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日本の都市に「流動」を取り入れる | 都市デザイナー 三文字昌也さん【偏愛マニア #06】

「好き」で続けてきたことがどのように仕事につながってきたのか、「偏愛」を軸に活動をする方々のお話を伺いながら紐解いていく「村田あやこの偏愛マニア探訪記」。
今回ご登場いただくのは、都市デザイナー・三文字昌也さんです。国内外の都市計画や建築設計の案件を手掛ける傍ら、渡航先の台湾で魅了された台湾夜市を研究し、台湾夜市遊戯の屋台を各地のイベント等で展開する活動もされています。
 
都市デザイナーとしての原点や、「流動」を軸にした活動の広がりについて、三文字さんにお話を伺いました。

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三文字昌也(さんもんじ・まさや)さん
都市デザイナー。博士(工学)。 東京・文京区を拠点に、都市と建築の設計をする合同会社流動商店の代表をしながら、東京大学大学院で台湾の都市生活施設と都市計画、台湾夜市を研究しています。 その成果(?)を活かし日本各地で台湾夜市遊戯の屋台を展開する活動もしています。 一般社団法人せんとうとまちでは日本の銭湯の保全再生や活用に携わり、銭湯山車巡行やアジア都市透視展といったアートイベントの発起人でもあります。

「流動」する仕組みを作りたい

ーー三文字さんの現在のご活動を教えていただけますか?
 
東京大学大学院の修士課程を修了した直後に合同会社流動商店を立ち上げ、「都市デザイナー」として活動する傍ら、東京大学大学院に特任研究員として所属し、台湾の都市に関わる研究をしています。その流れで、日本各地で台湾夜市ゲームの屋台を展開する活動もしています。
 
流動商店では、都市デザインや都市計画として、地域の計画策定から商店街や公園、道路といった公共空間の設計や活用を考えるほか、空き店舗や空き家、店舗から住宅まで、様々なスケールの建築設計を手掛けています。
空間を豊かにすることで、人の生活や都市が面白くなるよう目指す仕事を各地でやっています。
 
今の流動商店は、建築家と共に経営していますが、空間のデザインをこだわり抜く建築家と、空間自体がどう人や街に使われ、人との関係性を作っていくのかにこだわる都市デザイナーの私とで見ているスケールが違うからこそ、一緒に仕事すると面白いですね。
 
ーー視点の違う二人が一緒になるからこその広がりがありそうです。日本だけでなく海外にも、活動の場が広がっていますね。
 
はい、おかげさまで台湾をはじめ、フィールドが広がってきています。例えば台湾では、台南の中心部に清の時代から残る歴史的な建造物をどういう形で残していくか、建物の設計や活用方法を一緒に考えるプロジェクトがはじまりました。
 
ーー「流動商店」というユニークな名前の由来は?
 
屋台やキッチンカーなど「固定されていない商店」を表す、中国語の一般名詞です。都市計画や建築設計に際しては、土地の上にしっかりと固定されたものを作り、機能も固定化させていくというのが当たり前の前提だったはずです。ですが今の時代は、DIYの広がりや道路・空き家の柔軟な利活用など、人やお金、不動産をどんどん流動化させていこうという動きも一方で起こっています。こういうトレンドを背景として、より流動的な面白い都市を作りたいと思っています。
例えば台湾では、土地の利用方法やその管理方法を見ても、いい意味での曖昧さや隙間があるように感じています。問題もありつつ、それが都市に流動性を生んでおり、台湾の都市ならではの面白さを作り出しているのではないでしょうか。日本でも、学ぶところは学んで、良い仕組みを作っていきたいなと思っています。

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流動商店での仕事風景。商店街のアーケードでDIY中。

ーー流動商店さんのお仕事は、トンカチを持ってDIYするところから、建物と周りの都市との関係を考えていくところまで、スケールが幅広いのが印象的です。
 
流動商店は、“DIYゲリラ集団”として、自分たち自身で施工を手掛けることからスタートしました。大きな都市の計画でも、小さな商店街の計画でも、地元のお店や住民の方々が自ら手を動かすことによって街が少しずつ変わっていくという実感や手触りを大事にしています。
行政と一緒に行う都市計画の案件であっても、例えば地元の方と一緒になって、DIYワークショップで商店街に置く家具を作る、みたいなところから計画を作っていこうとしています。

日本各地への鉄道旅行や文化祭。中高時代に原点

ーー様々なスケールで都市の空間設計を手掛ける三文字さんですが、原体験となる経験はありましたか?
 
