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職場のエロジジイ社員が「みんなAV観ようよAV!あ、このAVはアニマルビデオのAVね!!藁」って使い古されすぎて令和どころか平成でも余裕で死刑判決のゴミクソギャグを飛ばした際、素で勘違いしたパートのおばちゃんが「えっ、人間と動物のそういうビデオってあるの!?」と会話のキャッチボールを180度間違えた方向にいる俺にぶん投げて、その瞬間に俺の心の中の獣姦博士が「ふぉ〜ふぉっふぉ!よくぞ聞いてくれた!実はのう、人間と動物の性交渉を収めた動画やビデオは世の中に沢山あり、令和においても獣姦罪のない海外諸国で生産・流通しておるのじゃ!最近は動物愛護の観点から自主規制されておるが、日本においても2000年代には犬側が攻め、女性側が受けのアダルトビデオが一般流通しており、大手検索エンジンでも簡単な英単語で検索するだけで容易に視聴が可能じゃぞ!しかし、ドイツなどのズーフィリア先進国においては動物性愛者の主な層は男性であり、Beastalityという単語ひとつを取ってもその実態は多様性に満ちておる為、一概にアニマルビデオなどとカテゴライズするのは些かナンセンスじゃ。ドイツの動物性愛者男性は主に犬をパートナーにするが、男性×雌犬、雄犬×男性、雄犬×男性×男性、男性×雄犬×男性など、その性行為の攻め受けひとつ取っても多種多様な様相を示しておる。特に興味深い点は、“犬側の自発的行為を受け入れる“という形で動物性愛行為を肯定しているパッシブなズーフィリアは、犬側へ挿入するといったアクティブなズーフィリアを“悪いズーフィリア“として嫌悪する傾向があることじゃな。要するに、犬が自発的に己へ挿入する分には犬側の体の負担は少なく済むが、人間側が挿入するのは犬側への肉体的な苦痛を伴うからNGという理屈じゃ。ZETAのような“倫理的動物性愛“を謳う団体はこの傾向が強く、受け攻めだけに留まらず、動物を主体的なパートナーとして愛さない性行為には否定的な立場を取っておる。Beastality愛好家ひとつを取っても、“犬なんて下等生物に汚される人間女性に興奮する“といった、まるで犬を陵辱系同人誌のブサイクでメタボリックな巨大オークの竿役としてしか扱ってないような不遜な輩も存在するため、そこは動物を主体的なパートナーとして愛する善良なズーフィリアの為に厳格に峻別する必要はあるとワシも思うが、人権を主張する者たちが己等らを“良い者“と“悪い者“にわけ、そこから良い側である己らの倫理的正当性を主張して市民権獲得を狙う様は、まるでかつてLGB団体が少年性愛団体NAMBLAを“悪い同性愛者“として活動連帯からパージした光景に酷似してお」とかほざき始めたので即座に獣姦博士に正中線五段突きを放って博士の天倒、人中、喉仏、丹田、股間を殴り砕いて二度と話せないようにした。 そして獣姦博士を再起不能にした俺は「いやある訳ないっすよ、気持ち悪いやないすか(笑)変なビョーキとかうつっちゃいますよ」と微笑とともに完璧な返答を返す。 静かに暮らしたい吉良吉影の気持ちが痛いほどわかった1日だった。