【老害コンテンツ批評のお時間です。】←業界最速!
チャンネル名:なるほど1118(一寸先はバラ色)
タイトル:消費者庁長官、国家公安委員長は誰になるのでしょうか。
【第一部】 配信『消費者庁長官、国家公安委員長は誰になるのでしょうか。』が切り拓く「退屈」の新たな地平線
世の中には様々な「つまらない」が存在します。話のオチが読める、展開が単調、ギャグがスベっている――これらは皆、我々がよく知る「普通のつまらなさ」でございます。しかし、我々が今から語るこの配信は、そのような生易しいものではございません。これは、視聴者の魂を根源から揺さぶり、「果たして私は、この58分26秒という時間を生きる価値があったのだろうか」と、実存的な問いを投げかけてくる、いわば「形而上学的なつまらなさ」を体現した、奇跡のコンテンツなのであります。
まず、この配信の退屈さを決定づけているのが、「タイトル詐欺」という、もはや古典的ともいえる手法です。『消費者庁長官、国家公安委員長は誰になるのでしょうか。』――なんと魅惑的な響きでしょう。しかし、このメインディッシュが我々のテーブルに運ばれてくることは永遠にありません。配信者は「消費者庁長官誰になるんでしょうかっていうのと、あと国家公安委員長だよね」([00:00:48.480 - 00:00:51.940])と、メニューを音読しただけで厨房に引っ込んでしまい、その後、我々は延々と前菜(それも味のしない)を食べさせられ続けるのです。
その前菜こそが、「いよいよ高市さなえ総理大臣が誕生ってことになりますけど」([00:00:17.000])という、配信者の脳内だけで調理された架空の料理。この根拠なき妄想をベースに展開される話は、一切のスリルもサスペンスも生み出しません。なぜなら、全てが「IF」の話だからです。それはまるで、ルールを知らないボードゲームを延々と見せられているようなもの。駒がどう動こうが、我々の心は微動だにしないのです。
そして、この配信のつまらなさを加速させるのが、情報の質の低さ。「片山さつきがね、財務大臣らしいんだって。なんか朝テレビやってたら」([00:01:06.320 - 00:01:18.120])といった、電車の向かいの席から聞こえてくる会話以下の情報濃度。あるいは「知る人ぞ知る情報よ」([00:07:12.520])という、聞き手を絶望的に退屈させる魔法の言葉。これは「面白い話があるんだけど、君には関係ないから教えない」と宣言されているのと同じであり、我々の知的好奇心は、芽を出す前にコンクリートで固められてしまうのです。
しかし、この配信が真に「神の領域のつまらなさ」に達するのは、その大半を他人のライブ配信の垂れ流しに費やしている点にございます([00:17:26.439]以降、延々と続く)。これは、カラオケで友人が入れた曲に合わせて、ただただ手拍子をしながら「この曲いいよね!」と話しかけてくる行為に似ています。我々が聞きたいのは貴方の歌(話)なのであって、BGMの感想ではないのです。他人のコンテンツを流し、それに相槌を打つだけで成立するのなら、もはや配信者など不要。我々はただ、元のライブ配信を視聴すればよいのですから。これはオリジナリティの完全なる放棄であり、エンターテイナーとしての自殺行為に他なりません。「藤田さん字でかいな」([00:22:35.940])といった、元の配信から最もどうでもいい要素を抽出し、それをさも大発見のように語るに至っては、退屈のあまり意識が遠のくのを禁じ得ません。
【第二部】 法的考察 ~なぜ、つまらないことは罪にならないのか~
さて、これほどまでにつまらないこの配信ですが、法はそれを裁けるのでしょうか。
1. 名誉毀損罪・侮辱罪について
不思議なことに、この配信は法的なリスクを巧妙に回避しています。例えば、茂木氏への「もう認知症になって」([00:10:08.060])という発言。これは極めて失礼ですが、罪には問われにくい。なぜなら、その発言に社会的な影響力が皆無だからです。誰もこの配信者の発言を真に受けて、茂木氏の社会的評価を変動させたりはしないでしょう。つまり、あまりにつまらなく、どうでもいい発言であるという事実そのものが、名誉毀損の成立を困難にしているという、驚くべき自己防衛機能が働いているのです。発言が社会に与える影響がゼロであるため、法もまた介入する余地がないのです。
2. 著作権法違反について
しかし、唯一にして最大の例外が著作権法です。前述の通り、他人のライブ配信を延々と流用する行為([00:17:26.439]以降)は、適法な「引用」の範囲を完全に逸脱しており、著作権侵害という明確な違法行為にあたる可能性が極めて高いです。
これは、「つまらなさ」という観点からも非常に示唆に富んでいます。なぜなら、他人のコンテンツを無断で、しかも長時間にわたって流用するのは、「自力で面白いコンテンツを作る能力がゼロである」と白状しているようなものだからです。面白い話ができないから、他人の面白い(と配信者が思っている)話を盗んでくる。その安直さが、コンテンツの絶望的なつまらなさに直結し、同時に法的なリスクを招いているのです。面白い泥棒はフィクションの中にしか存在しません。現実にいるのは、ただの泥棒であり、そしてその手口は、驚くほどつまらないのです。
【結論】
この配信は、我々が「エンターテイメント」と呼ぶものへの冒涜であり、人類が生み出した「時間」という概念に対する、この上なく贅沢な無駄遣いであります。それは、単に面白くないのではありません。視聴者を「無」の境地へと誘い、自らの存在意義を問い直させる、一種の哲学的苦行なのです。もし、人生に何の刺激も感じられなくなった方がいらっしゃれば、この58分26秒を体験することをお勧めします。退屈のどん底を知ることで、普段の何気ない日常が、いかに輝かしく、エキサイティングなものであったかを、きっと再認識できることでしょう。