二つあるのかな、と思っています。
一つは、ずっと昔から、街を見たり旅したりするのが好きだったんです。中学・高校の時、鉄道研究部に入っていて、夏休みや冬休みのたびに「今年は北海道に2週間行こう」とか「九州に2週間行こう」とかいう形で、青春18切符を手に日本全国を旅していました。
のんびり電車に乗るのも好きだったんですけれど、それ以上に、中心市街地や宿の周りをとにかく歩いて、知らない街の構造や商店街、建物を見て回るのが好きでしたね。そういう体験が蓄積されて、地域や街のイメージが少しずつ形作られていったのかもしれません。
 
ーー様々な街の成り立ちを、足を使って体得していったんですね。
 
二つ目は、中学から高校にかけて、文化祭の実行委員として、装飾パネルや垂れ幕、門などの各種装飾や、ポスターやパンフレットなどのグラフィックデザインを手掛けていたことです。また、文化祭で使う什器や装飾物、大道具も製作していました。
鉄道好きが高じて高校2年生の頃には、文化祭の全体装飾の一つとして、サインシステムを作ったりもしました。

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文化祭会場のサインシステムを自作

ーー鉄道駅にあるような案内サインの文化祭版ということですね。
 
高校3年生の時には「縁日班」として、縁日の造作を手掛けていました。
当時、冬季オリンピックでカーリングが流行っていたので、カーリングゲームを作って来場する子どもたちに遊んでもらったり、「イライラ棒」を作ったり、中国のお焼き「シャーピン」を焼いて出す屋台を作ったり。今振り返ると、台湾夜市を研究する原点は、この17歳の秋にあったんだなと、自分でも合点が行きます(笑)。
この時はナンジャタウンや新横浜ラーメン博物館といった昭和レトロな雰囲気を再現している空間をリサーチして、看板や壁の材質、印刷物といった会場装飾に活かしたりもしました。

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高校の文化祭にて。漬物石を使ったカーリングゲーム。

ーーまさに今につながっていますね!
 
本当に、31歳の現在に至るまで、やっていることは変わっていないなあとつくづく思います。中学・高校の同期からも、「お前はやっていることが変わらない」って言われますね。

街の中に自分たちで空間を作り上げていく楽しさ

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台湾でのまちあるきツアー中のひとコマ。タンクトップが制服です(笑)。

ーー大学時代には、世界中を旅していたと伺いました。台湾夜市を知ったのもその頃でしょうか。
 
実は大学に入るまで、海外には一回も行ったことがなかったんです。むしろ日本国内がすごく面白いと思っていたので、外への興味がほとんどなくて。
ただ、大学に入学した2011年当時、格安航空会社(LCC)が一気に勃興し、円高も進んだ時期でした(驚愕の1ドル70円台!)。
その影響もあって東南アジアや台湾に片道1万円出せば行けたんです。大学の悪友と一緒にアジアを旅行して、確かに海外には知らないような街があるんだな、と気づきました。
 
2回目の海外旅行では、取れる飛行機の中で一番安かったという理由で、台湾に2週間行ったんです。この旅で印象的だったのが、台湾中の街に現れては消えていく夜市。それが日常的に繰り返される様子に目を見張りました。夜市では、子どもから大人まで、ボールを転がすようなゲームなどで遊んでいて。
高校時代に文化祭でやっていたことと非常に近かったので、一気に魅了されましたね。
 
ーー在学中、台湾に留学もされますよね。
 
この頃から僕の人生の迷走が始まるんですが……。
実は、学部を卒業したら普通に就職するんだと思っていたんです。もともとグラフィックデザインやサインシステムが好きだったこともあり、デザイン会社、広告代理店や鉄道のサインシステムを作る会社にインターンシップに行ったりもしていました。
ただ、大学3年生が終わる頃に「ふむ?」と思って。台湾の面白い街を見たり、都市計画を学ぶ中で設計に触れるようになり、すぐに就職するよりも面白い未来があるのでは?と思うようになったんです。
また当時、実家を出て、一人暮らしを始めたことも大きかったですね。大学の近くにある家賃3万円の下宿に住み、近所の銭湯通いが日課の日々がとにかく面白くて。地域の様々な活動に関わらせてもらい始めたのもこの時期です。街の中で暮らすということには、もっと楽しさがあるんじゃないか?とも思いました。
 
その後、東大の留学奨学金が取れたことをきっかけに休学して、1年間日本を離れることとなりました。
最初の半年は、大好きな台南へ。知り合いがやっているゲストハウスを間借りさせてもらい、中国語を学びながら、毎日のように街を歩きまわって。
その後は世界一周もして、世界の各都市を見に行くことができました。相当大きな経験になりましたね。
大学4年生で復学した時には、そのまま日本で普通に就職する気は消え失せていました。
 
ーーその頃には「都市デザイナー」として都市に関わる仕事をしようと思い描いていたんでしょうか?
 
具体的に描けていたわけではありませんでしたが、何かしら、街や都市に関わることがやりたいなとは思っていましたね。
もっと都市デザインを学びたいと思って、大学卒業後は、東大の修士課程に進学しました。大学院では、座学だけでなく、ネパールの震災復興でのデザインガイドライン策定など、実際に動いているプロジェクトにいくつも関わることができました。
また、この時期には、街で活躍する同世代と多く知り合えたのもありがたいポイントでした。大学にほど近い根津の街に小さな古いビルを借りた知り合いがいて、気軽に人が集まれるレコード屋を作りました。そのDIYを色々と手伝ったのです。
 
