古神道では、日と水で「神」と呼んできましたが、「日=神」と言う風に「日」自体が神という認識でした。
ですので、卑弥呼は本来「日巫女」であり、日子というのも神の子という意味になります。
そもそも中国『魏志倭人伝』に出る「卑弥呼(ひみこ)」は、外来の史書に記された名称であり、「卑」は卑下・卑しいという意味をもち、尊称ではなくむしろ見下すニュアンスが強いです。
本来の意味は
「ヒ(=日)」=神霊
「巫女(みこ)」=神と人とをつなぐ媒介者
本来は極めて尊い称号であり、倭国の宗教的中心を担った存在こそが日巫女のはずです。
『古事記』や『日本書紀』では天地開闢において、まず 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) が現れ、続いて高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)と描かれていますが、現代語訳において神話の冒頭の三柱の段階から「日=神」であるにもかかわらず、「神」という字を付け足すことで本義が失われていったわけです。
高御産巣日(たかみむすひ)
神産巣日(かみむすひ)
八十禍津日(やそまがつひ)
神直日(かむなおひ)
大直日(おおなおひ)
ここでの「日」は単なる語尾や補助語ではなく、神霊そのもの=ヒを表す。
つまり、神名に「日」がついた時点で「神」であり、「神」をさらに重ねる必要は本来なかった。
古代から継承される言霊学の中においても、一音一義(ひとつの音にひとつの意味が宿る)を意味し、神代文(弥生語)でも「日・霊」を「ヒ」と呼び、神霊を意味していました。
その一音一義においては、この宇宙や世界がどのような経過によって生み出されたのか?を、神話の神名によって後世に教えているのです。
神文(弥生語)においては、
天之御中主=何もない宇宙の混沌とした現象を意味しています。
そして物質現象世界を造ろうとする意志が高御産巣日によって生み出したと解釈されるのです。
ですので「天之御中主神」というのは、延喜式神名帳(927年)にも「天之御中主」を祀る神社は何処にもありません。
これは江戸後期、国学者の平田篤胤は西洋思想に影響を受け、「天之御中主」を 唯一神・創造主 のように捉え直したことが原因です。
平田篤胤は「天之御中主神」が人格神として担ぎ上げられ、さらに「豊受大神は天之御中主である」といった説まで唱え、神格を高めようとした。
このような経過からお分かりのように、「日」一語に意味する意義が失われてしまいました。
神話に対する解釈も、古代と現代では大きな違いがあります。
一音一義の弥生語から派生した神代文においては、三十四柱の神々は何もない混沌とした宇宙からの成り立ちを段階的に表現しているのです。
ちなみにここで「豊受大神」が出てきましたので、一音一義の弥生語ではどのような解釈かご説明いたします。
「トヨウケ」は「トヨ=豊かに、ウ=生み出す、ケ(カ)=母体」を意味します。
では、「日」の意味をふまえてうえでタイトルの「日願(ひがん)」についてご説明します。
日(ヒ)=神霊そのもの
願=祈り・誓い
「日願」とは “神霊に祈り願うこと” を表します。
「日」=太陽神であり、同時に祖霊を顕す光。
春分と秋分は昼夜が等しくなる「中正」の時で、太陽が真東から昇り真西に沈む。
この節目に「日願」を行うことで、神と祖霊がもっとも近く通じる時と信じられた。
皇室においては、現在も宮中祭祀として行われており、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)のうち 皇霊殿 で、天皇が歴代天皇・皇族の霊を祭る儀式をしています。
これが「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」として継承されています。
皇霊祭は、もともと各氏族の民間の「祖霊祭祀」に起源がありますが、明治時代の「皇室祭祀令」によって体系化され、春分・秋分の日が「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」として正式に宮中祭祀とされました。
仏教では「彼岸」とは、サンスクリット語 pāramitā の訳で「彼の岸=悟りの境地」へ渡ることを意味します。
日本では春分・秋分に「西方浄土」との結びつきが強調され、仏事としての「彼岸会(ひがんえ)」が広まりました。
元々は古来からの日本の信仰に仏教的な上書きをしているのです。
仏教的「彼岸」は、 既にあった祖霊祭(日願)を取り込み、再解釈したもの と考えられる。
これによって今日の人々には「彼岸=仏事」という印象が強く残っているが、実際には古神道の信仰が基層にあるのです。
現在の、仏教での「お盆」は神道の穂見祭を真似たもの。
子孫等(はつごら)の 立ち居をみれば 自然(おのづから) その祖先等(みおやら)の 居場所しられり 【袷彦】
意味
その家のご先祖が、日の若宮に居るか、黄泉に居るかは、子孫の様子を見れば大凡分かる。 その家の家族が幸せを楽しんで居ると、先祖も日の若宮に居るように心地よく、家族が不幸に苦しんで居ると先祖も黄泉に繋がれて居るように苦しく思う。
子孫の幸せが祖霊を「日の若宮」に導く。
不幸であれば祖霊は「黄泉」に繋がれる。
この教えは、祖霊を仏教的な黄泉の観念に閉じ込められてはならない、という警鐘のニュアンスも感じ取れます。
つまり「子孫の生き方が直接、祖霊の在処を決める」という本来の祖霊観を守ることが、仏教的な他界観に飲み込まれないための防波堤だったのではないでしょうか。
日巫女から受け継がれている鏡霊では「この世もあの世も写し鏡」この世での在り方があの世に反映すると考えられています。
まさに霊界を「修行の場」として捉えると、魂は永遠に達成のために生きることになり、この世も苦行の連続で、まさに修羅のような生き様に。
けれど、本来の霊界とは「還る場所」「安らぐ場所」だったはずです。
嬉しく楽しく、それぞれの世界が共に幸せに・・・
それが神道の教えです
PS,明治維新により一神教政策によって祭神入れ替えが行われましたが、元々多くの神社で祀られていた神様はニギハヤヒです。
こちらもちゃんとヒがついていますね!