しばらく経ったタイミングで、会社からある通達をされました。

「コストと売上が見合ってないから、人を半分ぐらい減らせ」と。

確かに当時のチームは、売上に対して人が多すぎました。

当時、アクセンチュアでチームから外された若手は、誰かが引き取ってくれない限り、そのまま社内に放流されてしまうことになっていました。そうなると、あまりちゃんとした経験が積めなくなってしまいます。

僕も若手の頃、チームから外されそうだったことがありました。そのときは上司が「鴨居くんは後々活躍しそうだから」と言って守ってくれたのだと、後になって聞いていました。

それもあって、今度は自分がメンバーの雇用を守らないといけないと思いました。

人を減らされないためには、売上を伸ばさないといけません。つまり「大きな案件を取ってこないといけない」という状況になったのです。

できもしないことを提案するってどうなの?

それまでの僕は、クライアントに対してあまり「大きな提案」をしたことがありませんでした。

「できもしないのに、絵空事のような提案をするコンサルって、ちょっとどうなの?」と思っていたからです。

夢みたいな大きな絵を描いて、結局100%は実現できない。それってお客さんを騙してるんじゃないか? と思っていたんですよね。あまり誠実じゃないよな、と。

それでずっと、小さい提案をたくさんしていました。自分の専門であるAIやデータ分析の範囲内でやれることだけを言っていたんです。そうすると、コンサル会社では最小単位の、500万〜1000万ぐらいの案件になります。

ただ、金額が小さくても関係部署はいろいろあるので、自分の仕事量ばかりが増えてしまっていました。当時はそれで疲弊してしまっていた部分もあったんです。

「大きい絵を描け」

大きい提案をしないといけない。

そういう状況になったとき、ふと、ある上司がくれたアドバイスを思い出しました。キングダムの武将みたいな上司で、今でもいちばん尊敬している方です。

彼に言われたのが「大きな絵を描け」ということでした。

「小さい提案をして、小っちゃいことをいっぱいやったところで、変革は起きない」「そうじゃなくて、大きい絵を描け」「そのほうが案件も広がるし、本質的な変革を起こせる」と。

コンサルティングが嫌になっていた僕を見かねて、そういうフィードバックをくれたのです。

そのときの僕には、正直まったく刺さりませんでした。コンサルじゃなくて技術で勝負したいと思っていたので「そんな絵空事を言われてもな、、」と思ってしまって。

でも、いざチームのために大きい案件を取らないといけない瞬間が来たとき、このアドバイスを思い出して「やってみよう」と思ったのです。

1枚の絵が、億単位の案件に

それは、とある大手企業の、ECサイトのリニューアル案件でした。

それまではデータやAI関連の仕事を受けていたため、その延長で、レコメンドエンジン改修やデータ分析など、小さな改善だけを提案することもできました。

しかし今回は、もっと視野を広げてみることにしました。サイトの体験デザインから、裏側の開発手法まで、包括的にアップデートするような、数年がかりの構想を考えたのです。

ただのECリニューアルではない、組織全体の変革を目指す1枚の「大きな絵」でした。

提案はクライアントに好評でした。

結果的に、年間数億円規模のプロジェクトになったのです。

間違いなく「変革」のきっかけに

コンサルの仕事が楽しくなったのは、この提案がきっかけでした。

「大きな絵」に描いた構想のなかには、計画どおり期間内に実現した部分も、実現しきれなかった部分もあります。

ただ、プロジェクトから僕が離れたあとも、クライアント社内で変革チームが立ち上がり、取り組みを続けてくれたらしいのです。

それを聞いたとき、僕は心底嬉しい気持ちになりました。

コンサルティングを依頼するクライアントのなかには「変わりたい」という潜在的なニーズがあります。

だからこそ、変わるための適切な道のりを「大きな絵」として描くことができれば、その提案は間違いなく、企業の変革のきっかけになるのです。

かつての自分はそれを「絵空事だ」と馬鹿にしていました。でも、絵空事を描かないと変わらないことも確かにある。それを知ったことは、大きなブレイクスルーだったと思います。

「自分にできる範囲」を超えた提案をする

大きな絵を描いて良かったことが、もうひとつあります。

それは、いろんな人と一緒に仕事ができるようになったことです。

視点を上げて、大きな構想をつくったことで、プロジェクトにいろんな人を巻き込むことになったんですよね。

それまではずっと「自分にできる範囲の提案」をしていました。自分の専門範囲内で提案して、似た人とばかり接していたんです。

でも、大きな絵を描くには「自分のチームだけではできないこと」も提案に組み込む必要がありました。

たとえば、システムだけでなくアプリのデザインも変えるとなると、デザイナーの人が必要になります。僕のチームにデザイナーはいませんでしたが、アクセンチュアのなかでデザインができる人と協力してやりました。