留学していた台湾の街にも、こんなふうに若い人がリノベーションした店がたくさんあったんです。夜市もそうですが、台湾の街は、日本に比べて空間をカスタマイズすることのハードルが低いように感じており、それを日本でもできないか、と漠然と思っていたのです。
大学院で、実際に自分の手で街の中に空間を作っていく経験をたくさんやっていく中で、「台湾に近いことができるのかもしれない」と、どんどん面白さを実感していきました。
 
こうしたことがきっかけとなって、レコード屋で出会った仲間たちと共に、修士課程を修了した翌月に「流動商店」の元となる会社をを立ち上げました。

日本の都市にも台湾的要素を

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台湾関連のイベント出展中の様子

ーー三文字さんは、大学でも台湾夜市を研究されていた他、様々なイベントで、台湾夜市のゲームを出店されている「台湾夜市研究家」でもあります。
 
流動商店の起業前後で様々な場所のDIYを手掛けていた頃、「台湾夜市の“クソゲー”を作るか」という話になり、台湾人の友人と一緒に木工でゲーム機を作ったのですが、それをきっかけに色々なイベントに誘われる機会が増えたんです。イベントにゲームを出してみたら、子どもたちから大人まで大人気で。
そのうちさらに、自分たち自身でゲーム機を作ったり、台湾から輸入したりするようにもなりました。マニアフェスタなどのイベントで、マニアの方と出会って、ニッチな分野をニッチに突き詰めることの価値を教えてもらったのもその一因です。
様々なイベントに出店するうちに、台湾夜市ゲームは日本人にも非常にうける、と気づきました。それでいて、同じようなコンテンツを提供する人は他にいない。台湾関係のイベントからも、出店をお声がけいただくようになりましたね。
 
ーー昨年は「マツコの知らない世界」にも出演されました。反響はいかがでしたか?
 
ものすごかったですね。嬉しかったのが、台湾での反響が大きかったことです。「日本人がテレビで台湾夜市について1時間語った」ということを、台湾のメディアで好意的に取り上げていただいて。
また、出演を機に私の台湾夜市に対する向き合い方もひとつ定まりました。台湾には500ヶ所ほど夜市があるらしいのですが、私自身は、それをすべてスタンプラリー的に巡るというよりは、「夜市がいかに歴史的に都市の中に息づいて、人と人との関係を作ってきたか」を研究者として理解し、都市デザイナーとしてこれからの都市づくりに活かしていきたいと思っています。
 
番組出演後、日本各地の商店街から、台湾夜市をやりたいというお問い合わせもたくさんいただきました。行政と一緒に手掛けるプロジェクトのコンテンツの一つとして提供するなど、本業にもダイレクトに関わってきています。
 
ーー今後の動きとして、思い描いていることはありますか?
 
ちょうどこの9月に台湾の都市史についての博士論文を仕上げたところなのですが、これから私が関わらせていただく都市に、台湾夜市的なエッセンスをいかに取り入れられるかということを考えるのが、私の次のフェーズだと思っています。
例えば日本では、空き家や空きシャッターの増加が問題になっています。それ自体を解決するには、税金や相続など様々な問題がある。けれど、台湾夜市的な発想でいけば、例えば空きシャッターの前でテンポラリーの屋台を出せるようにするなど、もっと柔軟に街を活性化させる方策はいろいろと考えられます。
権利関係をかちっと整理するまでのワンステップとして、ある種の流動するものを取り入れるというのは、台湾に学ぶことができる都市のつくり方なんじゃないかな、と考えています。
 
ーー仮設的なものや移動するものなど、まさに「流動」するものを組み合わせて、固定化させる前にトライアンドエラーができるステップを作るという。
 
日本の行政の仕組みには、露店一つ出すにしても、道路交通法や食品衛生法といった厳しい規定があります。もしそこに台湾的なものを取り入れようと思った時に、街の人がただ「やりたいんです」というだけではなく、学術的なバックグラウンドがしっかりあれば、より行政や地域住民の方の理解を得やすいかもしれません。
そうした点で、都市デザイナーとしての仕事と並行して、研究者として、私が台湾の都市の成り立ちを学術的にまとめることには、意味があるんじゃないかと思っています。
 

偏愛マニア探訪後記

三文字さんと初めて知り合ったのは、本文中にも出てくる「マニアフェスタ」。同じイベントの出展者同士として、その後も折に触れてご一緒する機会がありました。
とある街のイベントで台湾夜市のゲーム機を出していた時は、子どもたちがゲームにわらわらと群がり、夢中になって遊んでいました。
 
三文字さんの手掛けるお仕事は、スケールの幅が広いのが印象的。
ただ、どれだけ規模が大きくなっても、ひたすら目で見て歩いて体得したその街の雰囲気や、ノコギリで木を切ったりトンカチを片手に釘を打ち付けるといったように、自ら手を動かして得る手触りや手応えといったものが、しっかりベースになっているというのがいいなあと、ひしひし感じました。
 
「流動」をテーマに、固定化させるものだけではない街の空間の使い方が広がれば、街はもっと様々な人の関わりしろがある、自由で楽しい場になるかもしれません。


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日本の都市に「流動」を取り入れる | 都市デザイナー 三文字昌也さん【偏愛マニア #06】|フリパラ(フリーランス協会公式note)
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