“世論を分けるテーマ”ほど政治的には重要視される…腎臓疾患よりも「トランスジェンダー」が政治運動で優先される本当の理由

人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。

世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。

この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか?

オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』長谷川圭訳)が、日本でも刊行された。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。

『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第140回

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『「ニガーという言葉を使ってはならない」という表現は道徳的に糾弾されるべきか…タブー表現「Nワード」に関する「使用」と「言及」の差異』より続く

性別違和の問題

ウォーク(WOKE)運動の目標リストの最上位に来るスローガンの多くは説得力があるし、重要だ。女性や移民、障害者や貧困者が被る不利益はあまりにひどく、とうてい見過ごせない。現代社会は今後もそうした問題を過去のものとする努力を続ける必要がある。だが同時に、社会活動家が掲げる道徳的課題の優先順位にはしばしば驚かされる。最新の『精神障害の診断・統計マニュアル(DSM-5)』の推定では、性別違和(ジェンダーディスフォリア)—ある人物が自分で認識する性別(ジェンダー)と身体的な性別(セックス)の不一致—は総人口のわずか0.014パーセントに過ぎない。もちろん、そうした人物も例外なく、抑圧や差別されることなく自由に生きるべきだ。だからといって、社会全体としてみた場合、彼らがごく少数であり、彼らへの対応は小さな問題に過ぎないという事実は変わらない。単純に、性別違和は極めてまれなケースなのだ。

だからこそ、性別違和ではない者のほうが道徳的なパニックに陥っている現状は理解しがたい。性別違和はまれではあるが、本人の思い込みなどではなく、実在する現象だ。実在するのだから、「生物学的な特徴が女か男かを決める」などと主張したところで、この現象が理解できるわけでもないし、そうした人物との社会的なつきあい方が改善されるわけでもない。

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このあたりの理解の助けになるケースとして、養親の法的および社会的ステータスが参考になる。育ての親は養子にとって本当の親だ。したがって、ことあるごとに育ての親は生物学的に見て「本当の」親ではないと強調することは、乱暴だし、失礼だし、不必要なことだ。確かに臓器移植や遺伝性疾患の診断時など、そのような指摘が適切な場面も存在するかもしれないが、今後、性的に凶暴なトランス男性が大挙して女子更衣室へやって来て、犠牲者を増やすだろうなどといった憶測を繰り返すことは、(もちろんまれにそういった事件が起こることは考えられるが)ばかばかしいし、敵対的だ。加えて、決して見落としてはならない点が一つある。右翼保守派が最も好む効果的な政治手段は、性的に逸脱した犯罪者に対する恐怖を巧みにあおって大衆に新しいことや未知のことに対する不安を植え付け、自分たちの退行的な政治への支持を得ることなのだ。

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