『母ではなくて、親になる』は(端的にいえば)作家の山崎ナオコーラさんのお子さんが1歳を迎えるまでの成長の記録である。私は、それまで育児エッセーというものを読んだことがなかった。なぜかというと、私は子育てをする予定がまだないし、つい最近まで興味の対象からも外れていたからだ。共感できないエッセーほど、つまらないものはない。そう思っていた。でもナオコーラさんのエッセーは違ったのである。
ナオコーラさんが、人を見るときの視線は平等だ。男や女というジェンダー的な枠組み、それは例えば「男は一家の大黒柱であるべき」だとか「子どもの育児は主に母親がする」だとか、そういったステレオタイプを軽々と超えていく。例えば、ナオコーラさんのだんなさんだが、彼は町の書店員で、収入はとても低いという。
「だんなさん、もっと稼げるようになるといいですね」という見当違いなことを言う世間。でも、ナオコーラさんは、低収入でも立派な仕事をしている書店員の夫を心から尊敬しているし(私もそう思う)、人としての素晴らしさを感じている。ナオコーラさんとだんなさんの心地よい関係性は『かわいい夫』に詳しいが、「男性としての強さ」や「男らしい魅力」などなくても、「その人らしさ」があれば良い。そこに、優劣や善悪などない、それを誰もが認められれば良いという意思がものすごく伝わってくる。
大人でも子どもでもなく、ただ、ひとりの人として
そして、その平等さというのは、お子さんに対しての姿勢にもあてはまる。一度の流産と、実父の死と、不妊治療を経て授かった、待望のお子さん。愛おしくて、愛おしくて、たまらないはずだ。でもそれは、子どもに依存したり、過保護になったり、ましてや自分の所有物かのごとく扱うことには決してならない。「血なんかどうでもいい。赤ん坊は誰ともつながっていないまっさらな存在だ。」とさえいう。このエッセーのなかで、私が一番好きなパートだ。
山崎家では、生まれたときから、子どもがちゃんと独立している。「オリジナルだね」「唯一無二の存在だね」と子どもに語りかけ、「私が想像もできないような新しい生き方をしてくれたら嬉しい」という。どんなに素敵な言葉がけだろう。「かわいいね」だとか「いいこだね」なんかより、ずっと、ずっと美しい。
エッセーの感想を書かせてもらっていて気付いた。私はこのエッセーを「育児日記」としては読んでいない。男でも女でもなく、父でも母でもなく、大人でも子どもでもなく、ひとりの人としてその人を見ましょうよ。人の多様性を認めましょうよ。そうして、そんなふたりの「親」で、かけがえのないひとりの人を、育てていきましょうよ。そんなナオコーラさんの「所信表明」にただひたすら心を打たれ続けたのだった。
はせがわ・さい
湘南 蔦屋書店 児童書コンシェルジュ
新卒で入った会社をたった1年で退職した後、北海道富良野でラベンダーに囲まれ半年を過ごす。滞在中「私には本しかない」と悟り、帰郷。現在は、選書集団BACHにも所属し、武者修行中。いつか直接お礼を言いたい命の恩人(=それはもう影響を受けた人)に松浦弥太郎、又吉直樹、西加奈子がいる。