親の趣味との距離の話
読売ジャイアンツ公式のツイートが炎上している。
今日は、父の日。
— 読売巨人軍(ジャイアンツ) (@TokyoGiants) June 14, 2025
あなたのお父さんと
ジャイアンツの思い出はありますか。#父とジャイアンツ pic.twitter.com/EAfXUINODV
引用RTを見る限りは、幼少期を思い返して嫌な気持ちになっている人が多いのだろうと思う。他の父の日広告は素敵な内容なので、これがリリースされてしまったことに疑問を抱いてはいる。
さて、私は嫌なインターネットオタクかつ野球ファンなので、高所得者男性たちが夜な夜な(昼にやっていることもあるが)木の棒とグローブを使って硬くて白い球を投げたり飛ばしたりキャッチしたりする"野球"などというよくわからない競技を見る義務もないのに見てバチギレまくり機嫌を左右されまくる日々を送っている。特に直近は贔屓の球団が7連敗を喫したのでそれはもう機嫌が悪・・・ということもない。贔屓が2つあるからね。片方が勝っているので心の平静は保たれています。
私が野球を好きになった理由に、親の影響はほとんどない。野球に興味を持つきっかけが楽天優勝だったので、生まれ育った地域が東北であるということは関係してはいるが、あとは勝手に高校野球中継を見てある選手たちに一目惚れして、その彼らが入団したのがいまの贔屓の球団であり、その後プロ野球にどっぷりのめり込んだきっかけはパワプロである。
両親は良くも悪くも無趣味かつ内向的で、海外ドラマやアニメを見るか、釣りに行くか、テレビで話題になった観光地に行く以外に親主導の娯楽に付き合わされた記憶がほとんどない。私が多趣味でやれあれがやりたいあそこに行きたいだのということはなるべく叶えてくれたので、娯楽の面に関してはいい親だったなあと思う。
なので、今回槍玉に挙げられている「父親が野球中継を見ているせいで見たい番組が見られない」「贔屓の球団が負けると親の機嫌が悪くなる」のような事象は知らない。かわいそうにな、と思った。
ただ、早速2つ上の段落と矛盾するのだが、思い返してみるとひとつだけ親主導の趣味で嫌になったものがある。テニスだ。
幼少期からなぜかガレージにラケットが完備されているし、テニスボールがたくさんあるなあとは思っていたが、それが父の趣味であることを知ったのは中学の頃だ。
その頃私は絵を描くのを本格的に趣味としはじめていて、一日中PCに向かっていて筆を離さないくらいそれはもう描きまくっていた。長期入院をしていたことなどもあり運動不足などを心配した父が連れ出したのがテニスである。
市営のテニスコートを借りて、1時間だったか。サーブの仕方も知らないが、見よう見まねでラケットを振る。うまくボールが飛ばない。球技自体は好きなので飛ぶようになれば楽しいのだろうと思ってスイングの練習をする。
だが、つまらない。もう本当につまらないのである。楽しくなる前につまらなさで苦痛になり、おまけに重いラケットを振り回して手首を痛め、絵を描くのに支障がでた。
一二週間だかあとに父がもう一度行こうと誘ってきたが、断った。しつこく誘うことはしなかったが、夕飯の時に機嫌が悪かったのを覚えている。
親とは言えど他人なので、興味がないことに嫌々付き合わされるのは気分が悪い。これを野球中継で、ほとんど毎晩のようにやられていたら確かに野球を嫌いになっていたかもしれない。
近年は地上波での野球中継がかなり減ったのと、ネット配信での試合中継の視聴手段が増えて、リビングのテレビの大画面ではなくとも個人的に中継を楽しむ選択肢が増えた。それは野球に限らず他の趣味でもそうで、テレビというツールに依存しなくても各々の趣味をそれぞれに楽しめるようになってきた。家庭のコミュニケーションが減って寂しいと思う人もいるかもしれないが、親や近しい人間がきっかけで嫌になるコンテンツというのが減るのはいいことなんじゃないかと思う。
余談だが、ある時に久々に実家に連絡をしたら母がヤクルトファンになっていた。私と同い年の村上宗隆選手を応援しているとのことだったので、珍しく外苑前まで出向いてヤクルトのグッズショップに赴き、グッズのTシャツを買って帰省の折にプレゼントした。たいそう喜んで夏になったら着ると上機嫌に言っていたが、着ているところは別に見たくない。私、阪神ファンだし。


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