まずは、お客さんにとって一番意味があることを考える。

それを誰とやるかは、あとから考える。

この思考の切り替えは大きかった気がします。

それからは、ずっと楽しかったです。意味があることもやれてるし、いろんな人と働けて。大きい絵を起点に、いろんな人に関わることになるから、チームも自然と大きくなっていったんです。

自分が取ってきた仕事で、みんなを巻き込んで、ワイワイ働ける。それは自分にとって、大きなモチベーションになるのだと気づきました。

結果的にこの仕事が認められて、シニアマネージャーへの昇格も決まったのです。

承認欲求が満たされた先で、本当の楽しさを見つけられるか

コンサルの仕事は、楽しいです。

ただ、僕を含め多くのコンサルタントが、キャリアの途中で深い谷に直面するのも、また事実だと思います。

1年目は初めてのことばかりなので、なんでも面白いです。でも、2年、3年と経つにつれ、求められるレベルは上がっていきます。1つの分野だけでは評価されなくなってくるのです。

技術者あがりの人であれば、技術だけではなくビジネスもできなければいけなくなる。逆に、文系のビジネスコンサルは、だんだん技術への理解まで求められるようになります。

さらにはマネジメントもしないといけない。忙しすぎてパンクしそうになります。「こんなのは自分のやりたいことじゃなかった」と思う瞬間が、きっとやってきます。

マネージャーになれば、年収は1000万円を超えます。なんとなくのモチベーションだった承認欲求も満たされてしまい、ふと、踏ん張りがきかなくなる。僕自身も、その感覚がありました。

でも、ブレイクスルーはその先にあります。

そこからが面白いんです。

人が取ってきた仕事をやるより、自分で取った仕事をやるほうが、何倍も楽しいのです。

あくまで個人的な意見ですし、生存バイアスかもしれません。でも、自分でリーダーシップをとって、案件もチームも大きくなっていくのが、僕はとても楽しかった。

それができたのは、技術とビジネスの両方を、あきらめずに身につけてきたからだと思います。

どちらかしかわからなければ、大きな提案はできないし、その後のエグゼキューションもできない。いろんな人を巻き込んで、組織を作ることもできなかったと思います。

コンサル就職は「モラトリアムの延長」と言われたりします。それは一定、正しいと思います。本当にやりたいことがある人は、わりとすぐに辞めるんですよね。コンサルとして残る人は、個人としての「やりたいこと」があまりない人が多い。

だから難しいんです。特にマネージャーになってからが難しい。「お金のため」と割り切れられたらいいですが、そうはいかない人もいます。

そのとき、承認欲求を超えた先に、仕事の「本当の楽しさ」を見出せるかどうか。

そこで大きく道が分かれるのだろうと思います。

「コンサル向いてない」は本当か

僕は結果的にコンサルの仕事が好きになったし、早く出世しました。

しかし冒頭にも書いたように、決して「コンサル向きの人間」ではありません。テストの点数も、仕事のクオリティも、突出していたわけではないと思います。

ただ、ひとつだけ他の人と違った点を挙げるとするなら「誰もやりたがらない仕事」をたくさん振られて、やり切ってきたことです。

誰もやったことがないことや、みんなが「無理でしょ」と思うような仕事を振られて、めちゃくちゃ怒られながらも、いろいろな人に助けていただきながら、なんとか最後までやり切った。

そこだけで評価されてきたような気がします。

スキル偏重と思われがちなコンサルですが、実はそれよりも重要なのは「やり切る力」なのだと思います。

もちろん無理は禁物ですが、昔の僕のようにスキル面だけで「自分はコンサルに向いてない」と思って苦しんでいる人がいたら、それはもったいない思い込みなのかもしれません。

***

ここまで長い文章を読んでくださり、ありがとうございます。
アクセンチュアを辞める気はまったくなかったのですが、実は縁あって転職し、昨年からAlgomaticという会社で、エンタープライズ向けのAIソリューション事業の責任者をやっています。

創業3年目、今かなり勢いのある生成AIスタートアップです。各ポジション、積極採用中です。もし少しでも気になるという方は、ぜひお気軽にご連絡ください!

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